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Episode05 つながり

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 ルーンバルトから一番近い、カンナ帝国の郊外にある小さな村にたどり着くと、前もって宿の主人に話を通しておいたのか、私たちは誰にも咎められることなく裏口からそっと入った。

 曇りがちの月明かりだけだからあまりよくは見えないが、建物はもはやルーンバルトのおもむきではない。
 雨がほとんど降らなかったルーンバルトの建築物は垂直であり、熱風に耐えるように頑丈に作られ屋根も平坦だった。しかしカンナは水竜の治める国故に雨や雪も多いらしく、それらを地に落とすために屋根が斜めに傾いていると聞いたことがある。
 ざっと見渡す限り、ルーンバルトでは石造りの家が多いのに対し、こちらでは木造が主流のようだ。

 宵も深いこの時刻では、宿に泊まっている客も夢の中なのか。
 誰ひとりとしていない木造の廊下が、私たちが息を殺して歩むたびにギシギシと声を上げた。それにヒヤリとしながら、足取りがしっかりとした央士おうし獅貴しきに続き、ある一室に連れ込まれる。

 そこは3人入るには狭い、広さだけで見ても精々せいぜいふたり部屋だった。
 民間用の宿屋にしては綺麗な方だと思うけれど、ヴェールのような生地がベッドと思わしき段差を囲うように天蓋から垂れ下がっていて乙女心をくすぐりはするが、どうも何か変だ。
 文化の違いの所為だろうが、部屋の隅に置かれている足の短いテーブルのようなものはなんなのかとか、どれくらい太いペンで書いたんだろうというカンナ文字のタペストリーとか、私にはどう扱えばいいのか解らないものが目に飛び込んでくる。


(それになんだか……怪しい、っていうか…)


 部屋に入った瞬間から、甘い匂いが鼻を突いていた。
 なんというか果物とかスウィーツの匂いとはまったく別の、強いて言うなら人を酔わせてしまう酒だとか香水のような匂いだ。

 なんだか居た堪れなくて部屋の奥へ進み、薄いヴェール越しにベッドと思われるそれを確認した。――なんで、赤いんだろう。
 ヴェールを掬って中に顔を突っ込む。
 そこにはベッドとは少々違う、寝所があった。
 ベッドと同じくらいの高さの段の上に、弾まないスプリングが寝そべっている。それももちろん赤いのだが、綿の詰められた掛け布も赤い。
 私はたまらなくなって二人を仰いだ。


「あ、あのー。私カンナの文化ってよく知らないんだけど……なんだかとてつも
なく居た堪れないんですが」
「まぁそうだよね。だってそういうところだし。」
「は?!」


 獅貴しきの満面の笑みに愕然とする。


(そ、そういうところって、そ……そういう?!!)
 

 私も年頃の女だし、そう言ったことも解らないわけじゃない。
 慌てて再び部屋の隅々まで見回してみると、そういうことを意識しながら見ている所為か、妙に納得してしまうものまで目に入ってしまった気がする。――見なきゃよかった。

 この甘い匂いの所為か、男ふたりといるこの部屋がどうしようもなく息苦しく感じた時だった。
 ふわりと、なにかが私を包み込んだ。


「え?な、なに?」


 気付くと、目の前には央士おうしの大きな胸板がある。
 央士おうしは慌ただしいくらい瞬く私は気にならないらしく、満足そうに頷いた。――その口端が僅かに上がったのを見逃さなかった。


「…ああ。やはりあんたには、こちらがよく似合っている。」


(似合う…?)


 思わず微笑んだ央士おうしに見とれそうになった自分を叱咤して、彼の言葉について思考を巡らせる。
 一体なんのことかと彼の視線を追うと、私を覆う一枚の布に行き着いた。――いや、布じゃない。

 月明かりでもよく映える、鮮やかなマリンブルー。
 床にまで流れる長い生地の最後には、グラデーションのように雪のような白が広がって、更にその上から淡い薄ピンク色の花が咲き乱れている。


「ほんとだ。早速その悪趣味な赤い服なんてやめて、その小袖に着替えちゃえば?」
「あ…うん。そう、だよね。」


 獅貴しきの言うとおり、このカンナで赤い服を身にまとっているのは目立ちすぎる。
 それにルーンバルトから学院の制服を身に着けた娘が内紛起こるカンナ帝国にいるとならば、どう考えても「ここにいますよ、見つけてください」と言っているようなものだ。――自分のルーツがまだ解らない以上、連れ戻されるわけにはいかない。

 私は似合うと言われた生地を引き寄せ、改めてまじまじと見つめた。
 ――見たこともない程に鮮やかな、青。


(こそで…)


 きっとカンナでの一般的な衣服なのだろう。
 小袖と呼ばれた服に、胸の奥がなんとも言い難い熱で覆われた。
 きっとこの美しい青が似合うと言われたからだ。――ずっとずっと、青に憧れていたから。

 はしゃぎたい気持ちを抑え、着替えようと一度小袖を肩から落とす。
 ――と、そういえば。
 私は小袖を手に、彼らに苦笑を浮かべた。
 困り果てたと顔に浮かべたのだが、どうやら伝わったようだ。央士おうしが何事かと目を瞬いている。


「どうした」
「いや、その…。これ、どうやって着るの?」


 私が着ている服やドレスはちゃんと身体にフィットするように出来ていたし、こんな羽織るだけのようなものはバスローブくらいしか知らない。恐らくそれのように腰あたりを紐などでくくるんだろうが。

 私の問いを予想だにしていなかったのだろう。
 央士おうしは戸惑うように口に手を宛がうと、危なっかしい代物を楽しそうに弄っている獅貴しきに目配せした。それが助けを乞う合図らしく、獅貴しきはこちらに近づいてくる。


「はいはい。央士おうしってこういうことにほんと向かないからね。……それじゃとりあえず下着寄こして。」
「あ、ああ。すまん」
「君はさっさと脱いで、こっちの下着を着る。」
「え、ちょ、ちょっとっ」


 茫然としていたらいつの間にか獅貴しきのペースに流されていた。
 下着なんていうからドキリとしてしまうが、彼が提示したのは先程の小袖と同じ形の白い服だった。カンナではそれを下着というらしい。
 とりあえず制服を脱いで今身に着けている下着の上に、カンナの下着を羽織ればいいのだろうか。

 私は央士おうし獅貴しきに背中を向けて、じろりと睨み付けた。


「……それじゃあ、とりあえず着てみるから。それまで目ぇ瞑ってなさいよ」
「わ、わかっている」
「はいはい。そうでなくてもお子ちゃまなんて興味ないから。」
「私だっておじさんには興味ない」
「お、おじ…」


 「まだ俺20代なんだけど?!」という程に目を丸くした獅貴しきの身体を央士おうしが反転させたのを見届けると、早速制服に手を掛けた。


(なんか、ルーンバルトにさよならって言ってる気分。)


 今まで騎士になろうと必死に努力してきた証である学院の制服を脱ぎ、カンナ色の服を着る。自分で決めたことだけれど、今更ながらに寂しさのようなものがじんわりと胸の奥を焦がした。

 パサリ、乾いた音を立てて上着やちょっと短くしていたスカートが床に散る。裸に近い格好で渡された白い服を纏い、バスローブのように胸の前で交差させた。ふたりの着方を見ると左側が上に来るように合わせているから同じようにしておこう。


「着たよ?」


 彼らに振り向きつつ、着付け講師になった獅貴しきに不満を垂れる。


「でもこれ、止める物が何もないじゃない。ずっと手で押さえとくわけじゃないでしょ?」
「あ…うん、まぁ……それは紐で一回止めるんだけど……やっぱり文化の違いなのかな」
「え?」


 珍しく獅貴しきが照れるように目を泳がせているから何事だと首を傾ぐと、答えはあれだと言わんばかりに背後の央士おうしを指差した。――彼は獅貴しきと同じようにこちらに向いたはずなのに、どうしてか再び背中を向けている。

 全然状況を理解していない私に、獅貴しきが溜息を吐いた。


「それ、さっき下着だって言ったでしょ。なのに君が堂々とそんな姿を見せるから悪いんだよ」
「ええ?大袈裟だなぁ…。だって下着って言っても全然露出してないじゃない。」
「セツナがそういう感覚でも、カンナじゃ下着なんだよ。ルーンバルトでは知らないけど、カンナの男にその姿を見せたらああなるから、覚えておいて。」


 言う獅貴しきも頬を朱に染めて、背後の背中を指差す。
 大きな央士おうしの背中はまるで「なんてことだ、神子の下着姿を見てしまった」とばかりに震えていた。


(い、いや、でも素肌が見えるわけじゃないのに…)


 ルーンバルトの下着はショーツにブラだけの、それこそ彼らからすれば危うい姿だ。なのに肩からくるぶしまで覆うカンナの下着を纏っているというのに、何をときめくのか頬を染める理由が解らない。しかしながら、大の男ふたりが目を覆いたくなる状況というのはさすがに心苦しいものがあるので、自然と羞恥が芽生える心に目を瞑り、慌てて獅貴しきを呼び寄せた。


「わ、わかったわよ!だったらもうさっさと着替えさせてっ」
「はいはい。ほんと、君って我儘だね。お願いしますくらい言ってもいいんじゃないの?仮にも俺って年上だし。――おじさんって程でもないけど」
「根に持ってたか…」


 言葉を言うまで動きませんとその身で語る獅貴に溜息を吐いて、それを呟いてやる。彼の望むような声色ではなかったようだが、私が一応乞うたので許してくれたらしい。

 獅貴しきは驚くほど近くに寄ると、私を抱き込むように腰に手を回した。


(これは紐を巻く為、紐を巻く為…!)


 彼は僅かに長い下着を腰のあたりで引き揚げて二重にし、同じ色の紐でややきつめに縛り上げた。


「とりあえず、あとは朝でいいんじゃない?今から着付けたら、寝ている間に乱れちゃうし。」


 言いながら、彼はやれやれと言った感じで床に腰を下ろすと、鞘ごと引き抜いた剣を抱えて床に腰をおろしベッドサイドに背を預けた。


「って、あんたそこで寝る気?!」
「そうだよ。だって君になにかあったら困るでしょ。ああ、君はその寝台に寝てていいから。床で慎ましく寝る俺たちを横目で見ながら、ゆっくり眠るといいよ。」
「解りやすい嫌味をどうも!そんなに寝たいならこっち来て寝ればいいじゃない!」


 どうやら早速水竜の力が馴染んできたのか、獅貴しきの捻くれた態度が戻ってきたようだ。
 まぁ私からすれば変態でなくなったのは随分いいことなのだが、その分言葉の応酬をしなくてはいけないとなるとやっぱり面倒だった。

 カチャ、という剣の音がしたかと思うと、獅貴しきは抱えたそれをずらして顔をこちらに逸らし、湖の瞳を楽しげに細める。


「へぇ…。ねぇ、それって誘ってるの?」
「そんなわけないから。文句垂れるくらいなら床で私が寝るって言ってんのよ。ベッドは……寝台?譲ってあげるのでどーぞ寝てください。」
「ダメだ。神子が床に寝るなどあってはならん。……獅貴しき、お前は黙って見張りをしていろ」
「はいはい」
「見張り?」


 央士おうしの切れ長の目が更に鋭くなる。
 それに面倒そうに二度返事をした獅貴しきを追い越し、ドアの横に彼と同じように座り込む央士おうしに首を傾いだ。


「それって私の見張りってこと?」
「……それもあるが、どちらかと言えば外部からの干渉に対してだ。」
「さっきも言ったでしょ。【水竜の神子】を狙うのは俺たちだけじゃないって。」


 確かにそのフレーズは先程も聞いた。
 【水竜の神子】と言えば、カンナ帝国での力・皇族の象徴でもある。
 利用しようとする者がごまんといるのは想像に難くない。それに私は今やルーンバルトの未来の王妃だ。それが誰かに攫われたとなると、今頃私を捜索しているに違いない。

 私は央士おうしの言葉に更に問い返した。


「外部からの干渉……っていうのは私の捜索隊のこと?それともあんたたちと敵対してる連中?」
「……どちらとも、可能性はある。」
「まあ、そうだよね」


 彼らの本来の目的――私を攫ってどうするのかはまだわかっていないが、私を守ろうとするスタンスは変わらないらしい。そもそも、私に何かすれば彼らの身体に返ってくるのだから、そう簡単には何かできるとも思えないけれど。

 私は小窓から濃紺の夜空を仰いだ。
 あと数刻すれば空も白んでくるだろう。まだルーンバルトの目と鼻の先なのだし、きっと朝方にはここを立つ筈だ。
 彼らから何もされないという保証もないけれど、契約をしているからまだ大丈夫だろうという安心感はあった。ここはさっさと寝て明日への体力づくりをした方が現実的だ。それにあの契約で力を思いのほか使ってしまったから、実のところとてつもなく眠い。

 私はヴェールに手を差し込んで身体を寝台に滑り込ませると、落ち着かない赤に身体を沈めた。


「俺が言うのもなんだけど、君を攫った男ふたりと同じ部屋にいるのに、よく寝ようと思えるね。……もしかすると、この薄絹を越えてとんでもないことをしちゃうかもしれないよ?悪い気を起こしたおじさんが」


 この位置からだと寝台に寄り掛かる獅貴しきの頭しか見えない。きっと今も皮肉な笑みを浮かべているんだろう。
 ドアの方から呆れたような央士おうしの溜息が聞こえてくる。
 私は開き直るようにして寝返りを打った。


「こんなことを言うのもなんだけど、私未経験なんだよね」
「ふぅん?それって面倒だとかいいたい?でも中にはそういう趣味のおじさんもいるんじゃない?」


(相当「おじさん」って言われたこと根に持ってるな…)


 確かに獅貴しきはおじさんなんていう歳ではないだろう。
 私もそこまで意識していったわけではないのだが、今更この捻くれたヤツに弁解などしたくないのでそのままにしておくことにした。


「だとしても……いやぁ、無理だと思うのよね。ほら、破瓜の痛みって相当痛いみたいだし?もしどこかの誰かさんが襲ってきたとしても、我慢できないと思うのよ。」
「なにそれ?生意気な君もさすがに泣いちゃうって話?」
獅貴しき。……男が味わう痛みってどうなんだろうね?」


 ヴェール越しにニヤリと笑って見せる。
 ――忘れているだろうが、私たちは命だけでなく痛みすら共有する契約をしている。
 男は女が子供を産む痛みを体験したら死んでしまうとも聞いたことがあるし、破瓜の痛みだってそれには及ばないにしてもショックで動けなくなるんじゃないだろうか。

 彼は黙している間にそれを想像したのか、せっかく整っている顔をこれまでにないくらいに顰めて更に身を沈めた。


「……おやすみ。」
「ハイハイ、おやすみなさーい」


(勝った…!!)


 あの獅貴しきを負かしたのをいい子守唄替わりに出来そうだ。
 私はもう一度寝返りを打ち、彼に背を向けて赤い掛け布を頭から被る。
 羊を一匹二匹と数える必要もなく、睡魔は襲ってくるようだ。

 けれど寝る間際にも、気に掛かっていることというのは勝手に記憶の引き出しから溢れてしまうから困る。
 本当にルーンバルトを出てきて良かったのか、とか。本当は火竜一族ではないのだとしても、私が今していることは家族を裏切る行為なんじゃないのか、とか。

 寝台に頬を擦り付けると、落ち着かない甘い香りがした。


(みんな心配してるんだろうな……。――アルは、どうしてるんだろ)


 普段はいつも傍にいてお小言ばかり言うアルベルトは、当たり前の存在だった。歳が近いからか、長兄のクラウスよりも私の面倒を見てくれていたっけ。きっと今の小姑みたいな小言も、それの延長なのかもしれない。

 だんだんと重たくなってきた瞼の裏に、淡いピンクの花びらが雪のように舞う光景が浮かんでいた。



   ※    ※    ※



 シグムント家の庭の片隅に、淡いピンクの花だけを敷き詰め生垣で緑の東屋を作った子供用の庭があった。
 私はそこで、毎年花輪を作ることに決めていた。


『セツナ』
『アル!』


 幼い少年の声が私を呼ぶ。
 その声に胸を熱くさせて振り向くと、そこには10歳くらいの次兄が今では見せてくれない素直な笑みをそこに湛えた。

 私は彼の頭を作ったピンクの花輪で飾って勢いよく彼に抱きついた。


『アル、誕生日おめでとう!』
『お前もだろ?10歳の誕生日おめでとう。』
『うん!』


(10歳か…。そんなにちっちゃくないな)


 あんまりにもお互い素直だから、もっと小さな頃の夢かと思ったけれど。
 しかしそれにしても私が10歳なら、アルベルトは14歳か。今から6年前というと、遠い昔のようでとても身近な気持ちになってしまう。あの頃はまだこんなにも素直に感情を表現していたっけ。

 私とアルベルトは偶然にも4年違いの同じ日に生まれていた。
 火竜の力を色濃く受け継ぐ子供が同じ日に生まれたと、それはもう毎年お祭り騒ぎだった。その喧騒から遠ざかるように、私たちはいつもこの東屋に逃げ込んで、ふたりだけの誕生会を開く。

 アルベルトは私に抱き締められたまま座ってしまい、『これじゃあアルとぎゅってできない』と目で訴える私に苦笑した。


『そんな顔するなって。ほら、来いよ』
『うん!』


 彼は細い脚を開いて自身の前に座れと促すと、私は喜んで彼の胸に背を預けた。


(思えば私、こうやって後ろから抱き締められるの、好きだった。)


 甘いピンクの花の香りと、ちょっと汗のにおいの混じるアルベルトの優しい匂い。背中には安心できる体温があって、甘える私を両手でしっかりと抱きしめてくれる。
 それにしても、私が10歳ならこの時のアルベルトは14歳だ。
 14歳の男の子となればそれなりに男女を気にする筈で、それは兄妹に至っても同じこと。ただでさえ今のアルベルトは小姑のようになったし、14歳のアルベルトがこんなに甘やかしてくれたとは思えない。


(やっぱり夢なのかな。アルがこんなにやさしいんだもん)


 背中の体温に身を預け、夢の中でもうたた寝をしてしまいそうになる。うつらうつらと船をこぎながら、なんとなく肩越しに振り返った。


『アル…?どうしたの?』


 その時のアルベルトは、どうしてか物憂げでさすがに10歳になればそれなりに感情の起伏も読めてくる。
 アルベルトはその指摘に表情を変えることなく、ただぎゅっと私を強く抱きしめた。


『お前はもう、10歳……なんだよな』
『うん?そう…だよ?』


 何故だろう。
 どうしてアルベルトも解っていることを、二度も問うたのだろう。
 首を傾いで言葉の代わりに問うけれど、彼は苦笑を浮かべるだけで答えなかった。


『それじゃあきっと、あと6年もしたら同じ火竜の一族か、王族の嫁さんになるんだろうな』
『えー、やだー』
『やだーって、お前ね』


 国規模のことなのに、まるでだだをこねる私に困った笑みで頭を撫でるアルベルトに、眠気を抑えてくるりと振り返った。


『だって会ったこともない王子様なんかと結婚なんてしたくないし!親戚の人だって全然見たことないのに、絶対やだ。』
『そりゃあ王族には滅多に会えないだろうし、火竜一族はそれこそ何かがなけりゃ里から出てくることもないだろうけど』


(ああ、この時の私は本当に素直だったんだな)


 今はどうしてか、国の為なら、家の為ならと感情に目を瞑っていたみたいだ。
 知らないヤツと結婚なんかしたくないと公言できる、この時の私が輝いて見えた。
 私は身を逸らしてアルベルトに正面から抱きついた。


『同じ一族なら、アルと結婚する。』
『え?!い、いや、それは』
『じゃあクラウスとする』
『俺にしとけ。』


 同じ父と母を持つ兄妹だからダメだと言おうとしたのだろう。しかしアルベルトは昔からクラウスの名を出すとムキになるのを知っている。
 私は恋する乙女のように頬を朱色にしてアルベルトの額に同じそれを合わせた。


『それじゃあちゅーして』
『いや、言うと思ったけど。いつもほっぺたにしてるだろ』
『口じゃなきゃ男女の誓いにならないでしょ』
『誰から聞いたんだよそれ。……まぁ、どうせクラウスだろうけど。何教えてんだアイツは。』


 うーん、と悩ましげに眉根を寄せるアルベルトは、ふと思い出したように私を見た。
 小さな頃から変わらない、ルーンバルトの国の中で一番鮮やかな炎の色を持つ瞳が、どうしてか悲しげに揺れた。


『……きっと、お前はいつか遠くに行っちゃうんだろうな。』
『え?私、どこにも行かないよ?』
『お前にその気はなくても、周りはそうはいかないかもしれない』


 私には難しい言葉を放ち、彼は私のちいさな手を掬っておもむろに口づける。


『セツナ。口付けよりも確かで、深い誓いを知ってるか?』


 その問いにやや逡巡し、しかしすぐに思いつく。
 母が国王陛下と交わす、あの眩い契約を思い出した。
 確かにあれなら、口付けよりも確かで誰よりも繋がっているという気がする。


『でも、あれは神子と王様しか出来ないんじゃないの?』
『いや。しようと思えば、誰にでも出来る。……セツナ。俺の胸に手を置いて。』
『う、うん』


 アルベルトの言うとおり、私は彼の胸に手を当てた。
 とくん、とくんと脈打つ心臓の音が手に伝わってきて、私の鼓動まで聞こえてしまうような気がした。
 アルベルトの年々大きくなってくる手が、迷うように私の胸の前で止まる。


『……契約を交わせば、何かあればすぐ伝わる。だからお前に何かあったら、俺はすぐに駆けつけるよ。』
『うん。……約束だよ?』
『ああ。』


 それが決意を固めるに充分だったのか、彼は安堵したように目を細めると、私の胸に手を置いた。
 アルベルトが何かを口ずさむ。
 すると周囲に咲くピンクの花たちが踊るように渦を巻き、紅い光が私たちを包み込んだ。アルベルトが触れる胸がジリ、と焦げたような音がして、見上げるとアルベルトの額には彼の紋様が淡い紅い光によって浮かび上がっていた。


(アル……)


 アルベルトは私の兄で、おせっかいで。私の傍にいて。
 それなのに幼い頃の私は、彼と血が繋がっていないことに気付いていたんだろうか。
 兄弟との婚姻なんて認められる筈がないのに、あの時の私は彼に恋をしていた。
 彼が父と同じ騎士になると決めた時も、アルベルトひとりで戦場に行かせられないと、私も同じ道を進んだ。もちろん父を憧れる気持ちはあったけれど、それはただの建前で。
 それなのにアルベルトは『嫁に行くんだからダンスでも習え』と口うるさく言って来ては、私に構うことなく背を向ける。



 ――それがきっと、許せなかった。

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