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君は僕に似ている
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しおりを挟む「改めてはじめまして。北條諒子(りょうこ)です。えーっと、どうなのかな、戸籍上は親族って言うか、同族くらいでしかないから他人だけど、私の父は北條諒一。正真正銘従姉です」
ナニがツボにはいったのかひたすら笑いつづける彼女を実冴は呆然と見ていた。返す言葉も見あたらなくて。
心底驚いた。それはもう本当に。名前しか知らない死んだ伯父に子供がいたことなど全く知らなかったのだから。誰も教えてくれなかったのだから当然なのだが。
「響子さんにはね、ずっと前に了解済み」
どおりで、彼女は実冴がどんなに使用人たちを止めようとも屋敷に入ってきていたわけだ。
実冴より上の権力者の了解を得ていたのなら実冴などに阻止できるわけがない。
「えっとね。最初に謝らせて。ごめんね!」
突然笑いを引っ込めて、がばっと白いテーブルに両手をついて、諒子が頭を下げる。次から次へと分からない事ばかりで、謝られる理由に、皆目見当も付かない。
ゆっくりと頭を上げ、彼女が実冴と視線を合わさないまま机に肘をつき、どこか遠くを見ながら言った。結構みんな同じことで悩んだり、後悔してるものなのね。と。
八十年あるといわれる人生の中では、ほんの一瞬かもしれないズレで、北條諒子は本家に戻ることが出来なかった。彼女の母が諒一の死を知ったのが遅かったのが原因だが、彼女が諒一の娘だと名乗りをあげた時にはすでに本家では北條響子が戻り、実冴を後継者と決めていた。すでに普通の子供として八才になっていた諒子より、まだ三才だった実冴を自分たちの望む形に育てることを、分家たちは選んだのだ。
小さな実冴はことあるごとに北條に縛られることを嫌がった。どうにかしてその場所から逃げようとしていた。そんな実冴に諒子の存在を知られれば、実冴は嬉々として、分家の思惑など気にも留めずに『他にいるなら私はやらない』と言い出しただろう。
厄介ごとを避けるため、北條響子にもその存在は知らされることなく、その時は諒子の母親に大金が手渡され、以後かかわらないことで話がついたらしいのだが、五年もしないうちに彼女の母親は諒子を残して死んだ。諒子が孤児になったことは事実であり、彼女の母がそこかしこに諒子の出生と大金の出所を吹聴して歩いていたことから、北條家が彼女を放り出すわけにも行かず、分家の一つが彼女を引き取った。
事情が事情なため、響子の耳に入らない事はなかったが、決して実冴に自分の出生を明かさないこと。それが諒子が北條の分家に引き取られるときの条件だった。
小さい頃からずっと、母親に、いつか迎えに来てくれるお金持ちの父親の話を聞かされていた。白馬に乗った王子様を連想させるその話は、小さな女の子にはとても甘い夢だった。いつか自分を幸せにしてくれる人を、いつか自分をお姫様にしてくれる父親を、諒子は今夜来るか、明日来るかと待ちわびていた。けれどその人は、あっさりとこの世を去ってしまった。
自分には何も遺さずに。北條から渡された金などあっという間に無くなった。どんどん堕落していった母親は、諒子を金づるとのツナギ程度にしか考えていなかっただろう。最期にはアルコールと怪しげな薬と人相のよくない複数の男に溺れて、ほとんどまともではなかった。
北條の分家に引き取られたあとも、彼女が幸福だったことはなかった。誰もが彼女を扱いかねていた。それは養父母も例外ではなく。
自分が手に入れるはずだった場所に当然のようにいた小さな女の子。
腫れ物のように持て余されて、諒子は一番多感な時期を過ごした。
そんな頃、一番近くにいた、憎しみの対象。全てに恵まれながら、何か物足りない顔をした子供。何でも持っているくせに、何が不満なのだろうと観察すれば、実冴が何に飢えているのか同じモノが満たされなかった諒子にはすぐに分かった。だから、傷つけたかった。
実冴に、礼良の存在を教えたのは諒子だ。それも、これ以上のない悪意をこめて。
お前の母親は、お前なんか要らないんだよと。こんな穢れた子供を大事に大事にしているんだよ、と。
血の繋がったお前よりも、もっと大事なものがあの人にはあるんだと。
傷つけて、悲しむ姿を憐れむために。
どこにも吐き出せない子供染みた復讐心。
お前の求める母親はどこにもいないよと。
消えない傷を、埋まらない空洞を。
自分と同じように。
けれど、誰かの心に同じ傷を負わせても、諒子のなかの傷が塞がるわけではない。
結局そのことがきっかけで実冴は吹っ切れてしまい、行き先を見失って暴走を始めた。
最初はざまあみろと思うことにした。けれど、諒子自身が救われて満たされ、過去を振り返って怖くなった。
過去を清算しなければ進めなかったのは諒子の方だったのだ。
行き着いた場所はお互いに同じで、諒子もまた、本当に幸せになる為に、まずは独りよがりに贖罪を始めただけで。
「ホントに、ごめんね。今更振り回すだけ振り回して、ただ自己満足したかっただけなのよ、私。私のことを好きだと言ってくれる人に、できるだけ綺麗な私を渡したくて、昔の罪で真っ黒な部分を漂白したかっただけ。被害者の気持ちなんかこれっぽっちも思いやらずに、ただ自分が楽になる為だけに、私、あなたを利用したのよ。昔も今も」
残酷な打ち明け話も、なんだか簡単に実冴の心を素通りした。
色々飽和したのかもしれなかったけれど、そのことに対しての憎しみも怒りも、何一つ湧いてこなかった。心地良く風が舞うのに、心は一条の波さえない、ガラスのような凪。
すとんと唐突に分かってしまった。
「そっか、先生になっちゃえばいいのか」
さらっとそう言い放った実冴に、諒子の方が驚いた顔をしていた。
「ねぇ どうやったらなれるか教えて」
諒子の見開いた目の中に、とにかく不遜に笑う己の顔を見て、実冴はさらに笑みを深くした。
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