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しおりを挟むどんよりと曇った空の下、雄大に聳え立つ渓谷の中腹にその小さな城は建っていた。崖を背に、谷を正面に、僅かに突き出た平らな地の上に建てられたその城は、まるで砦の如き武骨さを匂わせている。
決して落とされる事のない難攻不落の砦。そう言われれば誰でも信じてしまう、そんな所に建てられた小さな城には、その土地の領主が住んでいた。
渓谷側に向いた最も眺めの良い部屋の真ん中で、二人の男が片や愉快そうに、片や不機嫌そうに向かい合って座っていた。
「おい、テメェ、早速してやられてんじゃねぇか」
浅黒い肌に金色の短髪の男が、からからと笑いながら目の前に座る男に向かってそう言った。揶揄う調子が見て取れて、その向かい側に座る男の機嫌を一層損ねていく。
不服そうな男の銀色の長髪が、外から微かに入り込む仄かな光に照らされて鈍く光った。それはまるで、男の鋭利な刃物のような性質を表しているかのようだった。
「煩い。あの神子にしてやられた。あの性格だ、アイツなら絶対城に残ると思ってたんだが……それを野郎に無理矢理外に連れ出されたッ」
吐き捨てるように言った男は、髪を掻き上げ苛立ちを露わに、椅子の肘掛けにガンッと拳を叩き付けた。石造りの広々とした室内には、そんな些細な音すらも反響して大きく響く。
「祝賀パレードってヤツか。っははは、目算は外れたな。何だあれか、神子とやらの能力はほとんど覚醒してんじゃねぇ?」
「笑い事じゃない。あんな未来予知だなんて馬鹿げた力がまたしてもあの国の手に渡った。おまけに野郎、今度は自分の為に戸惑いなく能力を使いやがって……以前のヤツの主人とは似ても似つかない」
「んなもん、普通は誰だってそうすんだろうよ。──唯のお人好しが、いつの間にか腹黒に取って変わられてたってんじゃぁ、そりゃ傑作じゃねぇか」
再びケラケラと笑った金髪の男は、その場で愉快そうに両手をパンと打ち鳴らした。余程ツボに入ったのか、鋭くつり上がった男の目尻に薄ら涙すら浮かべている。銀髪の方とは大違いだった。
「他人事だと思って……」
対して、男の機嫌は最早地に落ち切っていて、額に青筋すら浮かべながら藍玉のような色を覗かせ睨み付けている。
だが、金髪の男は遠慮も何もなかった。飾り気も無い率直な言葉で、目の前のやられっぱなしの男を嘲笑う。
「おう、そりゃ他人事だぜ? テメェのような冷血漢が、百年も前にくたばった筈の人間追っかけて右往左往してるってんだからよ。こりゃ傑作だ」
そう言うととうとう、銀髪の男はブスッと明後日の方向を向いてしまった。そして、不貞腐れた子供のようにボソリと言い放つ。
「──あの男は、まだ本当に死んじゃいない。でなきゃ、アレがいまだこの世に残ってる理由の説明がつかない」
不機嫌そうに遠くを見る銀髪は、しかし少しだけ寂しそうにも見える。この土地を護る為にありとあらゆる残虐な行為を行っていた、この地の領主が見る影もない。
先陣を切って北部の人間達を狩り尽くしてきた男が、だ。金髪は何やら不思議そうな表情でもって、男のその様子をしばし眺めた。そしてふと、思い付いたかのように口を開く。
「あの人間、そんなに強かったのか? 妙な目を持ってたって、ただの人間だぞ? 南部の連中に主人と一緒に取っ捕まったって聞いたけどよ」
金髪の男がそう問いかけると、銀髪の男は再び視線を目の前の男の方へと戻した。
「強かったさ。奴は俺とすら対等に渡り合ったんだ。人間の癖に、一人でな。この俺ですら殺しきれなかった。あの目が──」
そう言うとそれっきり、銀髪の男はしばらく黙り込んでしまった。その存在との、数多にも及ぶ戦いの光景を思い出していたのだ。
たった一人、絶望的な状況にあってもその男の目から光が失われることは無かった。何十回、何百回と相見えようとも変わらなかった。己を射殺さんばかりの力強い眼差し。
彼は、その目に魅せられてしまったのだ。不思議に光る、何もかも見透かしているかのような目。アレはきっと普通の目ではない。それは彼の直感だった。
「あの目が欲しい」
あの目に、あの失われぬ強い眼差しに、再び射抜かれたい。もっと近くで、もっと傍で。自分だけを映すものとして傍に置きたい。そう思ったらもう、彼は駄目だったのだ。
そんな、どこか遠い目をする男をしばし眺めた後で。金髪の男はどこか呆れたような声音で言った。
「へぃへぃ……、それを俺にも手伝えってんだろ? 借金の肩代わりの約束、忘れんじゃねぇぞ」
「ちゃんと見張っておけ。チャンスは逃すな」
「……お前、この仕事が出来んのは俺だけだって事、忘れんなよ?」
「だからお前に頼んでるんだ、糞野郎。自分で出来てたら誰の助けも借りてない」
「そぉですかぃぃ」
「理解したなら帰れ」
「……」
例えぞんざいに扱われたとして、それを拒否する事が出来ない金髪は、少しだけ悲しそうな顔をした後で。はぁーっと大きくため息を吐き、フッとその場から姿を消してしまったのだった。
この世ではない別の何処か、そんな世界の狭間に滑り込む能力。それはあの金髪の男だけに許された特殊な珍しい能力で、他の誰にも真似する事は出来ない。
例え、この地で最強を謳われるこの魔族の領主ですら、天地がひっくり返ったとて真似する事は叶わない。特異な能力は、生まれた時には既に決まっているのだから。
男の気配がすっかり消えてしまった事を確認してから、領主の男はその場から立ち上がった。書斎としても使われる部屋の窓際には、男の机が配置されている。
そこから大きな窓の外を見れば、ベランダ越しに足がすくむ程に深い谷底と、轟音を立てて流れ落ちる巨大な滝を眺める事ができた。
そんな窓際、机の奥側に音もなく移動した彼は、重厚なマホガニーの机の引き出しをそっと開ける。その引き出しの奥の方には、小さな黒い箱が置かれていた。繊細な銀細工で彩られたその箱は、男の掌にもすっぽりと収まってしまうような小さなもの。
それを自分の手元に取り出すと、男はその箱をそっと開いていく。すると同時に、鍵となっていた術がパチンッと音を立てて弾けた。
その箱の中には、薔薇の葉を思わせる銀細工に、月長石が嵌め込まれたペンダントが入れられていた。
別名、ムーンストーン。七色のごとく光を帯びたその石は、かの男の目を思い出させた。
平時はアンバーのようなヘリオドールのような、極々平凡な色なのに。戦いの最中にだけ、その目は七色に光り輝いた。
ペンダントを手に取り、男は外の光に当て、時折角度を変えながらその石を眺めた。七色余りにも変化するその石の様を眺めながら、百余年も前になるあの戦いの場面の数々を思い浮かべる。
血湧き肉躍る命のやり取りの最中。その光り輝く目に見詰められるだけで、彼は言葉にならない程の興奮を覚えた。
時々酷い興奮の余り、執拗に痛め付けすぎたりしてしまって。それを反省した次の戦闘時には、逆に自分の方がボロボロになるまで攻め立てられるなどした。そんな事ですら、今となっては彼の好い思い出である。
あれはいっそ逆に興奮した、なんて、そんな事を一言でも口にしたらどうなるか。あの人間の男だけではない、部下にも先ほどの金髪の男にも、変態だ何だと罵倒されるに決まっている。彼にもそれ位の自覚はあった。
だがそれでも構わず、男は焦がれて止まないのだ。
(ああ、早く早く……再びあの目に見つめられたい──)
誰もいないその部屋で。うっとりとペンダントを眺める男は一人、熱い熱い吐息を洩らしたのだった。
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