72 / 116
追憶_7
一色_三十九歳_5
しおりを挟むアルはヘルを探していた、だがその進捗は芳しくない。
魔力の匂いをたどると、途中で二手に分かれる。その片方を選んでたどると、また二手に分かれる。魔法による小細工だとは分かっていたが、どれが偽物かは分からなかった。
だからこうして木の根のように張り巡らされた痕跡を一つ一つ潰していっているのだ。
早く見つけなければ、その思いだけが強くなり、焦燥を煽り立てる。
八十二本目の痕跡をたどっていると路地に入った。
路地は治安が良くないようだが、アルに喧嘩をふっかけるような輩は流石にいない。勝手に割れていく人の波を見もせずに、アルは下だけを向いて歩く。
アルは甘い匂いに顔を上げる。目の前には大通り、ヘルの痕跡はその大通りの真ん中で途切れていた。
先端まで調べる必要はない、どこにも繋がらないと分かっているのだから。
ため息をつき、手前の分岐点に戻ろうとした時。路地の入口の隅に林檎を見つけた。甘い匂いの元はコレだ。食欲があった訳でもないが、気になったので尾で絡めとった。
傷でもついていない限りここまで匂いをまき散らすことはない、ヘタを黒蛇に咥えさせて一回転させると、皮に刻まれた傷が文字を作っていた。
『捕食者へ ─ 城壁 北 主砲下 ─ 被食者より』
誰かから誰かへの連絡だ。
傷の匂いを嗅ぐと、林檎の甘い匂いに混じって仄かな血の匂いがした。
食欲をそそる、美味そうな獣の匂い。それはどこか神聖で、食欲をそそられることに甘美な背徳感を覚えさせた。
『……ふ、助けられてばかりだな』
自嘲の笑みを浮かべ、アルは路地の壁を蹴って空を目指す。建物の屋上から屋上に飛び移り、人目につかないように北の城壁を目指した。
布の隙間から遠く離れていく城壁を見た。僕達は神降の国から出たのだ。ハートは僕を庇うように抱きしめ、荷車から転がり落ちた。
周囲に人がいなくなり速度を上げていた荷車から落ちたのだ、それはかなりの衝撃だろう。不機嫌に痛みに呻きながら、ハートは土埃を払う。その腕には酷い擦り傷が出来ていた。
「ハートさん、腕……」
「ん、まぁ軽傷だろ。アレから落ちたんだから」
ハートは離れていく荷車を視線で示す。荷車の運転手には協力してもらっていなかったようで、運転手に分からないよう降りる必要があったのだと。
「で、でも、砂とか付いてますし、ちゃんと手当しないと化膿しちゃいますよ」
「馬鹿にするなよ、人間と違ってそんなヤワな体してない」
「馬鹿になんてしてません!」
「……分かってるよ、お前がそんな奴じゃないってことは」
ハートは傷口に触れるのを嫌って砂を払わず、城壁を見上げて僕の手を引いた。
「主砲の下はもう少し先だ、歩けるな?」
「……はい。僕はなんともありませんから」
繋がれた手、剥がれた皮膚。
……僕のせいで、また他人が怪我をした。
しばらく歩くと、真上に巨大な砲台が見えた。ハートは城壁に背を預けて「疲れた」と言って座り込んだ。
「あ、あの、ハートさん。そこの森に小川がありますから、そこで傷を洗いましょう」
「いいよ、別に。平気だから。結構遠いし」
「でも、砂とか小石とかついたままだと、治った時大変ですよ」
「いいって言ってるだろ、ほっとけよ」
ハートはそう言うと背を曲げて腕で顔を隠し、静かに寝息を立て始めた。
僕のせいで負った怪我だ、僕が手当をしなければ。そう思った僕は一人で小川に向かった。
買い物のため家を出る時、兄に渡されたハンカチをポケットから引っ張り出す。汚れていない真っ白なハンカチ、これには魔法陣は刺繍されていない。
ハートは遠いと言っていたが、見える距離なのだから問題はない。
整備された城壁の周り、平らな地面が太陽の熱と光を反射する。太陽に負けないうちに早く済ませてしまおうと小走りになる。
舗装された地面が途切れ、背の低い草が増え、木がポツポツと現れ始めた。鬱蒼とした森の入り口はまだ明るい、草むらをかき分け、小川のほとりにしゃがみ込む。
ハンカチを水に浸し、ついでに顔を洗った。
冷たい水は僕の目を覚まし、太陽光に刺された肌を癒すように染み込んでいく。昼時の太陽は脅威だ、そう思い知らされた僕はローブの袖を伸ばし、フードをさらに深くかぶった。
立ち上がろうと足に力を込める。だが、僕は立ち上がることが出来なかった。
首の後ろで槍が二本交差して、僕は首を挟んで固定されている。槍はゆっくりと僕の首を押さえつけ、膝をついたまま頭だけが地面に触れた。
なんとも屈辱的な体勢だ、その主を見ようとも目深なフードはそれを許さない。もがくことも出来ずにいると、複数の人の声をバラバラに縫い付けたような不自然な声が僕を問い詰めた。
『魔物使いだな?』
「……誰?」
『質問しているのはこちらだ』
「…………誰?」
『お前に私達への質問権はない』
「……天使?」
『もういい、魔力反応からして間違いない』
僕には天使の次の言葉が予想できた、だから先に言うことにした。
「 殺 せ 」
『ころ……何?』
一瞬遅れた天使がその不自然な声に感情を混じらせた、苛立ちという感情を。
だが、天使は感情に任せて行動するべきではない、少なくともこの時はそうだった。感情に引っ張られて周囲の警戒を怠ったから、任務を達成出来なくなった。
小川から飛び出す細長い影、巨大なそれは天使に絡みつき、バラバラに砕いた。
陶器の欠片が散らばる、柔らかな羽根が舞い落ちる。無様ながらに美しいその光景は、流石は天使と言えるだろう。
僕の首を押さえていたもう一人の天使も同じように散った。
「……よしよし、ありがとう。来てくれて」
僕の腕よりも太い大蛇は美しい鱗を見せびらかすように体をくねらせる。
「どうしよう、ハンカチ落としちゃった。泥ついてるし……これじゃ使えないよ」
蛇は僕の言葉を理解しているのかも曖昧だ。可愛らしくも小首を傾げ、僕の顔を覗き込んでいる。
泥だらけのハンカチを眺めていても始まらない、とりあえず手で掬って帰ろうか。そう考えた瞬間、背後から甲冑の擦れる音が聞こえた。
ああ、まだいたのか。なら殺さないと。
「……よしよし、良い子だね」
蛇の頭を撫で、背後の天使であろう者に気がつかないふりをする。そして、蛇だけに聞こえるよう呟いた。
「 行 け 」
蛇はほぼ水平に口を開き、牙を見せつけながら僕の背後へ跳んだ。
魔力の匂いをたどると、途中で二手に分かれる。その片方を選んでたどると、また二手に分かれる。魔法による小細工だとは分かっていたが、どれが偽物かは分からなかった。
だからこうして木の根のように張り巡らされた痕跡を一つ一つ潰していっているのだ。
早く見つけなければ、その思いだけが強くなり、焦燥を煽り立てる。
八十二本目の痕跡をたどっていると路地に入った。
路地は治安が良くないようだが、アルに喧嘩をふっかけるような輩は流石にいない。勝手に割れていく人の波を見もせずに、アルは下だけを向いて歩く。
アルは甘い匂いに顔を上げる。目の前には大通り、ヘルの痕跡はその大通りの真ん中で途切れていた。
先端まで調べる必要はない、どこにも繋がらないと分かっているのだから。
ため息をつき、手前の分岐点に戻ろうとした時。路地の入口の隅に林檎を見つけた。甘い匂いの元はコレだ。食欲があった訳でもないが、気になったので尾で絡めとった。
傷でもついていない限りここまで匂いをまき散らすことはない、ヘタを黒蛇に咥えさせて一回転させると、皮に刻まれた傷が文字を作っていた。
『捕食者へ ─ 城壁 北 主砲下 ─ 被食者より』
誰かから誰かへの連絡だ。
傷の匂いを嗅ぐと、林檎の甘い匂いに混じって仄かな血の匂いがした。
食欲をそそる、美味そうな獣の匂い。それはどこか神聖で、食欲をそそられることに甘美な背徳感を覚えさせた。
『……ふ、助けられてばかりだな』
自嘲の笑みを浮かべ、アルは路地の壁を蹴って空を目指す。建物の屋上から屋上に飛び移り、人目につかないように北の城壁を目指した。
布の隙間から遠く離れていく城壁を見た。僕達は神降の国から出たのだ。ハートは僕を庇うように抱きしめ、荷車から転がり落ちた。
周囲に人がいなくなり速度を上げていた荷車から落ちたのだ、それはかなりの衝撃だろう。不機嫌に痛みに呻きながら、ハートは土埃を払う。その腕には酷い擦り傷が出来ていた。
「ハートさん、腕……」
「ん、まぁ軽傷だろ。アレから落ちたんだから」
ハートは離れていく荷車を視線で示す。荷車の運転手には協力してもらっていなかったようで、運転手に分からないよう降りる必要があったのだと。
「で、でも、砂とか付いてますし、ちゃんと手当しないと化膿しちゃいますよ」
「馬鹿にするなよ、人間と違ってそんなヤワな体してない」
「馬鹿になんてしてません!」
「……分かってるよ、お前がそんな奴じゃないってことは」
ハートは傷口に触れるのを嫌って砂を払わず、城壁を見上げて僕の手を引いた。
「主砲の下はもう少し先だ、歩けるな?」
「……はい。僕はなんともありませんから」
繋がれた手、剥がれた皮膚。
……僕のせいで、また他人が怪我をした。
しばらく歩くと、真上に巨大な砲台が見えた。ハートは城壁に背を預けて「疲れた」と言って座り込んだ。
「あ、あの、ハートさん。そこの森に小川がありますから、そこで傷を洗いましょう」
「いいよ、別に。平気だから。結構遠いし」
「でも、砂とか小石とかついたままだと、治った時大変ですよ」
「いいって言ってるだろ、ほっとけよ」
ハートはそう言うと背を曲げて腕で顔を隠し、静かに寝息を立て始めた。
僕のせいで負った怪我だ、僕が手当をしなければ。そう思った僕は一人で小川に向かった。
買い物のため家を出る時、兄に渡されたハンカチをポケットから引っ張り出す。汚れていない真っ白なハンカチ、これには魔法陣は刺繍されていない。
ハートは遠いと言っていたが、見える距離なのだから問題はない。
整備された城壁の周り、平らな地面が太陽の熱と光を反射する。太陽に負けないうちに早く済ませてしまおうと小走りになる。
舗装された地面が途切れ、背の低い草が増え、木がポツポツと現れ始めた。鬱蒼とした森の入り口はまだ明るい、草むらをかき分け、小川のほとりにしゃがみ込む。
ハンカチを水に浸し、ついでに顔を洗った。
冷たい水は僕の目を覚まし、太陽光に刺された肌を癒すように染み込んでいく。昼時の太陽は脅威だ、そう思い知らされた僕はローブの袖を伸ばし、フードをさらに深くかぶった。
立ち上がろうと足に力を込める。だが、僕は立ち上がることが出来なかった。
首の後ろで槍が二本交差して、僕は首を挟んで固定されている。槍はゆっくりと僕の首を押さえつけ、膝をついたまま頭だけが地面に触れた。
なんとも屈辱的な体勢だ、その主を見ようとも目深なフードはそれを許さない。もがくことも出来ずにいると、複数の人の声をバラバラに縫い付けたような不自然な声が僕を問い詰めた。
『魔物使いだな?』
「……誰?」
『質問しているのはこちらだ』
「…………誰?」
『お前に私達への質問権はない』
「……天使?」
『もういい、魔力反応からして間違いない』
僕には天使の次の言葉が予想できた、だから先に言うことにした。
「 殺 せ 」
『ころ……何?』
一瞬遅れた天使がその不自然な声に感情を混じらせた、苛立ちという感情を。
だが、天使は感情に任せて行動するべきではない、少なくともこの時はそうだった。感情に引っ張られて周囲の警戒を怠ったから、任務を達成出来なくなった。
小川から飛び出す細長い影、巨大なそれは天使に絡みつき、バラバラに砕いた。
陶器の欠片が散らばる、柔らかな羽根が舞い落ちる。無様ながらに美しいその光景は、流石は天使と言えるだろう。
僕の首を押さえていたもう一人の天使も同じように散った。
「……よしよし、ありがとう。来てくれて」
僕の腕よりも太い大蛇は美しい鱗を見せびらかすように体をくねらせる。
「どうしよう、ハンカチ落としちゃった。泥ついてるし……これじゃ使えないよ」
蛇は僕の言葉を理解しているのかも曖昧だ。可愛らしくも小首を傾げ、僕の顔を覗き込んでいる。
泥だらけのハンカチを眺めていても始まらない、とりあえず手で掬って帰ろうか。そう考えた瞬間、背後から甲冑の擦れる音が聞こえた。
ああ、まだいたのか。なら殺さないと。
「……よしよし、良い子だね」
蛇の頭を撫で、背後の天使であろう者に気がつかないふりをする。そして、蛇だけに聞こえるよう呟いた。
「 行 け 」
蛇はほぼ水平に口を開き、牙を見せつけながら僕の背後へ跳んだ。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
有栖と奉日本『不気味の谷のアリス』
ぴえ
ミステリー
有栖と奉日本シリーズ第五話。
マザー・エレクトロン株式会社が開催する技術展示会『サイバーフェス』
会場は『ユースティティア』と警察が共同で護衛することになっていた。
その中で有栖達は天才・アース博士の護衛という特別任務を受けることになる。
活気と緊張が入り混じる三日間――不可解な事故と事件が発生してしまう。
表紙・キャラクター制作:studio‐lid様(twitter:@studio_lid)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
有栖と奉日本『ファントムケースに御用心』
ぴえ
ミステリー
有栖と奉日本シリーズ第二話。
少しずつではあるが結果を残し、市民からの信頼を得ていく治安維持組織『ユースティティア』。
『ユースティティア』の所属する有栖は大きな任務を目前に一つの別案件を受け取るが――
表紙・キャラクター制作:studio‐lid様(twitter:@studio_lid)
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
警狼ゲーム
如月いさみ
ミステリー
東大路将はIT業界に憧れながらも警察官の道へ入ることになり、警察学校へいくことになった。しかし、現在の警察はある組織からの人間に密かに浸食されており、その歯止めとして警察学校でその組織からの人間を更迭するために人狼ゲームを通してその人物を炙り出す計画が持ち上がっており、その実行に巻き込まれる。
警察と組織からの狼とが繰り広げる人狼ゲーム。それに翻弄されながら東大路将は狼を見抜くが……。
強制憑依アプリを使ってみた。
本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。
校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈
これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。
不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。
その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。
話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。
頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。
まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる