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無敗の吸血鬼
15.のらりくらり漂う
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ハッと目を覚ますと、ここひと月で見慣れた天井が目に入った。
大きな屋敷に似合いの高い天井。部屋の真ん中ほどには、小型のジャンデリアのような照明がぶら下がっている。
このように豪華な家に暮らしたことなんて、今までに一度もなかった。ジョシュアは小さな頃からずっと、根なし草だ。それは今もなお続いている。
それでも、やたらと居心地の良い環境に慣れきってしまったのは、今もこの屋敷のどこかにはいるだろうあの吸血鬼のお陰で。
ジョシュアはそれを考えるたび、何ともやるせない気分になる。自分にはないものを、あの男は持っている。
天は二物を与えずとも聞くが、そんなものジョシュアは信じない。天はひとりの人間に二物も三物も与える。ただそれが、必ずしも幸せかというと、疑問は残るが。
妙にスッキリとした頭で昨夜のことを思い出してみる。あの男と普段のように戦闘をこなして、このベッドに自力で辿り着いたはず。
ここのところ、終日一度も殺されずに立っていられるという、生き残り記録を更新し続けていた。これで少しは、あのようなバケモノ達に近付けているのではないか。そう思うと、ここまでの苦労はそう無駄ではないような気がした。
そこまで考えたところで。さて、とジョシュアは体を起こす。スッキリとした割に気怠い体に少しだけ驚いた。けれども、ひたすら殺され続けた初日に比べれば疲れたの内にも入らないほどで。ジョシュアはそれに無視をしてベッドから降りた。
ジョシュアはそこではたと気が付いた。何故、下服を何も身に付けていないのだ。しかもよくよく見てみれば、自分がいま身に付けているシャツは、ジョシュアのものではない。明らかにオーバーサイズだ。
いつ、自分は着替えさせられたのか。あの男が、何もなく無駄に衣服を着せ替えるなんて、するはずがない。それは何故なのだろうか。
ジョシュアは動揺した。
昨夜は一体、何があったのだったか。口許に手をやりながら考えると、心なしか背筋に嫌な汗が伝った気がした。
妙にスッキリとした頭と気怠い体。よくよく考えてみると、下の方に違和感を感じる。そう、ひどいものではないが。あらぬところに違和感を感じている。
それを意識した途端に、頭の中で、その時の光景がよみがえってくる。
『――ごめんよ。もう、大丈夫だから――』
じわじわと克明に思い出されるそれらの記憶はジョシュアを大いに動揺させた。夢であったらよかったのに、けれど夢ではあり得ないほど生々しく、その記憶は鮮明に覚えている。
『――散々煽って焦らしておいて……待てができるほど、俺も枯れちゃあいないんだ』
灯りすら灯らぬ部屋の中で。イライアスがその時に浮かべたその表情はハッキリと見えていた。
女性が見たらそれだけで陶酔してしまいそうな程にいやらしい笑みは男のジョシュアですらドキリとするものがあった。
普段のあの、変態的で軟派な雰囲気とはまるで違い、確実に雌をオとしにかかるよな本気の目は、燃え上がるような情欲にまみれていた。魅了の力を使ってすらいないのに、不思議とその身を差し出してしまいそうになった。(実際ある程度差し出したのかもしれなかったが)
そんな、見た目も実力も最上級の男から与えられたものはやはり最高によくて。ジョシュアは堪え性もなく、あっさりと理性を吹き飛ばしてしまったのだ。
あんなもの、彼に耐えられるはずがなかった。
そんな出来事をまざまざと思い出すと、不思議なことに腹の奥がじくじくと疼くような気がした。いやまさか、そんなことあるわけない。確かに気絶するほど気持ちの良いものではあったが。あれは絶対、その前に行った戦闘のせいで頭がおかしくなっていたのからであって、決して、本心からあのイライアスに対してそんなことを思ったわけではないのであるからして。
気を抜くと気絶してしまいそうな気分になりながら、ジョシュアはひたすらぐるぐると考えた。
あの赤毛の、イライアスの信じられない行動に驚いたのであって、あの男にあんな――
「起きた?」
ベッド横で必死に考えていたジョシュアは、突然降ってきた声に飛び上がった。
慌てて声の方を見ると、そこには当然、イライアスが立っていたのだった。
覗き込むような体勢で腰を少しだけ折りながら、ジョシュアの顔をニコニコと見下ろしている。
それに怯みながらああ、だとかうん、だとか返事を返したジョシュアは。その顔をずっと見つめていることができず、ふい、と顔を自分の服へと移したのだった。
考え込むよりもまず、こんな状況を作り出した当人に文句を言うべきなのではないか。ジョシュアにしては上出来な判断力でもって、イライアスに直接問いかけることにしたのだった。
「ッおい、この服はアンタが着せたのか?」
「え? あ、うん。結構上も汚しちゃったし、ジョシュアの服は何処探せば良いか分かんなかったからね。俺のを着せたよ」
「……着せるなら、ちゃんと下も着させてくれ! 何で何も、履いてないんだ!」
「えー……だって、どうせ着せてもずり落ちて来るでしょ、俺と君の体格差的に」
「ぐっ……まぁ、それは確かに……いや待て、下着はともかく下服もちゃんと汚さずにあったろうが」
「うわっ、速攻でバレちっ、たぁ」
ジョシュアが指摘した途端、口を尖らせてそう言ったイライアスは。言い終わるや否や、ジョシュアの着ていたその服を胸元までペロリと捲り上げたのだった。
突然の事に唖然とするジョシュア。
しかしすぐに我に返ると、捲り上がった服を慌てて元に戻した。
「眺めよぉーし」
「ッこのーー! お前、イライアス!」
余りの事に言葉も出てこないジョシュアは、指をさしてイライアスを非難しながら、彼と距離をとるようにその場からずり下がった。
油断も隙もありゃしない。珍しく警戒心を露わにしたジョシュアは、肩を怒らせながら必死で、イライアスを睨み付けるのだった。
「あっは、どうしたのぉジョシュア? 男同士だし別にいいでしょ?」
「お前、それは自分の胸に手を当ててよく考えてから言ってくれ」
「ええー……でも昨日さぁ、結構大変だったんだよ? 君途中で気絶しちゃうし」
「ッ、仕方ないだろ、戦闘で疲れてた上にアンタに結構な量の血を吸われたんだから!」
「うんうん、そうだねぇ……っていうと、君も昨日の事をちゃんと覚えてるんだね?」
「!」
相変わらず抜け目のないイライアスに、ジョシュアは口を噤んだ。
そして突然、ガラリと雰囲気を変えたイライアスは。普段のニヤついた笑みをすっかり引っ込めると、ジョシュアを見つめながら少しずつ、距離を詰めていった。
「いやね、俺さぁ、昨日のアレで結局挿れる事もイく事も出来なかったから、今はちょっと欲求不満気味でねぇ?」
「…………」
ジリジリと逃げるように後ずさるジョシュアを、イライアスは追い詰めるようにゆっくりと近付いていく。一気に距離を詰めることもできただろうに付かず離れず。イライアスはジリジリと追い詰めていった。
それから間も無く。ジョシュアの背中にトン、と壁が当たり、逃げ場が無くなる。
ジョシュアはその場で俯いたまま、顔を上げる事ができなかった。
一体この男は何を求めているのだろうか。そして自分は、それを拒絶することができるのだろうか。そう考えると途端に、ジョシュアは訳が分からなくなってしまった。自分がどうしたいのかも、どうするのが正解なのか何もかもが分からず途方に暮れる。
そんなジョシュアの思考を知ってか知らずか。イライアスは、そんな彼の逃げ道を塞ぐように、その頭を囲うように、両手を壁についた。物理的にも、そして精神的にも追い詰める。
ジョシュアは最早、イライアスの掌の上だった。
「ね、昨日のこと覚えてる? 後ろのアナ広げてたらさ、ジョシュアがブッ飛んじゃったの。アレってさぁ、あん時もしかして……ナカでイッた?」
少しばかり屈みながら、イライアスはジョシュアの耳元でボソリとそんなことを告げた。
壁際に追いやられて両腕で囲われてしまっては、ジョシュアはどこへも逃げることができない。
「ねぇー、なに、何で何も言わないのぉ?」
初めて会ったあの日もまた、同じような事があった。あの時は、赤毛のイライアスがすっかり油断しきっていたからこそ、ジョシュアは顔面に一発キめる事が出来たのであるが。
今や互いに知り、戦い尽くしたからこそ分かる。この男の圧倒的な力を前に、ジョシュアは赤子も同然である。例えあの時と同じように一発をお見舞いしたところで、ジョシュアの拳はまるで当たる気がしなかった。もちろん、今のジョシュアが彼に対して、そんな強硬手段にでるわけもないのだが。
ジョシュアは知ってしまった。イライアスは決して、彼が心底嫌がる事は決してしない。
その鋭すぎる観察眼でもってジョシュアの本心をすら見透かし、この男はそのギリギリのラインを攻めて来るのだ。
故にだからこそ、赤毛のイライアスは恐ろしい。そして少し、優しくもある。
「ちょっとぉ……ねぇ? さすがに無視は酷くね?」
あまりにもジョシュアが長く黙りこくってしまったせいだろう。痺れを切らしたイライアスが、不機嫌そうに膨れた。それこそ、いつものような軽々しいイライアスのように。
そんな男の姿を見て少しばかり落ち着いたジョシュアは。そこでようやく口を開いた。
「ねーえー、」
「うる、さい。……あんまり覚えてないんだから、俺に聞かれても困る」
「えぇーっ、何それ! あんなに気持ち好さそうにあんあん言ってた癖ーー」
「言ってないッ!」
「……ふぅん?」
ジョシュアの強固な否定に、イライアスは何やら含みのある笑みを浮かべた。その笑みには覚えがあった。それはいつも、この男がとんでもない行動に出る前によく見せるものであって。ジョシュアは途端、嫌な予感を感じ取る。
咄嗟に素早く動いてイライアスの腕の中から抜け出そうとする。だがそんな程度、予想していたらしいイライアスには全く通用しなかった。
瞬く間に肩を掴まれ壁際へと逆戻りをする。しっかりと両肩を壁に縫い付けられてしまえば、身動きすらままならなかった。
すっかり逃げ腰のそんなジョシュアに対して。イライアスはそっと耳元に顔を近付けると。いつか聞いたような、色気を含んだ低い声でそっと、言い放ったのだった。
「正直に言わないと今、ここで犯すよ」
その声音に本気の色を感じ取ったジョシュアは。反射的にゾクリと背筋を震わせた。
この場で言わなければ、本当に実行しそうである。選択の余地なんて、ジョシュアにはもう少しも残されていなかった。
ゴクリと生唾を飲み下し、羞恥に震えながらも消えそうな程の声で、ジョシュアは言った。
「ーーち、ーー、った……」
「ん?聞こえないけど?」
五感に優れた吸血鬼が、目の前で言われて聞こえないはずがないのに。わざとなのか何なのか、ジョシュアに何度も繰り返し言わせようとする。
羞恥と恐怖と困惑とを覚えながら、ジョシュアはすっかりヤケクソ気味に、ハッキリとそう言ってしまったのだった。
「気持ち、良かったの? ねぇ、ジョシュア?」
「あ、……だ、から……」
「ん?」
「ーーかった……」
「聞こえない」
「だから、ッよかった、って、言ってる……!」
「んふふ、やっぱちゃんと覚えてんじゃん」
「!」
言ってしまってから少しだけ後悔する。いいように誘導され、ジョシュアはすっかりイライアスの掌の上だ。やはりどうやったって敵う気がしない。イライアスの巧みな誘導に、ジョシュアは舌を巻くばかりだった。
「でもねぇ、さっき言ったのは結構本気だったからね? ちゃんと出来てえらいえらい」
「…………」
「まぁ、次は容赦しないけど」
ジョシュアを解放しながらそう言ったイライアスに、思わずため息が出る。どこからどこまでが冗談で、どれが本心なのかがまったく分からない。
今まで出くわした者達の中でも最高に癖の強いこのイライアスに、ジョシュアはもう、どうしてよいのか分からなかった。
執拗に狙ってくる癖に、引き際は潔い。無理強いと言える程無理にコトに及ぼうとはしない。まさに、遊び人に相応しい手練手管。
ただその割に、目に宿している熱量は燃え上がるようで。少しでも油断すれば、こちらにも飛び火してしまいそうだ。
ジョシュアは何とも不思議な気分だった。自分自身、どうして欲しいのかも分からない。
もし、このままイライアスの望むようになってしまうのであれば。自分は一体どうなってしまうのか。ジョシュアにはまるで想像もつかない。
そんな事をつらつらと考えていた時だった。突然、イライアスが言う。
「……なーんてね。冗談。ってかもうそろそろ良い時間だから、いつものヤるよぉ。必要ならご飯も獲ってくるから、早く着替えて下きてねー」
くるりとジョシュアに背を向けながらだった。イライアスはそれ以上何も言う事もなく、さっさと部屋から出て行ってしまったのだった。
のらりくらりと言葉を変え態度を変え、あの男の本心が全く見えてこない。一体、何がしたかったのか。ジョシュアは思い付きもしなかった。
そうやってしばらく放心した後で。のろのろと用意するその手を動かし始めたジョシュアは、ただぼうっと宙を見つめるばかりだった。
大きな屋敷に似合いの高い天井。部屋の真ん中ほどには、小型のジャンデリアのような照明がぶら下がっている。
このように豪華な家に暮らしたことなんて、今までに一度もなかった。ジョシュアは小さな頃からずっと、根なし草だ。それは今もなお続いている。
それでも、やたらと居心地の良い環境に慣れきってしまったのは、今もこの屋敷のどこかにはいるだろうあの吸血鬼のお陰で。
ジョシュアはそれを考えるたび、何ともやるせない気分になる。自分にはないものを、あの男は持っている。
天は二物を与えずとも聞くが、そんなものジョシュアは信じない。天はひとりの人間に二物も三物も与える。ただそれが、必ずしも幸せかというと、疑問は残るが。
妙にスッキリとした頭で昨夜のことを思い出してみる。あの男と普段のように戦闘をこなして、このベッドに自力で辿り着いたはず。
ここのところ、終日一度も殺されずに立っていられるという、生き残り記録を更新し続けていた。これで少しは、あのようなバケモノ達に近付けているのではないか。そう思うと、ここまでの苦労はそう無駄ではないような気がした。
そこまで考えたところで。さて、とジョシュアは体を起こす。スッキリとした割に気怠い体に少しだけ驚いた。けれども、ひたすら殺され続けた初日に比べれば疲れたの内にも入らないほどで。ジョシュアはそれに無視をしてベッドから降りた。
ジョシュアはそこではたと気が付いた。何故、下服を何も身に付けていないのだ。しかもよくよく見てみれば、自分がいま身に付けているシャツは、ジョシュアのものではない。明らかにオーバーサイズだ。
いつ、自分は着替えさせられたのか。あの男が、何もなく無駄に衣服を着せ替えるなんて、するはずがない。それは何故なのだろうか。
ジョシュアは動揺した。
昨夜は一体、何があったのだったか。口許に手をやりながら考えると、心なしか背筋に嫌な汗が伝った気がした。
妙にスッキリとした頭と気怠い体。よくよく考えてみると、下の方に違和感を感じる。そう、ひどいものではないが。あらぬところに違和感を感じている。
それを意識した途端に、頭の中で、その時の光景がよみがえってくる。
『――ごめんよ。もう、大丈夫だから――』
じわじわと克明に思い出されるそれらの記憶はジョシュアを大いに動揺させた。夢であったらよかったのに、けれど夢ではあり得ないほど生々しく、その記憶は鮮明に覚えている。
『――散々煽って焦らしておいて……待てができるほど、俺も枯れちゃあいないんだ』
灯りすら灯らぬ部屋の中で。イライアスがその時に浮かべたその表情はハッキリと見えていた。
女性が見たらそれだけで陶酔してしまいそうな程にいやらしい笑みは男のジョシュアですらドキリとするものがあった。
普段のあの、変態的で軟派な雰囲気とはまるで違い、確実に雌をオとしにかかるよな本気の目は、燃え上がるような情欲にまみれていた。魅了の力を使ってすらいないのに、不思議とその身を差し出してしまいそうになった。(実際ある程度差し出したのかもしれなかったが)
そんな、見た目も実力も最上級の男から与えられたものはやはり最高によくて。ジョシュアは堪え性もなく、あっさりと理性を吹き飛ばしてしまったのだ。
あんなもの、彼に耐えられるはずがなかった。
そんな出来事をまざまざと思い出すと、不思議なことに腹の奥がじくじくと疼くような気がした。いやまさか、そんなことあるわけない。確かに気絶するほど気持ちの良いものではあったが。あれは絶対、その前に行った戦闘のせいで頭がおかしくなっていたのからであって、決して、本心からあのイライアスに対してそんなことを思ったわけではないのであるからして。
気を抜くと気絶してしまいそうな気分になりながら、ジョシュアはひたすらぐるぐると考えた。
あの赤毛の、イライアスの信じられない行動に驚いたのであって、あの男にあんな――
「起きた?」
ベッド横で必死に考えていたジョシュアは、突然降ってきた声に飛び上がった。
慌てて声の方を見ると、そこには当然、イライアスが立っていたのだった。
覗き込むような体勢で腰を少しだけ折りながら、ジョシュアの顔をニコニコと見下ろしている。
それに怯みながらああ、だとかうん、だとか返事を返したジョシュアは。その顔をずっと見つめていることができず、ふい、と顔を自分の服へと移したのだった。
考え込むよりもまず、こんな状況を作り出した当人に文句を言うべきなのではないか。ジョシュアにしては上出来な判断力でもって、イライアスに直接問いかけることにしたのだった。
「ッおい、この服はアンタが着せたのか?」
「え? あ、うん。結構上も汚しちゃったし、ジョシュアの服は何処探せば良いか分かんなかったからね。俺のを着せたよ」
「……着せるなら、ちゃんと下も着させてくれ! 何で何も、履いてないんだ!」
「えー……だって、どうせ着せてもずり落ちて来るでしょ、俺と君の体格差的に」
「ぐっ……まぁ、それは確かに……いや待て、下着はともかく下服もちゃんと汚さずにあったろうが」
「うわっ、速攻でバレちっ、たぁ」
ジョシュアが指摘した途端、口を尖らせてそう言ったイライアスは。言い終わるや否や、ジョシュアの着ていたその服を胸元までペロリと捲り上げたのだった。
突然の事に唖然とするジョシュア。
しかしすぐに我に返ると、捲り上がった服を慌てて元に戻した。
「眺めよぉーし」
「ッこのーー! お前、イライアス!」
余りの事に言葉も出てこないジョシュアは、指をさしてイライアスを非難しながら、彼と距離をとるようにその場からずり下がった。
油断も隙もありゃしない。珍しく警戒心を露わにしたジョシュアは、肩を怒らせながら必死で、イライアスを睨み付けるのだった。
「あっは、どうしたのぉジョシュア? 男同士だし別にいいでしょ?」
「お前、それは自分の胸に手を当ててよく考えてから言ってくれ」
「ええー……でも昨日さぁ、結構大変だったんだよ? 君途中で気絶しちゃうし」
「ッ、仕方ないだろ、戦闘で疲れてた上にアンタに結構な量の血を吸われたんだから!」
「うんうん、そうだねぇ……っていうと、君も昨日の事をちゃんと覚えてるんだね?」
「!」
相変わらず抜け目のないイライアスに、ジョシュアは口を噤んだ。
そして突然、ガラリと雰囲気を変えたイライアスは。普段のニヤついた笑みをすっかり引っ込めると、ジョシュアを見つめながら少しずつ、距離を詰めていった。
「いやね、俺さぁ、昨日のアレで結局挿れる事もイく事も出来なかったから、今はちょっと欲求不満気味でねぇ?」
「…………」
ジリジリと逃げるように後ずさるジョシュアを、イライアスは追い詰めるようにゆっくりと近付いていく。一気に距離を詰めることもできただろうに付かず離れず。イライアスはジリジリと追い詰めていった。
それから間も無く。ジョシュアの背中にトン、と壁が当たり、逃げ場が無くなる。
ジョシュアはその場で俯いたまま、顔を上げる事ができなかった。
一体この男は何を求めているのだろうか。そして自分は、それを拒絶することができるのだろうか。そう考えると途端に、ジョシュアは訳が分からなくなってしまった。自分がどうしたいのかも、どうするのが正解なのか何もかもが分からず途方に暮れる。
そんなジョシュアの思考を知ってか知らずか。イライアスは、そんな彼の逃げ道を塞ぐように、その頭を囲うように、両手を壁についた。物理的にも、そして精神的にも追い詰める。
ジョシュアは最早、イライアスの掌の上だった。
「ね、昨日のこと覚えてる? 後ろのアナ広げてたらさ、ジョシュアがブッ飛んじゃったの。アレってさぁ、あん時もしかして……ナカでイッた?」
少しばかり屈みながら、イライアスはジョシュアの耳元でボソリとそんなことを告げた。
壁際に追いやられて両腕で囲われてしまっては、ジョシュアはどこへも逃げることができない。
「ねぇー、なに、何で何も言わないのぉ?」
初めて会ったあの日もまた、同じような事があった。あの時は、赤毛のイライアスがすっかり油断しきっていたからこそ、ジョシュアは顔面に一発キめる事が出来たのであるが。
今や互いに知り、戦い尽くしたからこそ分かる。この男の圧倒的な力を前に、ジョシュアは赤子も同然である。例えあの時と同じように一発をお見舞いしたところで、ジョシュアの拳はまるで当たる気がしなかった。もちろん、今のジョシュアが彼に対して、そんな強硬手段にでるわけもないのだが。
ジョシュアは知ってしまった。イライアスは決して、彼が心底嫌がる事は決してしない。
その鋭すぎる観察眼でもってジョシュアの本心をすら見透かし、この男はそのギリギリのラインを攻めて来るのだ。
故にだからこそ、赤毛のイライアスは恐ろしい。そして少し、優しくもある。
「ちょっとぉ……ねぇ? さすがに無視は酷くね?」
あまりにもジョシュアが長く黙りこくってしまったせいだろう。痺れを切らしたイライアスが、不機嫌そうに膨れた。それこそ、いつものような軽々しいイライアスのように。
そんな男の姿を見て少しばかり落ち着いたジョシュアは。そこでようやく口を開いた。
「ねーえー、」
「うる、さい。……あんまり覚えてないんだから、俺に聞かれても困る」
「えぇーっ、何それ! あんなに気持ち好さそうにあんあん言ってた癖ーー」
「言ってないッ!」
「……ふぅん?」
ジョシュアの強固な否定に、イライアスは何やら含みのある笑みを浮かべた。その笑みには覚えがあった。それはいつも、この男がとんでもない行動に出る前によく見せるものであって。ジョシュアは途端、嫌な予感を感じ取る。
咄嗟に素早く動いてイライアスの腕の中から抜け出そうとする。だがそんな程度、予想していたらしいイライアスには全く通用しなかった。
瞬く間に肩を掴まれ壁際へと逆戻りをする。しっかりと両肩を壁に縫い付けられてしまえば、身動きすらままならなかった。
すっかり逃げ腰のそんなジョシュアに対して。イライアスはそっと耳元に顔を近付けると。いつか聞いたような、色気を含んだ低い声でそっと、言い放ったのだった。
「正直に言わないと今、ここで犯すよ」
その声音に本気の色を感じ取ったジョシュアは。反射的にゾクリと背筋を震わせた。
この場で言わなければ、本当に実行しそうである。選択の余地なんて、ジョシュアにはもう少しも残されていなかった。
ゴクリと生唾を飲み下し、羞恥に震えながらも消えそうな程の声で、ジョシュアは言った。
「ーーち、ーー、った……」
「ん?聞こえないけど?」
五感に優れた吸血鬼が、目の前で言われて聞こえないはずがないのに。わざとなのか何なのか、ジョシュアに何度も繰り返し言わせようとする。
羞恥と恐怖と困惑とを覚えながら、ジョシュアはすっかりヤケクソ気味に、ハッキリとそう言ってしまったのだった。
「気持ち、良かったの? ねぇ、ジョシュア?」
「あ、……だ、から……」
「ん?」
「ーーかった……」
「聞こえない」
「だから、ッよかった、って、言ってる……!」
「んふふ、やっぱちゃんと覚えてんじゃん」
「!」
言ってしまってから少しだけ後悔する。いいように誘導され、ジョシュアはすっかりイライアスの掌の上だ。やはりどうやったって敵う気がしない。イライアスの巧みな誘導に、ジョシュアは舌を巻くばかりだった。
「でもねぇ、さっき言ったのは結構本気だったからね? ちゃんと出来てえらいえらい」
「…………」
「まぁ、次は容赦しないけど」
ジョシュアを解放しながらそう言ったイライアスに、思わずため息が出る。どこからどこまでが冗談で、どれが本心なのかがまったく分からない。
今まで出くわした者達の中でも最高に癖の強いこのイライアスに、ジョシュアはもう、どうしてよいのか分からなかった。
執拗に狙ってくる癖に、引き際は潔い。無理強いと言える程無理にコトに及ぼうとはしない。まさに、遊び人に相応しい手練手管。
ただその割に、目に宿している熱量は燃え上がるようで。少しでも油断すれば、こちらにも飛び火してしまいそうだ。
ジョシュアは何とも不思議な気分だった。自分自身、どうして欲しいのかも分からない。
もし、このままイライアスの望むようになってしまうのであれば。自分は一体どうなってしまうのか。ジョシュアにはまるで想像もつかない。
そんな事をつらつらと考えていた時だった。突然、イライアスが言う。
「……なーんてね。冗談。ってかもうそろそろ良い時間だから、いつものヤるよぉ。必要ならご飯も獲ってくるから、早く着替えて下きてねー」
くるりとジョシュアに背を向けながらだった。イライアスはそれ以上何も言う事もなく、さっさと部屋から出て行ってしまったのだった。
のらりくらりと言葉を変え態度を変え、あの男の本心が全く見えてこない。一体、何がしたかったのか。ジョシュアは思い付きもしなかった。
そうやってしばらく放心した後で。のろのろと用意するその手を動かし始めたジョシュアは、ただぼうっと宙を見つめるばかりだった。
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