やさしいキスの見つけ方

神室さち

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君は僕に似ている

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 一言も回答のない答案用紙に、はみ出るような花丸。花丸の中身は五回ぐるぐると渦巻いている。
「記憶には残ってても、印象に残った授業なかったし」
 定食についていた味噌汁に口をつけ、あっさり言う。
「僕のより、字数少ない方が評価高いとか……」
 真吾が、がっくりしながらも、こちらも食べることはやめない。
「アレだろ。あの女、かなりめんどくさがりだから、あんまり書かれてウザかったんじゃね?」
「お、姉弟(きょうだい)だからわかるってか? ってか、ホントに姉弟なのか?」
「半分。母親が違う」
「ふーん。ま、俺も兄弟姉妹今んとこ六人ほどいるけど、みんな母親違うし。別に珍しくもねぇな。でもさ、マジ知らなかったわけ?」
 あれだけ喋ってふざけて、人の数倍量あったにもかかわらずすでに速人の皿は空になっている。答案を礼良に返しつつ当然の疑問を投げかける。
「姉もいるってことは知ってた。けど、俺が生まれるより大分前に離婚してあの女は母親の方に引き取られてたし、家には兄しかいなかったから正真正銘一遍(いっぺん)も会ったこともねぇよ」
「ああ、なら今はお前の母親が本妻?」
「……俺の母親はいない」
 少し開いた間は、口の中の物を飲み下すために必要な時間だったのだが、質問と答えがかなり微妙なズレを生じさせていたので、周りの三人はそうは取らなかった。
「えー ってぇと」
「それこそ、生まれてこの方、自分の『母親』には会ったこともない。顔も知らん。先に言っとくけど、写真もない。今どこで何をしてるのかも知らん」
 言い切って礼良は、哉がつついていたせいで山盛りだったにもかかわらず、すでに申し訳程度しか残っていないキャベツを箸で掴んで皿を空にする。ほぼ同時に、哉がオムソバを食べ終わって静かに手を合わせているのを見て、真吾が慌ててご飯とみそ汁の残りをかきこんだ。
 何となく会話のないまま、各々小銭を置いて店を出る。食べ終わった者から去る。美味くて量の多い食事を提供してくれる店に対して、回転率を上げるためにダラダラと長居をしないのも、生徒たちに受け継がれているルールだ。
「あー なんか。イナリ君が仮面優等生だった理由の一端を垣間見た気分」
「バカか。俺はそんなに単純じゃねぇ」
「一端っつったじゃん。んじゃなに? 誰に育ててもらったわけ? まさか乳母とか?」
 一人手ぶらの速人が、頭の後ろで両手を組んで歩きながら尋ねる。
「いや、執事」
「今時いるの!? 執事とか!! 羊じゃなくて執事!?」
「あとはあの女の母親。忙しい人だったからひと月に一回くらいだけど様子見に来てくれてたな。ちなみに全然似てねぇ」
 大げさに驚いている速人を放置して、後半はどちらかと言うと哉に聞かせるつもりで礼良は言葉を続けた。
「ふーん。なんかよくわかんねぇけど、ふーん」
「あ、あのさ、小さいころとか、聞かなかったの? 母親の事とか」
 考えることを放棄するように『ふーん』を繰り返す速人の向こう側を歩いていた真吾が、おずおずと発言をする。
「聞かなかったな。別に知りたいとも思わなかった。いないのが当たり前だったからな」
 本当は母親の存在を北條響子と誤解し、真実を知った時にはもう誰にも聞けなかっただけなのだが、言い切ってしまえばこちらの方が真実になる。
「なんかそれは、なんて言うかさ、うるさいしウザイけど、普通の母親がいる環境で育った僕には全部わかることはできないし、それが当たり前なら、やっぱりそういう結論になるのは、仕方ないのかなとか思う。でも、今からでも聞けないのか? だって、自分の事産んだ人だし、えーっと、物理的につながるルートみたいなもんじゃないか、母親って」
「聞きたくもないな。今更」
 一生懸命思いを伝えても、にべもなく言い切られて、真吾が小さくそうかと言って引き下がる。
 真吾が体育祭の前に根拠が明確ではなく、頼りないのに鋭い指摘を繰り出してくれたことを思い出す。
 あの時も、真吾は不器用なりにも的確に踏み込みながら、下手に近づいてきたりせず、すっと離れすぎない距離をとっていた。その辺りのさじ加減は、彼の言うとおり、当たり前に両親が揃い、年の離れていない弟たちと喧嘩をしながらも仲良く成長していく中で培われたものだろう。
 沈黙に、重ねて謝ろうと口を開いた真吾を制するように、礼良が先に言葉を紡ぐ。
「鋭いんだか、鈍いんだか分からないな、真吾は」
「……伊達に一年と三ヶ月以上、同室やってたわけじゃないし。でも……いや、なんでもない」
 これで魘(うな)されて起きる回数が減ればいいなと続けようとしてやめたが、言葉にしなくても伝わったのか、礼良が唇の片方だけを上げるような笑い方をした後、真吾の髪をぐりぐりかき回す。
「わ、やめっ! お前らホント人の頭なんだと思ってんだよ!」
「いや、高さ的にちょうどいいし?」
「そうそう、適度な寝癖もいい感じ。哉はなー やっても反応薄いし、髪サラサラだからすぐ元通りだからつまんねぇし」
 言いながら、速人が哉の髪をかき回すが、手を離した途端、一般の男子中学生にしては長めの髪は、形状記憶の様にあっさり元通りになる。
「触るな鬱陶しい」
「うわ。意訳キタ」
「あながち意訳じゃなさそうだけど?」
 哉の無言を通訳する礼良に速人が茶々をいれるが、真吾の言うとおり、速人に触られるのがイヤなのか、哉がするすると礼良が盾になる位置に移動している。
「お前、嫌なら最初からイヤって言えばいいだろうが。って言うか、もうちょっと喋れ。自分で」
「速人の為に無駄なエネルギーは消費しない」
「あー そう。じゃあ礼良や真吾にはちゃんと応えるのか?」
 礼良の影にすっぽり収まっている哉を見据えて速人が問う。
「応えるよな? 哉」
 間髪ないタイミングで真吾が哉に問いかけると、こくんと目に見えて首が振れた。その首が元に戻るのを待って、今度は礼良が問う。
「応えるよなぁ?」
「……なに?」
 さらには礼良の問いかけには言葉で返した哉に、速人はケッと不貞腐れた様子だ。
「ナニじゃねぇ なんだその格差。今年も家に帰らないんならウチに呼んでやろうかと思ったけど却下だ却下」
「哉、今年も帰らないのか? 家」
 真吾の問いに、頷きが一つ。


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