やさしいキスの見つけ方

神室さち

文字の大きさ
上 下
30 / 259
アンバランスなキスをして

7-1 帰路

しおりを挟む
 
 
 
「船の上で、ご飯たべたかった」
 修学旅行三日目の日程の中で、メインはやはりコレだった。客船に乗って、明石海峡大橋を見ながら中華バイキング。
「モザイクでお土産買おうと思ってたのに」
 その船が発着する神戸ハーバーランドのショッピングモール。
「中華街ー 異人館ー」
 午後からは、三宮にいく予定だったのに。
「ゆーえすじぇー 伊丹空港ー 飛行機乗りたかったー」
 三泊四日の最終日は、大阪のUSJで三時まで自由行動。行きは新幹線、帰りは伊丹から羽田まで飛行機の予定だった。飛行機に乗ったことのない夏清は、結構楽しみにしていたのだ。
 点滴を受けたおかげか、ゆっくり眠れたためか。おそらく精神的に安定したからだろうが、翌朝夏清はほぼ全快していた。にもかかわらず保健医の塩野に大事を取って予定返上で帰ったほうがいいといわれてしまった。
 朝、宿に戻って、大丈夫だから行きたいと言った夏清に、クラスの女子たちも自分たちが気をつけるし無理をさせないからと言ってくれた。
 そう言われると、逆に邪魔になってしまうのがいやで、夏清は迷惑かけたら悪いから、私の分まで楽しんできてね、と行きたい気持ちを押さえて思っていることと反対のことを言ってしまった。
 てっきり塩野が付いて帰ってくれると思っていたのに、ほかに具合の悪い子がでるかもしれないから、とよくわからないうちに井名里が連れて帰ることになっていた。A組は学年主任が担当するらしい。
 申し訳なさそうにバスに乗り込むクラスメイトを見送って、こうして二人、規則正しく揺れる電車に乗って京都駅へ。そこから新幹線に乗って帰らなくてはならない。
「わかったから、今度連れてってやるよ」
 奈良から京都へ向かう在来線の中でも、京都駅についてからも、ぶつぶつと夏清がつぶやくのに、いささかうんざりした様子で、なにが入っているのかわからないがやたらと重い夏清のスポーツバックを担ぎなおして、井名里が折れた。
「今度っていつ? 夏休み?」
「……しか行けないだろう」
 俯いてしょんぼりしていた夏清が、ひょこんと顔を上げて井名里を見上げる。
「ほんと!? じゃあ京都ももう一回回りたい!」
「ハイハイ」
「トロッコ列車に乗って、保津川下って、人力車乗りたい。美空ひばり記念館入りたい。オルゴール博物館も。神戸はね、コンチェルトと、ハーバーランド!! 一日べったりUSJ」
「ハイハイ」
 よりにもよって金がかかるところばかりを夏清が言っている。クラス委員をしている夏清は、同時に修学旅行委員もしていたのだ。同級生たちが選ぶかもしれない京阪神の観光スポットは、ほぼ全て頭の中に入っている。行きたくても予算と時間の関係上なくなく却下したプランは吐いて捨てるほどある。その中で一番予算が高いコース。一体いくらかかるだろう…
 何を言っても了解する井名里に調子付いて夏清が行きたいところをどんどん言って行く。
「新しくできるディズニーシー!」
「はいは……ってちょっとまて。それは全然違うだろう」
「じゃあそれはクリスマス」
「………ハイハイ」
 にっこり笑われて、嫌だとも言えずに井名里がながされるように承諾した。
「京懐石食べたい。湯葉!! 湯豆腐!!」
「夏行くのにか?」
「だめ?」
「いいよ。好きなとこ連れてってやるから、プランは任せた」
「んー 湯豆腐はやめて、鴨川の床は?」
 ようやく店が開き始めた京都駅の地下街を足取りも軽く嬉しそうに前を行く夏清が振りかえって、井名里に聞く。
「だから任せたって」
 京都のことは、あの有名な金閣寺さえどこにあるのか全くわからない井名里は、余計な口を挟まないほうがよさそうなので、苦笑してそう言った。
「先生、行きたくない?」
 ついさっきまで輝きながらクルクル動いていた瞳が、一気に寂しそうになる。
「そうじゃなくて……俺は京都に何があるか知らない。だから好きにしたらいいってことだよ」
 ぽんぽんと頭をなでて、驚く間もなく井名里が夏清の手を握る。
 半歩前を歩く井名里を見上げると、表情は見えなくても、耳が赤いような気がした。
「うん」
 少し歩幅の広い井名里に夏清が早足でついていく。こんな風に手を繋ぐのは、初めて。
 そのまま井名里が京都伊勢丹へ進んで行く。
 しばらく無言のままで歩いて、井名里が不意に足を止めた。
「わ」
 止まりきれずに、夏清が井名里に突っ込んで、どうしたの? と言いたげに見上げた。
「あれ、ここ」
 ウインドウに飾られた、ワンピースの赤が目に入る。
 ノースリーブの、胸の上で切り返しがある少し大人っぽくて、かなりお値段の高い、ブランドもののワンピース。
「見てただろ。これ」
 確かに、一日目夏清はしばらくこれの前で止まってしまった。脳裏に焼き付くくらい、きれいな赤。これくらいきれいで、大人っぽい服を着たら、もっと井名里の隣にいられる気がして。
「なんで知ってるの?」
「見てたから」
 お前を、と続けるように、井名里が夏清を見る。
「着てみるか?」
「いいの?」
 ぱぁっと表情が明るくなる。聞きつけた店員が、ちらちらとこちらを見ていたので井名里が夏清の背中を押す。
「着てこい」
「うん」
 走って店内に入って、店員になにやら話している。ウインドウから服が持って行かれて夏清が試着室に入って行くのを見て、井名里は荷物を足元においてウインドウにもたれた。
「先生、見て見て」
 試着室からロケット弾のように出てきて、井名里の前でくるりと回って見せる。制服を着て、ベストを着ていたらわからない体のラインがはっきりとわかる、明らかに服が着る人間を選ぶタイプのそれは、あつらえたように似あっている。
「似合う似合う。そう言えば私服でスカート穿いてるの見るのは初めてだな」
「そうだっけ?」
 似合うと言われて夏清がうれしそうに笑っている。
「買ってやるよ」
「え?」
「どうせだからそのまま着て帰るか?」
「いいの?」
「嫌ならいいけど?」
「嫌じゃない!」
 叫び出さんばかりの勢いで、井名里の首に夏清がぶらさがる。
「では、着ておられたお洋服は紙袋にお入れしてよろしいですか?」
 いつの間に居たのか、隣に立つ店員にそう問われて改めて自分がなにをしていたのか気付いた夏清が井名里から剥がれ落ちる。
 制服、とは言わない。さらに平日のこの時間に制服で少女が男と歩いているのに、余計な詮索はしない。腐っても一流ブランドの看板をぶら下げているのだ。どんな客でもお客様、と言う店員の対応はいっそすっきりしている。
「タグを外しますので、こちらに」
「あ、ハイ」
 赤くなって俯いて、年配の店員のあとを歩く夏清を、店員たちがかわいらしいものでも見ているように笑っている。
「お支払い、よろしいですか?」
「ええ、カード、使えますよね?」
「分割ですか?」
「一括で」
 支払いを済ませる井名里の後から、他の店員がレジの店員に声をかける。
「びっくりしたわーもう。あのサイズ、入いる人間いるの? とか思ってたのに」
「は?」
 井名里が間抜けな声を出すと、二人の若い店員が同時に井名里を見る。
「あれってディスプレイ用にウエスト絞ってるんですよ」
 何でそんなことをするのだ……
 カードを受けとって、タグを取って買ったばかりのワンピースを着た夏清を見る。確かに、ものすごくウエストが細いような気がする。
「………痩せただろう?」
「うーん、多分」
 自分のウエストを触って夏清が応える。そう言えば、制服のスカートがスカスカしていた。
「もうちょっと太れ。でないとほんとに折れるぞ」
 制服がブランドの紙袋に入れられて渡された。
「いいの。この三ヶ月でちょっと体重増えてたから、元に戻っただけだもん」
「昼飯は肉だ、肉」
「えー もっとあっさりしたのがいい」
 なんだかとてつもなくうらやましいものを見るような目をした店員たちにありがとうございましたと見送られて、今度は夏清が井名里の腕を取る。
「でも先生が食べたいのでいいよ?」
「じゃ とんかつ」
「やっぱり肉……それよりさ、先生、実冴さんに言われてたの、送った?」
「送ってない」
 なんで俺が、と顔に書いてある。
 基本がフリーの修学旅行だ。教師は生徒たちが多く集まる場所に配置される。井名里は、移動が少ないことを理由に、ずっと京都駅近辺の担当をしていた。別に四条くらいまでなら移動していてもかまわなかったが、面倒くさくて伊勢丹とプラッツ近鉄をぶらぶらしていたのだ。
「さっき通った地下、あったよ、とらや。せっかくだから買って帰ろう?お小遣いたくさんもらったから、そっちから出すよ」
「お前が払うくらいなら俺が買う」
 夏清に買わせたことがばれたら、絶対実冴に殺される。
「まあまず、飯食ってから」
 二人揃って朝食を食べはぐれているのだ。駅で買ったコーヒーとネクターで胃袋をだましている状態である。
 そう言って井名里が、エレベータに夏清を押しこむ。平日の開店直後のデパートの自動運行のエレベータには誰も乗っていない。
「先生先生っ」
「ん?」
 呼ばれて、組んだ腕を引っ張られて井名里がなんの衒いもなく少しかがむと、頬に軽く当たったのは、夏清の唇。
「服と、旅行のお礼」
 そう言った夏清に、井名里がまた苦笑する。
「それは、高いキスだな」
 井名里がひょいと夏清の首に手を回して、顎を捉える。
「釣りだよ」
 キスをしたのと同時に、ドアが開いて、乗りこもうとした誰かが『あ』とつぶやいて退いた。そのまま誰も乗せずにドアが閉まる。
 再び動き出した狭い室内に夏清の悲鳴が響いた。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

第二部終了!
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

壮年賢者のひととき

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:45

ドMサッカーボーイズ❗

BL / 連載中 24h.ポイント:404pt お気に入り:53

幸せのありか

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:182

少年人形の調教録。

BL / 連載中 24h.ポイント:1,250pt お気に入り:43

不倫され妻の復讐は溺愛 冷徹なあなたに溺れて幸せになります

恋愛 / 完結 24h.ポイント:10,594pt お気に入り:141

わんこな部下の底なし沼

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:25

【R18】天国か地獄のエレベーター(女の匂いに翻弄される男)

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:181

処理中です...