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愛し君へ
17 side哉
しおりを挟むとにかく広い。めちゃくちゃに広い。あっちこっちと見ながら歩いているだけであっという間に時間が過ぎていく。
目論見(もくろみ)通り、歩いて刺激に触れて疲れた萌花が眠った機を逃さず、実冴たちが下船するのを見送った後、一緒に部屋に戻って、どうせだから百日を超えるクルーズを最後まで楽しもうと哉に告げられ、樹理が目を丸くした。
「えっと、氷川さん、仕事は?」
「その辺りは大丈夫だ。大体の引き継ぎは終わっている」
これについてはウソ偽りない事実だ。
哉は東京本社へ戻ってこれまで、工業部門を担当していたが、既に部門は立ち直り、十分に最適な体勢で運営されている。
二か月後、来春には別の部門──海外営業──へ担当を替えることがすでに決定しており、年明けから来期工業部門を担当する者への引き継ぎを行っていて、既にほぼ完了している。そしてこれから三月の末にかけて、海外営業からの引き継ぎを受ける予定だったのだ。
前回の辞表事件で、氷川の一族も同じようなことが起こらないよういろいろ手を回していたようだが、哉とて、手をこまねいていたわけではない。さりげなく『自分が消えた後』に大穴が開かないよう複数人材を育ててきた。
思っていたより時期は早いが、仕事を離れることに対して、さして不安はない。
適当な人材は哉の他にも十分足りている。哉が抜けたところで、誰かが……数人がかりになってもその穴を埋められる。
そこまで説明しても、樹理はまだどこか不安そうな顔をしている。
「でも……」
顔に浮かんだのは、安心させるためだけの笑顔だったのか、苦笑だったのか。
仕事自体は嫌いではない。寧ろ、確実に仕事をすることは好きだと今では素直に認めることができる。
それとて、樹理がいてこそ分かったことであり、現在の自分がある。
「心配しなくていい。万事抜かりはない。今は仕事より樹理を優先する。それだけだ」
そう言って細い肩を抱けば、樹理の返事は短い溜息と背中に柔らかく回された腕から伝わるやさしい力加減だった。
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