セントエルモの火【第2回ドリーム小説大賞最終候補作】

中野ぼの

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一章 アマミヤ

3 十一番目の少年

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 それから二日間、僕は黒い海の上で船を見かける度に、その船に乗り込んだ。
 前世の僕たちは、小晴さんの言うとおり一人も欠けることなく十七歳の姿をしていて、僕が話しかけると自殺に至るまでの経過を様々な語り口で語り出した。彼らが語るのは、決まってその話だけだった。

「自殺の理由? 大好きでずっと看病してた女の子が、死んじゃったからかな。不幸にもお見舞いに行った日に死んじゃってさ、ベッドの上でのたうちまわりながら死んでいく彼女をこの目で見ちゃったんだ。いつも俺がお見舞いに行く時は元気な振りしててくれたんだろうなって……そう思ったら死ぬほど悲しくなって、実際死のうと思って、実際死んだ」
「……モデル活動してたんだけど……ずっとストーカーに付きまとわれてて……電話が一日三百回とか……辛くなって首吊ったの」
「なんか、なんとなく世界がつまんなくて自殺したわ。別に不幸な境遇とかじゃなかったわよ。強いて言うなら、友達がいなかったわね」
「クスリなんてやんなきゃよかった……。死んでから来世の記憶の中で後悔するなんて……ほんと馬鹿みたい」

 十一番目に乗り込んだ船は、これまでに乗ったどの船よりも小綺麗で設備がしっかりしていた。設備なんて、記憶の海でしかないこの世界には不要なものだろうけれど、それらは新しければ新しいほど近い前世であるということを僕に伝えるために存在している。十二番目の船は依然として姿を見せないが、どうやらこの船は、今僕が探れる範囲での一番近い前世の持ち船であるらしかった。

「やあ、待ってたよ」

 十一番目の僕は、これまでの前世たちとは違って船室に佇むのではなく、甲板に立って僕を待ち構えていた。

「君は、十一番目かい?」
「そうさ。名前は、いぬいっていう。短い間だろうけど、よろしくね」

 乾くんはすらりと背の高い、爽やかでハンサムな男だった。上下冬物のジャージを着用し、頭はツンツンと逆立った茶色い短髪で、引き締まった肌も浅黒い。その外見だけで生前はなにかスポーツに明け暮れていたんだろうということが見て取れた。

「僕はアマミヤ」
「そうか、アマミヤ。俺以外の前世には、他に誰と会った?」
「君が最後だよ、今のところは」
「今のところっつーと?」
「僕は十三番目になるんだけど、一番新しいはずの十二番目の僕がどこにもいないんだ。乾くん、なにか知らない?」
「十二番目?」

 乾くんは腕を組み、首をひねった。

「悪いけど、十二番目ってことは俺の来世だろ? 俺や他の連中が知ってるわけはねえや」
「でも十一番目の君だけは、セントエルモの火としての十二番目の僕に会ってるはずなんだ。もしかしたらって思ったんだけど」
「自殺する寸前に見るっていう光のことか? やっぱ悪いけど、記憶にないな。他のやつらも同じだろ?」

 彼の言うとおりだ。はじめから期待はしていなかった。
 僕の前世たちは、決してここに生きているわけではない。既に死んだ者として僕の記憶の中に存在してるだけだ。生きてから死ぬまでの語り部としてこの海を漂っているだけであり、自分の人生で精一杯だった彼らに、前世や来世のことなどは頭の片隅にすら残らない。もちろん僕の前世たちも生きている時は今の僕と同様追憶の航海を繰り返してきたのだろうが、死んでしまった以上ここには自分が生きた証のみを持つ前世だけが佇む。これまでに出会った他のみんなも、そうだった。

「そうだよね。君たちには、自分の記憶しかない」
「どうして自殺しなくちゃならなかったのかってことばっかな、悔しいのか悲しいのか知らんけどさ、覚えてんだよな。他のやつらもそうか?」
「そうだね。自殺した時のままの姿だから、みんな口が重くて、君みたいに明るいのははじめてだよ。船の中に誰もいない時もあったくらいだし」
「誰もいない?」
「たぶん、一番目の僕。ぼろぼろの船の中は幽霊船みたいで、待ってても誰かが戻ってくる気配はなかった。でもそんなに気にしちゃいないよ。十二番目とは違って問題なく船には出会えたわけだし、他の船でも船室の隅っこにわざわざ隠れるくらい内気な子もいたから。いつか、一番目の僕には会えると思う」
「でも、お前には時間がないんだろ?」

 僕は、ぐっと下唇を噛み締めた。あっちの世界での苦痛と絶望が、胸の中でざわめいた。

「もしかしたら、君で最後かもしれない」

 こっちの世界に来る直前、僕は窓を開けて見えない風景を眺めていた。僕自身から届いたあの手紙が妙に気になり、必死に目を凝らして手をつなぐ人々を見ようとした。たぶん見えてしまったんだと思う。ふと、死にたくなった。猛烈に、死にたくなった。あの世界に戻った途端に僕はそのまま窓から身を投げるかもしれない。

「そうか。じゃあ、話は短く済ませないとな。まだ会ってないやつが俺の他に二人もいるんじゃ」

 乾くんはポケットに両手を突っ込み、甲板の手すりに寄りかかった。

「ううん。いいんだ。今は、せっかく出会えた君の話をゆっくり聞きたいんだ。君がどうして自殺したのかを」
「ゆっくりっつーけど、短いぜ俺の人生なんか。そういえば、アマミヤはなんで自殺しそうなんだ?」
「……病気がつらいんだ。僕に理由を尋ねてきたのは、君が初めてだよ」
「やっぱり病気、か。いや、俺って人間は、どうやら生前かなり勘のするどいやつだったみたいでね、なんとなくそんな気がしたんだよ。俺も、病気がしんどくなって自殺してさ」

 僕は驚いて彼を見つめた。細身だけれど無駄な肉のついていない小麦色の肌は、健康そのものに見えた。僕のように体を動かすということをそもそも知らない人間とは人種すら違うように感じる。

「中二の時に、姉ちゃんが強盗に殺されて死んだ」

 なにもない夜空を見上げながら、彼はあっけらかんとした、渇ききった口調で言ってのけた。

「殺人事件って、意外とニュースになんないのな。犯人もあっさり捕まったし、お昼のヘッドラインで二分だけ淡々と報道されてこの事件は終わったよ。でも俺の転落人生は間違いなくここからだったなあ。まず母ちゃんが過労で入院するだろ。で、なんとかして家族を支えようとした父ちゃんが体壊して入院するだろ。俺のバイト代や親戚からの援助でも生活きつくてな。つか、普通に姉ちゃんのこと大好きだったからなによりそれがきついよな。そうそう、五歳下の弟もいたんだけど、こいつが特に姉ちゃんのこと慕っててなあ。ほら、歳の離れた姉弟って仲良かったりするだろ? 明るかった弟もすっかり塞ぎ込んじまってな。学校なんか行きたくないとか言うからよ、俺も感情的になってめちゃくちゃ泣きながらあいつを叱咤激励したよね。お前だけが辛いんじゃない、みんな辛いんだよって、今考えればその時まだ小学生だった弟にはきつかったよなあ。まあでも根は強いやつだったから、その日は泣きながらも学校行ってくれたんだ。それで俺も遅れて学校行こうと家出ようとしたら、トゥルルルって電話が鳴ってな。通学途中にトラックに轢かれて弟が死んだんだと」

 彼は言葉を区切ることなく続けた。

「事故か自殺か。もしかしたら衝動的にトラックに飛び込んだのかもしれねえ。真相はわからなかったけど、弟を叱咤激励しちまったのは俺だ。自責の念で気が狂いそうになったよ。いや、でも俺マジ強い人間なんだぜ? それでも俺へこたれなかったから。母ちゃんは完全にダメになって入院しっ放しになったけど、父ちゃんは仕事に復帰してたし、俺は父ちゃんのことは尊敬するよ。日に日に父ちゃんの目力強くなってったもん。絶対に俺がこの家族を守ってやるんだって、そんなこと言わなかったけどそういう目してたよ。そんな父ちゃんのおかげかもな、俺が正気を保ってられたのも。父ちゃんのためにも頑張って生きなきゃって思ったのさ。そしたらよ、また急展開だぜ。今度は俺が病気」

 彼は親指で自らの胸を差し、白い歯を見せながら僕に笑いかけたが、僕に返す言葉は見つからなかった。

「俺、中学ん時からマラソンランナーやってたんだよ。その影響か知らんけどよ、骨肉腫だってさ骨肉腫。わかる? いや、俺もちゃんと医者の説明聞いてなかったからよくわかんないんだけど、まあ骨の癌みたいなもんでさ。腫瘍が広がらないうちに脚切り落とさなきゃ命に関わるって。まじ、なにこれありえねえって思ったわ。なんかさ、ああもういいやって思った」

 ああもういいやって、思ったんだ。彼は何度もそのフレーズを繰り返した。

「もういいや。ってさ」

 その感覚は大いに身に覚えがある。がんばって、がんばって、自分に鞭打ってなにかに耐えていても、一度我に帰った途端に泡みたいにぜんぶ気持ちが弾け飛ぶ。つらい中がんばろうと思う気持ちなんて、ぜんぶ中身のない泡なんだ。あっちの世界の僕はそれをよく知っている。

「それで、自殺した?」
「おう。なんというか、考えてした自殺じゃねえな。俺が死んで母ちゃんがどうなるかとか、逆に俺が生きることで入院代とか手術代とか介護とかでどんだけ父ちゃんが苦労するかなとか、そういうの全く頭になかったね。これも、繰り返す自殺の輪廻のおかげかね? ほとんど衝動的に当たり前に首括れたよ俺は。もういいだろ俺よくがんばった、ってさ」

 そうだ、もういいんだ。
 僕らは同じ十七年間を繰り返し、同じ自殺を繰り返し、死の道をひた歩くことに体のどこかできっと慣れている。「どうせ」っていう言葉が自分の命なんか軽くさせるんだ。

「ひどいね」

 ぽつりと、言葉が衝いて出た。

「なんなんだろう、僕たち。一体誰が僕らにこんな思いをさせてるの? 誰が、なにをどういじって、僕らに自殺なんか繰り返させてるんだよ。僕たちがなにしたっていうんだよ」
「しゃあないさ。俺は死んだし、俺の前の十人も死んだし、お前も死ぬんだろ? 自殺なぶん、まだましじゃねえか。死を覚悟して死ねるんだからな。これが毎回殺されるとか事故死の運命だったら、それこそ気が狂う」

 彼は初めて表情を曇らせた。突然命を奪われてしまった、姉と弟のことを思い出しているのだろう。確かに彼の壮絶な人生においては、彼自身の自殺なんて大したことではなかったのかもしれない。

「乾くんは、今まで出会った前世の中でも一番明るいよ。誰よりも辛い人生なのに」
「ははは。ダントツできつい運命だから、なんとか十七歳まで耐えきれるようにずぶとい性格に神様が設定したんじゃね?」

 彼は皮肉っぽく笑った。

「やっぱ前言撤回。自殺がましなわけねえよな。たった十七歳で死ぬのを覚悟するってのは、短い人生の間に楽しいことなんか数えるほどしかなかったってことだもんな。悪かったな、まだお前は生きてんのに無神経だった」
「いいよ。この世界では生きてるも死んでるもないから。それに、どうせ僕今日中には死ぬよ」

 乾くんと話していたら、ますます死の予感が強くなってきた。彼のような強い人間でも逆らえないのがこの運命なら、脆弱な僕なんかがここまで耐えられたのが不思議なくらいだ。

「アマミヤ、お前、いつから病気やってんの?」

 今度は、彼が僕に質問する番だった。

「幼稚園くらいから。そのまま入院したから学校には行ってない。院内学級はあったけど、ほんとの学校とは全然違うってのはわかってる。テレビで学園ドラマを見るのが好きだったよ」
「学校、行きたかったの?」
「それはそうだよ」
「別に楽しいとこじゃないけどねえ」

 毎日学校に行くのが当たり前だった人にとっては、きっとそうなんだろう。

「それに、年内行事とかも憧れだった。七五三とかクリスマスとか初詣とか。気を遣って病院で似たようなイベントはやってくれるけど、外の世界でみんながやってることとは全然違うんだろうなって思ったらあまり楽しめなかった」
「……七五三、か」

 なぜか彼はそこで首を傾げた。

「アマミヤさ、千歳飴って食べたことある?」
「え?」
「千歳飴だよ。擬似的にでも、七五三やったんだろ?」

 記憶の中の両親が、病床の僕に鮮やかな柄の紙袋を渡している。五歳の僕はそれがいいものだとわかっていて、わぁいと喜ぶのだった。

「食べたよ。大好きだった」
「ってことは、やっぱり甘かったのか?」

 今度は僕が首を傾げた。彼がなにを言っているのかわからない。

「甘くない千歳飴なんかあるの?」
「おお、五歳の時のしか覚えてないけど、俺の食ったやつはめちゃくちゃ苦かったぞ。他のみんなが甘い甘い言ってるのが不思議でしょうがなかった。自殺する間際になって、今まで俺は十一回も七五三やってきたからいい加減苦く感じんのかなって思ったんだけど、十三番目のお前が甘かったっていうんだから関係ないか。ただの腐った飴だったのかもな」

 苦笑して彼は一人で納得した。そういえば、千歳飴はその名前のとおり長寿を祝って食べるものだと聞いた。細く、長く、人生を。僕らにとっては、なんとも皮肉な飴だ。苦く感じるのも当然かもしれない。

「つまり、お前は物心ついた時にはもう病院だったってことか」
「うん。僕の十七年間はほとんど病院だよ」
「そうか……。生きてる時の俺がどう思ったかはわからねえけど、少なくとも今俺は、俺の人生よりお前の人生のが辛いだろうなって思うよ」

 意外な言葉だった。

「そんなことないよ。僕の人生なんて、君に比べたらなんにもなくて、淡々としてて、つまらない病院そのものみたいな人生だよ」
「なんにもないのは、辛いだろ」

 彼の目は真剣だった。

「お前に比べりゃ俺の人生は波瀾万丈で飽きなかったぜ。さっきはつまんねえって言ったけど、病院よりは学校のがよっぽど楽しいわけだし。あ、すまん、また無神経だったな」
「ううん」

 やっぱり楽しいのか。きっと、色んな人間がいるんだろう。
 学園ドラマには男子と女子がいて、なに不自由なく思春期ってものを満喫している彼らは、お互いに異性を意識しはじめたりする。
 目を合わせたり、恥ずかしくなったり、手を繋いだり、恋人になったり。
 僕にはそういう記憶はない。思春期が僕の心に前向きな変化をもたらしてくれるほど、僕の心に余裕などなかった。
 やっぱり、乾くんにも気になる女の子とかいたのだろうか。ふと、脳裏に小晴さんの顔が横切った。

「……好きな人とか、いたのかい?」

 僕の質問は、きっと彼にとっては唐突だっただろう。それでも聞いておきたかった。
 確かに彼の言うとおり僕の人生はなんにもなくてドラマチックなことなど起こりえなかった。なんにもないことを、なんにもない状態の僕がつらいと感じることはない。けれど、波瀾万丈だった彼がそんな僕に同情を寄せるのなら。聞かせて欲しい。僕が本やテレビの中でしか知らない、恋というものは、どういうふうに始まってどういうふうに感じるのかを。

「またお前、いきなり変なこと訊くなぁ」
「別にいいじゃん」

 まるで十年来の友達のように僕らは笑い合った。あながちその表現は間違っていないかもしれない。僕の前世たちはずっと、僕の中に存在していたのだ。

「たとえるとだな」

 乾くんは腕を組み、神妙な顔つきになった。

「そっと、静かにな、耳にかかった髪がほんの少し揺れるくらいの微かな風みたいに、そういう感情はいきなり俺のとなりを掠めていくんだよな」

 どこか渇いているような印象だった彼の顔に、この時はじめて潤いが宿った。話しているうちにどんどん乾くんは表情が豊かになっていく。

「なんだよ、そんな意外そうな顔すんなよ」
「あ、ごめん。でも、風か。うん、なんとなくわかるよ。風って、その時に合わせて誰かが吹かせてるのかなあ。千歳飴を舐めた時も、余命が短いことを知らされた時も、なんだか僕は風を感じたよ。耳のあたりをゴウッと」
「それそれ。おんなじだよ。教室ってわかるか? テレビで見たことくらいはあるよな。女の子が教室の一番前の席にいてな、俺は一番後ろにいるんだよ。ふと、その風がな、いっぱいある机と椅子をすり抜けて、するするするする足元から耳たぶを通っていくんだよ。あ、あの子の髪、きれいだな。そんな風。たまに横顔が見えると、もう耳たぶが燃えるくらいの熱い風になってな」
「恋をしたんだ」
「そうだな。恋だけで終わる、さみしいそよ風だったわ」

 想い人の姿をそこに浮かべるように、彼は遠く空を見上げた。

「風を、つかめなかった?」
「そんなところだ。俺もわかってたんじゃねぇかな。家族も俺も大変な中、得体の知れん甘々な風なんぞに吹かれてる場合じゃないってさ。だから俺、その子の恋の応援ばっかしてたよ」
「それは、乾くんじゃない別の相手?」
「恋愛ってやつはな、最初から相思相愛なんてことはほぼないんだよ。風は一方的に吹くもんだろ? テレビドラマとは違う」
「いや、作り話でも大抵はそういうものだったよ。なんだ、ああいう作り話は、嘘ばかりじゃないんだね」
「まあ、恋愛に関しちゃそうなのかもな。あの子が意中の人にメールを送るのが怖いとか言うからさ、俺が文面考えてあげたりしたもんだよ。そういう俺が俺自身も心地良かったんだろうよ」
「じゃあその間ずっと風は吹きっぱなしだったんだろうね。耳、いい加減出血しなかった?」

 珍しくふざけて僕は尋ねた。しかし彼は、饒舌だった舌を急に引っ込めて、眉根をよせてなにか思考に没頭していた。

「ごめん、気に障った?」
「いや、そんなんじゃない。……なんか俺、思い出しかけてさ。メール……そう、メール……必死に考えたメール……俺もだれかに送ったな」
「その、好きだった子にじゃないの?」
「違うな……。そうだ、死ぬ間際……首を吊る直前……俺の来世に送ったんだ」

 彼の言葉の意味することがわからず、僕はまばたきするしかなかった。
 そんな僕の視界を、唐突にあの〝滝〟が遮ってきた。僕をあっちの世界へと巻き込む激流だ。どうやら、時間がないようだった。くそ、まだまだ話したりないのに。

「来世って? だって君は、いや君だけじゃないけど、ここにいる僕の前世たちは自分が自殺するまでの現実世界で生きた記憶しか残らない。そうじゃなかったの?」
「そうだ。自殺した俺は、前世や来世のことなんか何も知らない。正確には、自殺っていう選択があまりにつらすぎてその記憶ばっかここには残ることになるから、自分以外の自分の人生が頭の片隅にでも残るなんてことはねえ。ここはお前の追憶の世界なんだ。前世一人一人が一人一人の記憶しか持たなくて当然だ。だから……つまり、俺は……自殺する過程において、どっかで俺の来世と深く関わったってことか? ここにいる俺の中に残っちまうくらいに?」

 乾くんは苦悶の表情を浮かべた。

「来世って誰だよ? まさか十二番目? それともまさか僕? だいたいメールってどういうこと? 来世にメールなんか送れるの?」

 僕は、病床の携帯電話に送られてきた「僕からの」メールのことを思い出していた。窓の外を見ろという、あの謎のメールは、もしかして彼からのメールだったんじゃないか。理由も根拠もわからない。なぜ今になってメールが届いたのかもわからない。けれど、僕と乾くんが生きた時代に時差が全くないのなら、メールが届くということもありえる気がしたのだ。

「わからねえ。思い出せない。でも、なにか必死になってたんだ俺は。じゃなきゃ微かにでも記憶に残るはずがねえ。俺の十七年間で必要なことだったのか? ここに残るくらい、必要なメールだったのか? くそっ、思い出せ」
「乾くん」

 僕の叫びは掠れて金切り声になった。
 もう、だめだった。
 もがこうと必死に伸ばした腕は水流にひきちぎられ、洗濯機に放り込まれたみたいに全身がねじられながら遠くへ遠くへ巻き込まれていく。
 あの世界への帰還。そしてこの世界の終末。
 ああこれが最後だと、かき混ぜられていく黒い風景を眺めてそう悟った。結局前世を探ることすら僕にはままならないんだという絶望の余韻が現実世界へと響いていく。まだ完全に帰還しちゃいないのに僕には早くもそれがわかってしまった。僕の体は既に病室に待機していて、別世界だろうがどこの世界だろうが生きる意志とやらをカラカラに干上がらせようとしている。いくらでもつらい思いをしてやろうという気持ちになっている。
 ああ、これが、死にたいという気持ち――。
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