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OVER DAYS
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しおりを挟む珍しく早く帰ってきた篠田を、ぎょろりと大きな青灰の瞳が見上げて、黙ったままじっと凝視している。目が合っても、彼女は絶対に自分から逸らさない。
玄関の下駄箱の上に敷かれたムートンの上に、それに負けないつやつやした黒い毛皮をまとった猫が伏せている。子猫と言うほど小さくもなく、成猫と言うほど大きくもない、中途半端な思春期を思わせる体躯。真冬でも天窓から日光が射して、日が暮れても玄関は暫く暖かいので、おそらく昼間から今までいぎたなくここで寝ていたのだろう。
クリスマスのその日、雪に変らない程度に冷たい雨の中、車庫の前でずぶぬれで震えていたところを篠田に拾われた彼女は、三日ほど文字通り猫をかぶって警戒心も顕わにおとなしく過ごしていたが、この家に慣れた今では家人よりふてぶてしく暮らしている。妻は何度か撫でたり洗ってやったりしているらしいが、命の恩人とも言うべき篠田は、拾ったとき以来手を出そうにもシャーっと威嚇されて触ることさえ許されていない。
「お帰りなさい。晩御飯、まだ出来てないの。あら? 五十四号ったらこんなところにいたの?」
哉を降ろした後に電話をしておいたので、帰宅が早いことに関してはあえて問わない妻の声に篠田が視線を逸らした直後、とんと床に下りてゆっくりした足取りで奥へ歩いていく。ちなみにこの変な名前は妻の命名だ。
黒猫からクロ。逆さにしてロク。そこで留まらずロックになって、六掛ける九イコール五十四と言う具合らしい。
哉のマンションより更に三十分ほど郊外に走ったところに篠田の自宅はある。もともと篠田の両親が暮らしていた土地に建てた家で、現在彼らはもっと便利のよい都心のマンションに引っ越してしまったので、一度更地にして、ハウスメーカー製の四人家族用だった以前のものより少し小さな家を新築した。
スーツの上着だけ脱いで夕刊を持って居間へ行けば、座り心地のよいソファには既に先客がいる。丸くなってくれればいいものを、堂々と足まで伸ばして占拠だ。猫が喋ることができたのならきっと『何か文句でも?』くらいは言っていそうな態度でのさばる黒猫に一瞥をくれて、ダイニングのイスに座るのと同時に、テーブルに置いた携帯電話が震えだす。その振動音が気に入らないのか、五十四号が耳としっぽをビビッと振るわせた。
発信者は氷川哉。お互い電話番号を交換したが、実際電話が掛かってきたのは初めてだ。殆ど一緒にいるから当然なのだが。
やり取りは予想通り簡素で、伝えるべきことを伝えて通信は終わった。
「お仕事の呼び出し?」
「いや、その逆で明日は朝も少しゆっくりできそうだ」
アドレスから瀬崎の番号を出して、哉ともども出社が遅くなる旨を伝えて携帯電話を置いた篠田に、食事を作りながら尋ねてきた妻に応える。
「あら、珍しい。じゃあ今夜ちょっと遅くまで付き合ってくださる? 姉さんが怖い映画のDVDを貸してくれたんだけど、ホントに物凄く怖くて最初のほうちょっとしか見れてないの」
そんなに怖いのなら見なければいいのにと思うのだが、それは『怖いもの見たさ』と言う言葉の通り、見ないと気が済まない物らしい。相変わらず、タイトルを聞いても公開されていたことすら知らないようなB級ハリウッド物。ただ、時々低予算ゆえにリアルに怖い作品もあるのでそれなりに楽しめる。
そう言えば最近めっきり妻の趣味に付き合っていなかったことを思い出して二つ返事で諒解し、ざっと目を通した夕刊を閉じる。
子供がいないなりに楽しんでいる夫婦の会話を聞きながら、黒猫が一度伸びをしてごろんと面倒くさそうに寝返りを打った。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
これを書く前にソウ(SAW)をみちゃったんですよ。第一作。
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