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キス xxxx
3-8 歌
しおりを挟む車内は無言で。
ただ静かで。
痛みを伴うほどの沈黙は、余計に口を重くする。変化の少ない高速道路は、空いていないものの渋滞をしていると言うわけでもなく、窓の向こうには単調な防音壁が延々と続いている。
聞きたいことはたくさんあった。
一緒に暮らしだして一年と半年近く経ったけれど、夏清は一度も井名里の家族を見たことがない。盆も正月も、彼は家に帰ることはなかった。
とても自然に接してくれるから、最初は何の疑問も持っていなかったけれど、北條や実冴は、彼とどんな関係なのかも、夏清は知らない。聞くタイミングを逸したのもあるけれど、誰もその話題には触れない。
夏清と出会う前の井名里が、どんな風に暮らしていたのか、夏清は知らない。知らなくても怖いと思わなかったから。だから、今日が良ければ良かった。明日も一緒にいられるのなら、何も怖くなかった。
井名里の家は長男が継いでるから。
その実冴の言葉に、井名里に兄が、少なくとも一人はいるのだと知ったけれど。
井名里の実家が、どんな家なのか、知りたくなかったと言えばウソになる。けれど、実冴のことや、北條のことを少しずつ知っていくたびに、どこか、夏清の手の届かない場所にいる井名里にたどり着きそうで。
そう、怖くなかったわけではなく。
怖かった。
お前なんかが来ていい場所じゃないよと、誰かに言われるのが怖かった。
だから。聞かなかった。
だから。聞けない。
無言のまま、一時間半のドライブ。車は滑らかに、いつもの地下の駐車場へ。
見慣れない車が止まっていた。黒くて、大きくて。それを見た井名里が、小さく舌打ちをするのが聞こえる。
「夏清」
「え?」
「先、上がってろ」
こちらの車が止まるのと同時に、何人か、男性が降りているのが分かる。
「話、つけてくるから」
そう言って、車から降りてしまう。夏清がのろのろとシートベルトを外して、車から出て、エレベータへ向かう。振り返りながら。
エレベータに乗って、井名里を見る。
夏清を見つめる井名里が、少し笑った気がした。
結局。彼はそのまま、帰ってこなかった。
朝まで玄関に座り込んで。
じっと見詰めていたドアは、開くことはなくて。
携帯電話は、呼び出し音はするのに、出ない。
地下の駐車場へ降りて、井名里の車がないのを確認して、実冴に電話をかけた。
聞き慣れた声を聞いたら泣けてきて、泣きながらいなくなったことを訴えると、とりあえず学校に行ってみなさいと言われて、制服に着替えて走って学校へ向かった。けれどそこにも、井名里の車はなく、職員室で聞いてもまだ来ていないという答えしか返って来なかった。
途方にくれていると、けたたましくアスファルトの上にゴムの跡をつけて滑りながら真っ赤なスポーツカーが一台、校門を突っ切って入ってきた。乗っていたのは誰あろう実冴で、職員玄関にいた夏清を車に乗せると、暴走車に血相を変えた教師が来る前にまんまと逃げ失せた。
「今日は自主休校」
それだけつぶやいたあと、インカムのついた携帯電話で誰かと会話を続ける。ずっと電話が繋がりっぱなしらしく、カーステから時折声が聞こえる。
『お待たせ。確定情報。井名里数威は今日は一日東京の屋敷にいるよ。誰かと会うとか、そんな予定も今のところなし』
ステレオから、男性とも女性とも取れる中性的な声が流れ出る。
「さんきゅ」
『それから、こっちは未確認情報。井名里優希の足取り。シンガポール経由でロンドンに入って、おそらく海峡越えてヨーロッパに入ってる。そこから先はぷちっと切れてるね。こりゃプロの逃がし屋使ってると見て間違いない。パスポート偽造してる可能性も高いね。追跡するかい?』
「そっちはいいわ。別ルート思い出したの。リズ・ランディン。女。確かオーストラリア人。中国系……香港かもしれないけどそっちからの移民だから国籍はもしかしたら違うかも。歳は三十五くらい。十四、五年前日本に留学してたわ。いつ頃から来てたのかはわからない。この人物の現住所。いける?」
『いけますよ。二十……いや十五分待って』
「頼む」
前を行く車を煽ってパッシング。強引に道を空けさせながら、三十センチの車間に割り込みをかけ、けたたましいクラクションで威嚇している。めまぐるしくギアを入れ替えて、無駄な加速と減速を繰り返して前進する。
「あの、実冴さん、これ、どこに……」
「井名里の実家!! アレが行って、なおかつ帰ってこれないトコなんかそこ以外にないわよ。ったくのこのこ何しに行ったのかしらね、あのバカも!!」
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