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第一章 幸せのありか
5 side哉
しおりを挟むここのところ毎日、疲れを感じていても眠れない日が続いている。アルコールは好きなほうではないし、飲めるほうではないことも自覚している。現に、350mlの缶ビールで事足りているのだから。引越しをしてきたときに各方面からよく分からない高そうな酒をもらったが、リビングのローボードの中の飾りくらいにしか機能していない。高々缶ビール一本、たったそれだけのアルコールに頼らないと朝まで夢を見ずに眠ることが困難で、途中で目がさめてしまえばこれからやらなくてはならないことを考えてしまって眠ることが出来なくなる。
使わない電化製品も無駄に多い。母親が新製品が出るたびに勝手に業者を寄越して今までのものと交換して行くのだ。構う相手がいなくなったことで、その対象が哉に移った。今までほとんど哉のことなど気にも留めていなかった彼女は、その分も取り戻すのだと言わんばかりにべたべたと距離を縮めようとしてきて鬱陶しくて堪らない。
数少ない『使われている』電化製品であるテレビをつけてCSのニュースチャンネルを選ぶ。垂れ流される情報を聞きながら、哉はプルタブを開けてビールをあおった。
苦い液体を少しずつ摂取していると、不意に、エントランスからの来客を告げるインターフォンが響く。
壁にかかった時計は、すでに十一時を指そうとしている。
「誰だ? こんな時間に…」
疲れが溜まっていたからか、まだ半分ほども飲んでいないのに、立ち上がるのに少し時間がかかった。
リビングの壁に取り付けられたドアフォンを取るとモニタにエントランスの様子が映し出される。
そこには、モスグリーンの制服らしい上下を着た、どこかで見たことがあるような、そんな気がする少女が立っていた。
「誰だ?」
エントランスに届いた声に、少女がきょろきょろと顔を動かして、自分の真上にカメラを見つけて、見つめながら答えた。
『氷川副社長…ですか? 私、行野樹理(ゆきのじゅり)と言います』
その名前に、しばらく考える。モニタに映る少女は、どう見ても中学生か高校生だ。このひと月、いろいろな人間と会っていたが、さすがにこの人種はなかったはずだ。どこかで逢ったかも知れないという認識は、間違っている。
どうして認識を間違えたのか考えていた哉に、カメラに、少女が必死なまなざしを向けて言う。ふわふわとした長い髪が顔を上げなおしたことで柔らかに動く。
『…あなたが、今日取引中止の通達をした、会社の娘です。夜遅くに来たことは申し訳ないと思っています。お話があります。少し、お時間をいただけませんか?』
モニタの向こうの少女の顔には、全く見覚えがなかった。逢った事もないのだから。アルコールの成分で分類が曖昧になった記憶の引出しをひっくり返して、思い出す。行野プラスティック。現在哉が任されている氷川の工業部門の協力工場だ。高い人件費と不良品率、生産コストは最悪だった。ワースト五に入るであろう先である。提出された再生計画も到底納得できる内容ではなかった。問答無用の切捨て先だ。
そのまま通話を切ってやろうかとも思ったが、今回の哉の決定に一番初めに反応してきたのだからと、了解の代わりにエントランスの鍵を解除した。
「あがって来い」
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