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無敗の吸血鬼

09.死にも勝る

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「知ってる? この世には絶対逆らってはいけないバケモノがいるんだよぉ」

 まるで鼻歌でも唄うかのように、高らかに言ったのは赤毛の吸血鬼だった。大層機嫌が良いのか、に腰掛け、不安定ながら胡座を組みつつ可笑しそうに笑っている。顔だけ見れば、とても惚れ惚れしそうな爽やかな笑顔なのだが。その態度はとんでもなくふてぶてしいものである。

「おい……」
「君がくっ付いてってる姐さんもその一人なのは勿論なんだけどぉ、」
「おいっ、“赤毛の”!」
「どっかに潜伏してるらしい全身真っ黒でロン毛の変態もね、中々でーー」
「ッ退いてくれ! せめて上に乗るな!」

 悲鳴のような声を上げるジョシュアはと言えば、赤毛に背中に乗られながら芋虫のように蠢いていた。
 背中に体格の良い赤毛の全体重がのしかかっていて、おまけに首根っこまで押さえ付けられているものだから、ジョシュアは起き上がろうにも起き上がれないのだ。
 だが、赤毛は取り付く島もなかった。

「うるっさぁーい、俺らにとっちゃ負け犬に人権なぁし! すぐにヘバりやがったヘタレは、黙って俺のありがたーいお話を聞く!」
「ぐふッ……」

 言われるのと同時、背中に軽い一撃を貰いジョシュアは呻いた。言い方やら扱いやらは兎も角として、確かに赤毛の言う事は最もである。誰の為にこんな事をしているのかと言われれば十中八九ジョシュアのためなのだから。

 ジョシュアと赤毛との間にがあった後で。ミライアは、そんな二人に課題を貸したのだ。
 仕事を頼んだにも関わらず、ふたりがいた事などミライアにはお見通しだったようで。そんなふたりを叱り付けながらも、良いアイデアを思い付いたとばかりにジョシュアを赤毛に預ける事になったのだ。もちろんジョシュアは強く反対したのだが。それを覆せるだけの対案など、出せるはずもなかった。
 下手人の手掛かりの方は思わしくない、ならば一番怪しい王都に行くしかない、けれども吸血鬼ジョシュアが共に行くのでは王都は不安だ。という事で、赤毛の吸血鬼が、新米吸血鬼ジョシュアを鍛える事になったのだ。

 吸血鬼の世界では、弱い者は強い者に従わされる世の中だ。彼等に人間の常識は通じない。自分にとって嫌な事をされたくなければ、強くなるしかない。シンプルかつ、ジョシュアにとってはひどく難儀な世の中である。ミライアからひとり立ちできる日はくるのだろうか。
 赤毛による特別講義は、更に続けられた。

「んでねぇ、俺もさぁ昔あの黒尽くめのヤツにブッ殺されかけて大変だったんだよ!」
「……っアンタがか?」
「そうだよ。俺、言ったでしょ、戦うの苦手だって。まぁそりゃ、そこそこ長く生きたからそれなりにはなったけど……」
「…………」
「ああいう奴らってマジで気配ぜんっぜん追えないし、高速で突っ込んで来るバケモノ相手にどうしろっての。死神だよ死神! 戦闘狂ってのはそういう連中を言うんだよ、姐さん含めてね。殺しても殺してもちーっとも死なないんだから」
「ミ――、彼女もか?」

 途中、思い掛けず飛び出したミライアの話題に、ジョシュアは思わず口を挟んだ。彼の知る吸血鬼ミライアというのは、ジョシュアから見たほんの一部に過ぎず。まだまだその力は底知れない。興味を抱くのも当然の流れだった。
 赤毛も特に構える様子もなく、彼女について語り始める。どれもこれも、ジョシュアが初めて聞く話ばかりだった。

「そりゃあね。そもそも姐さんは元が違う」
「元?」
「そ、大元の血筋が違うって事さ」
「血筋って……」
「ほら、吸血鬼の始祖ってヤツ? 相当昔に直接貰っちゃったらしいよ」

 とんでもない話に、ジョシュアは言葉を失う。強い吸血鬼なのだろうとは思っていたが、まさか始祖の直系だったとは。
 ジョシュアも耳にした事くらいはあったのだ。千年以上も前の、始まりの吸血鬼の話を。今や嘘か誠かも分からない、たった一人で大国に挑んだという、そんな男の話を。
 そんなところから血を貰ってしまっていただなんて、ミライアらしいと言えばらしいのだろう。未だ付き合いは短いが、ジョシュアも彼女の性質くらいは理解しているつもりだった。
 赤毛は、言葉を失ったジョシュアに構う事なく、その話の先を続けた。

「だからね、俺なんかよりよーっぽど純粋に吸血鬼だって話。その上、戦うの大好きだってんだからもう、手に負えないよね」
「始祖……」
「俺なんてさぁ、貴族ヅラしてた頭おかしい訳わかんないヤツだし……勝手に吸血鬼にしといて飾るだの何だのってふざけた事抜かすから、ムカついて速攻殺しちゃってさぁ。それで親殺しとか言われてんだからマジ笑うわ! 第一、俺に殺されるとか弱すぎ!」

 さもおかしそうに、自分の始まりまで告げ出した赤毛にジョシュアは絶句した。こんな簡単に、自分なんかに言ってしまっていい話なのだろうか。自分の始まりも大概だが、赤毛のそれは恐らく、そう進んで話したい内容でもあるまいに。吸血鬼ジョークなのだろうか。それでもジョシュアには、笑い飛ばすことなどできそうにはなかった。
 そんな彼の反応が随分と予想外だったのか、赤毛はほんの少し、拗ねたように言う。

「ねぇちょっと、反応薄いんだけど。笑い飛ばしてよ、コレ俺の一番の鉄板ネタなんだから!」
「いやいや……色々と、何重にも笑えない」
「ええー? 俺にしたらそんなに大した話じゃないんだけど」
「…………」
「つっまんないのー……んじゃ、続けるよぉ。そんでねぇ、つまり俺が言いたいのは、姐さんと共に行動すんなら最低でも俺とサシで殺り合えるくらいには強くないと。じゃなきゃさ、殺られるか好き勝手にされるよーって事。姐さんて意外と人気者だからさぁ、吸血鬼ん中でも吹っ掛ける奴多いわけよ。クソ強いから無敗だけども」
「……俺が一緒に行動ようになってからは、まだそういうのは見てないな」
「あー、うん、それはねぇ……何百年前だったかな。何をしたんだか、バカな挑戦者が姐さんの怒りに触れちゃってね。それ以来、挑戦者は全員皆殺しなわけだよ。本当の意味で」
「…………」
「んで、挑戦者は減ったけど、逆に恨みも多少は買いましたよと。そういうのもあって、ついでだからと姐さんが狂った同胞殺しをやってくれてると。いつかは誰かがやらないといけない役目だから」
「なる、程。……前に話した時、『探し物』があると言ってたが。それも関係あるのか?」

 赤毛と話す内に、ジョシュアは思い出していたのだ。以前ミライアが口にした『探し物』の話を。旅の目的のひとつでもあると。その時は、ミライアに日々付いていくのに必死で、ジョシュアはそれが何かなど考えもしなかった。けれどこうして、一度に色々な情報を出されると、ジョシュアも気になって仕方ない。
 赤毛ほどミライアに信頼されているのであれば、何か知っているのではないか。そんな下心あっての事だった。

「うーん……多分、違うんじゃないかな。俺ら連む事はしないけど、集まらない訳じゃあないのよ。姐さんは始末屋みたいなのやりつつ、他にも探してるモノがあるらしいから」
「……そういえば前に、言っていたな。家宝のようなものだと」
「あ、多分それそれ。世界中探してるけども今のところ収穫無しってね。それもホントかどうかは知らないけどーー」

 と、つらつらとそう話し終えたところで。突然、赤毛が急に黙りこんだ。
 一体何事だろうかとジョシュアが首を捻って見上げてみる。すると赤毛は、何とも言えない、困ったような表情でジョシュアを見下ろしていたのだ。ジョシュアはたちまち不安になった。

「な、何だ、言いたい事があるなら言ってくれ」
「……ねぇ、“影の”さぁ……前っから言おうと思ってたけど。人の話とか色々、何でもかんでも真に受け過ぎじゃない? あとベラベラと他人の事勝手に話し過ぎ」
「え」
「元々はハンターやってたんでしょ? よくやってられたねぇ。そんなんじゃ、騙されてぶん取られて終わりじゃない?」

 突然そのような事を問われ、今度はジョシュアの方が黙り込んでしまった。図星だった。人間だった頃の苦い経験を言い当てられ、思わず顔をしかめる。昔ほど酷く騙される事もなくなって久しかったが、けれどもゼロではなかった。彼のような単純な人間にとっては、何とも世知辛い世の中なのである。
 そんな、ジョシュアのあからさま反応に、赤毛はニヤリと意地の悪そうな笑いを浮かべて言う。

「そんな経験、実はめっちゃあるんでしょ。うわぁ、ほんっと良くやってたね」
「…………」
「まぁ、そんなボケボケしてると大丈夫かなコイツーって毒気抜かれるってのはあるかもね。五分五分でカモられそうだけど」
「大きなお世話だっ!」

 まるでジョシュアの人生を見てきたかのように言い当てられ、ジョシュアは少しだけ赤面しながら大声で言い放った。
 ミライアどころか、赤毛にまで図星を突かれるとは。ジョシュアは自分が恥ずかしいやら腹立たしいやら。何とも言えない気分でもって顔を地面に伏せてしまったのだった。
 それを赤毛はどう思ったか。特に気にした様子もなく話を続ける。
 ジョシュアは自分を落ち着けるように沈黙しながら、ただ黙って彼の話に耳を傾けた。

「冗談は兎も角、姐さん狙いの連中に付け狙われたりするかも知れないから、アンタ極力しゃべっちゃダメね。表情イカつめに作っといて無口をよそおっとけばたぶん、寄って来ないよ。顔は元々厳つい方だし。ああ、あと話せないフリしときなね、絶対ボロ出るから」
「…………」
「そしてその分、実力も伴わなくちゃねぇ……うわさはすぐに広がるから。ーーさぁてさて、今日は何回、死ぬのかなぁ……?」

 赤毛の言葉に更なるダメージを受けつつも。
 突然声音の変わった赤毛に、彼が本気でそう言った事がジョシュアにも理解できた。
 男の放つ殺気やら何やらで、ゾワゾワと首筋を中止に肌があわ立ち、心臓が嫌な音を立てる。ミライアの時とはまた違った緊張感に押し潰されそうになりながらもしかし、ジョシュアは手にしたナイフの柄を握り締めたのだった――。



 ミライアの戦い方はどちらかと言えば「剛勇ごうゆうな」、と形容されるようなものだった。こちらが攻撃していようがいまいが、反撃が当たるのも恐れず突っ込んでくる。吸血鬼であるが故、深手も恐れぬそのような戦い方なのであろう。そしてそれは、ジョシュアにとって最も相性の悪いタイプなのである。
 そもそもジョシュアは斥候せっこうを得意とし、小賢しい撹乱かくらんやら小技やらで相手を翻弄ほんろうしがちな戦い方をする。そして、それらの全く通じない程に実力差のあるミライアとの戦闘においては、ジョシュアはまるでお話にならないのである。
 ジョシュアがミライアの反撃に合えば、ただただ蹂躙じゅうりんされるだけ。あの日、ジョシュアが初めて彼女と出会った日。彼がミライアへと一時でも反撃出来たのは、ただ単に彼女にその気がなかったからというだけの話。以前ミライアにしごかれた際にも、ボロボロになりはしたが、事なんてほとんどなかったのだ。

 では、“赤毛”の場合はどうなのかと言えば。

「はーい、さんかいめー」

 嬉しそうな顔を隠しもせず、赤毛は平気でジョシュアの手脚をぎ腹に風穴をあける。人間だったならば、とっくの昔にジョシュアは死んでいただろうに。
 床にへばって傷口を押さえるジョシュアを前に、赤毛は笑いながら真っ赤に染まった手に舌をわせていた。

「そろそろ殺す気で来ないと! ほんとそんなんじゃいつまで経ってもお許し出ないよ」

 そうしてジョシュアの傍にしゃがみ込んだかと思えば、赤毛は自分の腕に爪をギチギチと立て、傷口からしたたる多量の血液を、無理矢理ジョシュアの口へと押し付けるのだ。
 ジョシュアの体内に取り込まれたそれは、彼の体へ瞬く間に力を与え、風穴も欠損も全てたちまち治ってしまう。この日ほど、ジョシュアは自分が人間でない事をまざまざ自覚させられた日はかつてなかった。痛いやら驚きやらで、不思議と感傷のようなものはない。
 ミライアなど比較にならぬ程の鬼の所業に茫然として、しかしそれでもボーっと突っ立ってなどいられない。何せ、少しでも動きを止めれば、瞬く間に赤毛によって手脚を捥がれてしまうのだから。

「ッ!」
「おおう? 避けられちった」

 赤毛は強かった。
 戦闘が苦手なぞとどの口が語るか、と思うほどだ。当たる、と思う事もあるのだが、それすらもことごとくナイフの軌道きどうからするりと逃げ出してしまって、ジョシュアはかすり傷ひとつ付ける事も叶わない。
 ミライアが「剛勇」ならば、赤毛は「柔靭じゅうじんな刃」だった。抜き身の危険な刃はのらりくらりと攻撃をかわし、隙を見つけてはジョシュアに避け難い一撃を食らわせる。長いリーチから繰り出される一撃は、強靭きょうじんで柔軟性に富んだ。
 それでも何とか致命を避け、ジョシュアは傷付きながらもここぞという瞬間を狙う。我慢して我慢して我慢して、ようやく狙った位置へ攻撃を誘い込む事に成功する。その後はもう、ヤケクソだった。
 赤毛のそれを真似て、やった事もない動きをぶつけ本番でしてみるのだ。どうせ腹に一撃を食らう事になるならば、どう足掻こうが変わらぬと。
 地を這うかのように低く沈み込み、その脚部を狙う。浅くても良い、攻撃の手が緩めばこちらのもの。彼の思惑通り、赤毛が避けようと体勢を僅かに崩したところで。その胴体に一撃を、入れようとした。

「へあぁ!?」
「クソッ」

 だが、赤毛はそれを食らうほど甘くはなかった。足下の攻撃どころか、胴体への一撃ですら完璧に避け切ってみせたのだ。
 赤毛はそのまま一瞬でひらりとジョシュアから距離をとってみせると。体勢をあっという間に立て直し、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべて容赦ようしゃも無く言い放つ。

「今の、良かった。もしや慣れてきた? ふふふ、んじゃま俺もちょーっと本気でいっくよぉ」
「――ッ!」

 そこでジョシュアは初めて気が付いた。赤毛は、これっぽっちも本気などでは無かったのだ。殺し過ぎてしまわぬよう、これまで限りなく抑えて抑えて、ジョシュアの相手をしていたのだ。
 そんなだから。突然本気の殺気を向けられて、ジョシュアは僅かに怯んで動きを止めてしまった。ほんの一秒程だ。それでもその一瞬は、赤毛にとって十分過ぎる時間だった。

「あ、がーーッ!」

 あっという間に攻撃を貰い、反対側の壁へと叩きつけられてしまった。幸いにも武器で受ける事は間に合い、腹部に風穴が空く事こそ無かったが。狙われた部分は特に、酷い痛みを訴えていた。
 軋む壁からずり落ちながらもしっかりと地に足を着け、痛いのを堪えて床を踏ん張る。ここ数日程で、ジョシュアは身に染みたのだ。普通の人間ならば攻撃の手を緩めるところ、しかしこの男にそんな常識は通用しない。何せ彼は、人間では無いのだから。

「やるねぇ」

 ニタリと笑みを絶やさない赤毛が、ジョシュアに向かって利き手を振り上げながら悪魔のように言い放つ。
 まるで地獄からの使者の如き男の殺意に、彼はひとつ確信を得た。

 今後いくら生きようとも鍛えようとも、この男を超える事は出来ないだろう。体格もセンスも思考も何もかも、この男は格が違い過ぎる。
 一生分にも等しい恐怖を植え付けられ、人生で何度目かも分からぬ敗北を思い知りながら、ジョシュアは辛うじて赤毛に食らいつくのだった。
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