我が身は死人の世界

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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無敗の吸血鬼

04.城塞都市

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 その街の酒場で、ふたりが話をしていた時の事だった。突然、吸血鬼ミライアは静かに言った。

「お前は私のような吸血鬼はどれほど存在していると思う?」

 呟くような、囁くような声だ。気付けた者はほとんどいないはず。けれども、吸血鬼であるジョシュアには確かに聞こえた。
 突然告げられたその問いに、ジョシュアは戸惑う。

「……人間だった時、絶滅したのではないかと聞いたことがある。事実、アンタに会うまでは俺もそうだと思っていた」

 ジョシュアもまた静かに言った。ガヤガヤと騒がしい周囲では、時折怒鳴り合うような声が聞こえる。荒々しい声に混じり、ガラスが擦れる音が大きく響いていた。
 そんな中での小さな呟きなど、誰かが聞いているはずもない。それらの音に紛れ、ふたりの呟きは互いの耳にだけ届く。

「まぁ、それは私達の情報操作のお陰もある。そう思って当然だ」

 ミライアは周囲の気配に気を配りつつそう言った。この中にが混ざっている事も稀にあるのだ。
 それを警戒しての事。ジョシュアも彼女の用心を肌で感じながら、言葉の続きを待った。

「だが、事実はまるで違う。我らはどこにでも居る。夜になればそれこそ、そこいら中に。鼻も目も耳も利かぬ人間が、我らと自分らを区別出来るわけなかろう」
「まあ、確かにそうだな」

 ジョシュアは思い出していた。
 ここひと月ほど、彼はミライアと複数の街を回って歩いていたのだ。
 新しい街に辿り着くたびに、そしてミライアにを叩き込まれるたびに、ジョシュアは実感していたのだ。人と吸血鬼との大きな違いを。
 ミライアの話は更に続く。

「だからこそ、情報屋、各ギルド、裏の街――そんな表に出にくい所に我々は山ほど紛れている。人間ほど多くはないがな。大きい街よりも郊外の方が良く見かける。そう珍しい事ではない」

 時折酒に口をつけながらミライアは言った。その顔にいつもの笑みはなく、彼女は真剣な表情でジョシュアを見つめていた。

「だが、時々居るのだよ。人間を良く思っていない輩が。そうい連中は定期的に現れる。自分達の方が優れているだの何だのと――人間の中にもたまに現れるだろう? そんな不遜な輩が、我々の中にも稀に現れる。すると、どうなると思う?」
「…………」
「それが吸血鬼の場合、そ奴らは人間との闘争に走る。ほとんどそれは虐殺だ。ハンターですらない、只の人間なぞは特にだ。只人には何もできんよ」

 すっかり黙り込んでしまったジョシュアへ遠慮する事もなく。ミライアの話は続いた。

「そして時期に、ソレは段々と無駄な殺しに快感を得るようになる。何人も、人を丸飲みしに過ぎるのだ。すると、もうそいつはダメになる。多くの血を――人の魂を取り込みすぎるのだろうよ。多数の人格に惑い支配されて自分を見失ってしまう」

 ミライアは一際声のトーンを落とし、ジョシュアに言って聞かせた。
 ほんの小さな声だったにも関わらず、それはジョシュアの頭の中にまで響いて聴こえる。彼女から、目を逸らすことができなかった。

「我を忘れ、目的もなく虐殺を繰り返す。吸血鬼がそうなったらもう、終いだ。そ奴には自我も生きる価値もない。害悪だ。そういった者は、我々が定期的にするのだ。吸血鬼は単独を好むが、かと言って集まらん訳ではない。そしてそれが、この私に与えられた役目でもある。古くから生きる者の務めだな」

 そう言い終えるとミライアは。ひと息つくように、手元のグラスの中身を再び口にした。
 そこでようやく金縛りが解けたジョシュアはハッとして、咄嗟に思い付いたことをミライアへと問いかけた。

「そうだったのか……なら、今アンタが探してるっていうのは……」
「最近、頻繁に人が消えるというそれの下手人だ。事実確認を兼ねて見つけ出し、私が人間よりも先にとっ捕まえる。人間に下手に手を出されたらかなわんからな」
「成る程」
「お前も、そういった事に対する理解は少しずつでもしておけ。その内に私との道がたがうこともあるだろう」

 ミライアにそんな事を言われ、ジョシュアは思わず目を見開いてしまった。道が違う。その発言が余りにも予想外だったからだ。
 眷属や従僕と聞けば、ただその下で永遠と働くものだと思っていたが。ミライアの言うそれは少し違うらしい。
 そんな反応をして見せたジョシュアに、ミライアもまた軽く瞠目してみせた。

「何だ、なぜ驚く?」
「や、だって、従僕とか言うから……ずっとあんたの下で働くものかと」
「んな面倒な事はせん。必要な時に呼び出すくらいだろう」
「ひ、必要な時? ――俺をか?」
「そうだ。お前は臆病でまぁ、戦闘の方はまだまだからきしだが。その分、五感やら察知能力やらに優れているだろう? それは使える。今は大した事も無いだろうが、それに関してはすぐに私を超える。我らの中にはそういうのに 秀でた者は中々居ないのだ。ほとんどの場合、それほど必要はないからな。だが、私のように探し物をしている者にとっては使える力だ」
「そう、か……?」

 ミライアにそう言われ、ジョシュアはうっかり首を傾げてしまっていた。
 何せ、ジョシュアというハンターは長年、鳴かず飛ばずの平凡な、それどころか仲間にも合わせる事もできない中途半端なハンターとして過ごしてきたのだ。
 今更誰にそう褒められようが技術を求められようが、本人が一番にその言葉を疑ってかかってしまう。何かの間違いではないのかと。

 そして、それを聞いたミライアはといえば。形のいいその片眉を器用に吊り上げながら、ジョシュアに向かって言った。それが少しばかり強い口調だったのは言うまでもない。

「そうなんだよ。――お前、もう少し自信を持って生きろ。仮にも私の下僕になったんだからな。中途半端は許さんよ。そう、オロオロされては下の者にも示しがつかん」
「いやっ……まあ、善処はするが」
「その言い方がもう既に信憑性に欠ける……曖昧にするな、阿呆が。ハッキリさせろ」
「これはもう仕方ない。元からこういう性格なんだ」
「お前な……、は気を付けろよ、特定の者には苛々させる要素しかない」
「それは、もう嫌と言うほど理解してる」
「だろうな」

 チクチクと機嫌悪そうにミライアは言った。そしてこの日、ジョシュアはミライアの特大な八つ当たりを受けることになる。
 明らかに、今、この場で思い付いたかのような表情で。ミライアはジョシュアに向かって宣告するのだ。

「そうだな……お前、戦闘をもっと集中的に覚えろ。私に付き従うんだ、嫌と言うほどに本番が来るぞ」
「えっ」
「当たり前だろうが。今話したばかりだぞ? 他の吸血鬼相手に負けるようなら、私はお前を放っぽり出すからな」

 そんな事を言われてしまえばジョシュアは反論もできない。そもそもが従属している身では、ミライアの決定になんて逆らえるはずも無いのだ。

「そうだな。理解出来たなら、今晩からだな。夜中まであと数刻ほどだな。シゴいてやるから覚悟しろ。……逃げるなよ?」

 ジョシュアの表情は絶望感に溢れていた。眷属の親たるミライアにそう告げられてしまえば逃げられるはずもなく。
 結果として、その日から近くの森で一晩中戦わされる羽目になった。そしてその翌日は、完全に回復し切る夜になるまで、ジョシュアは全く動けなくなってしまっていたのだった。
 それを見兼ねたミライアには布団から引っ張り出され、更に説教を加えられる。

「せめて2日に一度でも血を口にすれば良いものを……そうせんから治りも遅くなるのだ馬鹿者。ほれ、休んでいる時間はないぞ。今にも襲われる可能性だってゼロではない。今のうちに動きを身体に叩き込んでやる」
「体中、痛い」
「鍛え方も足りんわ。吸血鬼の血に胡座をかくなよ馬鹿者」

 こうしてジョシュアは、強制的に鍛えられていくのだった。人間の頃のを残しつつも、身体は吸血鬼としての力を覚えていく。
 死ぬかどうかのギリギリのラインを狙われ、吹き飛ばされ、地に引き倒される。少しでも起き上がるのが遅ければ、ミライアからの喝が入った。

「おい下僕、いつまでそうして這いつくばっているつもりだ? 私は犬っころを育てている覚えはないぞ。とっとと立ち上がって反撃しろ!」

 時折嬉々として罵倒叱咤しながら。ミライアはたったの数日間で、己の望むがまま、恐ろしく言う事を聞く優秀な狗を育て上げていったのだった。

「まぁ……このくらいならそう簡単に死なんだろ。本っ当に、最低限だがな。簡単にくたばるようなら置いていくからな」

 まるで悪魔の所業だ、なんて思いながらもジョシュアは、ただ従順に従うのみだった。
 己の体の変化を感じ取りながら、しかし吸血鬼になりきれないその心を置いて。



◇ ◇ ◇



 ジョシュアとミライアはその日、王都に程近い北の城塞都市であるアウリッキへとやって来ていた。例の失踪事件が発覚した、最初の都市である。
 ふたりの調べた失踪事件は、王都の周囲をぐるりと囲むように頻発していた。まるで王都へ運ぶ獲物を周囲から集めているかのような挙動である。
 ならば今、彼らが目指すべきは王都ではあるのだが。実のところ、そんな王都の警備は犯人が犯行を避けるほどには厳重だ。少しでもおかしな挙動を見せれば即刻、軍や上級のハンター達が飛んでやってくる。
 そのようなリスクはまだ、彼女らには犯せない。何せ今のミライアには、吸血鬼になりたてのジョシュアもいるのだから。

 分厚い城門に阻まれたこの城塞都市は、モンスターからも人間からも街を守る分厚い城壁と、魔術師による結界によって護られている。
 いかなる者とて、城門以外から侵入する事はかなわない。吸血鬼のような特殊な例を除き、一般的に魔族と呼ばれる類いの者達ですらも阻む、堅牢な都市だ。
 そんな都市へとやって来たふたりは、夜も近い頃、門番を惑わし堂々と街の中へと入っていった。
 、ふたりはひっそりと言葉を交わす。

『アウリッキは、大分厳重だな』
『城塞都市なぞどこもこんなもんよ。入るのも出るのも面倒な軍事拠点。人々は不便を被る代わりに、安心し暢気に暮らすという権利を得ている街だ』
『軍事拠点か……』
『そうだ。王都レンツォよりかは幾分易いが、普通の街よりやり難いのは変わらん。レンツォへ入るための演習とでも思え。あまり下手は打つなよ。捕縛されれば、我らとてそう易々と出しては貰えん』
『ああ、分かった』

 このやりとりは、他の者には聞こえもしない。この場では互いに、精神感応テレパシーを使っていたからだ。音にせずとも言葉を伝えられるその技術は、吸血鬼同士、の深い者達にのみ許される特殊な技である。
 ここ最近で、ジョシュアが使えるようになった能力の一つだった。

 城塞都市アウリッキは、以前訪れた街よりも数段は警備が厳重である。調査する上で重大なリスクを避ける為にと、ふたりが事前に示し合わせておいたものだ。
 通常の魔術は、結界内で使用すればすぐに警邏が飛んで来る。しかし、吸血鬼同士のそれは魔術とはまた違う種類のもの。
 例え王都だろうが城塞内であろうが、結界内で使っても問題はないのである。そしてそれら、人間の探知に引っ掛からない吸血鬼達に許された技術というのは他にもあるのだ。
 だからこそ、吸血鬼は他の魔族達とはまた離されて語られる。格が違うのだと。

 ふたりは都市に着いて早々、適当に店を見繕い宿を借りた。行動拠点を手に入れてからは早速、二手に別れて情報収集を行う。ここのところ行っている調査の流れだった。
 ジョシュアは都市の南側から西を回り、ミライアは北側から東を回る。時に屋根上から耳を澄まし、時にに紛れて酒屋に入る。
 ただ一つ、調査の中で今回、いつもとは違う事があった。

 それにジョシュアが気付いたのは、酒場の隅で少しばかり酒を嗜んでいた時の事だった。
 程良く酔っ払った客達の話を、ジョシュアは遠耳から聞き分けていた。
 ただの世間話、例の失踪事件、王都での流行り廃りなどなど、様々な話題が飛び交う。
 そんな時にふと、彼は違和感に気付いたのだ。それはほんの些細なものだった。
 立ち昇る匂いが、とは異なる者がいる。ジョシュアはその場でひとり、緊張に身を固くした。

 人間は、今のジョシュアからするとわ形容し難い様々な匂いがした。濃い匂いの者もいれば、薄い微かな匂いの者もいる。
 強い森の匂いや川の匂い、時には獣やらの匂いをまとっている者も居た。
 それでも彼らの匂いはどれも似通って居て、ああ、これは人間特有の匂いなのだなとジョシュアは理解するようになった。
 反対に、自分の匂いはあまり良くは分からない。ミライアのようなそれでいてちょっと人間臭いような、そんなような混ざった匂いだ。
 ミライアのそれは人間のものとは違う。しかし、ジョシュア自身のそれは人間にも近しい。
 つまるところ、ジョシュアは未だ吸血鬼としては半端者に過ぎない。そう自覚せざるを得なかった。
 あれ程飲めと言われている血液を、あまり口にしていない事が影響しているのだろう。
 ここまできたら、とっとと正真正銘の吸血鬼になってしまいたいという気もするが。
 ジョシュアにはどうしても、血を飲むという行為が受け入れ難く思われた。
 何度かお遣いで、ミライアの分を連れていった事はあった。だがそれでも、ミライアが食事をする場面は未だどうしても慣れないのだ。
 長らく怪物を狩るようなハンター生活を送っていたせいだろうか。守護するはずの人間を食事にする、というのはなかなか罪悪感が湧く。
 頭では分かっているのだ。生きる為に仕方がないと。
 しかしどうしても、体がそれを拒絶するのである。

 違和感のある匂いは、明らかに他の者とは違っていた。
 けれど、それが何処から香ってくるのかも、誰から発せられているのかも、ジョシュアにはさっぱり検討が付かなかった。
 ただ一つ言えるのが、それはジョシュアが今までに嗅いだことのない匂いである事は確かだ。
 少し考えた後で、ジョシュアは酒場を離れる事にする。
 この匂いの主が、ジョシュアよりも鼻が効くとも、ジョシュアよりも強いとも限らない。そういう、訳の分からないものからはさっさと逃げるに限る。それはミライアからも言い含められていることだった。

 それからのジョシュアの行動は早かった。
 出来るだけ気配を断って、飲みかけのそれを放って静かに酒場を後にする。酒場のある大通りを抜け、小道を通って出来るだけ匂いから遠ざかった。
 たまに道の先からその残り香が漂ってきて、避けるように道を引き返したりしたりもした。後を付けられているようにも思われたが、周囲には気配が感じられない。
 疑心暗鬼に囚われながらもひとり、ジョシュアは足早に歩いた。

 そんな事が何度かあり、回り道や遠回りを繰り返しつつ。ジョシュアはようやく、ふたりが滞在する宿の近く、人通りの無い裏道に入った所で、木箱の後ろに身を隠した。
 木箱の影になるように壁を背にした。神経を尖らせ、匂いの主や怪しい気配が無いかを確認する。
 。不審なものがない事を確認する。そこでジョシュアは、ようやく気を緩める事ができた。

(あれは、一体何だったんだ。多分、人じゃない)

 詰めていた息を静かに吐き出す。未だにバクバクと鳴る心臓の音を耳にしながら、ジョシュアはズルズルと壁伝いにしゃがみ蹲った。
 何もなかったはずなのに、心臓が嫌な音を立てている。そんな僅かな音ですら、誰かに聞こえやしないかと不要な心配をしてしまう。
 しばらくは、この動揺を収めるまでその場からは動けそうになかった。だが、そんな時の事。

「君、大丈夫?体調でも悪いの?」
「!?」

 突然、ジョシュアは声をかけられた。
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