セントエルモの火【第2回ドリーム小説大賞最終候補作】

中野ぼの

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一章 アマミヤ

2 十二人の死にたい前世たちのもとへ

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 携帯電話を握りしめたままの状態で、僕はベッドの上に横たわっていた。
 水にのまれて、一瞬だけ呼吸ができなくなって、やっと空気を見つけて勢いよく息を吐き出すと、僕は無数のチューブでベッドに縛り付けられた僕へと戻る。すべてがいつもと同じだった。
 ――戻って、きたのか。こっちの世界に……。
 ふわふわと浮遊していたはずの意識は鉛のように重みを取り戻し、その鉛は赤熱して僕の喉を焼きつかせて、たまらず咳をすればギシギシと肺がきしむ。
 いつもどおりの僕の体。
 早く死んでしまいたいと思わせる、僕の体。
 病室の掛け時計は、僕があっちの世界に旅立ってから一分も過ぎていないことを示している。
 今まではちゃんと考えたこともなかったが、小晴さんの言っていたとおり、あっちの世界は繰り返す十七年間への追憶なんだから、こっちの世界の時が進まないのは当たり前なんだ。
 僕は、何回も何回も自殺して、輪廻転生を繰り返す生き物。
 生きたいと願いながら死ぬことで、頼んでもいないのに転生させられる生き物。
 光を信じてせっかく生まれ変わったのに、結局自殺を選ぶ生き物。
 涙ではない、こみ上げるものが何か頭のてっぺんに突き上げてきて、僕は腕で両目を覆った。その時、握りしめていた携帯電話に着信を示すランプが点滅しているのに気づいて、画面を開いた。
『君は病室の窓からなにを見てる? 自分には手の届かない、絵画のようにその風景を見てたりはしない? そこから見える風景はすごくふつうなんだよ。ほら、手をつなぐ男の子と女の子を見てみて。二人がばいばいする瞬間を見てみて。そのあとの二人を目で追ってみて。なにかが、見えてくるよ』
 迷惑メールではなかった。差出人は、先ほど変えたばかりの僕のアドレスと一緒だった。
 ……僕のアドレスと、一緒?
 どういう、ことだろう。
 不思議なメールだ。
 こっちの世界では思考を巡らせることすら体を痛めつけることになるから、僕は深く考えられなかった。ただ、なんとなく、これは小晴さんからのメールなんじゃないかと思った。
 違う時間軸の並行世界にいるっていう、来世の僕からの手紙。それならアドレスが同じなのもなんとなく辻褄が合う気がするし、これは小晴さんの話が真実だという証拠そのものになるような気がした。果たして別の世界にいる人間からメールを送る手段があるのかどうか疑問だけれど……小晴さんに訊ねるわけにもいかないだろう。彼女は生きている人間じゃない。ただのセントエルモの火なんだから。
 でも、手紙の内容は酷だ。どうしてこんな手紙が今の僕に送られてくるのかさっぱりわからない。
 手を延ばして窓を開けることはできる、上半身だけなら何とか持ち上げることもできる、けれど、僕の視力では遠くの人波なんてまともに捉えられやしない。横断歩道を人が渡っているのは見える。男女の区別もかろうじてできる。でもこのメールが言っている、手をつなぐ男と女の細やかな仕草なんていくら目で追っても僕には判らない。だから、いつからか僕は窓を開けなくなったんだ。このメールの言うとおり、自分には手の届かない絵画にしか思えなくてむなしかったから。
 この絶望感。
 そうだ、この感覚がこっちの世界にはあるんだ。
 あっちの世界に行く度に僕はそれを手放して、幸福にも忘れ去ることができて、けれど現実に帰還する度に不幸にもベッドに縛り付けられる絶望を突き付けられてしまう。解放感と絶望感を生きている限り何度も何度も繰り返すんだ。
 結局なにをしても「どうせ死ぬんだし」が付きまとう、不自由な体。生き続けているかぎりこの呪縛から逃れることはできない。僕の前世たちが待つ追憶の世界に飛び込むか、それともこの世界が決して認めることのない自殺の道を選ぶか。ふたつにひとつ。そして既にもう、僕の覚悟は決まっている。
 起き上がろうと思えばまだ言うことを聞いてしまう僕の体は、まだ限界じゃないということを物語っている。このまま、あと数ヶ月は生き続けてしまう。この辛さが――命の賞味期限までだらだらと続く。
 耐えられるはずがない。だから僕は今日ついに、セントエルモの火を見たんだ。
 命の限界はまだだ。でも僕の限界はもうすぐそこだ。その日が来るまでに、あっちの世界でやらなくちゃいけないことがある。
 十二人の僕全員と、出会うんだ。
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