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第十話 魔女の最終防衛線
3★
しおりを挟む薬を飲んでから、一日は安静にすること――。
キルケはその指示に従うことにした。
夕食後に飲んだ薬は甘苦いというか、妙な味がして気分が悪くはなったが、特別副作用が出たわけではなかった。頭痛もなければ眩暈もない。気分の悪さも水を飲んだらおさまった。
いつも通りだった。
ただ念のために、ファウストの神経質な忠告を尊重することにしたのだ。ルーも同じ意見のようで、彼女の寝台を整えてくれた。
「おやすみ、キルケ。具合が悪くなったらすぐ呼ぶんだよ」
ルーは自分の寝室に帰っていった。
魔女の方からなにか言ったわけではなかったし、彼も特別そこには触れなかった。ただ自然に、各自の寝室で寝ることにしたのだ。
(猶予をくれたんだろうか……、いや、ルーのことだ、わたしを真正面から食い尽くすつもりでいるのだろう)
ともかく、時間ができたことだけは確かだ。キルケはなかなか眠れず、暗い天井を眺めていた。
(こうやってひとりで眠るのは久しぶりだ……)
不思議なもので、たった数週間彼といっしょに眠る習慣がついただけで、ひとりで寝る寝台は妙に空虚に感じる。キルケはずっと昔のことを思い出した。
一度だけ、子供だったルーと眠ったことがある。最初の解呪の儀式が終わって不安定になった彼が、彼女からはなれたがらなかったからだ。
(……あんなにかわいかったのにな……)
キルケはひとり、フフッと思い出し笑いした。それから、その笑い声が別の部屋のルーに聞こえてはいないかと慌てて引っ込める。
彼女は真面目な顔を作った――誰が見ているわけでもないのに。
(またわたしはルーのことを保護者目線で見ているな)
それが間違いだと、今ではもう彼女にもわかっていた。ルーは大人で、男で、正真正銘の捕食者だ。彼女を捕らえて自分のものにし、支配しようと考えている。
(……)
たぶん、最初から間違っていた。かわいそうな奴隷の面倒を見て一人前にしてやり、やがては自由民としてひとり立ちさせてやるというその考えが。
それが彼にとって一番いいのだと信じて疑わなかったことが、彼を抑圧していたのだ。間違いなく彼女は彼を支配していた。
(……ルーにとって支配は愛なんだ……)
キルケはそう悟った。
魔女熱病にかかってすら――そして身体の関係を結んですらルーとのあいだに一線を引く彼女を、果たして彼はどんな目で見ていたのだろうか。
彼女の独善的な支配を愛だと感じて育ち、そしていずれ彼女が愛してくれなくなるのかもしれないと考えたのなら、そう、次は彼が彼女を愛するしかない。
どんな手を使ってでも、彼女を支配するしかなかったのだ。
やさしく甘く囲い込むのでもいいし、抑えつけて蹂躙するのでもいい。
――徹底的に、抵抗できなくなるまで愛するしか彼には手段がなかった。
そろそろ自分の長年の行いを清算するときが来たようだ。キルケはため息をつき、目を閉じた。
(わたしは間違っていた。お前も間違っている、ルー)
翌日、昼間はお互いに好きに過ごした。キルケはベッドに寝そべって本を読んでいたし、ルーはいつも通り忙しく立ち働いて家事をこなした。時々人狼は心配そうに彼女のようすを見に来ては、キルケが元気そうなのでほっとし、そして口にも表情にも出さなかったが薄暗い感情をいだいたようだ。
以前の魔女であれば、そんなルーの心の機微には気づかなかっただろう。だが、今はわかる――彼のことならなんでもわかる気さえする。
やがて夜になって、夕食を済ませた。ルーがわかしてくれたお湯で風呂も終わらせて、後は寝るだけの時間――。
キルケは覚悟をして、ルーの部屋を訪れた。
「……」
「立ってないでおいでよ」
当然、彼はすでにそこにいた。ベッドに腰掛けて、彼女を待っていたようだ。
魔女は一瞬躊躇した後、そろそろとした足取りで彼に近寄り、隣に腰掛けた。
「具合はどう?」
「悪くない。魔女熱病が治ったかどうか、自分ではよくわからないが……」
キルケはあいまいに言葉を濁した。これから起こるであろうことを考えると、どうしても下腹部に甘い期待が渦巻いてしまうが、これは病気の名残だろうか。それとも――。
どちらにせよ、彼女は虚勢を張った。
「お前の相手をするぶんには問題がないだろう」
「……それなら別にいいんだけど。そんなことを言って大丈夫?」
ルーがからかうように言い、こちらの方へ体重を寄せてくる。
「今まで君が、僕にきちんと抵抗できたことがあったかな」
「……」
耳元でささやかれてむずむずしたが、キルケは頑固に彼と視線を合わせなかった。
「今までは、病気だった。今は違う。……できるはずだ」
「そうだといいね。で……その服、必要?」
ルーがキルケの薄い夜着のすそを軽く引っ張った。
もちろんこれから脱ぐことになるのだが、質問の意図がわからず魔女は戸惑った。
「ど……どういう意味だ。無論必要なくなるが……」
「だったら自分で脱ぎなよ」
キルケは思わず身体を硬くしてルーを見た。
普段のルーとは雰囲気が違う。冷たい笑みを浮かべ、脚を組んでベッドに手をつく。
「それとも自分で脱ぐ勇気がないから脱がしてほしいとか? 今更だけど、確かに今まででは僕が脱がしてあげてたね」
「お、お前、ルー……!」
思わぬ侮辱に気色ばむキルケにもルーは動じなかった。
「もしかしてそこから強引にしてほしい? まあ……なんにせよ君が選べよ」
「……」
キルケは言い返そうとして、口を閉じた。
(こいつ……!)
彼が意図して魔女のことを怒らせようとしているのは間違いない。彼女の心を乱して主導権を取るつもりなのだ。
キルケは深呼吸し、立ち上がった。
「……自分で脱ぐ」
ルーは彼女のことを徹底的におとしめるつもりだと言った。それがまったくの本気で、彼女の矜持からなにからすべて奪って自分のものにしてしまうつもりなのだと、今更ながらに痛感する。
(本気なんだな……)
キルケはそう考えながら、ルーの前で夜着の前紐を解いた。貫頭衣なので、あとは上から脱いでしまえばそれで終わりだ。
さすがに恥ずかしく躊躇したが、人狼の視線に負けまいと思い切って服をめくり、頭の上から脱ぎ捨てた。下着はつけていない――この先に起こることで必要ないのが、わかりきっていたからだ。
キルケは一糸まとわぬ姿で、彼の前に立ち尽くした。
(……わたしが支配しないのなら、お前が支配するということか)
彼の前で裸になったことはなんどもあるが、こんなかたちでははじめてだ。羞恥心で眩暈がしそうだったが、彼女はなんとかルーを真正面から見返した。
「これでいいだろう」
彼女は人狼の言葉を待った。ルーはいつになく冷たい雰囲気だったし、先ほどまでの態度からきっと相当な辱めの言葉を用意しているに違いないと覚悟していた。
……が、ルーはただ簡潔に言った。
「……きれいだ、キルケ」
「そ……それは卑怯だ。逆に恥ずかしい……」
キルケは急にカッと頬が熱くなるのを感じた。
もっときつい言葉が飛んでくるものと思い込んでいたものが、これだ。動揺して視線がさだまらなくなった彼女に、ルーが笑った。
「お望みの言葉と違った? 君が予想してたような辱めの台詞もちゃんとあるから心配しないで。……脚のあいだ、濡れてるだろ」
「……ッ、ぬ、濡れてない!」
彼女はとっさに腿をぎゅっと寄せて腰を引いた。
ルーはくつろいだ様子をくずさない――キルケはそもそもこの構図が間違っていることに気づいた。これでは彼の方が主人ではないか。
後悔したが、もう遅い。人狼はベッドに手をついて後ろに体重をかけたまま、ただ彼女の命令してのける。
「脚を開いて」
「……」
「聞こえなかった? 開けって言ったんだ」
キルケは助けを求めるようにルーを見た。が、彼はただこちらを真っ直ぐに見てくるだけだ。
そもそも、そんなすがるような視線を向けてしまう自体がこの場の力関係をあらわしてしまっている。キルケはぎゅっと目をつぶり、屈辱にうちひしがれながらルーの言う通り――わずかに足を開いた。
「おいで、よく見えないよ」
「あっ」
ルーが手を伸ばしてきて、腰を引き寄せられる。
油断していたので、たたらを踏むようにして彼の膝をまたぐように踏み込んでしまう。
「やっぱり、腿の内側がべたべただ。こんなんで、よくも濡れてないだなんて言えたな」
「……」
魔女は羞恥心をこらえるのに必死でとっさに返事ができなかった。
彼の言う通り、キルケのそこは濡れていた。言い訳不能なほど、恥ずかしく。
「……お前とのセックスが好きなのは事実だからだ……」
浅い呼吸をなんどか繰り返し、彼女はようやく反論することができた。
「濡れるのは仕方がない。だからと言って、お前の思い通りになるわけじゃないんだ」
「そこは少なくとも魔女熱病のせいじゃなかったわけだ?」
「……そうだ」
ルーの指が内腿を意味ありげになぞった。
「僕とのセックスが好きなくせに、このまま耐えきれると思ってる?」
「……やってみなければ、わからない……」
「なるほど……だけどどうやって?」
「……」
キルケは目線をさまよわせた。彼女が答えを迷っているあいだにも、ルーのゆびは濡れた内腿をくすぐり、やさしくつねっている。
「口で言うのは簡単だよ。だけど、一度僕を受け入れてしまったら、後はもう魔女熱病の時ほど気持ちがよくないことに期待するしかないよね」
ルーが誘惑するように言った。
「そうだな……前もやったけど、イかないでいられるか、ためしてみる?」
「ど……どういうことだ」
「やっただろ。我慢できるかどうか」
くらくらする頭で、魔女はなんとか思い出した。
確かに、そんなことがあった気がする――達しないようにと我慢を強いられたはずだ。
ルーの瞳がからかうような視線を投げかけてくる。
「魔女熱病は治ったんだもんな。そう簡単には気持ちよくならないはずだよね――まあ、少なくとも前よりは」
「そ……それは……うっ」
躊躇して口ごもっていると、もう片方の手で少しだけ強く胸の突起をひねられる。
「返事ははっきり。今から気弱なところを見せてどうするつもりなんだ」
「……!」
自信のなさを見透かされ、キルケは屈辱に歯噛みしながら返事をするしかない。
「……わ、わかった。……イかなければいいんだな?」
「少なくとも、しばらくは耐えてみないと。いつもみたいに挿れてすぐ気持ちよくなってるようじゃだめだよ」
「……」
キルケはうなだれた。
すでに、こんなにもルーに支配されてしまっている。なにひとつ主導権を取れていない。
それでも――彼女にだって、ほかの方法はなかった。
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