ケンカ王子と手乗り姫

神室さち

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本編

3-6

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 そのブニャブニャした筋肉の感じられない手触りに一瞬顔をゆがめたユナレシアだが、その手は離さない。


「御身に触れた事、申し訳ございません。ですが、おやめください、子……ピリカーシェ姫様。今、この娘に怪我を負わせることは国を滅ぼすに等しい行為です」

 いつも心の中でつけている形容詞が口を付いて出かけて、一度ぐっと飲み込んでから、ユナレシアが言葉を続ける。


「なぜ止めるっ!? この娘、わが国の国民でありながらあたくしの顔すら知らぬと申すのだぞ!! こんな不敬な娘など、今すぐ独房へ放り込め!!」

「ここに牢はございません、姫様。それにこの娘は明日にでも、アリストリアへ渡される故、今後姫様の前に出てくることもございません」

 と言うより、なぜこの子ブタ姫がここにいるのだ。

 この子ブタ姫は走る事はおろか、歩く事すら面倒がって、城内であっても輿に乗って移動するほどなのに。


「それじゃ! それが解せぬのじゃ!! どうしてあの王子様はあたくしではなく斯様に貧相なものをと申されたのじゃ!! そこな通訳よ!! お前の聞き間違いであったのではなかろうな!?」

「めっ! 滅相もございません!! あの、その……アリストリアの王子は……姫のように豊満な方ではなく、ガリガリに痩せた方がお好みなのでございましょう……人の好みばかりは……いや、如何ともし難く……」

 通訳の男が両膝付いて座り込み、必死に言葉を探して姫の不満を買わないよう取り繕っている。

「全く!! あたくしのどこに不満がおありだったというの!? あたくしは身も心も王子に捧げるつもりで斯様な不平等な婚姻を承諾してさしあげたのにっ! このあたくしが! そこまでお慕いしておると言うのにッ!!!」


 どこもかしこもだろう。見た目も悪い上に性格まで最悪ならばもう、どうしようもない。


 その場にいた者の内、姫の言葉に一々頷いて涙を拭いている中年の侍女と、まだ状況を飲み込めていないらしいミーレン以外の誰もが思った事だろう。


 子ブタ姫を娶らされる予定だった公爵家の寡黙だけが売りの堅物長男が、子ブタ姫がアリストリアに嫁ぐと聞いて狂喜乱舞したというが、アリストリアに引き受けてもらえなかったと聞いて、きっと今頃枕を涙で濡らしているに違いない。


「いいえ! わたくしは反対ですわ! 姫様ッ!! こんなにおかわいらしい姫様を、顔はともかくあのように粗暴な蛮人に渡すなど……わたくしにはできませぬ! 結果がどうであれ……わたくしはっ わたくしは姫様が無事でなによりとおぉおぉぉぉッ!!」


 さてどうやってお引取り願おうかとユナレシアが思案していると、中年の侍女が勝手に叫びだして泣き崩れてくれた。

 この線で寸劇に乗るべきだと一瞬で判断し、ユナレシアも口を開く。


「その通りでございますわ姫様。いくら短気とは言え他国の使者を足蹴にするような輩はまともとは言えません。姫様の思いなど歯牙にもかけず、そういった男は己の気分しだいで暴力を振るうものですわ。こちらから願い下げしてよろしいのです! こんなにかわッ かわいらしい姫様でゴザイマスから、そんな男の事など早く忘れて、新しい恋を見つけられたらよいのでゴザイマスよ」


 肝心のところで噛んでしまった上に、心にもないことを口走ったせいで声が裏返ってしまったと、冷や汗をかいたユナレシアだが、ピリカーシェ姫はそこまで気付かなかったらしい。


「全くその通り! あの王子、私とて訳すを憚るような罵詈雑言を口走り……とても王子という身分とは思えないほどに呆れた言葉遣いで……もしかしたら王子などとは名ばかりの者やも知れません!! 蛮族の言葉なぞ高貴な姫君は知らなくてよいもので、姫様がご存知なくてよかったと、私、本当にっ ほんっとうにっ!!」


 追従してきた通訳の男の言は、真実ゆえにかなりの説得力があった。

 言葉自体というより、男から発せられる何かが信じずにはおられないものを含んでいた。


「姫様、姫様が袖にされたのではありませんわ。姫様『が』袖にしたのです!! その様な下劣な男だったとその心眼で見抜き、捨て置いたのでゴザイマス!」

 我ながら飛躍しすぎたかと窺うと、ピリカーシェ姫は脂ぎった頬を染め、その小さく円らな瞳を爛々と輝かせている。


「そうじゃの! その通りじゃ!! あたくしが捨てたのじゃ!! ほんに、あたくしにふさわしい男ではなかったわ。実物は粗野で訳のわからない蛮族の言葉を喚き散らす野獣がごときものであったよの! 絵姿とは大違いであった。あのようなものであたくしを騙そうなどしてもできるものではないのよ!」


 すっかり話題を摺りかえられた事にさえ気付かずに、ピリカーシェ姫が当初の目的さえ忘れて高笑いをしながらドスドスと床を踏み鳴らし、部屋から出て行った。

 やがてその高笑いと床が抜けそうな足音が四階の貴賓室に消えて、やっとユナレシアが肩から力を抜き、そこではっとミーレンを見た。


 ベッドで横座りのような姿勢のまま、ミーレンが大きな瞳でユナレシアを見詰めている。

 ピリカーシェ姫を丸め込む為とは言えこれから嫁ごうかと言う少女の前でその相手を散々にこき下ろしてしまった事に今更ながら気づいて、珍しく視線を彷徨わせた。



 床や天井をチラチラと見ながらどう釈明すべきか考えていたユナレシアの耳に、楽しそうな笑い声が聞こえた。


 使い古された表現をするのならば、それこそ『鈴を転がすような』笑い声。


 くすくすと始めは控えめに、けれど徐々に堪えきれなくなったのか、シーツを掴んで声を上げて笑い出すが、不思議と下品さがない。


「あッ あははははははッ! ユ、ユナレシアさんがっ もう、全然そんなこと、思ってませんって顔でっ! ふふふふふっ 言い間違えっ 声がっ!! 変な声でっ」

 目尻に涙さえ浮かべて、ミーレンが笑っているのをそれこそ笑われかねないほどにぽかんと口を開けたままユナレシアは見ていた。

 床に座り込んだままの通訳の男も、騒ぎの間廊下にいた子爵も、ミーレンの笑い声に目を見開いている。

 ここまでの道のり、不平不満を言わない代わりに、ミーレンはずっと硬い表情を崩さなかった。

 立ち寄った関で短い休憩を取る間もずっと殆ど喋りもしなかった少女と、声を上げて笑い転げる姿との印象の相違に驚いているに違いない。


 それ以上に驚いていたのがユナレシアだった。この少女との付き合いは、任を解かれていた間を除いてたったの二十日間ほどだ。



 しかしその間、ミーレンが声を上げて笑った事は一度もなかった。



 最初の一週間ほどはずっとビクビクと周りを窺って、言われた事だけしていた。

 自分で考えて行動するようにユナレシアに言われて、次の一週間ほどは前の一週間で学習したことを思い出し、思い出ししながら、やっぱり人を窺うような上目遣いで恐る恐る行動していた。

 その後の一週間ほどは、きちんとすれば褒めてくれるユナレシアやかわいがってくれる侍女見習いたちにやっと慣れて来たのか、褒められて恥ずかしそうな顔が出来るようにはなっていた。



 けれど、一度たりとも笑った事などなかった。



 笑顔を作る練習はさせたが、口の端が引きつらせるのがせいぜいで、ずっと長い間表情を作る事をしていなかったミーレンは『笑顔のような顔』は作れてもちゃんと笑う事ができなかった。





 はずなのに。





 そのミーレンが笑っている。

 失敗を笑われているのに、ユナレシアは本気で咎める事など考え付きもしなかった。

 笑いすぎて酸欠に陥るほど好きなだけ笑わせて落ち着くのを待てば、何も言わない、しないユナレシアに、己が何に笑っていたのか気付いたらしいミーレンが、いつも見慣れた人を窺うような顔をした。


「えっと、あの……」





「そうよ。楽しかったなら大声で笑っていいの。あなたがこれから先、何度こんな風に笑えるのか私には分からないけれど……私のことを思い出して笑って。そうやって笑っていなさい。あなたには笑顔の方が似合うわ」





 ユナレシアはふわりとミーレンの細い体を抱きしめて、泣きたいような気持ちになりながらそう言った。


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