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第四話 デッサンにみる横顔天使
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しおりを挟む「うふふ、意外と片付いてますね。もっと汚いかと思ってました」
平弓さんはそんな憎まれ口を利きながら、珍しそうに小屋の中を見廻している。
「隅っこに画材が放ったらかし……絵の具、固まっちゃってますね。最近は描いてないんですか」
ずけずけと耳の痛いことを言ってから、急に静かになった。
「待たせたね、どうぞ」
淹れたての熱い珈琲を持っていくと、平弓さんが私のスケッチブックを広げて固まっていた。
「これって……」
「私が教師になりたての頃に描いたものだよ……そんなに見ないでくれ、気が滅入るから……」
平弓さんは不安を湛えた目で私を見て、広げたスケッチブックをこちらに向けた。
「まれさん……ですね」
私は驚いて、持っていた珈琲を落としそうになった。
彼女はスケッチブックを置くと、トートバッグからプラスチック板に挟んだ一枚の鉛筆画を取り出し、私に見せた。
「これ……先生が描いたまれさんですよね」
そう言って、スケッチブックの破かれた痕跡のあるページに重ねた。
紛れもなく、四半世紀前にこの私が描いたまれだ。
他のデッサンよりも完成度が高く、唯一まれの表情が描かれていた一枚だった。
ベルメールのデッサンに魅入っていたまれの横顔……私は珈琲をそっと狭い卓上に置くと、それを手に取った。
平弓さんの隣に、大人になった藤見まれがそこに立っているような気がした。
「まれ……?」
しかし一瞬で霧散した。
「先生にも見えたんですね!」
「いや……幻だよ」
「いいえ、先生。わたしがどれだけ彼女に密着されているか」
平弓さんは傍目からもわかるほどぶるっと震えて、自らの両腕を抱きしめる。
私が「これでよかったら」と、決して不潔ではない毛布を差し出すと、それに包まって珈琲を口にしたあと「話します」と言った。
*
わたしは今、テキスタイルのデザイン事務所に勤めています。
そこで商業カメラマンの布海さんと出逢いました。
アートや音楽や食事の好みが合って、すぐに意気投合して。あ、布海さんは男性です。
彼は、仕事とは別に趣味で写真や動画を撮っていたけれど、今は止めてしまったことを仄めかしました。
自分から言ったくせに、わたしが見たい見たいと言うと、少し困ったような顔になって、
「見ても僕から逃げないでくれるか」と、変なことを言うのです。
布海さんの部屋に入ったのは、その時が初めてでした。
彼の撮影したものはもちろん見たかったけど、評判のスイーツを手土産に乙女心満載で訪れました……まさかあんなに衝撃を受けるとは思わなかったから……
部屋は広めのワンルームで、隅に申し訳程度の簡易ベッドが置いてあり、その枕元の壁際に、一枚の鉛筆画が画鋲で無造作に留められていました。
ただの鉛筆画なのに、それが目に入った途端、わたしは暗い湖に突き落とされたように、布海さんが信じられなくなって取り乱してしまいました。恥ずかしいことです。
「正直に話すから、出来れば僕から逃げないで欲しい」
再び前置いて、布海さんは苦しい秘密を話してくれました。
大学在学中から商業カメラマンの仕事をしていた布海さんは、卒業後も順調にカメラマン生活を送っていました。
プライベートでは心揺れる被写体に出逢うと、シャッターを切りました。
十年程前だそうです。彼はクラシックコンサートで隣に居合わせた綺麗な黒髪の女性と知り合いました。彼女も彼と同じ、ラヴェルのボレロが目当てでした。
黒髪だけではない彼女の魅力に惹かれ、思わずその横顔にシャッターを切ったそうです。
モデル慣れしているのか、被写体になることに全く動じなかった彼女ですが、真正面から撮られるのは何となく避けていたようです。
彼女は言いました。
『闇に刻まれて壊れるあたしを、君は見つけられるのかも。でも君は二番だよ』
『二番?』
『一番はこれを描いた真野先生……約束破ったけどね』
そう言って、彼にこの鉛筆画を見せたそうです。
彼女は彼がアーティストのカメラマンとして世に出ることを心から応援していました。
彼と彼女は信じ合い、結婚するつもりだったそうです。
そんな彼女を傷つけてしまったのだと、彼は無性に後悔していました。
他人事のように彼の話に訊き入っていたけど、これは今わたしがお付き合いしている布海さん自身の話なのでした。
彼女のスナップ画像は異質で美しくて、嫉妬よりも溜息が出ました。
それから一本の動画を見ました。
小さな湖のほとりで、ボレロを口遊みながら身体を動かす彼女の姿。
揺らめく黒髪と剥き出しの白い脚で水際まで踊って……その時、湖がさざめくほどの強い風が吹いて、彼女の額が全開になり、瞬間、彼女がカメラを見たのです。
正面を向いた彼女の顔は何重にもぶれて、黒い靄が渦巻きながら右目に吸い込まれていく……周囲の輪郭ががぐにゃぐにゃと混ざって……
動画はそこまでです。
布海さんは暗い顔をして言いました。
「気味悪いだろ」
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