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幕間 1

そして、私が知らない話。

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 体が重く感じるほどにどろりとまとわりつく汚泥の中を、ひたすらにもがいているような、不快感。


 息が苦しい。空気を求めようにも、体が自分のものではないくらい重く、動かない。目は見えなくて、ここがどこかもわからない。何かにすがりたいのに、上も下もわからないのだ。


 時折遠くにチラチラと光が見えるが、ふっと薄明るくなっては、また闇に飲まれる。


 意識があるような、ないような、あいまいな時間だけが過ぎていく。


 どのくらいの時間がたったのかもわからなくなったころ、ふっと、右手が軽くなった。暗くて何も見えなかった空間が、徐々に明るくなっていくにつれて、息が楽になっていく。


 それと同時に、体がギシギシと音を立てている。痛みは不思議とないのだが、あるべきものが正しい場所に組み替えられているような、一つ一つ終わるごとに体が軽くなっていく。


「──ッ」


 息が、吸える。

 すぅ と、いともたやすく。


 浅く必死に呼吸を繰り返していた苦しさがウソのように、吸った空気が体中にめぐる。



 心臓が力強く脈打ち、めぐる血が脳を急速に覚醒させる。

 ぱっと見開いた目に映ったのは、見慣れた天幕。



「……ここ……は……私は、たすかっ……た、のか?」

 何とか出した声は、ひどくかすれていた。

 わっと、視界に見慣れた顔がいくつも入ってきた。皆口々に、よかったよかったと同じようなことを言い、泣いているものもいる。


「魔獣は、どうなった!?」

「閣下が対峙された魔獣は、自爆し、果てた模様です。スタンピードは収束しました!」

「そうか、マーティスとハネットは?」

「……マーティス様と、ハネット様は……閣下を助け出すのが精いっぱいだったと……前線から戻られたのは、閣下と回復魔法が使える水魔法使いのルードほか四名でした……」


 マーティスは辺境伯旗下(きか)の騎士団の団長であり、アレクライトの右腕だった騎士だ。ハネットは、ギルドの副長で有能な魔法使いだった。二人ともこれまで何度も一緒にスタンピードを防いだ武人でもある。


「ほかのものの怪我は」

「はい! 領都へ報告に行ったロゼルトが素晴らしく有能な回復魔法使いの女性を連れて帰ってまいりまして、ほぼみな完治しております!」

「たった一人で陣の怪我人をすべて治してしまったんですよ!」

「閣下の怪我も彼女が! って、あの女性は……ぎゃああああ!! おい倒れてるぞ!」

「えっ!?」

「ちょっ どうする!? 俺たちが触っていいのか!?」

「ロゼルト呼んで来い!」


 アレクライトを囲んでいた男たちの一角がざっと割れて、天幕内で踏み固められているとはいえ地面の上にくったりと女性が倒れている。

 長く艶やかな髪が広がり、目を閉じてもわかるほどの美貌をうかがわせる小作りな顔は青白く、人形のようだ。


 ばたばたと数人が天幕から出て、大声でロゼルトを呼んでいる。ほどなく当人が駆け付けたのか、早く早くと急かす声が聞こえる。


「どうした!? 閣下になにか!? え? リリアーネ嬢!? でも髪が……」

「こちらへ! 地べたよりましだ」

 この天幕はアレクライト用にあつらえられているので、当然だがベッドは一つきりだ。作戦会議をするためのテーブルに誰かがマントを敷いたのをみて、次々とそこにマントが重なっていく。

 ほかに場所はないので、簡易のベッドとも言えないそこに移す。

「回復魔法使えるやつ連れてきたぞ!」

 ぎゃあぎゃあと大騒ぎしながら男たちが右往左往している。相当疲れた顔をした回復魔法の使い手が彼女に手をかざし手下した診断は。


「おそらく魔力枯渇で眠ってるだけですよ。みんなのこと治してくれた子ですよね。マナポーショングビグビやってたから、たぶんそっちにも酔ったんだと思います。追加でポーション飲ませるより、このまま休ませてあげた方がいいですよ」


 その言葉に男たちがほっと肩の力を抜いている。


「おい」

 一瞬緩んだ空気が、アレクライトの声にまたぴしっと締まる。


「彼女は、誰だ?」


「はっ! 閣下が前線で大怪我を負われたことを領都お屋敷へ伝達に行ったところ、その、玄関先におられました方で、リリアーネ様と。怪我のことを聞いて、治癒魔法が使えるからとこちらへご同行くださいました。セバス様が彼女に最上級のマナポーションを渡しておられましたし……あの、お知り合いでは?」


 倒れていた彼女を抱き上げて机の上に寝かせたロゼルトが、直立の姿勢で報告する。


「リリ、アーネ? 彼女が、名乗ったのか?」

「え? あ、はい……いえ、セバス様が、『なぜここにリリアーネ様が?』と、周りのものに尋ねておられました……ので……その」


 リリアーネは、予定通りならアレクライトが館を発つ日に到着していたはずなので、いてもおかしくはない。


 だが。

 髪がふと房、机からこぼれて垂れている。

 その髪の色は、鮮やかなピンクブロンド。


 アレクライトは一度もリリアーネを見たことはない。しかし、伝え聞いた彼女の髪は、濃いめの金髪だ。こんな色ではないはずなのだ。


 言いよどんだロゼルトをアレクライトが視線だけで促す。


「髪の色が。こちらへ来る前……いえ、自分が見たのはこの天幕に入るまで、ですが、確か、リリアーネ嬢の髪は、もっと濃い金髪であったと」


 目は閉じられているので何色かはわからない。だが、明らかに髪の色が変化していたのだ。



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