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船内探索

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 風圧シャワーとは、洗車ブラシのない洗濯槽みたいでしたが、古い角質をはがし、皮膚の新陳代謝を促してくれると体が少しだけ赤く長風呂の風呂上がりのように温まった気分でした。汚れが取れると、お互いの顔がさっぱりしすぎて、体温が密着した感覚でお互いが「なんだか、本当に驚くね」とか訳の分からない問答が出てしまったほどでした。
「髪の毛をウエットさせていないので、少し前髪が長くてうっとおしい」
「あなたの時代はそういうのが流行ったの」
「オシャレは少しやぼったいほどダサい方がモテた時代だからね」と、無精ひげを触って観ていたのですが、「で、ちょっとほんとにマッパのままだけど…君はそういうフェチなのか」
「タオルというものがない」
「包帯は」
「それって、看護用?似たようなものでダクトテープなら」
「全く違うものだ」

 船内をぼんやりと案内してもらう。
「食堂」
「ちっさっ」
「処置室」
「でかっ」
「補助ロボットと配線アームが浮遊しているけれど、気にしないで」
「娯楽室」
「はあっ」
「食糧庫の横が、生鮮食料育成室」
「…」奥の方で何か見てはいけないようなものがみゃくみゃくとしていましたが、アベイルもケニーも黙っていました。そして通りすぎました。
「当直室」
「あの、話の途中で申し訳ない…トイレは」
「だからバスルームはないの」
「簡易でもいい、室温にもどってだいぶたつ私の膀胱が」
「あ、その、ダストっぽいあれ」
「個室では、プライバシーとか」
「ちょっとは配慮してあるよ、ほら、横に立っている配管がわずかに他より大きい」
「あら、やだ」
「排尿は我慢しない方がいい、って言っても、僕もその装置あまり得意じゃないんだ」と、ケニーはすまなそうにいてきたのですが、目の前の変な数値に、濃度計とか、注意事項とか、読める字で書かれてはいるのですが、病気蔓延防止のためなのか、粘膜部分を異常に丁寧に拭き取られたり、排泄器官を引きちぎられほどの圧力をかけられた時には。悲鳴を上げてしまいました。

「で、長々と船内を移動して、最後にコクピット、って言っても初期の出発時期の椅子しかない旅客機の車両みたいでしょ」と、少しだけ悲しそうにケニーは語るので、アベイルはわずかに彼に寄り添うようにそばにちかづいたのです。 
 本当に、運転席もなければ、キーボードやスイッチの一つもありません。そこにトイレの小さな窓枠と、尋常じゃない揺れが怒っている状態を二人で見つめていました。
「ここが宇宙空間だと君がいうなら、それを尊重して信じよう」アベイルがぼんやりと語ったので、苦々しく、ケニーが反論します。
「宇宙飛行士はリアリストだ。虚構を論じるなど時間の無駄にしかならない」
「なんでこうも、磁気嵐という追い風がこの船を襲うのだ?」初期から続く乱れる計器はあまりの喧しさに陰鬱になってしまって、アラームの方が負けたらしく、サビたように重たい低音が羽虫のように鳴るだけです。
「磁気嵐の大半は太陽フレアからの追い風だ。星にいるときには大気がオーロラのように輝く現象のように別段大したことはなかった。けれど、無に等しい宇宙空間だとそれが波動のようにダイレクトにパルス波が我々に害を及ぼす。例えば、直した先から計器が壊れるとか、健康で屈強な隊員の体調に不良とか。突然、心拍数の乱れと精神の錯乱が起きる。人とは存外脆い」
「君は、いっぱしの科学者のはしくれだ。よそ事のように語る」
「嫌味? 僕には友がいなかった。子どものころから独りで、石で作る鉱石ラジオや食事にわずかに出された野菜で電灯を灯すぐらいのことしかできなかった。お天気もクロケットの話も今もできないんだ」

 アベイルはあの娘も同じだったと少し感じた。
「君はなぜ、いかさまをしていないのに、裁判で無罪を主張しなかったの」
「野暮ってものだよ。私は当時若すぎたし、年を取りすぎてもいなかった、人生のすべてを面白がっていたから」
「君の説明はとても分かりにくい」
「ハニー、僕はロミオでも彼女はジュリエットでもなかったってことだよ。年端の行かない子どもの年代でもなかったし、分相応に未来を見るほどの成熟もお互いが出来ていなかった。彼女は君みたいな利発な子ではあったが、孤独の中でイマイジナリーフレンドの神父を作るほど愚かでもなかった」
「……ふむ、そのロミオでもジュリエット、たとえ話だろうけれど、申し訳ないが分からない」
「は、キョウカショで習う古典を飛ばしたのか」
「スマナイ、僕は文京特区で育っていないので思い出せる限り思い出そうとしても僕の学習メモリーにはなにも出てこない。君を害してしまった」
「いやいいよ。誰にでも不適、最適はある。君は物語りを敵視しないだけいい。超リアリストの娘もそういう子だった。なのに現実は早婚の時代だった。若さの無謀な恋愛の悲劇っていうのに酔狂していた時、私は別の意味、自分の若さと身体的能力と頭脳で世界の果てを観たいと無茶ばかりしていたからね。ま、今のところうまく言ったとしたら世界の果てに便乗させてもらっている航海中の途中って訳」
「君が良く笑うのは僕にもとても心地よいから良い。僕とは違う人の匂いが近くにするというのも初の体験だ」
 広すぎる船は長くとどまればとどまるほど狭く感じ、突然視界が消え突然、だだっ広い宇宙空間に捨てられたような感覚にさえ襲われるそれが、孤独と絶望という言葉を知らないケニーに「漆黒よりも明るいくせに闇に飲まれる間隔」と言わしめ、『貴方がそれを見つけたとき』と出発前のちょっとした個人的な会話で言われた言葉を思い出したが故のこの結果。変な風貌、変な自信家、なのにケニーは安堵というモノを知り体験し、体得しようとしているのです。
「盗賊団の宝箱に逃げ込んだと思ったら、貿易航路の関税前に海に投げ捨てられ、無酸素が先か海のクラーケンに箱を破られるのが先かと想ったときぐらいワクワクはしている」
 と、アベイルは言っている先で、ケニーは数分、あるいは数時間の眠りに落ちてしまっていたのです。その時には、体の横についている補助器がどこかのフックのように体を固定しています。それでも、アベイルはケニーの体の一部でも傷付くことを避け、幸せな眠りにつけるように見張るのです。
 直線しか航行しない船の中では自分の体を外圧布袋と化して、包み込むように彼を胸の中に抱き込むのです。役に立てるかあるいは役にも立たないという意味をアベイルも身を持て知っています。けれども騙すとか相手に気を向けさせて自分の有利さを競うことも日没も日の出もない狂う時間感覚の中で自己を保つ最優先ではなかったから。


「君は時々見当違いの、的はずれな嘘をつくのは、ひょっとして僕を慰めているのか」
「さあ、どうだか、私は生粋のぺてん師だからね。ルビーとエメラルドの色が識別できなくなってから盗賊を辞めたのさ」
「そこ!だ、よ!」
 
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