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無敗の吸血鬼

13.年甲斐もなく*

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 赤毛のイライアスの反応が妙だった。
 ただジョシュアの方もまた、自身のつまらない身の上話を聞かせただけだというのに。それにしたって反応がなさ過ぎるのだ。
 そんなに、おかしいものだったろうか。ジョシュアは急に不安になってしまった。

「お、おい? 何だ、なにが――?」

 確認するようにそう言ってからしばらく。イライアスは突然、喉の中で押し殺すようにクックと笑い出したのだった。
 一体、今の話の何がおかしかったのか。訳も分からずジョシュアは困惑してしまう。
 余程不安そうだったのだろう。イライアスが弁明するように慌てて口を開いた。

「ご、ごめん、聞いてたよ、ちゃんとっ……! 違うんだ、そっちじゃなくて……、一つ、教えとくねッ! あのね、俺らの中では互いに真名を教え合うのってつまり、『命を互いに預け合います』って事だから……その、つまり、一種の婚姻みたいな扱いになっててッ……! それでちょっと、ごめん、おかしくなっちゃってさ」

 その意味を理解しかねたジョシュアは始め、そうやって笑うイライアスを眺めながらポカンと口を開いていた。
 けれど、一呼吸置いてからその意味をしっかりと理解して、ジョシュアはじわじわと羞恥に襲われる事になる。顔が赤くなっている自覚があった。

 そんな話は聞いていない。それはジョシュアの、いつもの言い訳のひとつだった。
 何故だか昔から、ジョシュアはいつもこうだった。知らず知らず、相手の何かを踏み抜いてしまうのだ。逆鱗に触れて激怒されたり目を付けられたり。碌な事がなかった。ジョシュアは中々に、興味深い人生を歩んできているのだ。

 だがそれにしたって、ここまで酷いのは初めての事だった。知らなかったとは言え、まさか知らぬ間に男相手に、結婚の誓約のようなソレを交わしてしまっていたとは。これでは目も当てられない。口は災いの元。後悔するばかりだった。
 そんなジョシュアの経験を知ってか知らずか。イライアスは楽しげな様子を崩す事なく、何も知らないジョシュアへと更に教えを授ける。

「ま、それも公式なものではないんだけどね。女吸血鬼が好んで良くやる、ある意味『誓い』みたいなものだよ。俺ら吸血鬼って子供作れないから、婚姻や婚約ってあんまり意味のないものだし」
「そう、なのか……」
「うん、そうだよ。――でもね、もし女性の吸血鬼に会ったら、この事は絶対、伏せておいた方がいいね。絶対、突っ込んで色々聞かれる。……そういうの好きな奴も多いし……」

 未だに顔の熱は冷めそうになかったが、まだ見ぬ同族達の話に少しだけ興味をそそられた。女性の吸血鬼と聞くと、未だミライアしか思い浮かばないのだが。ジョシュアの知らない吸血鬼達の世界があるのだと思うと、それは少しばかり楽しみに思えるのだった。
 それで、羞恥心によるジョシュアの心の傷が癒えるという訳ではないが。ジョシュアはとっとと忘れてしまいたかった。

「やっぱり女吸血鬼っつっても、性質は人間の女性と大して変わんないよね。それにしても、あーー、ホント、おかしい」
「ッ知らなかったんだから仕方ないだろう」
「うん、うん、そうだねッ……、ジョ、シュアはあれだね、変な所に首突っ込んで色々引き起こすタイプだね」

 そう、笑い混じりに揶揄うように言われて反論するも、図星をつかれて揶揄われ、ジョシュアはすっかり機嫌を損ねてしまった。
 調子に乗りやがって、なんて心の中で悪態をつきながら、ふてくされたようにゴロリと横になる。イライアスに背を向けて目を瞑れば、少しだけ落ち着いた。
 それでもしばらくは、イライアスのクスクスとした笑い声が部屋中に響いていた。

「ごめッ、ごめんって、ね、ジョシュア?」

 笑いを噛み殺しながら声をかけてくるイライアスはもう、すっかり元通りだ。焦ったようなあの雰囲気も、眉尻の下がった困り顔も、最初から無かったかのようにきっといつも通り。
 羞恥には震えながらも、内心ではホッとしていたのだ。いつものふざけたような調子の方が、この男には似合いだと。何故そのような事を思うのかは分からない。けれども確かに、その命をあずけるに相応しいとそう思えたのだ。

 このような気持ちになるのは随分と久しぶりの事で、むずむずとする心の奥底が無性に気持ち悪かった。内心でぞわぞわとするその気持ちを整理するためにも、今すぐにここで寝てしまいたかった。

「煩いッ……もう、アンタに付き合って疲れた。朝も来るし、寝る」
「あ、うん、そだね、ごめんねッ!」

 不機嫌そうな声でまるで子供のように言えば、イライアスもそれを止めはしなかった。
 しかし、背後からその気配が去る様子がない。その場から動かずに、ただジッとジョシュアを見つめているようだった。
 背を向けてはいるものの、見詰められている事くらいは分かる。早く去ってくれないだろうか。ジョシュアは辛抱しながら、眠りがやってくるのを待つのだった。
 けれどいつまで経っても眠くはならないし、おまけにイライアスもまた、放って置いてはくれなかった。
 耳聡く、彼は気付いてしまう。

「ねぇ、ジョシュア。そういえば君、俺の名前まだ呼んでないね?」

 耳元で、イライアスの声がした。
 先程名前を告げられた時のように、低く、色気を伴ったような声音だ。途端にザワザワと首筋が粟立つのを感じ、ジョシュアは咄嗟に耳を手で押さえた。
 どうやらこの男は誤魔化されてはくれないらしい、と背を向けたまま思案した。
 別に名前くらい、とは思うけれど、改めて呼べと言われると気恥ずかしい。そんなジョシュアの男心を、この男は理解できているのか。
 そんな事をぐずぐずと考えていると。ジョシュアを囲うようにしてイライアスの手が、顔の目の前に置かれた。背後で、彼が更に顔を近付けてくる気配がする。

「呼ばないとずーっとこのままだよ」

 更に近い所から声がした。
 宣言通り、イライアスはその距離から離れるつもりはないらしい。奇妙な沈黙がその場に漂い、互いの息遣いだけが耳に入った。
 ぐるぐると思案するジョシュアと、それをじっと視姦して待ち続けるイライアス。二人の意地の張り合いはしばし続いた。

 背後よりそのプレッシャーを受けながらながらも必死で考えた。
 命程に大切なものをそう軽々しく呼ぶようなものでないと、どうしても思えてならない。しかし、その持ち主にそれを要求されるのであれば、無理に突っぱねるのも何か違う気がして。
 名前をちゃんと呼ばれた時の喜びというのは、ジョシュアも理解しているつもりだ。
 だからこそ迷う。本当にそう、呼んでしまっても良いのか。それをしてしまったら、何故だか後戻りできないような気がして。けれども、それが悪いものではないような気もして。
 そんな、らしくもない自分の思考に驚きながら、ジョシュアは散々に悩んだ後で決めるのだ。

 後悔はしたくなかった。
 以前よりも幾分か、前向きになりつつある己の心に従うように。戻れないだろう事を承知で、ジョシュアは決断するのだ。
 深い深い溜息を吐きつつ振り返りもせず、ジョシュアはぶっきらぼうに言ってみせる。
 顔を見て、だなんてのは到底できそうにない。けれども呼ばれた時の気持ちを想像しながら、ハッキリと口にするのだ。自分は貴方をしっかりと認識しているのだ、と。

「ねぇってば――」
「おやすみ、イライアス」

 それからしばらくの間、イライアスは黙りこくってしまった。これで満足したのだろうか。
 ひとりで奇妙な達成感を感じながら、ジョシュアはようやく眠れる、と大きく深呼吸をする。するとようやく、気持ちも落ち着き眠気がやってくる。何だかんだと体は睡眠を求めていて、意識が段々と遠のいていくのを感じていた。
 無理もない。血液を与えられたとはいえ、この“赤毛のイライアス”に本気で吸血されたのだ。身体は戦闘での疲労と相まって休息を求めている。
 それに抗う事もなく、ジョシュアがうとうとと眠りの縁で微睡んでいると。

 突然、グイと肩を掴まれたかと思うと、仰向けに転がされた。その犯人は言わずもがな、イライアスに決まっている。
 折角眠ろうとしていたのに何事か、と慌てて目を開けると。
 目の前には、余裕の無い表情をしたイライアスの顔があったのだ。どこか切なそうな、何かを堪えるような、そんな目をしていた。
 ジョシュアは思わず目を見開いた。だが、それに何かを言う暇もなく。

 ジョシュアの口は、イライアスのそれで塞がれてしまった。
 まるで噛み付くような口付けだった。
 吐息さえ奪うような、奥まで呑み込むようなそれは、咄嗟の事に怯むジョシュアを翻弄した。歯列をなぞり奥を突き舌を吸う。上に乗られ両手で顔を固定されてしまって、ジョシュアは逃げる事もできない。
 食べられてしまう、だなんて、そんな本能的なジョシュアの怯えはきっとイライアスにも伝わったことだろう。けれどこの男は、口付けをやめようとはしなかった。

「う、ん、んんっーー!」

 いっそ、より快楽を引き出してくるような、しつこくねっとりと絡み付くようなそれに変化して、ジョシュアをどんどん攻め立てていった。
 長い長い口付けだ。口の中が溶けてしまいそうだ、なんて。ジョシュアは酸欠気味の思考を巡らせながらそんな事を思った。
 顔を押さえ付ける両手を引き剥がそうと動いていたその手はいっそ、縋り付くように握り締められていた。
 ジョシュアは為すすべもない。イライアスの口付けは結局、彼が満足するまで続けられた。

 そうして口を離す頃には、ジョシュアは覚えのある快楽の余韻にすっかり酔いしれてしまっていた。目を瞑っていれば眠りに落ちてしまえる程には疲弊している体だ。それもすっかり弛緩し切ってしまって、抵抗する気力も残ってはいない。
 それどころか、刺激され続けたジョシュアの体は先を求めて火が灯り始めてしまっていた。
 これではとてもとても、眠る気になどなれはしない。考える事すらも億劫で、ジョシュアは後先考えずにその先を求めてしまいそうだった。

 すっかり力の抜け切ってしまったジョシュアを、イライアスは優しく愛撫していった。ジョシュアには最早抵抗する気が無い事にもきっと、目敏く気付いているようだった。
 舌舐めずりをしながら、情欲に濡れたいやらしい表情で、イライアスはジョシュアを見つめていた。

「ん、ふぅ……ッ」

 イライアスの手がジョシュアの口のナカへと挿し入れられた。人差し指と中指、2本の指で口のナカをぬるぬると擦っていく。じっとりと唾液に濡れた柔らかい舌を挟み込んだり、上顎をぬるぬると擦ったり、気遣うようにゆっくりと動いている。
 無意識なのか、縋り付くようにイライアスの腕にはジョシュアの手が絡み付いている。イイ所に当たるたびビクビクと震え、それが更にイライアスの興奮を誘っているだなんて事、本人は考えもしない。
 閉じられない口から溢れ出た唾液が、顎やイライアスの手を濡らす。時折反射によるものなのか、喉が鳴る度に唾液を啜るような音が聞こえて、その場のいやらしい雰囲気をより一層盛り上げている。
 もう一方の手は、あちこちに押し付けられるイライアスの唇と共に、ジョシュアの上半身をするすると愛撫していた。最早その上服は胸の辺りまでたくし上げられ、程良く鍛えられた青白い肌が晒されている。
 胸の飾りや肌の弱いところに手が触れると、仰反るように体が震えた。薄暗い室内の中、その光景が僅かにぼうっと光るように見え、イライアス自身は更に張り詰めていった。

 ベロリと、先刻己の牙を突き立てた首筋にイライアスが舌を這わす。己のやらかした不始末のせめてもの慰みにとでも言うように、すっかり塞がりかけているその傷跡をなぞっていった。きっとこの傷は間も無く、跡が残る事もなく奇麗に消えてしまうのだろう。イライアスはまるでそれを惜しむかのように、何度も執拗に舌を沿わせた。
 それに満足した後で、今度は首筋を通って耳の後ろの方へと舌を這わせた。

「んんーーッ!」

 すると途端、ジョシュアの手がそれを妨害するように素早く割って入った。耳をその手で塞がれ、それ以上の愛撫を拒否される。それが余計に、イライアスを煽る要素になるだなんて、そんな事は考えもしない。
 ジョシュアは元から耳が弱かった。触られるとゾワゾワとするし、耳元で話されるのも擽ったくて仕方ない。特に、先刻のイライアスのように美声で囁かれると正直、腰にクるものがあった。
 それは元々人間だった頃からそうなのだが、無駄に彼の五感が良過ぎる所為だろう。吸血鬼になった事でそれらは更に強化され、下手に刺激されようものならあっという間に力が入らなくなる。当人からすれば堪ったものではないのだが、元からそうなのだから仕方がない。
 それをジョシュアは、今まで何とか押し隠してきたつもりなのであるが。それももう、イライアス相手では手遅れのように思われた。
 下手な拒絶はオトコを煽るだけだと、ジョシュアは全く思い付きもしないのである。

 そうやって耳への刺激を拒否されたイライアスは、こんな程度では挫けなかった。いちいち腰にクる仕草で煽ってくる天然野郎に一層興奮を煽られながらも、優しく、優しく、と理性を総動員して自分に言い聞かせるのだ。さながら自己暗示のように。
 らしくもなく、荒い呼吸が己の余裕のなさを示しているよう。年甲斐もなくみっともないとイライアスは自覚する。けれど、ここで止まる気などはありはしなかった。
 その衝動に突き動かされるように、イライアスはその手に掴んでしまっておきたかったのだ。こんな事は初めてで、けれど彼は、ここで退く気なんて更々なかったのである。

 耳を塞ぐ手に舌を這わせて舐め上げる。ぐちゅりと微かな音を立てながら指の間を刺激すれば、解りやすくその手が震えた。口に入れた指の刺激と合わせるように時折指を啜り、ついでとばかりに後ろ首を指でくすぐってやれば、背筋がビクビクと震えて堪え切れない声が溢れ出てくる。耳元でそんな、いやらしい音を立てられては、いくら耳を塞いだとしても聞こえない筈がない。
 背筋が震え悶える様を楽しみながら、イライアスは更に一層、己を昂らせていった。

「んっ、ううッーー!」

 耳が弱い事にはもちろん、イライアスも気が付いていたのだ。耳元に顔を寄せようとするとさり気なく避けられたし、先程のように上手く不意打ちをすると必ず耳を塞がれた。きっと彼の五感が鋭いせいだろう、とイライアスは納得する。
 これはイライアスも戦闘中に気付いた事だが、ジョシュアの勘の鋭さは尋常では無かった。そうでなければ、イライアスの攻撃を避けるなんて事が出来るはずもないのだ。
 力も体力も技術も、圧倒的に足りていないはずなのに、上手くタイミングを合わせて避けてみせる。それは尋常ならざる神業だ。並の吸血鬼が、格上相手にそんな芸当をできる筈がないのだ。
 成る程、“彼女”がらしくもなく逃さなかった訳だとイライアスは納得したのだ。これは天性のもの。替えなどはきかない。悔しいかな、その一点に於いては、イライアスも負けを認めざるを得なかったのだ。悔しいからこそ、決して当人には教えてはやらないのだが。
 そんな男が自分の下で喘いでいるのだと思うと。イライアスの中の仄暗い強欲な何かが、満たされるような気がしていた。
 弱いところを攻められ陥落していく様を眺めながら、イライアスはただ、自分を昂ぶらせていくのだった。
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