夢の中の君は、今。

蒼之海

文字の大きさ
上 下
20 / 31

第20話 199X年 7月 1/3

しおりを挟む
 7月に入ると中旬頃から徐々に客の数が伸び始める。

 この頃から俺はまた、変則シフトに逆戻りだ。疲れが取れきらないままで、翌日を迎える日々。それでも絵未がいれば頑張れる、そう思っていた矢先の出来事だった。


「阿藤くん、ちょっといいかな」

 支配人に声をかけられ、一緒に支配人室へと入っていく。

「いやぁ……色々頑張ってくれているね。いつも感謝しているよ。……ところで急な話で申し訳ないけど、嵐山店長と阿藤くんは、本店に戻ってもらおうかと思ってね」

「え……何でいきなり急に……」

「急にではないよ。元々嵐山店長と君を2号店に出向させたのは、こちらのやり方を覚えてもらう為だったんだよ。君も2号店に来て8ヶ月だ。たくさん勉強になった事だろう。この経験を活かして嵐山店長と二人で本店を盛り立てて欲しい。分かったかね?」

「……はい、分かりました。それで正確には、いつから本店に戻るのですか」

「来月からだ。あと二週間、よろしく頼むよ」


 頭を下げて支配人室から退出すると、立ちくらみがした。

 絵未と……離れてしまう。


 実際には本店と2号店は同じW市内なので、二人にとってそう弊害はない。むしろ店舗が別の方が付き合いやすくなるだろう。だけど、週一休みで有給なしのこのブラック会社でここまで頑張れたのは、紛れもなく絵未が同じ職場にいたからだ。

 引き潮の様に、仕事に対するやる気が遠ざかっていく。

 
 俺が厨房へ戻ると、かっちゃんが駆け寄ってきた。

「阿藤さん、支配人に呼ばれてたけど、何かあったんですか?」

「ああ……来月から俺と店長、本店に戻れってさ」

 かっちゃんは舌打ちをすると、忌々しそうに支配人室の方を睨みつけた。

「……やっぱりあの噂は本当だったんだ」

「どんな噂?」

 かっちゃんは首を振り周りを伺った。今、厨房には俺たちしかいない。

「阿藤さんと入れ替わりで、本店に行った愛美の彼氏の社員ですよ。愛美、まだ阿藤さんの事引きずってて、上手くいってないらしいんですって。加えて愛美が、阿藤さんとの関係を口にしたみたいで、その社員が『2号店に戻りたい』って、支配人に泣きついたらしいんです」

「……それ、本当?」

「ええ。確かな筋からの情報です。さらに支配人のお気に入りでもある2号店のNO.1とNO.2が、阿藤さんが好きなショートカットにしたでしょ? 支配人も苦々しく思ってたみたいですよ。『自分が育てた可愛いバイトが、本店の人間に持ってかれた』って」


 ははは……もう笑うしかないな。全部俺のせいじゃないか! 

 かっちゃんは俺の肩に手を置くと、微妙な笑顔で元気付けた。


「とりあえず……元気出してください。送別会は盛大にやりますよ!」

「ありがとう……かっちゃん」


 その後は半ば放心状態のまま仕事を黙々と続けた。中番の仕事終わりの10時になり、惰性で着替えて店を出るとポケベルが鳴った。知らない番号だった。

 近くの電話BOXから、通知された番号をプッシュする。電話がつながると、大きな声で店名を告げられた。大声すぎてよく聞き取れなかったほどだ。とりあえず自分の名前を告げる。しばらく待たされた後に電話に出たのは絵未だった。

「あ、武志く~ん! あなたの愛する絵未ちゃんだよー!」

 少し酔っ払っているのか。……そういえば、今日は短大のクラス会だって言ってたっけ。

「んとね。今、クラス会終わるんだけど、もう一軒行こうって話になったの。で、そっちに行くの遅くなるからね、迎えに来てくれないかなぁ?」

 確かクラス会の場所はO市と言ってたっけ。K市よりは近いけど、車で40分くらいの距離だ。

 俺が無言で聞いていると、電話の向こうから黄色い声が受話器越しに聞こえてきた。

「みんな武志くんを『見たーい』って言ってるの。私の自慢の彼氏だからね」

 絵未の声に合わせて、外野の声が「見たーい」とか「来てー」に変化する。

「……見せ物じゃない」

「え? なんて言ったの武志くん。聞こえないよー」

「俺は見せ物じゃない! そんなに遅くなるなら来なくていい! ゆっくりクラス会でも何でも楽しんでくれ!」

「ちょ、ちょっと武志く」

 俺は最後まで絵未の声を聞かずに、受話器をフックに叩きつけた。


 2号店異動のショック。すなわちそれは絵未と同じ空間で働けなる事への苛立ちだ。さらに自分の子飼いの社員の理不尽な理由ために、急遽異動を決定した支配人。堪えていたそれらの不満や怒りが、陽気な絵未の声を引き金として、暴発してしまった。


 ———完全な八つ当たりだ。絵未は異動の事なんて知らないのに……。


 電話ボックスのガラスにもたれ、そのままズルズルと腰を落とす。ポケットを漁りタバコを取り出すと、中身は一本も入ってなかった。握りつぶして放り投げると、箱はガラスで跳ね返り、まるであざ笑うかの様に俺の頭にコツンと当たる。

 ぶら下がった受話器からは、発信音さえも聞こえてこない。


「俺は……最低な男だな……」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

お見合いすることになりました

詩織
恋愛
34歳で独身!親戚、周りが心配しはじめて、お見合いの話がくる。 既に結婚を諦めてた理沙。 どうせ、いい人でないんでしょ?

パート先の店長に

Rollman
恋愛
パート先の店長に。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

社長から逃げろっ

鳴宮鶉子
恋愛
社長から逃げろっ

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

処理中です...