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キミにキス
4-3 桃
しおりを挟む「ちいちゃん?」
えぐあぐとまだよくわからない言葉を、子供特有の甲高い声でしゃべり続けていたちいが突然咳き込んでのどを鳴らすように体ごと息をする。
「すまん、結局俺が興奮させた」
体を丸めるように響子に抱きついているちいをはがして、響子の横に座って、ちいが呼吸が楽になるように支えて抱く。
「あーもう、うまくいかねー」
指を広げれば十分足りてしまいそうな小さい背中を撫でながら礼良が天井を仰ぐ。
愚痴をいうところもはじめてみたかもと思いながら、キリカが口を開く。
「しょうがないじゃん。いくらちいちゃんが頭のいい子だって、子供なんだもん。大人だって思い通りにならないのに、うまくいくほうがおかしいって」
三人分の視線を受けて、キリカが言葉を続ける。
「いなりん、いつもちいちゃんがなんかする前に『ダメ』って言ってるでしょ。あれもだめこれもだめそれもだめ。じゃあちいちゃんがしていいことってなに?
ウチの親もいろいろうるさい人たちだったけど、いなりんとは違ってたよ。とりあえず大怪我するようなことでない限り血を見ようが熱だそうが、なんかやるまえにダメとは言われなかったもん。やったあとで怒られることはしょっちゅうだったけど。
心配なのはわかるけどさ、いつもいつも何もしないうちに行動を制約されると逆らいたくならない? 私なんかダメって言われることほどやってたよ。子供なんか大抵動きたがりの騒ぎたがりなんだから。日常で抑圧されてたら、その分どこかで発散させたいって思うでしょ?」
「できる子供とできない子供がいるだろうが」
落ち着いてきたちいを撫でていた手で髪をかきあげながら言う礼良に、あきれたようにキリカが畳み掛ける。
「だから。どうしてちいちゃんはできないって思うの?」
「……それは」
「病気? だって、ちいちゃんの病気って移植で治ってるんじゃないの? 夏清の肝臓がちゃんと機能してるからちいちゃんは今生きてるんでしょう? 先天性の肝機能障害の子供は、昔は五才まで生きられなかったって言うけど、今は五才過ぎたら生存率だってほとんど健常な子供と変わらないんでしょ?」
生まれて一ヶ月の検診で、ちいに胆道閉鎖症の疑いが出た。精密検査を繰り返して、疑いは確証になり、診断を受けて生後二ヶ月のとき塞がっている胆道をつなぐ手術を受けたが状態が回復せず、一才になる前に肝臓の移植手術を行った。
「せっかく生きてるのに、元気になったのにダメばっかりじゃかわいそうじゃん」
「だから、だよ。キリカ」
いつの間に帰ってきたのか、夏清がキリカの後ろに立っていた。そのまま歩を進めて、不自然な体勢でちいを乗せていた礼良のうえからちいを抱き上げる。
「生きてるから……元気だから、ダメなことがたくさんあるの。私の肝臓はちゃんと機能してるけど、それはちいにとっては異物なのよ。なかったら生きていけない臓器だけど、ちいのものじゃないから、ちいはこれから一生、異物を抱えて生きていくために薬を飲みつづけなきゃいけないの」
異物を異物と認識させないための薬、免疫抑制剤は、本来持っている抵抗力まで奪い取ってしまう。人工的に免疫力を低くさせているために、他の人間には軽い風邪やかすり傷で済むことが重篤(じゅうとく)な病気になる可能性が高い。また、免疫抑制剤は単体投与されることが少なく、いっしょに服用させているステロイド剤の副作用もまったくないとは言い切れない。
「逢ちゃん、健太がキッチンにいるからちょっと見てきてやってくれない?」
「あ、うん」
逢が立ち上がり、空いた場所に礼良が座りなおし、夏清がその隣に掛ける。
体温の調整がうまくできないので、ちいは夏でも半そでになることはない。外気温と冷房温度の差が広いと、夏でも突然風邪をひく。七月に入って、みんなが夏服になった今でも、ちいは長袖のシャツを着ている。
日光に当たりすぎると日に酔って熱を出すので、夏もいつも邪魔になるくらい大きな帽子を被っているちいの体はとても白い。生まれて五年たった今でも、ちいは夏の日の下で本当の意味で思い切り遊んだことがない。
他の子供と同じ状態において置けないので、はじめから公立の保育園への入園は見合わせた。風邪とまでも行かない、軽い咳や鼻水の症状を出しているだけでも、その子供とは遊べないし、雑菌が多くある砂場も入れない。極端な話、他の子供が触った遊具さえ触れないことも考えられた。
過保護だと言われても仕方がない。けれど、どうしても考えてしまう。どうしても、あらゆるものから守ろうとしてしまう。
「でも、いつまでもこのままでいいとは思ってないのよ。そろそろもっと、いろんなことをさせたいけど、私たちもどこまでがよくて、なにがダメなのかまだわからないの」
自分たちの子供が、他の子供とは違う病気をもって生まれてくるなんて、実際医者にそう告げられても信じられなかった。手術の成功率も、成功後の生存率も五割を超えていたけれど、たとえ今までの統計で九十九%の子供が助かっていても残りの一%については、それは絶対の死だ。
「生きてほしいから、元気になってほしいから」
夏清がガーゼのハンカチでちいの顔を拭きながら覗き込んで、おでこをくっつけて熱が上がっていないか確める。
「身も心も健やかに、っていうのは難しいね」
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