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抱きしめて抱きしめて抱きしめてキスを交わそう
2-3 京都
しおりを挟む前菜から始まって、数えきれないほどの料理を堪能し、夏清は食べている間ずっと『おいしい、すごい、これなに?』と繰り返し、最終的には忙しいはずの板長が直々に説明しに来た。それでも熱心に聞いてくれる若い女の子に気を良くしたのか、どうせわからないだろうと思ったのか、隠し味に調理の裏技までまんざらではない様子で語って帰っていった。実際、井名里と夏清以外の客は、若くても三十代、おそらく二人を除くと平均年齢は六十を越えるはずだ。宿のグレードから言っても彼らが普通で、自分たち二人が異端なのだろう。
最後の水物と呼ばれるデザートの前に、お腹がいっぱいだといっていたにもかかわらず、サービスで一つ余分につけてもらった白桃の葛寄せを少し凍らせた冷菓まで夏清はしっかり食べ尽くした。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせてそう言う夏清を他の客がほほえましいものでも見るような目で眺めている。若い女の子がおいしそうにご飯を食べている様は、確かに井名里が見てもいかにも幸せそうでいい。
宿の裏手にある川の上に設えられた川床は、水流れる音の効果もあるのだろうが、体感温度がずっと低い。空は雲ひとつなくて、けれど満月に近い月のせいで、星の数はそこまで多くない。食事を終えた人たちも、そのまま残って思い思いくつろぎながら、日本酒やビールを飲んでいる。
「何かお持ちしましょうか?」
食事を終えた二人に、仲居が膳をさげながら尋ねた。
「何か飲むか?」
「………いい。おなかいっぱい」
少し考えてから、夏清が答えると、井名里が断る。
「アレだけ食ったらな。三日分くらい食ったんじゃないのか?」
「そうかもしれない。なんかね、今すぐ寝むれそう」
「ハイハイ、部屋帰るぞ」
ナチュラルハイが入りかけた夏清を連れて井名里が川床から宿に入る。
「……酒は、飲んでなかったよな?」
「? 飲んでない……けどゼリーには入ってたよ」
そう言われて、思い出したら確かになにかアルコールが含まれているような味だった。にしても、あの位で酔ったのか。
「二個食べた」
「ハイハイ」
跳ねるように井名里の先を歩いて行った夏清がそれでもちゃんと部屋は覚えていたようで、おとなしく鍵を開けるのを待っている。
「どうぞ、お姫様」
そう言ってドアを開けた井名里にくすぐったそうな笑顔を向けてから、夏清が先に部屋に入る。贅沢なほど無駄な空間の真中に並んだふとんが敷かれてあり、その横の畳が窓の形に切り取られた月光の中に浮かび上がっている。
「先生、月ってすごいね。こんな明るかったんだ」
窓辺によって、畳の上に自分の影を映す。
「こんなにゆっくり月を見たの、久しぶり」
床から出窓までの高さは、八十センチほど。どうやって手入れをしているのか、建てつけのよい木の窓枠を、夏清が音もなく開ける。クーラーはあるようだが動いていない。窓を開ければ充分なのだろう。水と木の匂いが室内に入ってきた。これが街中ならば、アスファルトに蓄積された熱と室外機の熱気で、夜でも窓など開けていられない。
開けた窓の向こうはすぐに、中途半端な高さのこれもまた木でできた手すりがあり、そこに背中預けるように座って、のけぞるようにしながら夏清が空を見上げている。
夏清のそばまで来た井名里も何も言わずに空を見上げた。晧々と照る月の光に、星がかき消されていた。月がなければ、天の川くらい見えたかもしれないのに。
井名里の手が、頬に触れる。夏清の頬が熱いのか、井名里の指がとてもひんやりと心地いい。耳の横にある後れ毛を、遊ぶように指にかけて解く。微かな動きに夏清がくすぐったくて首を元に戻した。
瞳が合った。
夏清が、ゆっくりと、その中に星を閉じ込めるように、瞳を閉じる。
目を閉じても、ちゃんと顔が近づいてくるのが分かる。唇が触れて、離れて。
息をつくタイミングも計れない、不規則なついばむように軽いキスが何度も夏清に降りてくる。
「……ふ……ん」
酸素を求めて唇が開くのを待っていたように、やわらかい舌が割り込んできた。
「あ、ん」
息をしようと逃げる夏清の頭を、包むように井名里の両手が押さえる。夏清が苦しそうにもがいても、キスが終わる気配はない。普段は鼻で呼吸しているのだから、できないことはないのに、徐々に心拍数の上がっていく夏清の体内の酸素は、そのくらいでは全然足らない。
「は……くは」
口の中を、むさぼり尽くすように這い回った井名里の舌が離れて、唇の…顔の距離がすこし広がった。
咥内に溜まった唾液を嚥下して、夏清がぜいぜいと肩で息をつく。酸欠でぼーっとする。
「夏清」
抱き寄せて出窓から降ろし、コンマ五秒ほど考えてから、さすがに窓を閉める。夏清の体を回して、背中の帯に手をかける。やわらかい生地でできた帯は、少し変わった蝶々結びになっていたが、片方を引けばすぐにほどけてしまう。その下にまかれた薄くて幅の狭い帯も、端が二度がけにされて挟み込まれているだけなので手探りで引けば軽い衣ずれの音とともに解けた。補正するために入っているタオルなどの小物が、帯といっしょに軽い音を立てて畳の上に落ちて散らばった。
腰紐が一本残っているが、帯を解いたことで襟が崩れた。鎖骨のくぼみまでかかっていた襟を前になった左側だけ肩まで抜く。今日着ていたワンピースの跡なのだろう、腕の付け根に日焼けの境界線が浮かんでいるのが、微かな光の下でやけに目立った。
夏清は、拒否することなく、けれど受身のまま、目を閉じて井名里の次の行動を待つ。
「あっつぅ……んんっ」
夏清の華奢な肩に、後ろから井名里が軽く噛み付いた。そのあとゆっくりと、首の付け根まで舌が這う。無意識に、夏清の手が井名里の腕を探して彷徨う。
右手で最後の紐の端を探る。左手が、夏清の脇をなでた。
布がこすれる音が静かな室内にやけに大きく聞こえた。浴衣の裾がたたみに落ちる。するりと、左腕の半ばまで袖が落ちた。
剥き出しになった左の胸を、後ろから回った井名里の左手が少し乱暴に掴む。
「ひぁっ!! っやぁん」
ぐりぐりとこね回すように動く腕を止めようと、夏清が井名里の手に指を絡めても、そのくらいで止まるわけもなく、徐々に夏清の途切れがちの悲鳴と息遣いが高く、間隔が短くなっていく。
「夏清、目、開けて」
「んっ……」
乳房の先端の敏感な部分をつままれて、夏清がくぐもった声をあげて目を開く。
「や……」
月明かりの加減なのか、窓は目の前の暗い森だけではなく、ほのかに明るい室内の様子を、ほんの少し映りの悪い鏡のように反射させている。
それでも、今の自分の状況はすぐに把握できた。
井名里を止めようとしてその腕に絡ませた自分の腕は、逆に触ってほしいところに誘うように添えられている。片方だけ着物をはだけて、男の腕の中にいる姿が、じわじわと網膜から視神経を伝って、脳に送られる。
「いっや……」
中途半端に浴衣を羽織った自分が、全裸よりなお一層いやらしく薄い窓の中に立っている。
井名里の両手が脇から腰を這ってゆっくりとショーツを引きおろしていく。堪らなくなって、夏清が目を閉じた。
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