我が身は死人の世界

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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王都とギルド潜入

18.王都レンツォ

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 ミライアとジョシュアのふたりは、がらんとした夜の世界を駆けていった。
 微かな月明かりに照らされた大地が、ジョシュアの目にはどこか悲しげに映る。
 静かに夜を進む旅路も悪くはないのだが。あの騒がしい男との夜を思い出すと、少しばかり物足りなくも感じられた。
 今こうして、ジョシュアがミライアの走る速度に難なく付いていけるのは、あの男と過ごした時間があったおかげだ。それを思うと、彼は何とも言えない奇妙な気分になるのだった。
 自身の成長具合を嬉しく思うのと同時に、思い出すのはあの男との別れ際だ。何を思ってそうしたのかは分からなかったが、あの男は別れの場に現れもしなかった。
――奴は見送りなど一度もした事がない。
 ミライアの言った話が本当ならば良いと、ジョシュアは漠然と思うのだった。

 ふたりの吸血鬼は闇世の中を走り続けた。
 何人たりとも、獣ですら追いつけぬほどに速く、そして静かに。
 城塞都市アウリッキより、二日ほどは駆け抜けただろうか。ミライアの携帯していた食料も尽きるだろう頃に。彼らは王都レンツォに程近い森へと辿り着いたのだった。
 進む速度を抑えながら改めて見れば、王都は更に大きく見えた。森の中からでも目にすることのできるその城壁は、まるで王都の内と外とを隔絶しているかのようだ。街そのものが立派な城壁に囲まれているせいかもしれない。それを前にした者達に、ある種の圧迫感を与える。
 そんな王都レンツォには、数多くの物資・人材が集まっている。政治や商いはもちろん、それらを守護するための戦力もまた、一流どころばかりだ。
 軍や騎士団はもちろんのこと、その手に負えぬ化け物退治を請け負うハンター達もまたそのひとつだった。

 彼等ハンター達は、王都を護る事が責務ではない。
 そもそも、国を守護する王国軍や騎士団はきちんと別に存在する。ハンター達はあくまでも、化け物退治の専門家という位置付けだ。国よりもむしろ、民を護る集団であるのだ。
 始まりは民間による何でも屋だったそれが、今や国から補助を受けるほど重要な役目を担うようになった。それが、今で言うハンターギルドなのだ。
 国中に張り巡らされた彼等のネットワークは今や、国にとっても重要な役割を担っている。
 国からも認められたそのような組織には、やはりそれなりの戦力が集まるもので。下手をすると、軍や騎士団よりも力を持つ者も在るのだった。

 そんなハンターの中でも高位に位置する者達もまた、王都に集められている。【A】級や【B】級、そして国王から直接依頼を請け負うことも多い【S】級のハンターも、常に複数名が待機している。
 【B】級は下位のハンター達の指導を任され、【A】級は化け物中の化け物の処理を任される。彼らもまた、力のあるハンターではあるのだが。
 最上位の【S】級に関して言えば、彼らは皆別格であった。国家に危険を及ぼしかねない魔族などを専門に狩り、全員が化け物よりも化け物らしく恐ろしく強い。
 魔術にばかり傾倒して、魔族並みの長寿を得てしまった者や、剣も魔術も両方を極めすぎてしまった者、剣の一本で魔族の島をひとつ壊滅させた者達が、それには数えられている。
 そんな非常識人間達を野放しにする訳にはいかない、と急遽作られたのが【S】級というカテゴリだった。十名といない彼らには、その戦力に見合った特権が与えられる。
 義務を果たす限りは続くその権限は、下手な騎士団よりも幅がきく。何せ、彼らが結託して本気を出せば、国のひとつやふたつ位、落としてしまえるのかもしれないのだから。その手綱を握っていて損はない。多少のわがままを聞いてもお釣りが返ってくる程、彼らは有用だと判断されているのだった。
 何はともあれ、【S】級のハンターというのは、人間達の中でも特別視して語られる。

 そのような者達が、軍や騎士団と共に、この王都に集結しているのだ。下手な行動を起こそうという者はそういない。
 そんな土地で問題を起こそうものなら、何者だろうと即座に捕らえられてしまう。いくら吸血鬼だろうが、どんなに力の強い魔族だろうが、王都で捕まらないという保証はどこにも無いのである。
 そのような場所に、ミライアとジョシュアは潜伏しようというのだ。それ相応の覚悟というものがいった。

 王都を目の前にして、ふたりは慎重に道を進んでいた。ジョシュアもここからは、他の事を考える余裕などはなかった。
 人間にとっての憩いの場であろうその森はしかし、ジョシュア達にとっては地獄の釜の中にも等しい。

『あちこち嫌な臭いや反応だらけで読み切れないんだが』
『国の王都だ、襲う馬鹿者もそれなりにいるのだろうよ。いつも以上にヘマはするなよ? つべこべ言わずに集中しろ』
 
 王都へ向かう街道の手前には、少々手狭な森林地帯が広がっている。都市が近い割には自然豊かで、王都の貴族が稀に狩りをする事もあるような、そんな場所だ。狭いとは言え、人間が馬車で抜けるのに10分はかかるような規模である。
 そんな森にはしかし、厳重に幾重もの罠が張り巡らされていた。人外にこそ有効なそれらが、至るところに。

『一歩間違えれば蜂の巣だな。お前が』

 ミライアが音もなくそう言えば、ジョシュアは背筋にヒヤリとしたものを感じた。何せ今、道を先導しているのはジョシュアなのだ。そのくらい、彼にも分かっている。
 しかも、ここでジョシュアがしくじったとして、ミライアならばひとりで、簡単にここから逃げ果せてしまえるはず。だからせめて、言わずにおいてほしかったところだ。

『皆まで言わないでくれっ!』

 ジョシュアは無音で悲鳴を上げた。
 ミライアも気を使ったのか、それからしばらくは言葉をかけるような事はなかった。
 そもそもの話ではあるが。ミライア程の吸血鬼が、周囲に散らばった罠を見抜けないはずが無い。彼女程、何百年生きているかも分からないほどの吸血鬼が、王都は初めてだなんていうはずもない。
 けれどもこうしてジョシュアに先導任せているのは、彼のためでもあるのだ。実践あるのみ、である。

『魔力、街まで保たないと思うんだが……』

 ジョシュアは堪らず泣き言を言う。そうでもしないと、心が折れてしまいそうだった。

『そうか。そうなったらお前はな』
『…………』
やれ? そうすればお前の魔力も少しはマシになるだろうよ。何事も経験だ』

 そんなミライアの言葉に、ジョシュアは何も言えなかった。ぐうの音も出ない程に当たり前のことであるからだ。
 魔力は使えば使うほど、使い切って回復すればするほど総量が増えていく。もちろん、個人差もあるだろうが。
 ジョシュアは必死で魔力を絞り出し、周囲一帯の罠を感知し続けたのだ。一歩間違えれば死ぬかも分からない緊張感。一時たりとも気を抜けなかった。
 そうして彼らは、一歩足を踏み外せば谷底へ落ちてしまうかのような、そんな危険な森林地帯を歩くのだった。

 だが、そんなミライア達ですら。
 予期せぬ出来事に遭遇することだってある。ジョシュアどころか、ミライアですら気付く事もできずに。
 波乱の一幕は突然、切って落とされる。

『ん? 何だ……?』

 ミライアが珍しく疑問の声を上げた時だった。不意に、彼女はその場で動きを止めたのだ。何かに動きを阻まれているかのような、そんな状態で。ジョシュアもまた、その声につられて立ち止まる。
 しかし、その次の瞬間には。

『やられたな――』

 ジョシュアの目の前で。冷静にそんな声を上げたミライアを突然、空に伸びた円柱状の光が包み込んだのだ。
 そんな彼女の足元では、淡い紫色の光を帯びた魔法陣が輝きを放っている。

『んなっ!? おいッ、ミライア――』

 咄嗟に、ミライアの腕を掴もうと伸ばしたジョシュアの手はしかし、空を切った。
 ミライアの全身を瞬時に包み込んでしまったその光は。彼女の姿を、その場からいとも簡単に消し去ってしまったのだった。
 ジョシュアは内心で叫び声を上げる。

(何って高度なトラップを――ッ!)

 ジョシュアに対しては発動しなかった。ならば、それは一定以上の魔力を持つ者のみをターゲットにした、転送魔術の罠。
 咄嗟に浮かんだ考えを整理するよりも先に、ジョシュアの体は動いた。背後から襲いくる気配に反応したのだ。
 その場から飛び退くのと同時に、そこへ大剣が叩き付けられた。
 暗い夜の森に轟音が響き渡る。

「っマジか!」

 その音を生み出した犯人は、男にしてはやや高めの声で悲鳴混じりの声を上げた。
 背後から、しかも恐らくは必殺の一撃。避けられるとすら思っていなかったのだろう。
 驚愕に濡れた表情からは、男の未熟な部分が垣間見られた。

 攻撃を避けてみせたジョシュアはと言えば。地面が割れる程の威力に、冷や汗を流していた。しかし同時に、本気のイライアスよりかは遅い、だなんて考えを頭に浮かべている。
 当人にはそのような自覚など一切ないのだが、ジョシュアはまだ、余裕はあるらしかった。今この場でやはり、赤毛のイライアスとの特訓の成果も十分に発揮されているのだ。
 周囲から次々に現れ出した複数の気配を感じ取りながら、ジョシュアは内心で悲鳴を上げた。

(複数の気配、ってことは狙いは俺か、最初から! 弱そうだからこっちから先に潰そうって……冗談じゃない!)

 まるで本気のイライアスと対峙した時のような緊張感の中、地面に片手をつきながら着地したジョシュアは。休む間も無くその場から身を引いた。
 後ろに跳ぶように避けた途端、今度は細長い剣の刃が突き立てられる。翻ったローブの裾が、僅かに剣先を掠った。

「チッ!」

 2人目。悔しそうな男の舌打ちがジョシュアに耳に入った。
 だが、それで終わりではなかった。背を向けたまま、チラリと目をやれば案の定。左の背後より再び別の刃が迫っていた。
 今度はそれを、振り返りざまに足裏で剣の腹を蹴りつけ軌道を逸らす。加減したイライアスよりも遅いのだ。そう難しいことではなかった。
 3人目、驚愕に息を呑む剣士の顔がジョシュアの目にも入った。

 そして更にはもうひとつの4人目。
 翻ったジョシュアの着地地点。頭上を見れば、狙い定めたように放たれた業火が目前にまで迫っていた。避ける暇はない。ならばどうするか。
 一か八かだった。ジョシュアはこなくそ、とローブを力一杯振り回した。万が一失敗すれば、全身を炎で焼かれてジョシュアは動けなくなるはず。
 何より、焼死というのは死因の中でも一、二を争う程苦痛が激しいと聞く。そんな死に方は意地でも御免だ。ジョシュアは必死だった。
 ゴオ、という風を切る音がしたかと思うと。炎の塊は、ローブに微かに残る残火を残し、すっかり掻き消されてしまった。

「ええっ!?」

 ホッと胸を撫で下ろすジョシュアの耳に、女性の悲鳴が聞こえてきた。甲高いと言うよりは、落ち着きを持った声だ。
 そしてそこで、ようやくしっかりと地に足をつけることのできたジョシュアは。

「あっ! 逃げた!」

 脱兎の如く、その場から逃げ出したのだった。
 森のトラップなんて何のその。いっそわざと踏み抜きにいきながら、ジョシュアは全速力で駆け出したのだった。

(ミライア頼む、早く戻ってきてくれーー!)

「この腐れ魔族! 逃げんな!」
「――っ、――――!」

 背後から響いてくる複数の怒声に悲鳴を上げながら、ジョシュアはただひたすら逃走した。
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