やさしいキスの見つけ方

神室さち

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キミにキス

5-11 楓

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 わずかな停車時間に後部シートの半分以上を使っておかれたベビーシートの中を覗いて、みあが寝ていることを確認した夏清がよっこいしょとつぶやいて前に向き直る。
「ん? なに?」
「……べつに」
 じっと見つめられて、なんなのよと夏清が聞き返そうとしたとき、車内に控えめだがそれとわかる電子音が響く。
「ちいだわ。あの子から連絡なんて珍しい」
「珍しいどころかしないだろうが、いつも。あれは。……やっぱりな」
 井名里ちい様からご両親へメッセージです、というアナウンスのあと再生された音声は、どう聞いても健太だ。晩御飯はちいのおごりでウチでお寿司だよと浮かれた調子で喋っている。
「肉は明日か」
「わからないよ。明日はホットケーキかもね」
 転がらないように気をつけながら足元においていたメイプルシロップのビンをひざに乗せた夏清が、大きなビンを手に持って笑う。
 ちいが六つになったころ、病気の状態も安定してきたのでと、初めて行くことになったネズミの国へ、熱を出してしまっていけなくなってしまったことがある。
 微熱だったので必死にヘイキだもんと言っていたが、大事を取ってちいは連れて行ってもらえなかった。
 礼良と健太が行ってしまうのを見送ったあと、熱が上がるのに大声で泣きながら家の中をうろうろと歩き回っていたちいにつくったのがあのホットケーキだ。それから毎日毎日、ちいが飽きるまでネズミの顔の形をしたホットケーキを焼きつづけた。
 ちいは偏食家で、あれが食べたいこれが食べたいと言う割に食が細かった。
「ちいは何かにハマったらそればっかりだからな」
「そうそう。なにかおいしいものにあたるとそればっかり。あの子はなんでもほしいものをほしいって言ってくれたから、今思ったら健太より簡単だったのかも」
 思い立ったら手に入るまで駄々をこねつづけるちいにはいつも手を焼かされたけれど、逆に健太は何かほしいものがあっても親の方が聞いてやるまで言いださないタイプだった。
 こちらから『どうする?』ときいて、やっと自分がやりたいことやほしいものを言う。しかし大抵の場合自分で決めてしまっているので、こちらが意見しても聞きいれない。
「どっちもどっちだろう」
「……それもそうかも」
 他人の中でもまれてきたおかげか、離れて数年で健太は人との距離をちゃんとつかんで、自分の世界を持って、多少のストレスも笑ってかわせるくらい成長していた。
 なにかあるとすぐに熱を出して泣いていたちいは、気がついたら少々のことでは折れそうにないくらい丈夫に育っていた。
 礼良は何も言わないけれど、自分たちだけで育てていたら健太もちいも、あんなふうにならなかったと夏清は思う。
 自分たちの元から離れていくことに戸惑わなかったわけではない。
 二人ともタイプは全く違ったけれど、違うなりに心配事は二人それぞれ、同じようにあって親である自分たちはどんどん守りに入っていた。
 子供に何かあったらどうしようと思うのは、おそらくどの親も同じだと思う。自分たちだけが特別だったとは思わない。
 子供の可能性までぷちぷちと摘み取っていいものではないと、楽しそうに実冴にくっついて仕事をしているちいをみて反省した。
 健太の家出に近い留学も、最初はさすがに反対したけれど、あれだけ『ちいが嫌い、いっしょに居たくない』と言っていたのに、離れて暮らして、会うたびにいつも成長していて、今ではすこぶるご機嫌でちいと喋っている。あのころがウソのように普通のお兄ちゃんで、無理をしている様子もないどころか、ちいといるとおもしろいと日本に帰ってきてしまう始末だ。
 やっぱり、本人の希望どおりさせてよかったんだと思う。
 でも、自分ひとりだったら、どれも選択できなかった分岐点ばかりだ。
「どうした?」
 聞かれて、自分がじっと運転している礼良を見ていたことに気付く。なんでもないといいかけて、言葉を飲みこんで、夏清は改めてはぐらかすように微笑んだ。
 道の両脇に建っている家が、大きな屋敷ばかり目立ち始める。病院からは十五分くらいしかかからないので、すぐ、もう見慣れた門が見えてきた。
 門と言っても、昔あった鉄の柵はない。自動開閉装置が壊れたとき取ってしまった。ただし、物理的にさえぎるものはないが、門柱には赤外線のセンサーと記録装置が付いているので、物や人の往来については全て管理されている。
 その門柱を通り抜けて、玄関に車を止めても夏清は何も言わないでニコニコと笑ったままだ。
「ナニ企んでる?」
 シートベルトをはずしながら、夏清がまだ寝ているみあをちらりとみる。
「企んでなんかないよ」
 車から降りようとした礼良の袖をこっちを向いてとひっぱる。
「この子はどんな育ち方をするのかなって、思って」
 車が止まってもなお眠りつづけるみあを二人で前部シートの間からしばらく眺める。
「育つように成長するだろう。体中に不確定要素がつめこまれてるんだ。こっちの思い通りになんか行かないのは上の二人で身にしみた。ゆっくり構えてないと身が保てるか」
「ちいがね、私たちは余興かい、って。確かに離れてても、子供がいたら退屈しないよね」
「いっしょに居たら退屈どころか」
 忙しくて仕方なかった。特にちいが小さい頃は、忙しいどころの騒ぎではなかった。精神的な疲労が肉体を圧迫するような感覚。あってないような睡眠時間。幾度か乗り越えた危機的状況。
 過ぎた今だから余裕もあって、客観的にその頃の自分たちを見ることができても、あの頃は毎日が戦争だった。
 けれど、二人だったから、なんとかやってこられた。
 いい経験だったと思えるのは、やはり今が恵まれているからかもしれない。
「それがいいから、この子産もうと思ったの。そしたら、上の二人も家に帰ってきたでしょう? きっとね、みあが一人じゃ寂しいから呼んだのよ、あの二人まで。家族がみんなそろうの、すごく久しぶりでわくわくしてるの」
 夏清が礼良の首に両手をかけて、首を少しかしげて笑う。目が『そう思わない?』と問いかける。
「あらためてね……」
「惚れ直した?」
「ううん。産んでよかったなって」
 さえぎるようにかけられた礼良の問いを、夏清が間髪を居れずに真顔で否定したあと、舌打ちが聞える前に言葉を続ける。
「いつもそのとき限界で惚れ続けてるから、惚れ直してるヒマなんかないもの」
「そうか? 俺はいつもその都度何回も惚れ直してるけど?」
 モノは言いようだといわんばかりに返されて、夏清がこらえきれずに笑い出す。
「ほんと、先生って」
「お前まだそれで呼ぶか」
「うん。先生が私のことお前って言う限り。で、先生は私が先生って呼ぶ限り。だめよ。もう二人とも無意識なんだもん。子供の前では呼ばないようにしてるんだけどな」
 二十センチと離れていない、息がかかるほどの近さで、お互いに聞えるだけのささやき。
「じゃあ、礼良サンって呼ぶの、またやろうかな」
 これまでに何度か呼ぼうと試みて毎回大抵三秒で挫折している呼び方。三秒で挫折する理由は、言った後夏清が笑い出してやっぱりダメだと諦めるからだ。
 もちろん今も、すでに唇の端を震わせて笑うのをこらえている。
「自分で言って一人でウケてどうすんだよ」
「いや、もう、ダメ。やっぱりムリ」
 おでこをくっつけて、夏清が目を閉じる。同じようなセリフをくり返しながら楽しそうに。
「しわ増えたか?」
「わ。それ、自分の顔鏡見てから言おうよ。言っとくけど、私はまだぴちぴちだからね。笑いじわだもの」
 顔を離して、夏清が心外だわと言う顔を作る。鏡を毎日見ているとあまり気付かないけれど、家中のいたるところにおかれた家族の写真を見ると、言われなくても礼良の方がさくさくと年齢に比例した外見状況が進行している。
「ハイハイ」
「でもねぇ」
 夏清が首に回していた腕を引いて、細い指で礼良の顔を触る。
「どうしてかしら、今目の前にある顔が、やっぱり、今一番カッコいいって思っちゃうのね」
「そりゃあ」
 夏清の腰に回された腕が引かれて、心もち、体が前にひき寄せられる。
「惚れてるからだろ」
「惚れてるからかな」
 言葉が重なって、どちらからともなく顔が近づく。
 こんなに単純で簡単で、でも大事なことがすれ違わないでいられることが、幸せなことだと知っている。
 交わす口付けは、初めてのときと変らない温もりと安らぎ。
 何度も、何度でも、何回でも。
 いつも、いつだって、いくつになっても。
 こうしていたいと思えることが、なによりも。
 時間は、少しずつ変化を続けながら、いつまでも続く。想いを乗せたまま、とぎれることなく。


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