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キミにキス
5-2 楓
しおりを挟む「そうよ。あれ、知らなかった? 迎えに行ってくるって言うからてっきりあなたも一緒に乗せてもらって帰ってきたんだと思ってたのに」
「知りませんでしたっ! って、もしかしてお父さん空港行ったの!?」
「ええ」
「うそー もう、言ってくれたらお兄ちゃんくらいつれて帰ってきたのに。空港に車おいてたから」
通行料が……と、うめきながらちいががっくり肩を落とす。
「もう、昔っからそうだよね、お父さんってお兄ちゃんに甘いよね!? 絶対、お兄ちゃんに逢いたいからすぐ迎えに行ったんだよ。私が昔頼んだときなんか、飛行機見るのも近づくのもヤダって言ってたくせにーっ」
「そうかしら。でもちい、あなた帰ってくる日を言わなかったでしょう」
言われて気付く。そういえば、少し長めの旅行なので帰る日を伝えると途中でいらない小言をいただきそうで、行ってくるとだけ書いて、そのあと日本に帰ってくるまで一度も自分あてのメッセージなどのチェックをしなかった。
「そうだけどっ! でもね!! 私のやることはみーんな、アレもだめコレもだめって言ってたくせに、お兄ちゃんがイギリス行きたいって言ったらわりとあっさりオッケーしたじゃない!!」
「あれは……ただ学校を変えるのとは違ったから、すぐに許したわけじゃないわよ」
兄の健太は、公立の小学校を一学期で辞めた。周りの大人たちが危惧したとおり、通いだして二週間で学校がつまらなくなったらしく、親には何も言っていなかったがよくちいに『学校って思ったほど楽しくないよ』とこぼしていた。それでも彼なりに溶け込もうとがんばっていたようなのだが、三ヶ月が限界だった。
本当なのかウソなのか真偽の程はわからないが、周りの子供と合わないのでもう来ないでくれと学校側から言われたと、だいぶ経ってからちいは実冴から聞いた。実冴が笑って『自分より頭のいい子がいると、教師も教えにくわよねぇ』と続けていた。
そのあとはちいとともに北條の学校へ籍を置いていたのだが、ある日突然そちらもやめて外国の学校に行きたいといいだした。
さすがにこちらは、夏清もハイそうかとは言えず、周りも何とか思いとどまらせようとしたのだが、最終的に礼良が許したので健太の留学は決ったのだ。
「でも、私が同じこと言ったら絶対、ダメって許してくれなかったはずだもん」
「それは言えてるわねぇ でもちい、あなた今回勝手に旅行に行っちゃったでしょう? 叱られるわね、絶対」
「カナダに二週間だけだよ? お兄ちゃんなんか十年近くイギリスいて、五回くらいしか帰ってきてないし! 私には大学は通えるから家に帰ってこいって言うしっ!」
どうして私ばっかりとちいがわめく。声が大きかったらしく、ノックの後ドアが開いて、先ほどとは違った看護婦にまた注意された。
「お母さんが大変なときにいなくなっちゃったのは悪かったと思ってるの。でもさ、私がいてもいなくても、お二人らぶらぶですし。深く考えないで行っちゃいました」
口元に手を当てて、ちいが言い訳をする。
「いなくていいとは思ってないわよ。ちいがいてくれて、毎日すごくメリハリが効いて楽しいわ」
「メリハリって」
感情の起伏が激しいちいは、見ているだけで退屈しない。実際ちいが帰ってきてからのほうが礼良と二人で会話をする時間が増えた。もちろん話題の中心はちいなのだが。
「いいのよ、旅行くらい好きに行ってくれたら。それよりあのお屋敷であなたたちが二人っきりってほうが怖い気がするわ」
「そう言われたらそうだけど、逃げたと思われてたらやだなぁ ほんっとーに、すっぱり忘れてたの、ゴメンナサイ」
「だから、いいってば」
ぺこりと頭を下げたちいをみて、これと同じくらいの素直さがあれば衝突することもないのにと、夏清が苦笑する。
「いいんだけど、私はあなたがいつ『こんな家でてってやる』っていなくなっちゃうかって、そっちの方が心配よ。がまんしてるのはよくわかるから」
「んー……なんか、それ言ったら簡単に『二度と来るな』っていわれそうだし。あそこの本は魅力的なんだよね。大学図書館にも国会図書館にもない本がひいじいさまのコレクションにあるとは」
大学の講義のとき、教授が探していると言っていた本が家にあったのだ。引越したとき整理を兼ねた目録作りを手伝わされたので家にどんな本があるのかはほとんど覚えている。
ちいは別に貸してもかまわないと思っていたのだが、礼良が了解しなかった。以前、有名大学の教授に大事な本を貸したところ、そのまま盗られたことがあるらしく、頑として持出しを許可してくれなかったので、教授の方が記録メディア持参で家にやってきた。
そのときはなんてケチくさいと思っていたのだが、その後行った教授の研究室を見て父の意見が正しかったかもと思い直した。ものすごい量の本や資料が山積みされていて、大学図書館の本でさえいつから返していないのか大量にそこにあった。
「敷地の半分が本に埋ってるような家だから、広くても管理しやすいといえば、そうなんだけどねぇ」
亡くなる数年前からガンであることがわかっていた数威の財産は、実冴がうまく処理してくれたおかげで彼の死によって発生する相続税などのために不動産を物納しなくてはならないような事態は避けられたのだが、今住んでいる東京の井名里の屋敷は厳密には礼良のものではない。
維持費に人件費を足すと年間七桁ではおさまらないような建物を個人で管理することは難しい。そのためにほとんど架空の名義だけの法人を立てて自分たちが間借するような格好だ。選挙の関係上地方にある本家の屋敷だけは公が相続したが、彼についてはそんな心配は要らない。
「ま……別にお父さんのことキライって訳じゃないし。うるさいし鬱陶しいけど、最近、なんていうか、やっぱり正しいのはお父さんかなとも、思う。ときどき」
小さく肩をすくめて、たまにだけどねとちいが笑う。
「やっぱり。うん、家族は一緒の方がいいんだろうなと、思うんだけど」
大きなかごのなかを覗き込むと、むーっと眉間にしわを寄せるようにしながら小さな物体が手足を動かしている。
「だからって、コレ?」
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