白いスープと死者の街

主道 学

文字の大きさ
上 下
26 / 41
大根

26話

しおりを挟む
 そうだ!
 左手と右肩!?
 見ると、血で洋服が真っ赤に染まっていた。
 すぐに、道路の雑木林から反対側の電信柱に身を潜めて、緊張しながらヨモギやドクダミなど、ガムテープで応急処置をした。

 車が一台。向こうから走って来た。
 ぼくの幸運を一滴残らず絞ったかいがあった!
 電信柱の陰から急いで走行中の車の前に行って大きく手を振った。黄色の車を停めると窓から大家族の方じゃない田中さんが顔をだした。

「ぼく! どうしたんだ? 怪我しているじゃないか?!」
 その時、雑木林から大原先生が現れた。
 その恐ろしい形相と凶器を見て、田中さんは真っ青になった。助手席のドアを開けて叫んだ。
「早く乗って! 早く乗って!」
 田中さんはぼくを乗せて車を急発進した。
 大原先生が走って追いかけてくる。

「なんだ! なんだ! あ、ぼく! 掴まって!」
 のっぺりとした丸顔が恐怖で歪む。
 田中さんは焦ってアクセルを全開にした。
 ぼくはこれ以上ないほど眠くなってきた。隣の田中さんが何か必死に前方を見つめて叫んでいたけど、ぼくは泥沼のような眠りに沈んでしまった。


 目を開けると、薬品と埃の匂いがする部屋だった。
 ぼくはベットにいた。
 病院?
 ぼくは辺りを見回した。
 あ、そうだ。

 村外れの村田診療所だ。昔、大熱をだして心配した母さんに連れてこられたことがあるんだ。
 ベットの隣には、丸っこい母さんが座った状態で眠りこけていた。
 脇の時計を見ると、今は午後の11時だ。
「助かった!」
 ぼくは自分でも解らないけど大声を張り上げていた。
 空想が一部壊れてしまったからだろう。
 ぼくは恐怖と戦うには空想しかないんだ。
 でも、大丈夫。

 まだまだ、空想はいっぱいある。
 隣の母さんが起きた。
「まあ、起きたの歩! よかった! ……大変だったわね。父さんもおじいちゃんも感
心していたわ。大原先生から無事に逃げていたって田中さんから聞いて。犯人が大原先
生だったって、みんな信じられないって大騒ぎしてたのよ。……あら、こんなこと子供に話してもいいのかしら? 田中さんに後で必ずお礼を言いなさいね」
 これで、ぼくの冒険は進行しやすくなった。
 大原先生に殺人未遂罪を着せられる。
 後は裏の畑の子供たちを助けなきゃ。

「リンゴ剥く? それともご飯?」
 母さんは優しくしてくれた。
「リンゴ」
 丸っこい母さんはテキパキとリンゴを剥いてくれた。
「食べ終わったら、母さん。ちょっと、下へ行ってくるわね。父さんたちに電話で話さなくちゃ。ご飯はその冷蔵庫の中にお弁当があるわ。お腹空いているでしょ」
「うん」
 ぼくはリンゴを口に頬張りながら、母さんがリュックに気が付いたのだろうかと、一瞬考えた。あのリュックの中身には止血剤とかがあるからだ。

 見つかるとどうなるのだろう?

 長い間、犯人の大原先生と戦っていたと思われるかも知れない。
 勇気を褒められるかも知れないし。
 無謀だったと怒られるかも知れない。
 けれども、事件はまだ終わっていない。
 これからが、本当の調査なんだ。

 ぼくは赤い染みのある包帯を見つめていたけど、痛みどころか鉈の傷による凹凸も左手と右肩にないことに手で触って気が付いた。
「あれ? ぼくの傷が治っている?」
 点滴の血液がぼくに流されているかと思ったら、点滴には透明な液体が入っていた。
 輸血しなくてもよかったのかな?
 ぼくは興味本位で左手の傷を確認するために包帯を解いた。

 何ともなっていない!

 左手は傷がないばかりか痛みもまったくなかった。
 あれだけ恐ろしかったことが夢?
 そんなことはないはずだ。
 だって、ここは病院だもの。
 母さんに聞いてみよう。
 丁度、母さんが階下から電話を終えて、戻って来た。

「あら、リンゴ一つじゃ足りないわよね。お弁当食べな。今、お茶を買ってくるわね」
「母さん。ぼくの傷や血は酷かった?」
 母さんは真っ青な顔になって、心配そうな声色になった。
「ええ。村田先生も驚いていたわ。でも、村田先生はその後に診察室に一人閉じこもっているの」
 何かある!
 きっと、これから必要になってくる知識のはずだ。
「母さん。頼みがあるんだ。隣の村田先生に聞いてきて、傷の様子が可笑しいんだ」
「まあ!」
 ぼくは咄嗟に嘘をついた。

 母さんは青い顔で村田先生がいる診察室へと走って行った。
 しばらくすると、ぼくは慎重に起き出して病室を出て、母さんに気付かれないように後を追った。
 点滴を押して薄暗い廊下を音を立てずに歩くと、階段があった。昔の記憶が正しければここは二階建で、診察室は一階にあるんだ。

 真っ暗な階下で母さんが診察室のドアを控えめにノックし、返事を待っていたところだった。ぼくは階段から屈んで聞き耳を立てた。
 村田先生が顔を出した。
「歩君の傷のことだね。中へ入って」
 神妙な面持ちの白髪の村田先生と母さんが診察室へと入ると、ぼくは古く薬品の匂いのする木製の階段の隙間で固唾を飲んだ。

 少し戸惑いの声が村田先生の口から出ていた。
「歩君の体。正確には傷から。高濃度の農薬とオニワライダケの成分が検出されている。さっぱり解らないが、前にもこんなことがあったんだ。隣……でね。その農薬は……。というより、今でも毒性が認められているオニワライダケにはまだ明らかになっていない成分が……。その成分と高濃度の農薬の影響かは解らないが、歩君の体内は今は仮死状態になっている……。何故か動けるんだがね……。」

 中々聞き取れない。

 ぼくは点滴を持って一階へ行こうかと思ったが、母さんの不安な声と鳴き声が同時に聞こえた。
「まあ! 歩はどうなるんですか?」
「現状では隣町の総合病院へ入院した方がいい。農薬には精神面への影響もあるし、毒性の強いオニワライダケの方も心配だ。私が推薦状をだすから。さあ、奥さん。今は何とも言えないけど、これから健康になる可能性を否定したら。我々は何もできないんだ。今日はもう遅いから明日歩君とゆっくり今後の相談をした方がいい」
 母さんのすすり泣く声が診察室のドアから漏れ出した。



 ぼくは閃いた。
 農薬だったんだ!
 裏の畑で大根が辛くなったのは!
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

おさかなの髪飾り

北川 悠
ミステリー
ある夫婦が殺された。妻は刺殺、夫の死因は不明 物語は10年前、ある殺人事件の目撃から始まる なぜその夫婦は殺されなければならなかったのか? 夫婦には合計4億の生命保険が掛けられていた 保険金殺人なのか? それとも怨恨か? 果たしてその真実とは…… 県警本部の巡査部長と新人キャリアが事件を解明していく物語です

四次元残響の檻(おり)

葉羽
ミステリー
音響学の権威である変わり者の学者、阿座河燐太郎(あざかわ りんたろう)博士が、古びた洋館を改装した音響研究所の地下実験室で謎の死を遂げた。密室状態の実験室から博士の身体は消失し、物証は一切残されていない。警察は超常現象として捜査を打ち切ろうとするが、事件の報を聞きつけた神藤葉羽は、そこに論理的なトリックが隠されていると確信する。葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、奇妙な音響装置が残された地下実験室を訪れる。そこで葉羽は、博士が四次元空間と共鳴現象を利用した前代未聞の殺人トリックを仕掛けた可能性に気づく。しかし、謎を解き明かそうとする葉羽と彩由美の周囲で、不可解な現象が次々と発生し、二人は見えない恐怖に追い詰められていく。四次元残響が引き起こす恐怖と、天才高校生・葉羽の推理が交錯する中、事件は想像を絶する結末へと向かっていく。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

名前のない

sagiri
ミステリー
夫婦は最後の時を迎えていた。 謎の白い女、彼女さえいなければ… そして同じ事件に巻き込まれた4人の女。 彼女達は事件の鍵を握っているのか?

暗号好きの泥棒

土星の輪っか
ミステリー
「暗号好きの泥棒」と世間から名づけられている、大泥棒、ヒラを、世界的有名な名探偵、ロンドが捕まえる物語

イグニッション

佐藤遼空
ミステリー
所轄の刑事、佐水和真は武道『十六段の男』。ある朝、和真はひったくりを制圧するが、その時、警察を名乗る娘が現れる。その娘は中条今日子。実はキャリアで、配属後に和真とのペアを希望した。二人はマンションからの飛び降り事件の捜査に向かうが、そこで和真は幼馴染である国枝佑一と再会する。佑一は和真の高校の剣道仲間であったが、大学卒業後はアメリカに留学し、帰国後は公安に所属していた。 ただの自殺に見える事件に公安がからむ。不審に思いながらも、和真と今日子、そして佑一は事件の真相に迫る。そこには防衛システムを巡る国際的な陰謀が潜んでいた…… 武道バカと公安エリートの、バディもの警察小説。 ※ミステリー要素低し 月・水・金更新

マチコアイシテル

白河甚平@壺
ミステリー
行きつけのスナックへふらりと寄る大学生の豊(ゆたか)。 常連客の小児科の中田と子犬を抱きかかえた良太くんと話しをしていると ママが帰ってきたのと同時に、滑り込むように男がドアから入りカウンターへと腰をかけに行った。 見るとその男はサラリーマン風で、胸のワイシャツから真っ赤な血をにじみ出していた。 スナックのママはその血まみれの男を恐れず近寄り、男に慰めの言葉をかける。 豊はママの身が心配になり二人に近づこうとするが、突然、胸が灼けるような痛みを感じ彼は床の上でのた打ち回る。 どうやら豊は血まみれの男と一心同体になってしまったらしい。 さっきまでカウンターにいた男はいつのまにやら消えてしまっていた・・・

事故現場・観光パンフレット

山口かずなり
ミステリー
事故現場・観光パンフレット。 こんにちわ 「あなた」 五十音順に名前を持つ子どもたちの死の舞台を観光する前に、パンフレットを贈ります。 約束の時代、時刻にお待ちしております。 (事故現場観光パンフレットは、不幸でしあわせな子どもたちという小説の続編です)

処理中です...