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趣味友の定義
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「サヤさん」
狭い雑貨店の中で、呼びかけられたサヤが顔をあげた。
「あら、シンじゃない。また会ったわね」
目が合った男、シンはにこりと人好きのする笑みを浮かべた。
シンとサヤは、少し前にこの同じ雑貨店で初めて出会った。シンはそれ以降も度々やってきて、サヤと顔を合わせている。しかしそれはサヤ個人に興味があって、というわけではなかった。
シンはある組織に所属していた。
シンが所属する組織はこの街で昔から奴隷売買を扱っていたが、それ自体が今はこの国では微妙な立場だった。
それだけでは成り立たなくなり、全く別の稼業に手を出したはいいがどれもうまくいかず、新興組織に押されていた。
組織のリーダーから、領主であるエイベル・セヴェニーを味方につけるため、男の弱みを手中にするための命を受け、皆思い思いの方法で猫族の少年に接触をはかっていた。
シンも屋敷のメイドに接触し、一度は失敗していた。しかしシンは諦めなかった。何度も彼女が通っている雑貨店に足を運び、顔見知り、いや、軽く立ち話をする仲にまでなっていた。
「この間のこと、考えてもらえました?」
シンは急く気持ちを抑えきれずにそう聞いた。前回会った時、サヤの所蔵する雑貨コレクションにいたく興味を引かれたフリをし、できれば部屋を見せてほしいと頼み込んでいた。
顔色を窺うと、サヤは簡単に頷いた。
「いいわよ。丁度帰るところだし」
男は心の中でガッツポーズした。これでなんとかエイベルのアキレス腱となる少年に接触し気に入られることができれば、自分の組織の中での地位も盤石なものになる。
男は表面上はにこやかに、雑貨店を出るサヤについて行った。
「こっちよ」
シンは、サヤの先導で屋敷伝いに裏へ回った。
日陰になった少し先に扉が見える。あれが裏口だろう。
「裏には誰かいるんですか?」
「厨房係のカイが一人いるだけよ。ちょっと口は悪いけど、悪い人じゃないわ」
「そうなんですか」
シンはほくそ笑んだ。
厨房係など、大体が気のいい中年男と相場が決まっている。突破するのはたやすい。サヤの部屋まで行き、後はトイレを借りる口実でも作って屋敷を捜索すればいい。
「ここよ」
サヤが裏口の扉のノブに手をかける。軽く軋む音を立てて、それは簡単に開いた。
確かに、彼は今の今まで幸運だった。しかし彼の不運は、自身が羊族であることからすでに始まっていた。
「狼族なんだけどね」
「え?」
シンは思わず、何でもなさそうに言ったサヤの顔を見ようとした。しかし、サヤはすでに中に足を踏み入れていて後ろ頭しかシンには見えなかった。視線でサヤの頭を追って、そのまま扉の内側を見た。
そこには、サヤが言っていたよりも多くの人々がいた。
くしくもこの日、久しく街を空けていたフェリクスが、店が休みだというリュカを伴ってやって来ていたのだった。
「おー、サヤ。街はどうだったよ?・・・あ?」
サヤが厨房の中に入ってきたことで、その後ろに立っていたシンの姿がカイの視界に入った。そのまま視線が合う。目が合っただけだというのに、シンの額からは冷たい汗が流れ落ちた。
羊族の者達にとって、狼族は絶対に避けて通るべき相手だった。
奴らは捕食者だった。特に理由があるわけでもないのに、子どもの頃から虐めてくる者といえば必ず狼族の者だった。羊族の者は、昔から狼族たちの格好の餌食だった。
そんな、ずっと避け続けていた種族の男がすぐ目の前にいる。しかもよく見れば、椅子の所にももう一人座っている。
シンには、自分の足が凍って固まってしまったかのように思われた。前に進もうにも、後に退ろうにも、全く動かない。カイも動かない。何も言わず、サヤと共にやってきたシンを眺めている。
そんな中、沈黙を破ったのはフェリクスだった。
「ウサギの姉さんも隅に置けないっすね。彼氏っすか?」
「違うわ。趣味友よ」
さっと立ち上がって、今にも後退していきそうなシンの肩を押して屋敷の中に入れた。そして空いていた椅子にさっさと座らせてしまう。その顔には人の悪そうな笑みが浮かんでいたが、未だに衝撃から立ち直れないでいるシンは気づかなかった。
「ちょっと休憩したらどうっすか?喉渇いてるっしょ」
「そうね。冷たい物でももらおうかしら」
言いながら、サヤはシンの隣に座った。
「今日は収穫はあったのかよ?」
「ええ。ウサギの置物よ」
「似たようなもんばっかよく買うよなぁ」
「全然似てないわ」
サヤとシンの前に紅茶が置かれた。
もう一つ彼には不運なことがあった。サヤが「悪い人じゃない」と称した厨房係は、案外彼女に対して過保護だったのだ。
「で?そちらさんは?」
カイが何気なくシンを見て言った。内心は読めないが、表面上はにこやかな態度だった。
「私が通ってる雑貨店で知り合ったの。それからよく会うの。雑貨が好きなのよ」
「雑貨が好き、ねぇ・・・」
「それって、姉さんが好き、の間違いじゃないんすか?」
「黙ってろオメーは」
ぴしゃりと言ったカイが、椅子に座っているシンを値踏みするように上から下まで眺めた。
「でもここに連れてくるってことは、結構脈ありなんじゃないんすか?」
「脈?脈ってなによ」
「フェリクス」
カイがフェリクスを視線で黙らせた。それからまたサヤを見た。
「で?いつ知り合ったんだよ?」
「そうね、確か・・・ そうよ、確かセバス様から話があった頃ね」
「話しって、この前のかよ?」
「そう。不審な人たちが接触して来てるって言ってた頃ね」
サヤがそう言った途端、シンの体が震えた。
「へぇ?」
カイの目がすぅっと細められる。それを見て、フェリクスが面白い物を見つけた顔になった。
「なんすか?それ。なんかあったんすか?」
「あー、オメーはいなかったもんなぁ。実は・・・」
カイがフェリクスに説明している間、シンは微動だにせずに椅子の上に座っていた。サヤは無表情で、リュカは興味深そうに聞いていた。
「どーしたんだ?震えて」
急に顔を覗き込まれて、シンは仰け反った。すぐ傍に狼族の者の顔がある。シンは、こんなに近くで狼族の顔を見たのは初めてだった。
「二人も狼族がいるからこえーのか?心配すんな。サヤの趣味友を取って食ったりしねーから。趣味友なら、な?」
カイの指が、カタカタと小刻みに震えているシンの頬をするりと撫でた。シンは動くことができず、息を飲んだだけだった・・・
狭い雑貨店の中で、呼びかけられたサヤが顔をあげた。
「あら、シンじゃない。また会ったわね」
目が合った男、シンはにこりと人好きのする笑みを浮かべた。
シンとサヤは、少し前にこの同じ雑貨店で初めて出会った。シンはそれ以降も度々やってきて、サヤと顔を合わせている。しかしそれはサヤ個人に興味があって、というわけではなかった。
シンはある組織に所属していた。
シンが所属する組織はこの街で昔から奴隷売買を扱っていたが、それ自体が今はこの国では微妙な立場だった。
それだけでは成り立たなくなり、全く別の稼業に手を出したはいいがどれもうまくいかず、新興組織に押されていた。
組織のリーダーから、領主であるエイベル・セヴェニーを味方につけるため、男の弱みを手中にするための命を受け、皆思い思いの方法で猫族の少年に接触をはかっていた。
シンも屋敷のメイドに接触し、一度は失敗していた。しかしシンは諦めなかった。何度も彼女が通っている雑貨店に足を運び、顔見知り、いや、軽く立ち話をする仲にまでなっていた。
「この間のこと、考えてもらえました?」
シンは急く気持ちを抑えきれずにそう聞いた。前回会った時、サヤの所蔵する雑貨コレクションにいたく興味を引かれたフリをし、できれば部屋を見せてほしいと頼み込んでいた。
顔色を窺うと、サヤは簡単に頷いた。
「いいわよ。丁度帰るところだし」
男は心の中でガッツポーズした。これでなんとかエイベルのアキレス腱となる少年に接触し気に入られることができれば、自分の組織の中での地位も盤石なものになる。
男は表面上はにこやかに、雑貨店を出るサヤについて行った。
「こっちよ」
シンは、サヤの先導で屋敷伝いに裏へ回った。
日陰になった少し先に扉が見える。あれが裏口だろう。
「裏には誰かいるんですか?」
「厨房係のカイが一人いるだけよ。ちょっと口は悪いけど、悪い人じゃないわ」
「そうなんですか」
シンはほくそ笑んだ。
厨房係など、大体が気のいい中年男と相場が決まっている。突破するのはたやすい。サヤの部屋まで行き、後はトイレを借りる口実でも作って屋敷を捜索すればいい。
「ここよ」
サヤが裏口の扉のノブに手をかける。軽く軋む音を立てて、それは簡単に開いた。
確かに、彼は今の今まで幸運だった。しかし彼の不運は、自身が羊族であることからすでに始まっていた。
「狼族なんだけどね」
「え?」
シンは思わず、何でもなさそうに言ったサヤの顔を見ようとした。しかし、サヤはすでに中に足を踏み入れていて後ろ頭しかシンには見えなかった。視線でサヤの頭を追って、そのまま扉の内側を見た。
そこには、サヤが言っていたよりも多くの人々がいた。
くしくもこの日、久しく街を空けていたフェリクスが、店が休みだというリュカを伴ってやって来ていたのだった。
「おー、サヤ。街はどうだったよ?・・・あ?」
サヤが厨房の中に入ってきたことで、その後ろに立っていたシンの姿がカイの視界に入った。そのまま視線が合う。目が合っただけだというのに、シンの額からは冷たい汗が流れ落ちた。
羊族の者達にとって、狼族は絶対に避けて通るべき相手だった。
奴らは捕食者だった。特に理由があるわけでもないのに、子どもの頃から虐めてくる者といえば必ず狼族の者だった。羊族の者は、昔から狼族たちの格好の餌食だった。
そんな、ずっと避け続けていた種族の男がすぐ目の前にいる。しかもよく見れば、椅子の所にももう一人座っている。
シンには、自分の足が凍って固まってしまったかのように思われた。前に進もうにも、後に退ろうにも、全く動かない。カイも動かない。何も言わず、サヤと共にやってきたシンを眺めている。
そんな中、沈黙を破ったのはフェリクスだった。
「ウサギの姉さんも隅に置けないっすね。彼氏っすか?」
「違うわ。趣味友よ」
さっと立ち上がって、今にも後退していきそうなシンの肩を押して屋敷の中に入れた。そして空いていた椅子にさっさと座らせてしまう。その顔には人の悪そうな笑みが浮かんでいたが、未だに衝撃から立ち直れないでいるシンは気づかなかった。
「ちょっと休憩したらどうっすか?喉渇いてるっしょ」
「そうね。冷たい物でももらおうかしら」
言いながら、サヤはシンの隣に座った。
「今日は収穫はあったのかよ?」
「ええ。ウサギの置物よ」
「似たようなもんばっかよく買うよなぁ」
「全然似てないわ」
サヤとシンの前に紅茶が置かれた。
もう一つ彼には不運なことがあった。サヤが「悪い人じゃない」と称した厨房係は、案外彼女に対して過保護だったのだ。
「で?そちらさんは?」
カイが何気なくシンを見て言った。内心は読めないが、表面上はにこやかな態度だった。
「私が通ってる雑貨店で知り合ったの。それからよく会うの。雑貨が好きなのよ」
「雑貨が好き、ねぇ・・・」
「それって、姉さんが好き、の間違いじゃないんすか?」
「黙ってろオメーは」
ぴしゃりと言ったカイが、椅子に座っているシンを値踏みするように上から下まで眺めた。
「でもここに連れてくるってことは、結構脈ありなんじゃないんすか?」
「脈?脈ってなによ」
「フェリクス」
カイがフェリクスを視線で黙らせた。それからまたサヤを見た。
「で?いつ知り合ったんだよ?」
「そうね、確か・・・ そうよ、確かセバス様から話があった頃ね」
「話しって、この前のかよ?」
「そう。不審な人たちが接触して来てるって言ってた頃ね」
サヤがそう言った途端、シンの体が震えた。
「へぇ?」
カイの目がすぅっと細められる。それを見て、フェリクスが面白い物を見つけた顔になった。
「なんすか?それ。なんかあったんすか?」
「あー、オメーはいなかったもんなぁ。実は・・・」
カイがフェリクスに説明している間、シンは微動だにせずに椅子の上に座っていた。サヤは無表情で、リュカは興味深そうに聞いていた。
「どーしたんだ?震えて」
急に顔を覗き込まれて、シンは仰け反った。すぐ傍に狼族の者の顔がある。シンは、こんなに近くで狼族の顔を見たのは初めてだった。
「二人も狼族がいるからこえーのか?心配すんな。サヤの趣味友を取って食ったりしねーから。趣味友なら、な?」
カイの指が、カタカタと小刻みに震えているシンの頬をするりと撫でた。シンは動くことができず、息を飲んだだけだった・・・
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