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序章:普通なあたしとあの子の出会い
とらわれたあたし達
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「 鬼頭さん?」
声をかけてから、しまったって思った。でももう遅い。なんで気が付かなかったんだろう。顔も声もわからないのに、間違いなく鬼頭さんって判っちゃう。そんな鬼頭さんが普通のわけがないって。
それに何よりさっきから、ずぅっと目の離せない紅の瞳。あたしの知ってる 鬼頭 あやめ の瞳の色は、もっとキラキラした黒い瞳だ。あんな妖しく光る紅い瞳のあの子を私は知らない。
「こんにちわ、御薬袋さん。こんな時に遭うなんて奇遇ね」
紅い世界の只中で、あたしたちは名前を呼びあった。お互い名前を呼び合ってしまった。もう、結末なしにはすれ違えない。夕日が眩しくてあの子が今どんな顔をしているのか、よく見えない。回れ右して校舎の中に急いで戻りたいのに、赤い瞳に吸い寄せられてそれができない。あたしの喉がこくりと鳴った。
かごめかごめ は鬼を当てる遊び。
名前を呼んで、鬼をつくる遊び。
黄昏に、人じゃない者たちと往き遭うこの一時に、普通じゃないあの子の名前をすっぱり当ててしまった。だったら目の前のあの子はきっと鬼なんだ。曾祖母ちゃん、あたし、またやっちゃったみたいです。よせばいいのにまた、黄昏の住人に声をかけてしまったみたいです。
「御薬袋さん、あなた一体何者なのかしら」
「何者って、なによ? ふつーの高校生だよ。
あたしがどんだけふつーかは知ってるでしょ?
キミとクラス同じなんだし」
たしたしと鬼頭さんが近づいてくる。あたしはじりじりと後退る。低い太陽の光が長身のあの子を後ろから照らしている。足元から伸びるやけに長い影が、あたしに覆い被さってきた。あたしは、あの子に、鬼頭 あやめという鬼に、捕らえられた。
「今は普通のふつーはどうでもいいわ。私が気になるのはね、御薬袋さん」
鬼頭さんの影に捕らえられ、 日の光から切り離されて、ようやくあの子の顔が見えた。いつもは雪のように白いのに紅潮してほんのり紅くなった顔。熱っぽいとろんとした瞳にはいつものクールな印象は全然ない。ぷっくりとした形の良い唇から舌先が覗いてぺろりと舐め回す。きっと冬の空気で乾燥するからに違いない。そうであって欲しい。
「あなたがどうしてそんなに美味しそうに見えるかってことなの」
「あ、あぶのーまるってやつかな? LGBTとかいうやつ?
あたしそういうのはBLTサンドくらいでいいかなぁ、って、あははは」
「あたしはもっと直接的な意味で言ったのだけど。
でもそういうお話だとしたら、”L”が入っているもの。
女の子同士で構わないって事にならないかしら?」
「ならない。
地味で平凡なあたしの恋は、ふつーに男の子相手でいいんです。
ってことで帰っていいかな?」
つなげ、つなげ。会話をできれば現世に引き寄せろ。あたし達のリアルはこっち側にあるってこと、それを忘れないこと。それだけでもあの子を少しだけこっち側に引き寄せられるはず。今はあんなだけど、鬼頭さんだってこっち側の人だもの。黄昏時が過ぎたなら、いつものあの子がきっと戻ってくる。
「帰るのはあなたの勝手だけど、帰さないのも私の勝手にさせてもらうわ」
「ちょっと、近いよ。それともキミ、ほんとにそういう趣味なの?!」
いつの間にか胸と胸が触れそうなほどに縮まったあたし達の距離。押しのけようとしたあたしの手は、逆に掴まれて体ごとぐいっと引き寄せられてしまう。いつもは整っていてクールな鬼頭さんの美人顔。すこし息を荒げて頬をぽっと染めて、たぶんクラスの誰もが見たことがない顔をしてる。今だけの、私だけのあの子の顔。
(なんかすごく、かわいい)
場違いだと判っていても、ときめいてしまうあたしがいる。でもしょうがないじゃない? 今の鬼頭さん、全身で興奮してるの、分かっちゃうんだもの。
濡れたような紅い瞳が光るのも、あたしの背中を抱き寄せる手が熱いのも、ぎゅっと触れ合った身体が震えているのも、全部伝わってくる。
いつもと違うあの子の全部、あたしに向けられてるんだもの、ときめいてしまってもしょうがない。
「そういう趣味はなかったのだけど、
あなたがそういう趣味だっていうなら考えてもいいわ、私。
だって、御薬袋さん、私の渇きを絶対に癒してくれそうな匂い、
ぷんぷんさせてるんだもの。」
「ひどいよそれ、あたしそんなに体臭キツくないもん」
「本当にね、いい匂いなの。たまらなくいい匂い。
あたしね、こんなに欲しいって思ったこと初めてなの」
あんまり熱く語りかけてくるから、なんだか口説かれてるような気分に一瞬なる。けれど、やめて、と拒絶の声が勝手に飛び出した。抱きすくめられた腕から逃れたい。一刻も早く逃げ出したい。恥ずかしいからとか、気持ち悪いからとか、そういうんじゃない。私を腕に抱き込んだ鬼頭さんの様子がとても恐ろしかったから。
「こんなこといけないって分かってたから、我慢してたのよ?
あなたの匂いに誘われても、早く立ち去ってとしか思ってなかった。
でも、あなたに名前を呼ばれた途端、もう我慢できなくなってしまったの」
あたしはカタカタと震えていた。歯の根が合わない。だって、あたしの匂いを楽しむ鬼頭さんの仕草、恋人の匂いを楽しむみたいな甘々な雰囲気じゃなかったから。その仕草は、捕まえた獲物の匂いを楽しむ肉食動物。まさにそれ。
(鬼頭さんは捕食者だ。
食うか食われるかでいうなら、食べる方の生き物だ)
「あのね、御薬袋さん。
私これから、あなたの血を頂くわね」
そしてあたしは食べられる方。
それを理解してしまった時、あたしの口から悲鳴が飛び出た。はなしてっ! ゆるしてっ! たべないでっ! 命乞いばかりが口から飛び出す。体が大きいってずるい。体が小さいって悔しい。鬼頭さんの腕にすっぽり収まったあたしは、ぜんぜん逃げられない。
熱い視線を感じる。あたしの多少はましな愛嬌のある顔の下。暴れたせいで少し乱れてしまったセーラー襟から覗く首筋。そこに彼女の熱い視線を感じる。あ~んって感じで鬼頭さんは小さく口を開けた。うっとりと目を細めて開けた彼女の口。綺麗に整った白い歯並びの中で、やけに大きな八重歯だけが目立っていた。
「鬼頭さん、おねがい、あたしを、離して……」
ゆっくり近づいてくる鬼頭さんの顔。横に振られて、明確な拒絶を伝えてくる。あたしはのけぞってなんとか逃げようとする。鬼頭さんはダンスの男役みたいにあたしの腰をぐっと引きつけて、上半身は反らせるがままにしている。あたしが逃げられないこと、分かった上で楽しんでるんだ。きっとそう。
最後に鬼頭さんの顔をしっかりとみた。
(ああ、こんなきれいな子に食べられるのか。これはもう仕方ないかな)
あたしが無邪気に鬼にしてしまったあの子は、今すっかり欲望に蕩けた顔をしていた。欲望にまみれていてもなお、華やかな表情。密かに親近感を覚えて追いかけ続けた記憶の中でも、とびっきりだった。あたしを捉えてずっと離さない紅い瞳ともう一度だけ視線を絡める。
「私ね、ずっと前から御薬袋さんとはお友達になりたかったの」
「あたしも、キミのこと、実はずっと見てた」
彼女の瞳に魅入られながら、お互い今更な告白をする。もっと前からお話してたら、こんな事にならなかったのかな? ちょっとだけ生きることに未練を覚えた、そんな時だった。
”菖蒲にはのぅ、魔を退ける力があるのじゃ。”
急に頭の中に響いた誰かの声。そうだ、曾祖母ちゃんがいってたっけ。逢魔が時に、もし出くわしてしまったら、菖蒲の植わってる場所をみつけなさいって。
あやめ、 鬼頭 あやめ
なんの偶然だろう。
目の前であたしを食べようとしてるのが、その菖蒲。
なんて皮肉。
弓形に反らしたあたしの腰はもう限界、ソシアルダンスでポーズを決めてるみたいなあたし達の姿勢。鬼頭さんはあたしの唇を奪おうとするみたいに体を倒してくる。でも彼女の狙いは、のけぞって大きく曝け出されたあたしの喉元。
(名字で鬼になったんだから、名前で正気に戻るかも)
ぴくりとあたしの右の指先が振れる。まだ、体は動かせる。彼女を正気に戻せたなら、助かるかもしれない。陶然とあたしの首筋に顔を寄せる鬼頭さんの頬を見据える。
魔を払うという花の名前、その言の葉の力を借りて、
一縷の望みを込めて、あたしは右手を出来る限りの力で振り抜いた。
「あやめ! 正気に戻って!!!」
声をかけてから、しまったって思った。でももう遅い。なんで気が付かなかったんだろう。顔も声もわからないのに、間違いなく鬼頭さんって判っちゃう。そんな鬼頭さんが普通のわけがないって。
それに何よりさっきから、ずぅっと目の離せない紅の瞳。あたしの知ってる 鬼頭 あやめ の瞳の色は、もっとキラキラした黒い瞳だ。あんな妖しく光る紅い瞳のあの子を私は知らない。
「こんにちわ、御薬袋さん。こんな時に遭うなんて奇遇ね」
紅い世界の只中で、あたしたちは名前を呼びあった。お互い名前を呼び合ってしまった。もう、結末なしにはすれ違えない。夕日が眩しくてあの子が今どんな顔をしているのか、よく見えない。回れ右して校舎の中に急いで戻りたいのに、赤い瞳に吸い寄せられてそれができない。あたしの喉がこくりと鳴った。
かごめかごめ は鬼を当てる遊び。
名前を呼んで、鬼をつくる遊び。
黄昏に、人じゃない者たちと往き遭うこの一時に、普通じゃないあの子の名前をすっぱり当ててしまった。だったら目の前のあの子はきっと鬼なんだ。曾祖母ちゃん、あたし、またやっちゃったみたいです。よせばいいのにまた、黄昏の住人に声をかけてしまったみたいです。
「御薬袋さん、あなた一体何者なのかしら」
「何者って、なによ? ふつーの高校生だよ。
あたしがどんだけふつーかは知ってるでしょ?
キミとクラス同じなんだし」
たしたしと鬼頭さんが近づいてくる。あたしはじりじりと後退る。低い太陽の光が長身のあの子を後ろから照らしている。足元から伸びるやけに長い影が、あたしに覆い被さってきた。あたしは、あの子に、鬼頭 あやめという鬼に、捕らえられた。
「今は普通のふつーはどうでもいいわ。私が気になるのはね、御薬袋さん」
鬼頭さんの影に捕らえられ、 日の光から切り離されて、ようやくあの子の顔が見えた。いつもは雪のように白いのに紅潮してほんのり紅くなった顔。熱っぽいとろんとした瞳にはいつものクールな印象は全然ない。ぷっくりとした形の良い唇から舌先が覗いてぺろりと舐め回す。きっと冬の空気で乾燥するからに違いない。そうであって欲しい。
「あなたがどうしてそんなに美味しそうに見えるかってことなの」
「あ、あぶのーまるってやつかな? LGBTとかいうやつ?
あたしそういうのはBLTサンドくらいでいいかなぁ、って、あははは」
「あたしはもっと直接的な意味で言ったのだけど。
でもそういうお話だとしたら、”L”が入っているもの。
女の子同士で構わないって事にならないかしら?」
「ならない。
地味で平凡なあたしの恋は、ふつーに男の子相手でいいんです。
ってことで帰っていいかな?」
つなげ、つなげ。会話をできれば現世に引き寄せろ。あたし達のリアルはこっち側にあるってこと、それを忘れないこと。それだけでもあの子を少しだけこっち側に引き寄せられるはず。今はあんなだけど、鬼頭さんだってこっち側の人だもの。黄昏時が過ぎたなら、いつものあの子がきっと戻ってくる。
「帰るのはあなたの勝手だけど、帰さないのも私の勝手にさせてもらうわ」
「ちょっと、近いよ。それともキミ、ほんとにそういう趣味なの?!」
いつの間にか胸と胸が触れそうなほどに縮まったあたし達の距離。押しのけようとしたあたしの手は、逆に掴まれて体ごとぐいっと引き寄せられてしまう。いつもは整っていてクールな鬼頭さんの美人顔。すこし息を荒げて頬をぽっと染めて、たぶんクラスの誰もが見たことがない顔をしてる。今だけの、私だけのあの子の顔。
(なんかすごく、かわいい)
場違いだと判っていても、ときめいてしまうあたしがいる。でもしょうがないじゃない? 今の鬼頭さん、全身で興奮してるの、分かっちゃうんだもの。
濡れたような紅い瞳が光るのも、あたしの背中を抱き寄せる手が熱いのも、ぎゅっと触れ合った身体が震えているのも、全部伝わってくる。
いつもと違うあの子の全部、あたしに向けられてるんだもの、ときめいてしまってもしょうがない。
「そういう趣味はなかったのだけど、
あなたがそういう趣味だっていうなら考えてもいいわ、私。
だって、御薬袋さん、私の渇きを絶対に癒してくれそうな匂い、
ぷんぷんさせてるんだもの。」
「ひどいよそれ、あたしそんなに体臭キツくないもん」
「本当にね、いい匂いなの。たまらなくいい匂い。
あたしね、こんなに欲しいって思ったこと初めてなの」
あんまり熱く語りかけてくるから、なんだか口説かれてるような気分に一瞬なる。けれど、やめて、と拒絶の声が勝手に飛び出した。抱きすくめられた腕から逃れたい。一刻も早く逃げ出したい。恥ずかしいからとか、気持ち悪いからとか、そういうんじゃない。私を腕に抱き込んだ鬼頭さんの様子がとても恐ろしかったから。
「こんなこといけないって分かってたから、我慢してたのよ?
あなたの匂いに誘われても、早く立ち去ってとしか思ってなかった。
でも、あなたに名前を呼ばれた途端、もう我慢できなくなってしまったの」
あたしはカタカタと震えていた。歯の根が合わない。だって、あたしの匂いを楽しむ鬼頭さんの仕草、恋人の匂いを楽しむみたいな甘々な雰囲気じゃなかったから。その仕草は、捕まえた獲物の匂いを楽しむ肉食動物。まさにそれ。
(鬼頭さんは捕食者だ。
食うか食われるかでいうなら、食べる方の生き物だ)
「あのね、御薬袋さん。
私これから、あなたの血を頂くわね」
そしてあたしは食べられる方。
それを理解してしまった時、あたしの口から悲鳴が飛び出た。はなしてっ! ゆるしてっ! たべないでっ! 命乞いばかりが口から飛び出す。体が大きいってずるい。体が小さいって悔しい。鬼頭さんの腕にすっぽり収まったあたしは、ぜんぜん逃げられない。
熱い視線を感じる。あたしの多少はましな愛嬌のある顔の下。暴れたせいで少し乱れてしまったセーラー襟から覗く首筋。そこに彼女の熱い視線を感じる。あ~んって感じで鬼頭さんは小さく口を開けた。うっとりと目を細めて開けた彼女の口。綺麗に整った白い歯並びの中で、やけに大きな八重歯だけが目立っていた。
「鬼頭さん、おねがい、あたしを、離して……」
ゆっくり近づいてくる鬼頭さんの顔。横に振られて、明確な拒絶を伝えてくる。あたしはのけぞってなんとか逃げようとする。鬼頭さんはダンスの男役みたいにあたしの腰をぐっと引きつけて、上半身は反らせるがままにしている。あたしが逃げられないこと、分かった上で楽しんでるんだ。きっとそう。
最後に鬼頭さんの顔をしっかりとみた。
(ああ、こんなきれいな子に食べられるのか。これはもう仕方ないかな)
あたしが無邪気に鬼にしてしまったあの子は、今すっかり欲望に蕩けた顔をしていた。欲望にまみれていてもなお、華やかな表情。密かに親近感を覚えて追いかけ続けた記憶の中でも、とびっきりだった。あたしを捉えてずっと離さない紅い瞳ともう一度だけ視線を絡める。
「私ね、ずっと前から御薬袋さんとはお友達になりたかったの」
「あたしも、キミのこと、実はずっと見てた」
彼女の瞳に魅入られながら、お互い今更な告白をする。もっと前からお話してたら、こんな事にならなかったのかな? ちょっとだけ生きることに未練を覚えた、そんな時だった。
”菖蒲にはのぅ、魔を退ける力があるのじゃ。”
急に頭の中に響いた誰かの声。そうだ、曾祖母ちゃんがいってたっけ。逢魔が時に、もし出くわしてしまったら、菖蒲の植わってる場所をみつけなさいって。
あやめ、 鬼頭 あやめ
なんの偶然だろう。
目の前であたしを食べようとしてるのが、その菖蒲。
なんて皮肉。
弓形に反らしたあたしの腰はもう限界、ソシアルダンスでポーズを決めてるみたいなあたし達の姿勢。鬼頭さんはあたしの唇を奪おうとするみたいに体を倒してくる。でも彼女の狙いは、のけぞって大きく曝け出されたあたしの喉元。
(名字で鬼になったんだから、名前で正気に戻るかも)
ぴくりとあたしの右の指先が振れる。まだ、体は動かせる。彼女を正気に戻せたなら、助かるかもしれない。陶然とあたしの首筋に顔を寄せる鬼頭さんの頬を見据える。
魔を払うという花の名前、その言の葉の力を借りて、
一縷の望みを込めて、あたしは右手を出来る限りの力で振り抜いた。
「あやめ! 正気に戻って!!!」
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