我が身は死人の世界

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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無敗の吸血鬼

16.さよならの合図 前

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 いつものあの地下室に、イライアスの声が響き渡った。

「ストップ、ストーップ!」
「……あ?」

 突然の事にジョシュアは気の抜けた声を上げてしまう。
 その日の夜半頃から始まった二人の戦闘は、イライアスの一声で中断されてしまった。
 手にしたナイフを振り上げたまま、ジョシュアは地を滑りながらその場で急停止をする。手を下げながら見上げたイライアスは、ひどく渋い顔をしていた。

「今日はもう、これで終わり!」
「え、何で……? まだ夜はーー」
「今日はもうぜんっっぜん駄目、俺も駄目、アンタも駄目!」
「は……」
「だから今日は終わりぃー」
「あ、ああ……」

  早口でそう捲し立てたイライアスに、ジョシュアはしばし呆然としてしまう。今から反撃を、と全身に力を込めていたものだから。その機会を突然取り上げられてしまって、消化不良の熱が内側でじくじくと燻っているようだった。
 ただ、イライアスの言う事はもっともなので、ジョシュアも素直にその言葉を受け入れる。

 今日のジョシュアは出だしからおかしかった。集中もろくに出来ず、イライアスに吹っ飛ばされまくっていたのである。怪我こそ負わなかったが、それはジョシュアが上手く避けたからではない。
 イライアスの方にもまた、いつものような攻撃のキレが無かったのだ。心の迷いが透けているかのようなそれを、ジョシュアは容易く受け流す事ができた。
 一撃目でとっくにふたりは気付いていた。それをなんとか小手先で誤魔化し、無視をしながらここまで続けてきたのであるが。それがとうとう限界を迎えた。

 イライアスは気の抜けたような声を発しながら、その場にパッタリと倒れ込む。ジョシュアも初めて見るような、ひどく疲れた様子だった。

「もぉ気分最悪ぅー、やんなっちゃーう」

 そう言ってジタバタと手脚を動かしながらしばらく蠢いていたかと思うと。ある時、ぱったりと動かなくなる。そのまま、まるで死んだ動物のようにピクリとも動かなかった。
 相変わらず変な男だなぁ、なんて、男の様子を眺めつつジョシュアはそんな事を思った。
 ただジョシュアもまた、イライアスとそう大して変わらないような気分であるのは確かだ。
 この調子で続けていても成長なんて到底見込めまい。それはジョシュアの目にも明らかで、戸惑う互いの心を反映するかのようなぶつかり合いは、何ともひどいものだった。

 このひと月の間、毎日のように一晩中、イライアスと戦い続けていたのだから。この空いた時間に何をして良いのか分からなかった。
 ここしばらくはずっと何かしらの役割を与えられ、必死でミライアなりイライアスなりに引っ付いてきたのだから。彼等と共に過ごす時間の方が多くて、ジョシュアはすっかり人間だった頃の過ごし方を忘れてしまったのだった。
 はて、ひとりきりだった時、自分は一日をどうやって過ごしていたのか。既に思い出すのも難しいそんな感覚に、ジョシュアは少しだけ妙な感傷を覚えた。日がな一日生きるための日銭を稼ぎ、時折奇妙な難癖を付けられながら身を削る。ハンターとしての誇りを持ちながらやっていたはずが、ジョシュアはいつの間にか迷子になっていたのだった。
 それが、今やどうだ。
 人である事を捨てさせられた今の方が余程充実しているだなんて。最早認めない訳にもいかないそんな事実に、ジョシュアは大きく溜息を吐いた。

 ふてくされるように壁際へ座り込み、手持ち無沙汰にナイフを見る。ここ最近の戦闘で、何本も駄目にしてしまっていたところで。先程手に振り上げていたそれも、もう寿命が近いように思われた。
 すっかり刃こぼれしてしまった刃に手で触れながら、ずっと腰にささったままの一本のナイフを思い出す。
 ジョシュアが人間だった頃、最後に手に入れたそのナイフだけは、使わずに大切にとってあった。あの時、ミライアと対峙した際にもほとんど使いこなせなかったそれは、使いもしないのにいつでもジョシュアのホルダーにぶら下がっている。
 貧乏性、と言われれば確かにそうではあるのだが。魔術の組み込まれたそれは、随分とクセのある代物だった。実戦で使用するには少し勇気がいる。
 イライアスの攻撃を受け流すだけの力を身に付けた今の自分にならば、それを使いこなすことができるのだろうか。ジョシュアはそんな事を思うのだった。

 すっかりなまくらに成り果てたナイフを磨きつつそれを眺める。いつか、このナイフにすらダメージを与える事なく使いこなせるようになったら。その時こそ、ジョシュアはあのトクベツを手に取る時である。
 そう心に決めながら、ジョシュアはただ無心で手を動かした。
 なまくらの2本をさっさと放り、まだ真新しいそれに手をかけたときだった。突然、声が上から降ってきた。

「そっちはもう磨くの終わり?」

 ジョシュアはそこで手を止めた。慣れたとは言え、突然気配が現れるのは流石に驚くもので。チラリと声の主を見やってから、ジョシュアは改めて次のナイフを手にした。

「もう、刃が欠け始めてる。多分次回で駄目になる」
「へぇー……それ、ここ来て何本目?」
「きゅ……じゅ、十数本……?」
「わぁー、武器って、そこそこするのにねぇ」

 現実を突き付けるようにそんな事を言われ、ジョシュアはぐっ、と唸った。
 言われずともそんな事はわかっているのだ。死人扱いであるジョシュアは今、ギルドへと預けていたほぼ全ての財産を失っている。
 そんな中、こうやって練習用の武器を使い捨てできているのは、それを工面してくれている2人の吸血鬼のおかげで。そもそも武器なぞは不要だ、と主張するこの2人を受け入れられずにいるジョシュアは、ただ我儘を言っているに過ぎなくて。
 どこまでもおんぶに抱っこ。そんな気持ちをジョシュアは、こっそりと胸に秘めているのだった。

「姐さんも俺もお金持ちで良かったね」
「ハッキリ言うな。……分かってる、自分でも。ありがたいと思ってる」
「ふぅーん? ジョシュアは素手ではまだヤんないの?」
「まだ、その勇気はない」
「へぇ、そういうものかなぁ? 俺もう慣れちゃったわ。持っててもすぐにダメになるしさ。ここ二百年は多分、武器は握ってないと思う」
「そうなのか。……素手、そうすぐに慣れるものか?」
「多分、その内にそうなるとは思うよ。段々と方法なんてどうでもよくなる――」

 それからしばらく。向かい合ったままとりとめのない事を話す。手にした布きれを衣嚢いのうに戻しながら、ジョシュアは考えてしまう。何故、この男は自分にここまで構うのか。何がしたいのか。何を求めているのか。
 直接聞くのは憚られるが、ここ数日でそんな気持ちが膨らんでいくのは確かだった。この男に対してそんな頃を思うとは。出会った頃には考えもしなかった。
 そんな話をする間中、不思議と弾む心に戸惑いながら、ジョシュアはただ浸っていた。
 そんな時だった。不意にボソリと、イライアスは呟いた。

「もうそろそろね、良い頃だと思うんだよねぇ、俺」
「何がだ?」
「王都」
「!」

 ジョシュアは目を見張った。真っ直ぐに見つめたイライアスの顔は、どうしてだかひどく穏やかな笑みを浮かべていて。ジョシュアは何故だか、騒つく心を自覚した。

「俺ら並みに腕の立つ吸血鬼やら魔族やらって早々居ない筈だから。……万が一遭遇したとしてももう、死にはしないと思うんだよねぇ」
「……それは、本当か? これで、いいのか?」
「何、疑ってるの? この俺が言ってるのに?」
「いや……その、アンタともまともに対峙できてもいないのに、これで良いのかと思って……」

 この男にそんな事を言われて、嬉しく無い筈がなかった。けれどどうしても、ジョシュアは疑ってしまう。己の不出来具合は、自分が一番良く分かっているから。そして同時に、別の感情もまた。この屋敷から離れなければならないのは、少しばかり惜しい気がしていた。

「王都で無事に過ごすだけならまぁ、問題ないっしょ。姐さんと別行動する訳でもあるまいし……十分だよ」
「そ、か」
「うん。姐さんにも一応連絡とったし、あと数日もあればここを出るんだろうね」

 そう告げられてジョシュアは驚く。このひと月、彼が屋敷から離れる様子は見られなかった。それなのにどうやって。それは純粋な疑問だった。

「“彼女”と、か? 一体どうやって……」
「蝙蝠で伝言飛ばした」
「蝙蝠……使い魔か?」
「使い魔っていうか……自分の一部、みたいな? 霧やら蝙蝠やらに姿変える時のアレね。魔力みたいなもんかな。俺らほどになると滅多に使わない力だけど」

 ジョシュアも初めて聞いた内容だった。何せ、人間の間で語り継がれているような話は誇張されているものが多い。実際になってみて初めて知った話ばかりで、それは情報のほんの一部に過ぎない。ジョシュアの知るべき事は、まだまだたくさんあるのだ。

「……なるほど。霧と蝙蝠の話は真実だったのか」
「そ。だから、俺が伝言出したら姐さんもすぐにわかるよ」

 関心しながらジョシュアがうなづいたところで。イライアスは続けて言った。

「俺は一緒に行かないよ」

 その言葉に、ジョシュアの思考が一瞬停止した。当然と言えば当然ではあるのだが。すっかり忘れてしまっていた。

「当たり前でしょ、元々そういう約束だったし。俺は一人でフラフラしてるのが性に合ってるの。それにーー」

 そこで一旦言葉を切ると。イライアスは大きくため息を吐き、視線を逸らしながら言った。

「前も言ったと思うけど、ジョシュアの血が俺に合いすぎる。あんな事やらかしちゃって思い知ったよ。傍に置いてたら他の血ィ飲めなくなりそうで……」
「は……」
「だから安心してよ、もうあんな事は二度と起きないから。それに君、首から血ィ吸われんの苦手でしょ。姐さんの所為、かな」
「…………」
「だからあと数日だけ、よろしくね」

 そう言って笑ったイライアスの顔はいつものようにも見えたが、ジョシュアは気付いてしまった。その笑い方は、ミライアによってジョシュアと引き合わされたその時とそれと同じだ。どこか少し、壁を感じるような。ほんの僅か、ジョシュアにはそのように思えてならなかった。
 その日は結局、それ以上何も言えずにジョシュアはひとり、二階の部屋で過ごしたのだった。その日も次の日も、イライアスがジョシュアの部屋を訪れる事は無かった。
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