猫奴隷の日常

ハルカ

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便利屋とウサギは出会う 3

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馬車が止まった。
降りた目の前にはこじんまりとした庭があり、その向こうには落ち着いた佇まいの一件の家があった。
庶民の、しかしある程度裕福な人物が暮らす家、という印象をヒューは持った。

ここに来た目的を、ヒューは道々に聞いていた。
基本的に、図書館は街に帰属している。街人に本を貸し、憩いの場所を提供する。それが役目だ。ソルトとセラも、普段は司書として働いている。

貸し出される本には当然返却期限があり、中にはそれを守らない者もいる。そのほとんどは、期限は守らなくとも返される。ある一定の期間はそうして返されるのを待ち、それでも返されなければ手紙を出す。それでも音沙汰がなければ、司書が直接訪問して門を叩く。
今日訪問するのはそんな最終段階に入った人物の元だった。

しかし、普通は便利屋など雇ったりしないのだという。
今回ヒューが雇われたのにはもちろん理由があった。今訪れている家とはもちろん別の家だが、同じように訪ねて行った司書が、その家の主に酷く恫喝されてしまったらしい。
すっかり怯えてしまった司書を見て、普段そういう暴力に耐性のない者達は委縮してしまった。それでしばらくの間は、護衛、とまではいかないまでも、盾になってくれるような人物を雇おう、ということになったらしい。

今までは気にもしていなかったが、なるほど図書館の司書というのは大人しそうな者が多い。種族も、およそ争いごととは無縁そうなウサギ族や、羊族の者ばかりだった。

馬車を降りたソルトとセラは、特に怯える様子もなくその家に向かって歩いていく。ヒューもその後に続いた。

「こんにちはー」

コンコン と木を叩く音が周囲に響く。

「こんにちはー、お留守ですかー」

コンコン

「・・・」

誰も出てこない。無駄足か。そう思った時、ようやく閉じていた扉が開いた。

出てきたのは顔色の悪い男で、訪ねてきた三人を順に眺めた。その視線が、一番年上であるヒューの上で止まる。

「何」
「図書館の者です。アロイスさんに会いたいんですが」
「何の用」
「アロイスさん本人にお話しします」
「じいさんは死んだよ」
「え?」

バタンと目の前で扉が閉められる。
ソルトとセラは顔を見合わせた。

コンコン!

ソルトが、先ほどよりも若干強めに扉を叩いた。
今度も扉は中々開かれなかった。しかし中にいるのは分かっているのだ。諦めずに叩いていると、先ほどの男がイラついた表情で扉を開けた。

「だから、じいさんは死んだんだって」
「お孫さんですか。我々は図書館の者です」
「それはさっき聞いたよ。なんだよ」
「アロイスさんが図書館で借りておられた本を返していただきにきました」
「・・・」

男の顔が複雑に歪んだ。手間を取らされることを嫌っている。ヒューはウサギの若者たちの間に分け入り、如才ない笑みを浮かべて男を見た。

「お手間は取らせません。実はアロイスさんが図書館の本を借りられていて、そのままになっているんです。我々はそれを回収したいだけなのです。ええ。もちろんあなたにご迷惑はおかけしません。発見し次第お暇させていただきます」

口を挟む余地を与えずまくしたてる。こういう無気力を絵にかいたような顔をしている男は、畳みかけられるのに弱い。反論するのが面倒になるからだ。
案の定、男は渋い顔をしながらもヒュー達を家に上げた。

男に先導されて家の中に足を踏み入れる。しかし家の中は、その外観からは想像できないほど散らかっていた。食べかす、洗濯もの、その他のよく分からない何か。しかしその汚れ方から見て、そう長い期間こういう状態だったわけではないのだろう。おそらくは、アロイスが生きている内は片付いていてきれいな家だったのだ。その彼が亡くなり、孫であるらしいこの男が住みついてからこうなったのに違いない。

ヒュー達三人は生ゴミが放つ異臭に耐えながら散らかった部屋を通り抜けた。アロイスの書斎だという部屋は二階にあり、男はそこまで三人を案内すると、役目は終わったとばかりに踵を返した。その背中が視界から消えてから、ソルトは扉を開けた。

そこは静謐な雰囲気漂う空間だった。壁一面が本棚になっていて、そのほとんどが分厚い本の背表紙で埋まっている。紙と、インクのにおいがする部屋の空気を肺一杯に吸い込み、ソルトとセラはやっと生き返ったような顔になった。

「じゃあ、手分けして探そう」

本のタイトルを聞き、ヒューは事務机の横から本の捜索を開始した。ソルトとセラも、端から確認していく。ある程度まで来たところで、ソルトがため息をついた。

「凄い。ここにあるのは歴史的に価値のある本ばかりだよ」
「そうなのかい?」

ヒューには本の価値はよく分からない。しかし司書だけあって、二人にはそれが分かるのだろう。セラの方を見ると、乏しかった表情に赤みがさしていた。

「もったいないな。これを全部あの男が受け継ぐことなるとは」

人のことは言えないが、本の価値など欠片も分かりそうには見えない。

「本当だよ。これなんか、売ったら結構な値段になるよ」

ソルトが一冊の本を本棚から引き出して言った。

「へえ。そういうのもあるのかい」
「一冊ぐらい抜いといても分からない気がするけど」
「いや、さすがにそれはマズイよ、ソルト君」

冗談とも本気ともつかない表情で言うソルトを嗜める。確かに、一冊ぐらい無くなったところで余程のことがなければバレないだろう。しかし、もしバレた時には面倒なことになる。こういう、高をくくった時こそ足を掬われるものだった。

「・・・本、大切にしてくれるといいけど」

ぽつりとセラが呟いた。セラが言葉を発したのは、名前を教えてくれた時以来だ。

「セラ君は、本が好きなんだね」

頷く。

「オレも、本は好き」

ソルトが引き出した本を戻しながら言った。

「アロイスさんのことも、オレらよく知ってたんだ」
「そうなんだ」
「よく図書館に来てたから。それがいつの間にか来なくなってさ。未返却者のリストに載ってるの見てびっくりしだんだ。それで、訪問する役目買って出たんだけど」
「アロイスさん本人を知っていたから、便利屋は必要ないと言っていたんだね」

館長に食ってかかっていたソルトを思い出し、ヒューはそう言った。確かに本人を知っていて、それが図書館をよく訪れるお年寄りだとくれば、恫喝などする人間でないことは分かる。確かに本人ならば便利屋の存在は必要なかっただろう。ただし、応対に現れたのは孫のあの男だった。

二人に言えば悲しむだろうが、あの男は本を大事にはすまい、とヒューは思った。便利屋として働いていると、色々な人間に出会う。あの男のすさんだ佇まいには、この裕福な家を食いつぶしていく気配しか感じない。本に価値があるなど、おそらく考えもしない。ソルトは「売ったら結構な値段になる」と言ったが、それを男が知れば、躊躇なく誰にでも売りさばくだろう。

「・・・探そうか」

黙したまま棚の前まで戻り、三人は本の捜索を再開した。

全ての背表紙を確認し、事務机の周りもくまなくチェックしていく。しかし、該当の本は発見できなかった。痛む腰を伸ばしながら二人を見る。ヒューの視線を受けた二人も首を横に振った。

「まあ、この部屋の状態を見るに、その本だけ捨てたということはないよ」

良くも悪くも、アロイスの遺品は放置されたままだ。
おそらく、アロイスが借りていた図書館の本は別の部屋にあるのだろう。しかし、他の部屋までくまなく捜索することをあの男が許可するだろうか。

一応の交渉はしてみるべきだろう、ということになり、三人は階段を降りた。男はリビングで煙草をふかしていた。今は白い壁も、いずれはヤニで変色していくに違いない。
そんなことを考えていると、三人の一番後ろに控えて沈黙していたはずのセラがヒューの横に並んだ。

「・・・それ」

セラが細い指で指す方を見、ヒューとソルトは息を飲んだ。

煙草の吸殻が何本も無造作に押し付けられた灰皿。その灰皿は、一冊の本を下敷きにしていた。茶色の装丁の上に、白い灰がぱらぱらと散っている。

「・・・まさか、あれ?」
「・・・」

ソルトが言葉もなく頷く。ヒューは凍りついたように動かない二人に代わって灰皿をどかし、下敷きになった本を助け出した。セラに渡す。セラは服の袖で本の表面を撫で、ほっと息をついた。どうやら焦がされてはいないようだ。
一方のソルトは男を睨んでいる。ヒューは思わず、今にも食って掛かりそうな顔をしているソルトの前に歩み出た。

「そういえば、あの本はどうされるんですか?」
「あの本って?」
「アロイスさんが残した沢山の本ですよ。あなたが相続を?」

男は灰皿の中からまだ吸えそうな物を摘まみだし、口にくわえた。

「あんなもん、邪魔だから捨てるに決まってるだろ」
「捨てる?」

何かを言いかけたソルトを押し止めて、ヒューはできるだけ愛想のいい笑顔を浮かべた。

「そうですか。でも沢山ありますし、運び出すだけでも一苦労でしょう。業者でもお呼びになるんですか?」
「そんなもん呼んだら金がかかるだろ。仕方ないからそこの窓から出して裏で焼く」
「焼く!?」

ソルトが悲痛な声をあげる。それをあえて無視して、ヒューは続けた。

「でしたら、私に任せてもらえませんか?」
「あんたに?」
「私は便利屋です」

ヒューは懐から出した名刺を男に差し出した。男は名刺を指に挟んで受け取り、興味も無さそうに眺めた。

「お近づきのしるしに、格安で、本当に格安で本を運び出す仕事を請け負いましょう」
「・・・格安って、いくら?」

ヒューは男の耳に口を寄せ、これならと男が納得しそうな金額を提示した。男は少しの時間吟味するように黙り、それから頷いた。

「本当にその値段だろうな?それ以上はびた一文ださねえぞ」
「分かっております。もちろん。我々は信用がモットーですから」

「ね」と背後を振り返ると、二人はヒューを見てから顔を見合わせた。


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