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キス xxxx
5-1 想い
しおりを挟むシーズンが中途半端なのか、平日のためか、ひと気のない別荘地の中でもひときわ大きな建物。
ここも、この立派な建物も井名里真礼という少女一人のためのもの。夏の一瞬だけ体調の良くなる彼女の為に作られた別荘なのだという。いつも同じ場所では退屈だろうから。たったそれだけの理由で、井名里数威が建てた建物。そして今は、その名義が井名里礼良になっている建物。
真礼のための部屋と数威自身のための部屋と、看護婦や家政婦が詰める部屋。元はどうあったものであれ、今はその面影を薄くするように改築されている。眠るための部屋は幾つもあったけれど、井名里はどの部屋にも行かずに暖炉のあるこの場所に引っ張り出してきた絨毯を敷いて、着いたらすぐべったりと転がってしまった。
管理人に渡された荷物の中にあったレトルトの食事をだまったまま摂ったあと別々に風呂に入った。管理人がくれたものの中にはバスタオルはあってもさすがに着替えはなくて、夏清も井名里同様バスタオル一枚でぺたぺたとここまで帰ってきた。またしてもどこかから出してきたらしい毛布をかぶって、やっぱり力尽きたように転がっている井名里のとなりに。
ぺたんと、座り込んで、全然動かないのを無理やり頭を持ち上げて膝に乗せた。少し驚いたような顔をした後、井名里が苦笑する。
「なぁ」
大きな手が頬に触れる。なにと応える代わりにその顔を覗き込むようにすると、目を閉じた井名里が夏清に問う。
「夏清の、一番古い記憶ってなんだ?」
目を閉じて、探す。自分の一番古い記憶はなんだろうと。
「……お葬式。多分両親の。みんな黒い服を着てて、泣いてるの。私は何のことか全然わからなくて、でもおばあちゃんとか伯母さんとか、みんなが泣いてるから、理由もわからないまま一緒に泣いてたのは覚えて……」
大勢の大人がいた。みんなが小さな夏清に『かわいそうに』と言っていた。当の夏清はなにがどうかわいそうなのか全然理解できてなかったけれど。
「悪い、変なこと思い出させた」
目を閉じたまま、淡々と語る夏清の言葉をさえぎるように井名里が謝る。少し考えれば分かったことなのに。
曖昧な子供の記憶の中にしっかりと残るといえば、日常あまり起こらないことだろう。物心つくかつかないか、そんなころに両親と死に別れた夏清ならば、それは彼らが死んだときか、その葬式か、とにかく夏清にとってはマイナスの記憶でしかないものが出てくることなど。
「ううん。わりと平気。ぼんやりとだけど覚えてる。こんなこと、両親のことなんて私、覚えてないと思ってたのに」
一番古い記憶から辿(たど)る。大勢の人が一度に亡くなるような大きな事故に巻き込まれたのだ。今でもその事故があった季節になるとどこかのニュースで話題になるような、そんな事故。
葬式をしたのは亡くなったのよりもずっと後になってからだった。すでに火葬されてしまって遺体はなくて、家に届いたのは小さな白い箱が二つ。だから余計、それが両親だといいう実感が薄かった。
夏清が生まれてから初めて、二人で旅行に行ったのだ。一泊二日。祖母と一緒に見送った。
「あ! 違う。うん。それじゃなくてね、もうちょっと前のこと思い出した。見送ったの行ってらっしゃい、ばいばいって」
ぱっと夏清の顔が明るくなる。
「顔とかは……やっぱりちゃんと思い出せないけど、うん、私、旅行に行く二人のことばいばい、って手を振って見送ったの。でもね、そのあとなんでかものすごく悲しくて寂しくなって、すごい泣いたの。ずっと後に……小学生になってからおばあちゃんがその話してくれた時は、私思い出せなかったのに、すごい。ちゃんと覚えてるよ」
うれしそうにそう言った夏清が瞳を開いてはっとその笑みを引き戻す。記憶の中にはいないと思っていた二人が、ちゃんと自分の中で微笑んでいることがうれしかった。だから無意識に笑ってしまって、そして、そんな自分を見て微笑む井名里を見ていまはそんなことで笑っている場合ではなかったと気づく。
「笑ってろよ」
そう言われて笑おうとしても無理だった。涙が落ちそうで。口元は笑みを作れても、すとんと落ちてしまった気持ちを瞳が裏切れない。浮かび上がった反動で、さっきまでよりもっと切なくなる。水滴が落ちないようにそっと目を閉じて身をかがめる。
「先生は?」
吐息がかかるほど近くに。
まだぬれた髪が両肩からこぼれて落ちる。外の世界を遮断するように。二人きりになれるように。
「俺は、二歳の夏……が終わったころだな」
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