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キス xxxx
4-5 過去
しおりを挟む車で移動すること三十分。別荘帯を抜けてたどり着いたのは、日本のどこにでもありそうな市街地のなかにある、最近建て替えられたらしいこぎれいな児童施設。低い門の前に車を止める。
「ここ?」
「そう。まずはここ」
午後一時を少し過ぎたばかりで、昼休みなのか小さな子供たちが広い園内で声をあげながら走り回っている。
大人の腰ほどの高さの塀。誰が作ったのか、小さな雪だるまが塀の上に並んでいる。広い庭の向こうにある三階建ての建物は壁にパステル調のモザイクタイルが施されていて、ふんわりと柔らかくて暖かだ。
「ここが……」
井名里が何か言いかけたとき、奥の建物から年配の女性があわてた様子で出てきて、少し小走りになりながら二人のもとまで来る。
「来られるのでしたら、ご連絡いただけたらちゃんとお待ちしましたのに」
驚いた様子で門を開けようとする彼女に、井名里が苦笑する。
「いえ。ちょっと寄っただけです。構わないで下さい。すぐに帰りますから。気にしないで仕事に戻ってください」
「でも……」
何か言おうとした彼女の後ろから、火のついたような子供の泣き声と、彼女を呼んでいるほかの子供の声が聞こえる。
「本当に、構いませんから」
さらにそう言った井名里の顔と、転んで泣いている子供を交互に見て、彼女は少し身をかがめるようにお辞儀をしてそちらに走っていった。
再び二人きりになって、井名里は不意に手を握った夏清を見る。建物を見つめたままただぎゅっと手を繋いでいるだけ。ただ自分がいることだけを伝えるように、ぎゅっと。
そっと握り返す。
「ここが、井名里真礼が八歳まで育った場所。今は井名里の家が寄付をしたりしてるからきれいなところだけど、四十年ほど前のここは、経営もシビアで小さかっただろうな」
繋いだ手を引いて車に帰る。そこに居続けるとまた中から誰かが出てきそうな気配があったからだ。
井名里が話しながらゆっくりと車を出す。
今から四十年ほど前、大臣職まで歴任した、井名里から見れば祖父に当たる人物が病床に臥した。死に向かう床の上で、彼は五人の息子に告げた。
最後に愛した女性を探してほしいと。死ぬ前に、彼女に逢いたいのだと。そして、その孫ほど年の離れた女性を見つけたものに、己のすべてを譲ると。
芸術家肌の政治に興味を示さなかった四男を除いた四人は、文字通り血眼になって彼の言う女性を探した。手がかりはほとんどなく、誰も彼女を見つけられないまま時間だけが過ぎていく。確実に衰弱していく老人。
誰もがもうだめだと思ったとき。
井名里数威が一人の少女を連れてきた。
女性を探しても無駄だったのだ。彼女はもう死んでいて、施設に一人、娘が居ただけ。
はにかみながら『こんにちは』と言った真礼を見て、老人は笑って息を引き取ったのだと言う。
そして、家督から一番遠いと思われていた、五男の数威がその全てを継いだ。彼だけが最後まで諦めずに、わずかな可能性をたどって、そして真礼にたどり着いた。
「で、次はここ」
モルタル作りの、少しくすんだ白い建物の前、玄関に一番近い駐車スペースの車止めをはずして、井名里が慣れた様子でそこに車を入れる。先に夏清を降ろして、助手席の前のダッシュボードから見たこともない複雑な形の鍵が混じった、キーホルダーを出して井名里も降りる。
正面玄関のパネルには、聞いたことのない病名が横文字で綴られている。その下にその病気の研究施設であることも書かれてある。
「ジェダマン氏病。ものすごくマイナーな病気で、実際のところ今もまだ原因不明の難病だ。特効薬もない。特効薬はないけれど症状を緩和する薬は、昔から他の病気の薬で代用されてる。今は栄養状態も環境もいいし、昔みたいに二十歳まで生きられないとか、そう言うことは少なくなったらしいけど日本でも毎年この病気を発症する子供は何人かいて、ここに入院する子供の数は減らない。増えない代わりに」
二重扉になった玄関を抜けて説明をしながら井名里が慣れた様子でそのまま夏清の手を引いて奥へと向かう。
「発病するのは三歳までの乳幼児で、それ以上の歳の子供がなった例は今までには世界中でもないらしい。発病したら最後、死ぬまで薬漬けだ。治すためじゃなく、延命のためだけに」
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