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王都とギルド潜入
25.おいしいエサ
しおりを挟む不意にミライアの口から飛び出した赤毛の話題に、ジョシュアは動揺してしまった。別になんてことはない話題だったはずなのに、思っているよりも赤毛のことを気にしているらしかった。
あの男は一体、何を思ってあんな事をしたのか。自分をどう、思っているのか、だなんて、ふとした瞬間に無駄に考えてしまう。
だが今はそんな事を考える時では無い。何せ目の前には、エレナやセナもいるのだ。ジョシュアは少しばかり自分に喝を入れると、いつも通りの調子で言葉を返そうと努力するのだった。
「アイツ、面倒なのは昔からか」
「そうだ。あの阿呆のせいで、私が一体何年費やした事か……お前、赤毛からどこまで聞いた? 私が奴を始末しかけた話は?」
ミライアの問いに、ジョシュアは口を開く。
目の前でエレナが「始末……」と小声で呟いていたのが、ジョシュアの耳にも入った。
「聞いた。アイツの親と、大食漢の話も」
そう、ジョシュアが分かる者にだけ分かるようにぼかして答えると、ミライアは何故だか少し目を見開いた。意外だとでも言いたげな表情だ。彼女がそんな顔をするなんて珍しい事もあったものだ、とジョシュアの方も少し驚いてしまう。
「これは驚いたな。あやつ、そんなことまで話したのか。まぁ、良い。下僕よ、その話、よそではしてくれるなよ。私と奴しか知らんことだ」
「……ああ、分かってる」
「お前、まさか――」
そこまで話した所で突然、ミライアが何かを言いたそうな、けれども聞くのを迷っているかのような、そんな表情で言葉を切る。
彼女が言い澱むとは珍しい事もあったものだ、なんて思いながら、ジョシュアはその言葉を待った。
「奴の真名、聞いたとでも言うんではないだろうな?」
耳にした途端、ジョシュアはギクリと大きく肩を揺らしてしまった。
それだけできっと、この場に居る全員に分かってしまっただろう。ジョシュアは赤毛の真名を、本名を知っている。ミライアの女の勘とやらが鋭すぎる、というのもあるのだろうが。彼がいかんせん分かり易すぎるのである。
エレナとセナはその場で一瞬顔を見合わせてから、ジョシュアへと視線をそそいだ。注目の的である。
「ああ、もう良い、貴様らがどんな関係になろうが私は知らん。だが真名の扱いだけはお前、本当に、気を付けろよ。奴は――ほれ、あの性格だ。怨んでる奴も多い」
「関係って……?」
「怨んでる……?ねぇ、これって吸血鬼の話だよねーー?」
時折、二人の人間達がこっそりと互いに囁くのをジョシュアは耳にした。それにも構わず、ミライアは話を続ける。
「同族だろうが何だろうが、赤毛は嬉々として首を突っ込みたがる。まぁ、怨みつらみは主に惚れた腫れたが多いが」
「惚れた腫れた……」
「奴の移り気も大概だが……ほれ、あの見た目だ、相手には事欠かん。吸血鬼同士で取り合って殺し合いになったとちう話も聞いた」
もうそこまで来ると、流石のジョシュアも絶句した。赤毛とは多少の話はしたが、そこまで酷いのは聞いた事がなかった。当事者だからこそ、その問題意識が薄いというのもあるのだろうが。
あんまりな話である。そしてミライアの愚痴は更に続いた。
「あやつ、一応人間としては貴族の扱いだからな」
「は!?」
ジョシュアは思わず悲鳴を上げた。単純にあの赤毛が、あんなめちゃくちゃな野郎なのに貴族扱いなのか、という驚きである。
「貴族紛いの、って――アレ、本当に貴族だったのか!」
「まぁ、貴族とはいえ、当時はただの成り金だからな。アレの親だった男が金で買った称号を、養子扱いだった奴がそのまま使っているだけだ。役所さえだまくらかせば、何代目当主だのと言って簡単に引き継げる」
見た目は騎士のような、と最初の頃に思っていたジョシュアだったが。まさか本当に騎士になれそうな身分を手にしていたとは。
一応は貴族扱いの人物が実は吸血鬼で、赤毛を吸血鬼にした挙句、即座にその赤毛に殺されたという自業自得の憐れな男。とんでもない化け物を生み出してしまったその男に、ジョシュアは何故だか少し同情してしまう。
何とも言葉にはしがたい妙な気分で、ジョシュアは遠い目をしてしまった。ミライアもまた、彼とさして変わりのない呆れたような表情だ。赤毛被害者の会、赤毛を語るの巻、である。
「とんでもない話だ」
「全くだ。付き合わされるこっちの身にもなれ。私は極力、奴は放って置きたいのだがな、そうもいかん。何をしでかすか分かったものではない。まぁ、アレはアレで、使えさえすれば便利なのだ……」
使えさえすれば、がやけに強調された台詞だ。ヤマアラシのジレンマである、とミライアとジョシュアは二人、ほとんど同時に大きく溜息を吐いたのだった。しばらく、奇妙な沈黙がその場に漂うものの、そんな二人に恐る恐る声がかけられた。エレナである。
「あの……、それで、以前ギルドに潜入された時はどうだったんです? その、赤毛の人を探して潜入したんですよね?」
「ああ、ギルドの話だったな。奴め、先程話した貴族のツテだと言って金やらナニやらを握らせ、中央の上層部を掌握してしまっていてな」
「掌握って、そんな簡単に……」
「ああそうさ、いくら吸血鬼だろうが、ハンター連中の集うギルドはそう簡単に騙されてはくれんだろうよ。魔術の類いにも耐性がある連中ばかりだ。――だがな、奴は別だ。想像してみろ。口が上手く、人心掌握のスベを心得ていて、おまけにとびきり上等の容姿と貴族姓。更には、我らと同じ魅了と催眠術。騙されんようにする方が難しい」
「「「…………」」」
「それを、人海戦術の力押しで探り、奴を炙り出し、犯行直前の奴を私が取り押さえたのだ。ハンターの一人としてな。その時もまぁ、中々にすばしっこくてな……お陰で何度か殺し損ねたぞ」
絶句したエレナとセナを横目に、成る程、とジョシュアは納得する。あれだけ人を手玉に取る事が得意ならば、ギルド上層部だろうが取り入ってしまうのだろう。
後は、赤毛自身の起こした事件を無かったものとして揉み消し、一部では要らない人間を融通してもらう。大食漢だという赤毛が好きに、そして自由に生きる為に。
「ーーそれで、何者かが、同じような事件を引き起こしていると、ミッシャさんはお考えなのですね……」
「ああ、恐らくはな。お前達に下された命を考えれば、十分に考え得る。だからこそ、慎重に動け。そういう意味でも、お前達にはこの下僕と過ごして貰うのが良いのさ。盾にはなる。ーー狂った吸血鬼を甘く見るなよ? お前達が死んでは元も子もない」
「盾……」
「前の件、赤毛も私も、互いに知らなかったからな。ハンターとして潜入するしか手が無かった。だが今回、奴らが我らの事を知っている。狙っている。向こうからの接触を待つのが手っ取り早いだろう。下手に刺激するより、焦ってボロを出させた方が効率が良い。危険だがな」
「……ええ、分かりました」
盾か、と繰り返し呟きつつも、しかしジョシュアは己の役目を自覚する。この件に関わってしまった二人のハンターから、下手人の目を逸らしつつ守る事。そして、ハンターギルドの内部から情報を得る事。
その為に、ミライアは自分をエレナとセナの元に預けるのだと。
王都へ来て早々にターゲットにされるとは、なんとついていない。逃げも隠れもできない。けれども、仲間を、大切な人を守るという意味では、ジョシュアも覚悟して臨むべきなのだろう。
今までとは少し違った心持ちで、彼は心に刻む。赤毛とのあの期間で確かに、少しでも変われた気がするのだ。今日の事でしっかりと手応えは感じられた。戦いの技術も恐怖を抑え込む力も、更にはどうしようもない狡賢い者に対応する力も少し。
それを思うとやはり、赤毛とのあの別れ方を少しだけ残念に思う。
「まぁ、今回、ここには赤毛の“エサ”もある」
「は」
「上手く行けばヤツも釣れる」
「エサ? 今の話にあった赤毛も、来るんですか?」
「上手く行けばな。ほれ、下僕、お前だお前」
「え? エサって、コイツ?」
突然“エサ”だと言われ、にわかに騒つく彼らを前に、ジョシュアは居心地の悪い気分を味わった。その話は遠慮したい気分なのである。何せ、この場にはエレナだって居るのだから。エレナと赤毛のイライアスを、出来るだけ会わせたくない。彼は何故だか、漠然とそう思うのだ。
片や、ジョシュアの仲間にして昔の想い人。片や、ジョシュアの師匠にして妙な関係性になってしまった吸血鬼。何とも複雑な心境である。
「あの阿呆が食事を我慢できる筈無かろう。そのうち来るさ。こやつの血は赤毛の好物だ」
「コイツがエサ? え、何、吸血鬼同士でも食い合って、好みとかあんの?」
「それなりにな。ーー特に下僕と赤毛は、“相性”が好いようだぞ……?」
ニヤリと含みを持たせる嫌な笑みを浮かべ、ジョシュアに視線を寄越したミライアに、彼は顔を引き攣らせた。流石にここで“あの話”をする事はないだろうけれども、彼は気が気でなかった。
実は血液だけでなく、他の所の体液まで食べられていただなんて。そんな事、誰にも言える筈がない。居心地が悪い。背中に嫌な汗をかいてしまって、ジョシュアは酷く、居た堪れない気分であった。
「そうなんだ……」
「そうだとも。ーーああ、それでだな、この馬鹿者、未だに人間の血を碌に摂らんからな、仕方なく我等の血を与える事がある。この際だ、お前達の血を少しばかり、この馬鹿者に飲ませてやって欲しい」
「へ!?」
「え!」
ミライアの“お願い”にびっくりと目を丸める二人に、ジョシュアは更に居た堪れなくなる。吸血鬼の癖に、人間の血を与えられないと飲めないだなんて。とんだお笑い種である。
吸血鬼である自分と、元人間の心の間で揺れ動く己を葛藤させながら、ジョシュアは不機嫌そうな顔を隠しもせず、ムスッとした顔で彼等の話を黙って聞いた。ミライアの話に口出しは無用、というのはもう散々その身に染みていた。
「いえ、あの……私なら別に構わないですけど」
「えー……、うーん、まぁ……それで協力してくれるってんなら……」
きっと二人は引いている。それが分かってしまって、大分凹みながらも、ジョシュアはその場で葛藤するのであった。
そのような余談も入れながら、この会合もまとめの段階に入る事になる。ハンターの二人も含め、彼等はミライアに話を聞きつつ、いざという時の動きも打ち合わせたのだった。
「ーーとまぁ、お前達に話しておくべきことはこれで終わりだ。他に、聞いておくべき事はあるか? 私もあちこち潜入して回る。連絡が取りにくい事もあるのだ、聞くべき事は今の内に聞いておけ」
時折ジョシュアも口を挟みながら、敵を追い詰めるべく算段を整える。算段とは言っても、分かった事を繋ぎ合わせただけのお粗末なものだ。状況によって個々の動きは大きく変化する。それを、場面ごとに十二分に確認し合いつつも、彼等の策がゆっくりと取り纏められていく。
真剣に打ち合わせを行っていた所為か、外は既に白みかけていた。けれども、その場の誰もがどこか落ち着きなく、そして少しだけピリリとしていた。それを肌で感じながら、ジョシュアもまた一層気を引き締めるのだ。
「ならばこれ位で好いだろう。私は他に宿をとる。私がお前たちと行動を共にしていては警戒して襲ってこんかもしれん。別行動だ」
「はい、わかりました。連絡手段はどのようにすれば?」
「夜に、蝙蝠を探して家に招け。他の誰にも聞かれん状態で伝言を伝えるといい。私に伝わるはずだ」
「はい」
「誤って、別の蝙蝠に伝えるなよ? 私のものは“ツェペシュ”と呼べば来る。それ以外は家に入れるな」
「は、はい」
そうして、彼等だけの極秘の会合はいよいよ幕を閉じる事になる。窓の外は既に、薄らと白みつつあった。
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