やさしいキスの見つけ方

神室さち

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君は僕に似ている

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前回同様。
 ただの白い紙を前にして、礼良は生まれてこの方初めて、テストの答案に苦慮していた。
 目の前の黒板には、今回のテストの問題が三センチ程に折った白いチョークの幅を使った文字で、でかでかと書かれている。
 B四判のわら半紙。
 渡された時は、完全な白紙。
 左上に教科名、右上に学年クラス、氏名。そこにすら別段のワクなどもない。口頭で『ここらへんに名前とか書いてねー』である。
 そこまで書いて、シャープペンシルはくるくると手の上で回っている。
 テストが行われている室内は、カリカリと文字を書く音にあふれていて、とても静寂とは程遠い。
 くるんとシャープペンシルを回して、ペンを持つ。
 テストの題目は『今学期の社会科で一番印象に残った授業の内容とその感想』である。
 最初の授業、実冴の開口一番からすべて覚えているが、どれもこれもどうでもいいことばかりで、印象などどれも同じだ。一番も二番もない。
 どうせなので、最初から胡麻粒大の文字ですべての授業内容をこの白紙に書けるだけ書いてやろうかとも思ったが、それでは『一番』『印象に残った』と言う点で及第ではない。中間テストでは知る限りのスパイスの名前にカレーに分類される料理全種類、その調理方法まで全部羅列してやったのに『それはおいしいカレーの作り方じゃない』と一刀両断された。正確なレシピで正確に作ったものが不味いわけがなかろうがと思うが、この手の『明確な正解のない問題』は、要は採点者の心ひとつで結果が出るものなのだ。
 ならば何を書こうがどうでもいいのではないか。そんな堂々巡りは、親指を回るシャープペンシルの動きと連動する。
 興味を引いたような内容はなかったと一言書けば『中身』は満足するだろう。
 しかし、それはすなわち『外側』の敗北でもある。そんなことは、優等生な『外側』の矜持が許さないと『中身』を締め付ける。
 どれでもいいから適当に選んでそれらしく書いてしまえばおしまいだと、そんなことは分かりきっているのに、そうすると今度は『中身』があの女の掌で踊らされることに反発する。
 三カ月近くを費やして、実冴は確実に礼良の何かを引きずり出すことに成功している。知識を大量に詰め込んで、計算能力に長け、それなりの応用力を身につけていようと、結局はこの世に生まれてたったの十四年なのだ。亀の甲より年の功。年長者にはただ生きていた、それだけでもインターバルがあることに、これまで『中身』の存在に気付くことさえなかった大人ばかりを相手にしてきたまだ礼良は、気づけていない。
 幼い時にざっくりと痛めつけられて修復の反動で太くなっていても、その後固い殻で覆われて大した衝撃を受けてこなかった若い精神はまだまだ叩かれ慣れていない。それ以上の傷を恐れて、持ち前の読みの速さで『中身』に触れようとするものを悉く回避してきたツケが今、回ってきているなどということに、まだ、気づいていない。
 一番窓際に近い、黒板横の小さな掲示スペースの前にパイプイスを持ち込んで、防火カーテンに埋もれるように、テストの監視さえ放棄して堂々と居眠りしている実冴にちらりと視線を向けて、誰にも聞こえない舌打ちを一つ。
 なんだか最近『内側』がひどくイライラしている。この苛立ちの原因はもちろん実冴だが、むしろ苛立ちの要因は、己が己に対して自身のバランスをコントロールできないことに軽い焦燥を募らせていることだ。そのような事態に陥(おち)いることなどかつて経験がないので、手っ取り早く分かりやすい原因にそのすべての理由を見出してしまっている。
 礼良には、実冴が夜も眠れぬくらいに今日のテストの内容を考えていたなど分かるはずもない。ついでに、この問題を思いついたのは、試験の為に教室に入ってからだなどと言う事も、知る由もない。なんとか体裁がついて脱力して居眠りしてしまっているだけなのだが、礼良の中で日々の実冴への評価など地面にめり込むマイナス方向である。礼良の目には、ただのだらしない大人にしか映らない。そうするとますます、まじめに回答してやるのなどバカを見るような気になってくるのだ。
 これまでの大人には、感情など動かされることもなく彼らの思うように動いてやれたのに、実冴に対してはそうなれない。その理由は彼女が『大人』のワクを逸脱しているからだと結論づける。が、その結論は間違っていないが、正しくはない。
 そのまま実冴に向けていた視線を移し、己の左隣の席についている哉を見れば、すでに回答を終えたのだろう、こちらも机に突っ伏して寝ている。哉の回答は聞かずともわかる。真知子巻きの一件に違いない。あれからもずっと、あのタオルの巻き方が気に入ったらしく、体育の授業の移動の時は大抵タオルを頭と首に巻きつけている。
 右隣からはまだ、熱心に思いの丈でも文字にしているのか、真吾が紙の上にシャープペンシルを走らせる音がする。
 さて、とシャープペンシルを無駄にくるくると回しながら。
 時間は有限であり、テストは一コマの授業時間で終わる。結局、彼は生まれて初めて、氏名など指定された文字以外、全く何も書かない答案を教師に返した。
 その真っ白な紙に、相手がしてやったりとほくそ笑むことなど思いもよらずに。



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