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王都とギルド潜入
26.朝の気配
しおりを挟む真夜中の会談も終わりに差し掛かる頃。
「うむ。くれぐれ気を付けろよ。ーーそれとお前、セナ、お前もこやつらと共に過ごせ。この屋敷ならば幾らでも部屋はあるのだろう?」
「ええ勿論、それくらいなら」
「何で……俺、他に家あるけど」
「お前がヤられんという保証ができん。手合わせた感覚では、この中ではお前が最も危うい。下僕とは好い勝負だろうが……下僕は吸血鬼だからな、そう簡単には死なん。ならば真っ先に死ぬのはお前だ」
「…………ウィ」
「分かったな? なるべく、夜は共に行動しろ。そして下僕は必ず連れて行け、鼻が利く」
「……ウィ」
そう言い残してから早々。
ミライアは、いつものローブを身に纏い、来た時と同じ窓に足をかけると。
「この喧嘩は私が買ったものだ。精々、お前たちは死闘には巻き込まれんようにな」
そんな捨て台詞を残してから彼女は。太陽の頭の出かけた薄暗い世界へと、あっという間に姿を消してしまったのだった。ジョシュアですら追い切れない程、まるで最初から存在がなかったもののように。
彼女の気配はプッツリとその場で途切れてしまったのだった。
彼女が去ってしまってからしばらく。窓際に集まっていた彼らの間には沈黙が走っていた。それを真っ先に破ったのは、セナだった。
「ああーー、……ちょう、長かった……」
緊張が途切れたように、セナは頭を抱えるとその場でうずくまった。一晩中付き合わされ、しかも吸血鬼としてのミライアの気配に晒されていたのだ。無意識に緊張するに決まっている。無理もなかった。
同様に、彼の一言でエレナも気が抜けたのか、その場でしゃがみ込むと、まるで愚痴のように言った。
ハンターとしてではない、セナ、そしてエレナという人間の一面である。
「ああー、本当、普段やらない仕事は受けるもんじゃ無いわね。まさか、こんな事になるなんて……」
「いや、うん。……今回ばかりは心から同意するわ。巻き込まれ方ハンッパない」
客間の窓近くで、深く深く溜息を吐く二人を哀れに思いながら、ジョシュアは彼らの後ろでただ突っ立っていた。何と声をかければ良いのかも分からない。
同情するには彼らは首を突っ込み過ぎていたし、慰めるのも違う気がする。だからジョシュアは黙って、二人の様子を眺めたのだった。
そんな時だ。ふと、思い出したかのようにエレナがジョシュアの方を向いて言った。
「吸血鬼かぁ……。ねぇ、ジーーゲオルグ、アンタは血、どれくらい飲む?」
「ん? 俺か……血は……ハッキリ言って別に、数日に一度程度で十分なんだが」
「アンタの食事の話でしょ? ダメに決まってんでしょ。普通は、人間みたいに毎日なんじゃないの?」
「多分、そうだとは思う。だが俺はまだ――」
「なら毎日よ。セナ、アンタと一日交代で」
「え!?」
「おい……」
「なーに驚いた顔してんのよセナ! コッチも命もかかってるんだからね。特にセナ、お前の。ちゃんと守ってもらいなさいよ」
「うぐぐぐぐ」
「…………」
「あと、ゲオルグ」
「ん?」
「アンタも、本当に盾になろうなんてしたら、後で殺すからね」
「…………」
「返事」
「わ、分かった、しないから」
「よし」
成る程、危険と隣り合わせの任務で、長年力を発揮してきた女性は言う事が違う。そして迫力も違う。どこかミライアを彷彿とさせるような彼女の気迫に、ジョシュアは早くも負かされてしまっていた。
昔は、ここまで強く言い切られる事は無かったはず。成長した彼女の立派な姿に、彼は何とも言えない寂しさを味わう事になるのだった。
「うん、アンタは姉さん女房に尻に敷かれるタイプだね」
自分の事を棚に上げてそう、シレッと呟いたセナに。ジョシュアはよっぽどお前が言うなと口走りそうになったのだった。
◇ ◇ ◇
「そうだ、ねぇゲオルグ。貴方、最後に血を飲んだのはいつ?」
エレナがそう言い出したのは、ミライアショックから立ち直ったハンターの二人が、ようやく客間のソファに腰を落ち着けた時だった。
一人掛けのソファにそれぞれ二人が座り、ジョシュアは家にあった使用人の服を借りて着替えを済ませ、備え付けのセーバーレッグの椅子に腰を落ち着けていた。朝も近く、ジョシュアは窓際から注ぐ日光に当たらぬよう、部屋の隅の方へと移動していた。
手首のボタンを閉めながらぼんやりと座っていた所で先の質問を聞かれ、ジョシュアはのろのろとした動作でエレナへと顔を向けた。
「血?」
「そう。アンタの食事の話。城塞都市から来たんでしょ? 道のりは長かったはずよ」
正直な所、ジョシュアは相当にくたびれていたのだ。夕方以降に一晩中走り続け、その上で本気の戦闘を数刻程強いられ、おまけに先の会談のせいもあり眠る事だってできなかったのだ。
赤毛とのやり合いの時でさえ、もうとっくに眠りについているような時間だ。いくら疲れ難い吸血鬼の身体だからとは言え、限界が近かった。
それでも何とか気力を保ち、ここまで保ってはいたのだが。無事に王都へと辿り着き、ミライアもここを去った事で、すっかり気が抜けてしまったのだ。途端にじわじわと疲れを思い出して、ジョシュアはもう、動く事すら億劫だった。
無理矢理に頭を働かせ、エレナの問いに応えるべく、頭の片隅に縮こまってしまっている思考を引きずり出そうとする。けれどもどうやら、今のジョシュアの思考能力は中々に強情で、引っ張っても素直には動いてはくれなさそうだった。うんともすんとも言わない。お手上げだった。
碌な思考もなしに、ジョシュアはただ、口を動かした。言っている本人ですら、何を言っているのか分からないのかもしれなかった。
「あー……彼女と、一度目に休憩した時が、最後だから……あれは何日前だ?」
渋い顔で目を瞑って考えるが、最早日にちですら数える事ができない。夜と朝と夜と、なんて走った記憶を呼び起こして、今日が出発から何日目なのかを数えてみる。けれども、それらは全部失敗に終わった。
「三日前? あれ、いや、それは出た日か──、何日、だ……」
口に出せた答えはほとんど出鱈目だった。正確には、彼がきちんと血液を口にしたのは、一日と少し前のことである。三日前というのは、彼等が城塞都市を出た日だ。
最早ジョシュアは、記憶も朧げにしか思い出せなかった。スイッチが切れる寸前だ。
肘掛けに肘を付いて、その手で頭を支える。考えているかのようにも見えるが、その様子からは眠気に襲われているのは側から見ても明らかだった。
「……ねぇ、アンタもう、眠いんじゃない? きっと色々あって疲れてるのよ。寝室、行ったら?」
「――いや、まだ……」
一体、何がまだなのか。そう応えて間も無くだった。すぅ、と眠りに付くような吐息が聞こえ出したかと思うと。ジョシュアは椅子に座ったまま、ぱったり動かなくなってしまった。
仕方ない、とでも言いたげにエレナからはため息が出る。エレナとセナは、その場で目配せをしてから立ち上がった。そっと二人で彼の側に寄ると、セナが声をかけた。
「ほら、アンタ。向こう行くぞ。ここに居ても邪魔だから」
「セナ」
「……オイおっさん、掴まれ」
「セナ、光に当てないように――」
「――なの分かっ――」
それからの記憶は途切れ途切れで、身体を持ち上げられながら、力の込められていないその腕がブラブラと揺れた。せっかくきちんと着替えたばかりだというのに。シャツやスラックスが寛げられたらしいのを薄らと感じ取り、勿体ない、なんて思ったその思考を最後に。ジョシュアの意識はそこでフッと完全に途切れてしまったのだった。
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