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Episode02-2 攫われた神子

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 先程の男より砕けた物言いの男は、御者台で手綱を握り、同じようにフードを目深にかぶってこちらに顔を向けた。見えるのはにやけた口元だけ。


「なんでも話し損ねたことがあるらしくて、陛下にもう一度謁見される事になったみたいですよ?」
「先に御帰宅されるようにと、言伝を預かっております。」


 対照的な雰囲気のふたりの言葉に、どうしてかほっとしてしまった。
 きっと私も少なからず婚約のことでショックを受けているのだろう。こんな顔を家までの道のりで兄たちに悟られたくはなかったから丁度よかったかもしれない。


(家に帰ったら、国境にいる父様に手紙を書いて、母様にも報告しないとね)


 きっと激励の言葉を貰って、切ない雰囲気を噛みしめることとなるのだろう。
 考えただけで口の中が苦い。
 気を取り直して笑みを作ると、馬車の踏み台に足を乗せた。


「それじゃあお言葉に甘えなくっちゃね。お願い、出してもらえる?」
「――ええ、もちろん。」


 御者台に座る陽気な男の一言が、やけに楽しそうに聞こえた――その束の間だった。
 突然扉を開いてくれていたもうひとりの男が、車内に座りかけた私を押し込むと自身も乗り込んで馬車に備え付けられている窓のカーテンを総て閉じ、それとほぼ同時に馬車は城を飛び出した。

 周囲から見ても首を傾げる程度の、やや荒い運転。
 男は暴れようとする私を組みしき、フードを乱暴にとって私を見下ろした。
 深い青の短い髪は乱れてはいたが、切れ長の目に嵌めこまれた濃紺の瞳は青玉サファイアのように美しい。――しかしその声は、穏やかな筈なのに刃のように鋭い響きを持っていた。


「静かにして貰おう。命が惜しければな」
「……そんなありきたりな脅し文句、全然怖くないね」


 刃物は出されていないものの、先程はローブの所為で気付かなかったが男の腰には立派な剣がある。いつそれを首元に宛がわれるか解らないが、大人しく言うことを聞くのは許せなかった。

 両手を片手で押さえつけられても、他に出来ることはあるのではないか。
 男の青玉サファイアの瞳を睨みつけながら、緊張で冷たくなってくる手をぎゅっと握って必死に考えを巡らせる。


(足を使おうにも上手く組み敷かれてる所為で足が上がらないし、思いきり暴れて片手が使えるようになったとしても、対抗出来る武器なんてない。)


 やはりここは、魔法しかない。
 しかし魔法にも呪文詠唱というリスクがある。声に出しさえすればそれを勘付かれ、口をふさがれてしまうだろう。ならどうすればいい。騎士になりたいと培ってきた知識と力は、こんなものだったのか。――男の力には敵わない、所詮女のか弱い力では太刀打ちできないものだったのか。

 悔しくて唇を噛み、じわりと滲む涙をこらえた。
 それに満足したのか、男は乱暴に私を起こし、どこからか取りだしたロープで手首を纏め、腕ごと胴体を縛りつけると布切れで猿ぐつわを噛ませてくる。

 こうなれば、冷静に考えるしかない。
 どこにつれていくのか、目的はなにか。何故私を攫ったのか、ここはどこなのか。
 混乱しているのか、考える優先順位はめちゃくちゃだと解っていつつも、なにも考えないよりはマシだ。
 馬車の揺れは、段々と激しくなっていく。


(まずここは……もう舗装された道じゃないってことは確かだ。)


 木を掻きわけ右へ左へ、石でも踏んだのか大きく揺れが起こっているから、この考えは間違っていないだろう。
 城下はほとんど舗装されているし、街のひとたちの話し声も聞こえないから、もう人の溢れる賑やかな場所は遠い筈。ではこのままどこに向かっているのか。――情報が少な過ぎて、結論はでない。
 では目的は何か。
 私は伯爵の娘だし、ルーンバルトの火竜の一族でもある。今回王族との婚礼が決まったこともあって、ルーンバルトにとって重要な存在になったのは確かだ。
 そう考えると、考えたくはないが内部で王族に不満を持つ者や、国外のルーンバルト侵略を考える組織に利用される可能性は高い。


(うわぁ……それはそれは、麗しい身分になったこと。)


 まるで自分ではないみたいだ。
 伯爵令嬢とはいえ、昔から貴族だった一族とは違って自由な面がいっぱいあった。男兄弟に交じって遊ぶなんて由緒ある貴族では許されないし、もちろん騎士を目指す事だってないだろう。
 それがまさか、たった一日で誘拐までされてしまうとは。
 ――なんだか展開が急過ぎて、笑えてくる。
 残念ながら猿ぐつわの所為で笑えたものじゃないが。

 男は私の自由を奪っても尚信用ならないのか、私の首根っこを掴んだまま、隣りに腰かけて扉を塞ぐと、前方から声が掛けられた。


「ねえ、央士おうし?ここから道なんてないし、オレ的には馬で行きたいんだけど」
「……そうだな。獅貴しき、馬をはずしておいてくれ」
「あれ?お嬢サマは大人しく言うこと聞いてくれるわけ?」


 馬車がゆるゆるとスピードを落として止まると、私は無言でこちらを見てくる男を「暴れるかもしれないけど?」という挑発の意を込めて睨んだ。
 しかし男は表情ひとつ変えず、前方へと顔を上げる。


「女ひとり暴れたところで、どうということもない。」


(な…っ?!)


 まったく意に介さないと平然と言われ、愕然とする。
 私だって仮にも騎士を目指して特訓だってしてきたのだ。私のことを知らないにしてもその態度は気に入らない。

 男は扉を開けて外に出て、こちらに手を伸ばした。
 どうせ猫のように首根っこを引っ掴んで引き寄せようと言うのだろう。――馬鹿にされて黙っていられる程、おしとやかには育っていない。

 私はその手を拒むように座席に倒れると、男は一瞬眉を引き攣らせたものの無言でその手を伸ばし、案の定私の襟を掴んだ。


(このままやられっぱなしなんて、我慢できるか!)


 私は首から引っ張られる力を利用して、片足で床を蹴り遠心力を味方につけて、もうひとつの足で男の顔に蹴りをお見舞いしてやる。


「くっ…!?」
「んっ、んんっ」


 しかし男の手を失った私の身体は、見事に地面に落ちることになってしまった。
 強い衝撃を左半身に受けて、すぐに体制を整えた男に再び捉えられる。
 荷物のように小脇に抱え、馬車から離された馬の上に横に寝かされ、落ちるんじゃないかという不安を与えてくれた。
 完全に一矢報いる程度にしか抗えなかったが、これは殺される恐れがないと踏んでいたからだ。ザマァみろと心の中で吐き捨てると、甲高い笑い声がもう一頭の馬とともに降って来た。


「あっははは!してやられちゃったね!『女ひとり』なんて油断するからだよ」
「……」


 馬が一歩二歩と前後する。
 私に蹴られた男が私の後ろ――正確には真横だが、そこに飛び乗ったようだ。
 男は無言で私を睨みなにか言いたそうな顔をしているが、こちらは知ったことじゃない。一度睨みつけて、ぷい、と顔を背けるとまた一段と高い笑い声が聞こえた。


「な…」
「あは、あははは!面白い子だね!面白いもの拾っちゃったなぁ」


(ひとを物みたいに言わないでよね!)


 猿ぐつわを噛まされたままでは笑いものにしかならないから、心の中に留める。
 彼らに反発するだけでは現状の把握なんて出来ない。ふい、と顔を背けて、抵抗するのが疲れたと見せかける為、馬の背にだらりと身を委ねた。
 しかしこれが案外つらい。先程甲高く笑った男ではないが、物と同じように横にして乗せられているから、馬との接点である腹部しか支えなどなく、あとはだらりと力を抜くしか他に楽な姿勢などない。いや、そもそもこの体勢自体楽じゃないのだが。腹部が圧迫されて息苦しいが、今は周囲の景色をしっかりと見ておかなければ。

 逆さに映る景色は、記憶にない人の気配もない森だった。
 火の国らしく乾いた土地だが、先程降っていた筈の雨の痕跡がない。――一体どうやって雨雲から離れた地へたどり着いたのか。私がこの男たちにかどわかされて数刻と経っていないはずだろうに。そこは考えれば魔法など方法はなくはないが、今は問題ではない。重要なのは、ここはどこで、これからこの男たちはどこへ向かって行くのかということ。


(それに、私をどうするのかってことも)


 私がどうなるのかというのも焦りを感じざるを得ないが、王族との婚儀も定められたのだからこのルーンバルトを支えてゆかねばならぬ者として大きな責任がある。
 隙を見て逃げ出さなければ、国に迷惑を掛けることになるかもしれない。
 ――そうなれば、国境で日々ルーンバルトを守っている憧れの父や神子である母、私を見守っていてくれるクラウスに、不器用ながらに世話を焼いてくれるアルベルトに申し訳が立たない。
 騎士を志すものとして、そう簡単に諦めるわけにはいかない。

 揺れる馬の腹に頬を擦られながら、決意を新たにしたときだった。


「おい」


 頭上であの低い声が掛けられた。
 それと同時だった。突然走り出した馬を止めたかと思えば、猿ぐつわを外すとそのままそれを目にあてがわれたのだ。まさかと思ったときにはすでに後頭部で布がきつく縛られた後だった。


「道を覚えられると面倒だからな。大人しくしていろ」
「大人しくって……っ」


 どうやら私が道を覚え、隙を見て逃げ出そうとしているのに気付いていたようだ。
 こちらの気を知っているのか知りたくもないが、澄ました態度で「大人しくしていろ」などとよく言えたものだ。こちらだって命の危険やら国規模の責任やらで焦りは感じているものの、怒りが沸く余裕はある。
 先程は油断させるために大人しく馬に乗せられてやったが、もう隠すこともない。

 再びゆるゆると馬を走らせた男を見れないながらも目隠し越しに睨み付ける。


「とんだお笑いぐさね!この状況で大人しく?」
「だから、大人しくしていろと言っただろう。」
「猿ぐつわでもされない限りしませんね!永遠と叫び続けてやりますとも?!」
「舌を噛むとしてもか?」
「ふんっ、そんな脅し文句、素直に聞くわけな――うっ?!」


 ガリッと聞いちゃならない音が口内から聞こえてしまった気がする。
 本当は両手で口を押さえたいところだが、今は背中にくくりつけられているからそれもできない。生理的な涙を目隠しの布が吸って、私はただ唸ることしか出来ないでいると、呆れたようなため息が聞こえた。


(なにかななにかな?!「だから言っただろう」みたいなため息と間は!)


 私は怒声を上げることも出来ずに、ただ唸ることしかできなかった。
 ああもう、口の中から血の味と匂いがする。その匂いが気にならなくなったのは、随分経ってからだろうか。今までは目隠しをしても明るく感じてはいたのに、いつの間にか闇が支配する時間になっていたようだ。


  ドカカッドカカッドカッ


 馬が走る音もいつまで続くのだろう。
 休憩もせず走り続けているのだから、そろそろ馬も息が上がってきただろうに。――どこへ向かっているか検討もつかないが、馬車を捨てて馬に乗り換えてからの距離を考えると、恐らくルーンバルトから出てしまっている。どうやって国境を越えたのかという疑問は、魔術に自信のある者ならどうとでもなる。


(本当にルーンバルトを出たっていう証拠はないけど……確証みたいなものはある。)


 目はふさがれ、口は情けなくも己で害してしまったが、鼻は利く。
 慣れ親しんだ火竜の国・ルーンバルトの匂いではない。これも竜の一族だからこそ判ることなのか、この感覚は火竜の加護を受けた土地ではない。――しかし、何かが変だ。
 じんわりと馴染む、この涼やかな空気はルーンバルトでさえ感じたことがない。


獅貴しき、一度馬を休ませる必要がある。」
「そうだね。この子たちももうヘトヘトみたいだし――この子も。」
「いっ」


 獅貴しき、と呼ばれた男が馬から降りた気配がして、こちらに近付いたかと思うとなんと後頭部で結んだ目隠しを髪ごと鷲掴んで一息に引き抜いた。


(なっ、なんてことを…!)


 ブチブチ、なんて不気味な音が聞こえたじゃないか。
 涙目で獅貴を睨んでやろうと馬に雪崩れる上半身を起こしてやるも、口は先程しくじってしまった所為で文句を言う気にはなれなかった。――けれど、何も声に出せなかった理由はそれだけじゃない。


「あれ、なにも言わないのかな?それとも、言えないとか?」
「……」


(あ…あおい…)


 もうひとりの男を見たときも思ったが、私を覗き込んでいる獅貴しきの目も、今までに見たことがない宝石のようなあおだった。
 火竜の加護を受けるルーンバルトの国民のほとんどが赤いか赤味を帯びた茶色の目だ。――目は魔力や神力の影響を一番受けやすい部位。そこがあおいということは、この男たちは。

 ある確証を得た上で、改めて私を上から見下ろしてくる獅貴しきを見据えた。
 彼の背後にある宵闇に輝く月のように眩い襟足までの金の髪が、乾いた風に遊ばれていく。



「水竜の国・カンナ帝国へようこそ、オレたちのお姫サマ。」


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