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第5章 旅は道連れ

第3話 兄と弟、それから姉

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 聖水には穢れを浄化する作用はあれど、汚れに対する洗浄力は通常の水と同じであった。
 よって、フィアには小さくなったままでいてもらい、魔物の返り血を聖水で落とした後はお風呂の中でじゃぶじゃぶコース。ドライヤーでガーガーと乾かす時、一生懸命目をつぶる姿がたまらなく可愛いと、蒼はギュッと抱きしめたくなる。
 ちょっぴりしょぼくれた様子だったが、フィアはされるがまま、初めてのお風呂は完了した。

「おりこうだねぇ」

 首元をさすりながら蒼はフィアを褒めたが、犬のように扱っていいものかと一瞬手を止める。だが、チラリと伺うような——もう終わり?——という視線を向けられ、まあいいかとひたすら撫でるのだった。

「わあ~綺麗になりましたねぇ! サラサラだぁ」

 レーベンがフィアのために食事を作ってきた。レーベン曰く、こちらの世界では飼い犬には人間の食べ物の残りを与えることが多い。
 とはいえアルフレドのにそんな風にできないよね、と二人で顔を見合わせていた。なにより人間と違い匙を使えないので、蒼がフィアをお風呂に入れている間に、レーベンはお椀料理を作っておいてくれたのだ。

「アルフレドさんがなんでも食べるって言ってましたけど……大丈夫かな?」
「人間が食べても美味しそうじゃん!」

 芋と鶏肉が細かく刻まれたリゾットのようなものだった。フィアはガツガツと一気に食べ尽くす。どうやら満足してもらえたようだと、レーベンも嬉しそうだ。

 アルフレドはあれから心ここに在らずといった様子が続いている。ショックを受け凹んでいた。まだ多くを語らなかったが、

『フィアは五歳の時、死にかけてて……どうしても死なせたくなかった義母が父に頼み込んで……キメラ化はうまくいかなかったはずなのに……』

 そう自分でも思い出を辿るように話していた。
 そして逃げるように庭に止まり、怪訝な顔をしてフィアの動向を窺っている馬のルーのブラッシングを続けている。

「弟を見殺しにしようとした自分が許せない?」

 蒼はかなり覚悟を決めてアルフレドに話しかけた。これで彼との関係が変わる可能性も考えられたが、それでもこの件についてなにも話さないのでは、どうせどこかで躓く関係だと腹を括って。

「……うん」 

 アルフレドはブラシをかける手を止めたが、蒼の方をまだ見ることができない。

「ずっと前から……フィアがあの姿になってから……俺は逃げ出したんだ……キメラ化に失敗して、父にトドメを指すように言われたのに……それが嫌で逃げ出した……家の責任も全て放り出して……そのまま冒険者を続けてる……」

 なのに今更、自らの手を汚さず、弟を見送ろうとした自分がズルくて卑怯で情けないと。自分の事情だけで、蒼のようにフィアに尋ねることすら、話しかけることすらしなかったと。

(話してくれた……)

 そのことに蒼は内心ホッとした。もしかしたらアルフレドは何も話さず、いつもの曖昧な笑顔で有耶無耶にされてしまうのではないかと不安だったのだ。彼がこの件を話題にしたということは、多少なりとも現状を変えたいと思っている。

 蒼も色々と思うところがあった。アルフレドの家、やばくない? だとか、義母ってことはアルフレドのお母さんは? とか、なんだその父親は! だとかの色々だ。
 だが今はアルフレドとフィアのことが第一。彼らが少しでもにはどうしたらいいか。それだけが蒼にとっては大事なのだ。

「変えられないこともあるけど、とりあえず今からやれることはあるんじゃない?」

(そもそも、アルフレドがあの時手をかけずにからこその今なんだけど……)

 アルフレドがそのことを理解していないわけではないと、蒼だって気付いている。同時に、それでも彼が罪悪感で動けなくなっていることも。だから彼女がエイヤと背中を蹴り飛ばすことにしたのだ。

「はいはい。とりあえずまた抱っこしてあげて」

 いつの間にか、レーベンがフィアを抱えて庭へ出てきていた。どちらもアルフレドの顔色を上目遣いで窺っている。

「あと、ルーにもちゃんと紹介しといた方がいいんじゃない?」

 こちらはジトォっとした不信感がありありとした目だった。

「ルーは小さい頃、野良犬に追いかけられたことがあるんです」

 昔話を知っているレーベンは苦笑していた。
 アルフレドがフィアを受け取ると、はち切れんばかりに尻尾が左右に動く。それを確認してアルフレドはまた涙ぐみながらも少しだけ微笑んでいた。

「ルー。こいつは俺の弟なんだ。よろしくな」

 そう話しかけられたルーは、しぶしぶだが認めよう……という風に顔を少し揺らした。

◇◇◇

「ずいぶん躾けられた大犬だねぇ」

 兵士養成の街リデオンにほど近い街で、小さな子供を連れた女性がフィアを見て驚いていた。の商売の邪魔することもなく、大人しく道ゆく人に愛想を振りまいている。

「あんたらのどっちかがテイマーかい?」

 屋台で蒸しパンとスイートポテトを購入した男性も興味深そうにしていた。

「いいえ~」
「小さい頃から育てているもので」

 蒼もレーベンもニコリと答える。なんとなく、ジッとフィアを見つめ続けるこの女性が、こちらの秘密を知っているような目をしていたので落ち着かない。

「いえねぇ。昔出入りしていたお屋敷のご子息が黒い大犬を飼っていて……その方、まだ小さいってのに流行病で亡くなってしまって……後を追うようにその犬も死んじまったって聞いてはいたんだけど……その犬の親戚かなんかかしらねぇ」

 懐かしそうにフィアを見つめる女性を見て、フィアの方も何かを思い出したように大きな尻尾を大きく振った。女性の子供が面白がってキャッキャと騒ぐ。

「ああ! カーライル家のなぁ」
 
 男性の方も思い当たる節があったのか、話に加わり始めていた。
 蒼もレーベンも、表情筋をめいいっぱい使い笑顔を絶やさないように必死だ。

(こりゃアルフレドがリデオンに近づきたがらないはずだわ)

 どうやらかなり有名な家柄なのだと知った二人は、

「あぁ! そういえば! これ、試作品なんですけどよかったら感想をいただけたら……」

 と、カヌレを一人ずつに渡して話題を変える。もちろん、珍しく甘い焼き菓子を口に入れた彼らの話題は狙い通り変わった。美味しいけどお高いんでしょう? と。

「うち、甘いものは基本的に小銅貨八枚なんです」
「このご時世にずいぶん頑張ってるなぁ!」

 気づかぬうちに、また世間の物価は上がっていっているようだった。

 お客がはけたタイミングで、フードを被った男が戻ってくる。フィアの尻尾がまたブンブンと大きく揺れていた。 

「謙遜禁止ね」
「ええ!?」
 
 蒼は呆れるようにアルフレドに告げた。アルフレドの実家、カーライル家は彼曰く、

『キメラの製造の秘密はあるけど、たいした家柄じゃあないよ』

 そしてついに白状するように、

『……ただ、その、えーっと……俺、実は戦士の末裔なんだ……そういう家だから、リデオンではデカい顔してるというか……』

 目を伏せたままだ。蒼の方は、まあそんなところだろうとは思っていた。
 大繁栄している魔法使いの末裔達の話を知っている分、蒼はなぜそれほどアルフレドが身元をひた隠しにするのかと思っていたが、フィアの話を聞いて、彼は実家と自分を完全に切り離したかったのだとわかった。
 そうやって自分を守っていた。

「とんでもなくデカい家じゃん! 皆知ってるし!」
「こ、この周辺でだけだよぉ……!」

 そうアワアワとするだけだった。
 蒼達が商売している間、アルフレドは実家や周辺の様子を探っていたが、彼が家を出た時よりさらに権力を強めているようだと、実に苦々しい顔で二人と二匹に告げる。

「このご時世ですから。そりゃあ戦士の末裔の家系となれば皆、頼りにするでしょう」

 大人二人よりも落ち着いたレーベンを見て、蒼はもう少しワーワーと言いたい気持ちを抑える。 
 
「どうする? リデオンにはこっそり入り込めそう?」
「街が栄えてる分、潜り込むのはどうにかなりそう」

 蒼達はリデオンにあるアルフレドの実家に忍び込むつもりなのだ。

『フィアを作った記録が必ず残ってる』

 アルフレドは冒険者をしていたからこそ、各地であらゆる話を聞くことができていた。彼の実家だけではなく、世界各地で似たような実験が行われているのを知ったのだ。流石に、人間を使ったなんて話は聞かなかったが。その時は、もう自分には関係ないと思っていた。だが、状況が変わった。
 
天空都市ユートレイナに専門家がいるって聞いたことがある。その人に相談すればあるいは……』

 期待しているわけではない。だが、可能性があるなら試したいことがアルフレドにはあった。

(キメラの分理か~……)

 くっつけることが出来たのだから離す方法もあるかもしれない、そう考えたのだ。もちろんそれが難しいことはわかっている。

『出来上がった料理を元の材料に戻せって言われてもね……だけど、今やれることを確認だけでもしておきたくって』

 その話を聞いていたフィアは話の内容がよくわかってはいないようだったが、兄が自分のためになにかをしようとしてくれているのだけは理解したようだった。

 作戦の決行は三日後と決まった。リデオンへと向かう一団に紛れて街の中へと入り、屋敷近くの広場で屋台を出して侵入する隙を狙うのだ。アルフレド曰く、身内以外の兵ならどうにかなるという口ぶりだった。

「やっぱりアルフレドの家族は皆強いんだ」
「敵にはしたくないね……」

 うんざりするような表情だったので、蒼もレーベンも吹き出してしまう。

「その身内も、大半が対魔王軍に加わっているらしいから。あとは運次第だよ」

 防犯のためか誰が行ったかまでは公表されていないが、それもリデオンに入ればわかるだろうと。なにより、

「一番厄介な人はいないから大丈夫」

 それだけはわかっているのか、アルフレドの表情は軽かった。

 しかし、それが勘違いだったことはすぐに判明する。

 その日の夜、三人は商売が終わった後もそれとなくカーライル家の情報を集めていた。

「久しいな!」

 その後、に帰るために人通りのない路地裏を三人で歩いていたところ、急にアルフレドが目を見開いてきた道を振り向いたのだ。彼はいつも前もって気配を察知する。だが今回は察知した瞬間に相手が現れた。

「な、なんでここに……?」

 アルフレドはなんとかその声を絞り出していた。

 月明かりに照らされたのは、アルフレドと同じ黄金の長い髪、それから朱色の瞳。月の女神のように美しい女性が、挑戦的な笑みで蒼達を見ている。

(アルフレドの家族?)

 ということはすぐにわかった。だが、アルフレドは思っていたよりずっと相手を見て動揺している。

「ああ。私が対魔王軍に入ったと思って油断していたんだろう? まあ私がいなければ後はどうとでもなると思ったんだろうが」

 実際その通りだな。と声を殺して笑っている。そうして、

「おかえりアルヴァ。私の可愛い弟よ」
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