やさしいキスの見つけ方

神室さち

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抱きしめて抱きしめて抱きしめてキスを交わそう

4-5 故郷

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 車に乗る前に、抱きしめて、キスをする。
「悪かったな。嫌なヤツらに逢わせて」
 再び抱きしめてから、井名里がそう言うと、夏清が首を横に振った。井名里のせいではない。夏清が井名里の手を取る。前に作った傷の下の方に、新しく切れたような傷が幾筋もあった。殴られた彼らも痛かっただろうが、殴った井名里も痛かったはずだ。その傷をなでながら、夏清がごめんなさいとまた泣き出す。
「俺は平気だから。もう泣くな? な?」
 もう一度抱きしめる。
「飯どきだけど、もう一回だけ寄るところがあるから。いいか?」
 今度は頷く。ドアロックを解除して、そっと夏清を助手席に座らせる。隣に止まったファミリータイプのセダンを思い切り蹴りとばして、井名里が車に乗り込む。叔父の車らしきそれに、思いきり靴あとが付いて、さらにへこんでいるのを見て、夏清がやっと少し笑った。
 井名里が向かったのは、夏清の家。だった場所。
「先生、でもここ……」
 庭から入っていく井名里を止める夏清。全く気にする様子もなく、こんにちはと声をかけて、井名里が縁に到着してしまう。
 先ほどの女性が、玄関からきてもらったら良かったのに、と笑って二人を家に上げた。
「どうぞ、って、あなたに言うのは少し変かしら。だってここはあなたの家だもの」
「え……?」
「あっ! 手。ケガしてらっしゃる? 待ってて、今救急箱……」
「置く場所を変えてなかったら、納戸のたんすの上」
「そうそう。ちょっと待っててね」
 どこにあっただろうかと視線をさまよわせる女性に、夏清がそういうと、彼女はばたばたと家の奥に走っていって、見覚えのある救急箱を持ってきた。
 女性は、夏清が手当てはやります、と言うと、そうねと笑って台所にお茶を入れに行ってしまう。
 赤くはれてきた手の甲に、とんとんと消毒薬をつけた綿を走らせる。綿を乗せたとき、しみるのか井名里が小さく声をあげて顔をしかめたので、夏清は思わずぐりぐりとやりたい衝動に駆られたけれど、それをやるとあとで何をされるか分かったものではない。ガーゼを貼るほど深い傷ではないようなので、消毒だけをして薬箱を閉じた。
 家具もほとんどそのままだ。居間のテーブルには、小学生だった夏清が計算をしたあとがそのまま残っている。
 二人に麦茶を出して、懐かしそうにそのあとをなでている夏清を見て女性がまた笑う。
「ここの大家代理さんからね、格安で借りる代りに、二つほど条件を出されたのよ。一つは家具も家も勝手に捨てたり改築したりしないこと。もう一つは、あなたがこの家に帰りたいと言ったら、すぐに明け渡すこと」
 驚く夏清に、更に家人が言う。
「ウチもいろいろあってね……でもいつかあなたが来るんじゃないかって、ずっと思ってたのよ」
 玄関からかしましい声が響いて、女の子ばかり三人、走ってくる。お客がいたことに驚いたようだが、はにかんだようにこんにちはといったあと、少女たちは二階に上がってしまった。
「もし今すぐあなたがここに帰りたいって言うのなら、私達は他を探すわ。ごめんなさいね、またわざわざ来てもらって。それだけ伝えたかったの」
「あ、いえ、いいです。住んでもらってて。誰もいないより、家は嬉しいと思うし……それに、私、ちゃんともう、帰る家はあるんです」
 そう言って、井名里を見上げる。なにも気にしていないそぶりでお茶を飲んでいる彼を。
「良かった……そう言ってもらえると助かる。もしあの時この家が貸家にでてなかったら……ああ、愚痴になりそうだからもうやめましょう。そうだ、ご飯食べていかない? チャーハンくらいしかできないけど」
 そう言って立ちあがる女性に、丁重に断ってまた庭から出る。
「その、もし嫌じゃなかったら……で、いいんだけど、良かったら、また来てね」
 ありがとうと答えて、ばいばい言う声に見上げると、夏清が使っていた部屋から、三人の子供達が顔を出している。手を振って、庭から出た。
 路地まで送ってくれた女性に、この家をよろしくおねがいします、と言って、井名里と一緒に車まで歩く。
「飯食うか」
「うん。すっごいお腹減った」
 いつ乗っても、井名里の車はとても静かで、加速の重力を感じさせない。帰り道は全然違うルートで、遠回りをした。
 海が見えるところまで行って、途中の雑貨屋の軒先にかかった赤札つきの、つばの大きな麦藁帽子が目に入って、慌てて車を戻して買ってもらう。
 海岸沿いのこぎれいなペンションの中にあるレストランで少し遅いお昼を食べて、ほとんど人のいない砂浜で遊んだあと、また海岸線を走った。
 ずっと向こうの水平線が確かに曲がっていて、どうしてこの星は無意味に広くて丸いのだろうと、どうでもいいことで哲学っぽく語りながら長い長いドライブ。
 世界は広くて。人は小さくて。
 だけど、と夏清は思う。
 自分の心は、この星よりもずっとずっと、たくさんのもので満たされているんだと。
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