幸せのありか

神室さち

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第一章 幸せのありか

32 side哉

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 全てが終わって、荒い息をつきながらどうしようもないくらいの虚無感に襲われた。

 引きずり出して、縛り付けて、無理やり組み伏せた。

 拒絶されればされるほど、自分の存在を否定されているようで、わけのわからない衝動だけで動いた。


 主導権は全て自分にあるのにどんどん追い詰められていく心境。余裕なんてどこにも無くて、ただ夢中で飢えた獣のように噛み付くように、犯した。

 抱くなんて言う甘い言葉で済まされる部分はどこにも無いことは、哉自身が一番よく分かっていた。

 口の中が最後に含んだアルコールにざらついた。

 満足な前戯も愛撫もないままで、しかもこんな状況で樹理に受け入れる体勢を整えろと言うのは無理な話で、樹理の体を開いて、ほとんど濡れていないそこに舌を這わせても縛られてからは抵抗らしい抵抗もせず、反応もなくなった体はそのくらいではなんの変化も示さなかった。


 何も感じていないのだと明確な結果がそこにある。


 ゆっくりとしていられるほど、理性など残っていなかった。眼の端に留まったビンを取って中身を口に入れて、そのまま中にいれた。粘膜を刺激するアルコールに樹理がうめいて体を捩るのを押さえつけて、一気に。

 そのあとあったのは本能だけだった。樹理のことなど一欠けらも考えることができずにただ自分を包む熱と、狭さと、アルコールと。

 重いはずのテーブルごと揺れるくらい、ひたすら自分が思うように動いて、そのまま終わった。


 何の満足感も残らなかった。

 いやがる少女を無理やり征服した。

 それに対する思いはこの身におさまりきらないほど、これまで抱えていた後悔を大きく果てしなくしただけだった。


 のろのろと起き上がって手の拘束を解き、口に突っ込んだタオルを取り除く。


「あ……う……や……ごめっごめんなさい……ごめッ……もう、やめ……」

 体を引き上げるとガラスのような瞳を開いたまま、うわごとのようにごめんなさいと樹理が繰り返す。

 ソファの上に脱ぎ散らした背広をかけると怯えで肩がはねあがった。痛めた樹理の咽を通る呼吸の音だけが響く。
 体をこれ以上無いくらい小さくして震えている樹理を見て自分がどれだけ彼女を傷つけたのか、もう分からなかった。

「立てるなら、風呂に行って、体を洗ってこい……」

 しばらくその言葉の意味がわからなかったのか、体が動かなかったのかじっとしていた樹理が小さく頷いて立ちあがり、ぎこちない歩き方で遠ざかっていくのを見送って、哉はソファに崩れ落ちた。

 樹理が出てきたら謝ろう。そして彼女が望むのなら家に帰そうと思った。いや、家に帰ることを望まないわけが無い。帰ったとしても会社の再建計画はたったふた月で軌道に乗っているのだ、手を引く事はしないと約束をして、帰そう、家へ。


 そんなことを考えながら待っていても樹理が風呂から上がる気配が無かった。

 中で泣いているのかもしれないとそれから五分待った。

 立ちあがっていらいらと歩き回りながら更に五分。

 入ってから確実に十五分過ぎた所で哉は脱衣所のドアをノックした。返事はない。


 開けると、風呂の電気はついていた。かすかにシャワーが流れる水音が聞こえるが、すりガラス越しでは中の様子がわからなくて、そのガラスをまた叩く。


 反応が、ない。


「入るぞ」

 返ってくる言葉が無いことを知りながらそう言ってからガラス戸を開けて。

 浴槽にしがみつくようにして倒れこんでいる樹理がいた。

 流れつづけるシャワーに濡れるのも構わずに近づいて抱き起こす。ぐらりと、力なく首がのけぞった。

「おい!!」

 思わず揺さぶると、両方の鼻から血が流れてきた。小さな咳と一緒に唇からも。


 耳からの出血を確かめる。幸いなことにそこからはなにも出ていなかった。抱え上げて脱衣所に戻り、濡れた体を拭く。額は火のように熱いのに、手足が怖いくらい冷たかった。

「……樹理……?」

 名前を呼んで、軽く頬を叩いても樹理はぴくりとも動かない。ただ苦しげに浅い息を繰り返すだけで。


 棚から引っ張り出したバスローブで包む。

 鼻からの出血は止まることは無く、むしろ増えているような気さえしてきた。

 リビングに戻って電話帳をひっくり返す。まだこの番号で通じることを祈りながら震える指でダイヤルをした。
 十二回目のコールで眠そうな声が聞こえた。


「はーい? 神崎診療所ぉー」

「速人っ!!」

「……哉? お前今どこに……」


 電話の向うの旧友は、それだけで相手が誰か分かったのだろう。非常識な時間の電話にも関わらず突然神戸のマンションを引き払って音信不通だった哉にどこにいるのかと聞いてくる。


 現在の住所を伝えるとえらい近所だなと速人がつぶやいた。


「そんなのはどうでもいいから、頼む…助けて、助けてくれ…!!」


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