幸せのありか

神室さち

文字の大きさ
上 下
37 / 326
第一章 幸せのありか

37 side樹理

しおりを挟む

 
 
 なのに何もかもが初めての体は、心ほど反応しなかった。つまらなさそうに、いや、つまらない時に哉はいつも鼻で笑うように息を漏らす。それが聞こえたとき、自分はそんなことでさえ彼を満足させられないのかと泣きそうになった。

 その後すぐに、下腹部に焼けるような熱。からんという、ビンが転がるような音に、何をされたのかすぐにわかった。焼けつくような痛みの後、そんなものとは全く別の次元の痛みに体が裂けたかと思った。

 けれどそれもアルコールが回ってしまえば我慢できないものではなくなって、ただ揺さぶられながら意識が遠のくのが分かった。

 次に気付いた時、哉が腕の拘束をはずしているところだった。口に入れられたタオルも取られる。噛むものがなくなったら、とたんに奥歯がカチカチと鳴り出した。


 止めようとしても止まらなくてどうしようもなくて。


 何度もごめんなさいと言うより他になかった。ぎゅっと目を閉じて泣かないようにこらえるので精一杯だった。

 哉の腕が伸びてくるのが分かって反射的に殴られると思って身を固めるとそっと起こされた。

 すぐに肩に、ひやりとした感触。背広の裏地が汗ばんだ背中にぺたりと貼りついた。

 哉が疲れきったような声で体を洗ってこいというのが聞こえた。

 その声のどこにも、満足したような響きがなくてまた泣きたくなった。目の前からいなくなれといわれてなんとか立ちあがって言われた通り風呂場に向かった。

 そこから先は、もう何も覚えていなかった。


 違う。一つだけ覚えている。


 夢かもしれなかったけれど名前を呼ばれた気がした。


 もう一度呼んでほしくて、暗い所をさ迷って声がしたほうに、樹理は帰って来た。

 けれどここには哉はいない。やっぱり、夢だったのだろうと思うと少し寂しかった。

「あ! 起きてる! お母さーん、樹理ちゃん目ぇ覚ましたよー!!」

 不意にふすまが開いて、セーラー服の少女が入って来て、そう叫びながらまた出ていってしまった。

 あの、と声をかける間もなく。


 すぐにばたばたという複数の足音が聞こえて、開いたふすまから頭が三つ。

「あらほんとだ。良かったわ。大丈夫? 昨日丸一日と今日半日、寝てたのよ?」

 にっこりと笑って、三十代の半ばくらいの白衣の女性が樹理の腕から点滴の針を抜いた。

「あの……」

「んー?」

「ここ、どこ、ですか?」

「ああ、ここはね、診療所。入院できるような施設はないから、ウチの娘の部屋よ。ベッドのほうが看護はしやすいからね。私の名前は神崎理右湖。そっちにいるのが娘の桜(さくら)と椿(つばき)。そしてあなたは行野樹理、オッケー?」

「ハイ……」

 名前を呼ばれて、先ほど入ってきたショートボブの少女とその下のベリーショートの少女がぺこりと頭を下げてくれたので、樹理もつられて頭を下げた。

「起きあがれるなら一緒にご飯を食べましょう。桜、椿、用意してきて」

 ハーイと言う声が綺麗にハモって、またばたばたと廊下を走って行ってしまう。


「どう?大丈夫?」

「はい」

「じゃあご飯食べて、元気になりましょう」



 人好きのする笑みを浮かべた理右湖に、ほんの少し心が軽くなった気がした。


しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

現在の政略結婚

詩織
恋愛
断れない政略結婚!?なんで私なの?そういう疑問も虚しくあっという間に結婚! 愛も何もないのに、こんな結婚生活続くんだろうか?

それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。 「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」 その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。 恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。 まさにいま、開始のゴングが鳴った。 まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。

大好きな背中

詩織
恋愛
4年付き合ってた彼氏に振られて、同僚に合コンに誘われた。 あまり合コンなんか参加したことないから何話したらいいのか… 同じように困ってる男性が1人いた

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

処理中です...