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キミにキス
5-4 楓
しおりを挟む昨年の九月初め。
ドラマの端境(はざかい)にあるクイズ番組の特番の収録直後、全問正解して旅行など豪華商品を総取りしたちいに、ほとんど答えられなかったアイドルが喧嘩を売ってくれた。
『天才天才って言われてるけど、どうせヤラセなんでしょ? 子役で売れてたけど最近落ち目だからってやることせこいわよ』
という言葉を、言い値でちいが買った。
『わたしはほんとにアタマがいいの。そっちこそ、先に誰か買収して答え教えてもらわなかったの? ああそっか。教えてもらっても覚えてられなきゃ意味ないわよね。あんなバカ丸出しじゃファンも引くんじゃない? ごめん、引くほどいないか、これも』
売られた喧嘩は倍にして売り返せ。利子と熨斗(のし)までつけて、きっちり耳をそろえて返すのが礼儀だと実冴に教えられて育ったのだ。他にも『礼には礼を、無礼には無礼で返せ』『受けた礼は対等返し、ただし一生忘れるな』というのも教わった。
倍の言葉を同タイムで言いきられた相手が本当に口に出して『キー』という反応をしたので、反論しようとしているのをさえぎるように、自分の頭を指差しながらちいがたたみかけた。
『私、ココにはちゃんと人間の脳ミソ詰ってるから、今のコトバわからないんだけど、もしご希望なら英語でも口論してあげるわよ。あ、もしかして今のはサル語? アナタの脳ミソはサル? それともその軽そうな頭の中にはカニミソが詰まってるのかしら。首から上についてるのはインテリア? 趣味悪いののせてるのね。ああ、話逸れたけど、なに言ってたか覚えてるわよね? 悪いけどせめて日本語をちゃんと喋ってねってこと』
それならば証明して見せろというのでひとしきり悪口を英語でまくし立ててやった。覚えたての別の外国語でもよかったのだが、そちらは俗語まで全て覚えているわけではなかったのでやめた。
早口の英語の意味を訳せない相手の『適当なこと言ってんじゃないわよ!』という叫び声で言うのをやめてあげた。外国語で意味がわからなくてもバカにしていることは伝わるものだということは経験上知っている。
ちなみに内容についてはわかっても公衆の面前では訳せないようなものばかりだったので、訳せと言われたらさすがに困ってしまったのだが誰もそれは求めてこなかった。
『そんなに頭がいいって言うのなら、もっとわかりやすく証明しなさいよ』といわれて『それなら東大に受かってやるわよ、それならあんたでもわかるでしょ』と返してしまったのは、本当に口が滑ったのだが。
『法学部にはいりなさいよ』という相手に『東大は入ったときは教養学部しかないんだよバカ。法学部に入りたかったらまずは文科一類をうけるんだバーカ』で。
あとは怒鳴りあいとつかみ合いの大喧嘩になり、更なる売り言葉と買い言葉が続く。
実冴によって二人とも頭から水をかけられてやっと離れた。
マネージャに引きずられて帰っていく相手に『その代り私が合格したら脱ぎなさいよ!!』と、こちらばかりやらされるのはむかつくので怒鳴ったら『脱ぐどころかアダルトにだってでてやるよ! そのかわり合格しなかったらアンタが脱げよ!!』と捨て台詞を残された。
大喧嘩の一部始終は局の機転(?)によってすべて記録され、合格するまでをドキュメンタリで追わせてくれというディレクタの申し出を実冴が二つ返事で受けてしまった。
大学受験の必要書類は夏清にこっそり揃えてもらうつもりだったが、この夫婦に隠し事を求めるのが間違っていた。あっさりと事情まで礼良の耳に入って、呼び出されてこっぴどく叱られた。
かくして。
合格してしまったわけだが。
「勉強って、面白かったんだね」
しみじみとやっと実感していた。発端はどうあれ、生れてこの方こんなにまじめに勉強をしたことはないと言うくらいがんばってみて、初めて勉強がおもしろいと感じた。
これまでの人生学んできたものは多かったが、勉強をする、ということではちいは他の子供より時間が短かったことは否めない。
週の四日を仕事に費やせば、学校にいけるのはせいぜい二日。北條の学校が特別な授業を組んでくれていたとはいえ必要なムダさえ省いての勉強は何の余裕もなくおもしろいと感じることもなかった。
「楽しいでしょう?」
「……うん。四月くらいまではさすがにいくつか仕事もあるんだけど、二年生からは仕事いれずに勉強だけやろうと思ってるの。とりあえず、大学生の四年間は勉強が中心で行きたいって社長……じゃなかった、実冴さんにも言ってある。もしかしたらそのあとの専門教養とかもとるかも」
仕事中は社長と呼びなさいと言われつづけたせいで、プライベートでもそう言いかけてしまう。
ただし、ちいのいる実冴が興した会社所属のタレントはちいを入れて現在三人で、事務の人間を含めても総勢八人しかいない。
ちなみに、どうして名前ではなく社長なのかと言うと、そっちのほうが『らしい』からなのだそうだ。
「それでいいって?」
「私がそうしたいならそれがいいからって」
「最初に言っただろうが。お前には両立できないから中途半端になるくらいなら両方やめちまえって」
突然別の声が背後から聞こえて、ちいが振り返ると、見上げなくてはならない数少ない人が立っていた。
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