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Envy (嫉妬)

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 突然、何かの破裂した音が窓の外から鳴った。

 レストラン「ビルド」の窓ガラスが一枚割れ、モートの座る席の床に銃による弾丸のような跡ができたのを、アリスは目撃した。
 アリスはひどい眩暈がした。
 心配して穿かれた大きな穴から視線を戻してモートの身体を見ると、シュッとモートが右手で胸の辺りで線を引くような素振りをしていた。
「大丈夫だ……。もう、片付いた」
 モートは平然として静かな声で話している。

 アリスは不思議がったが、自然と安堵の息を吐いていた。
 外からヒュウヒュウと鳴る。割れた窓からの風の音と共に、通行人の鋭い悲鳴も聞こえてきた。店内は割れた窓ガラスからの冷たい空気で、氷のような寒さが店内を襲った。だが、アリスは寒さ以外の得体の知れない恐怖を覚えた。
「……モート……さっきの破裂音は?」
「……ああ。三人だったよ」
「?」
「いや、一人は起きたようだ。……何人かは人じゃないな。……今度は大勢で来てくれた」
 モートは珍しく喜んだ声を上げた。
 アリスは首を傾げながら、外の様子を窓から恐る恐る見てみると、向かいの建物の上からボトボトと何かが落ちてきている。それは、かなりの重さのある人間の身体の一部のようだと直感した。アリスはそれが首なのではと思えてきた。

 外からなのか、得体の知れない寒さから店内の空気が全て凍てつく。けれども、更に急激に店内の気温があり得ないほど一斉に下がり始めた。今まで暖かかったはずのレストラン「ビルド」の店内は、まるで冷凍庫の中の最奥のような冷たさになった。

 お客の中には、このとてつもない寒さから、すぐに逃げ出すように店を出るものや、外の悲鳴を聞いて警察へ連絡しようとするものが現れだした。慌ただしく帰って行くお客をアリスは何気なく見つめていたが、アリスは不思議に思った。何故なら皆、一人残らず寒さとはまったく無関係なことを、小声でこぼしていたからだ。

 それは「身体が無くなったみたいだ」「なんだかとても視界が狭い」「目の前が暗くなって前が見えにくい」などの不安の声だった。

 モートが「少し待っててくれ」と言い残して席を外すと、同時に辺り客の無関係な小声がパタリとしなくなった。

 アリスは今になって一人取り残されている気持になったが。店内から外の銀世界へと出て行くモートの後ろ姿を少し悲しく眺めていた。

  シンシンと降る雪の街からくる容赦のない寒さが窓から襲ってきた。アリスは身震いして、バラの香りのする壁のハンガーに掛けてあるロングコートを着た。それでもモートが帰って来るまで待つことにした。

 だが、内心アリスはこの時になって初めてモートが、善人だが、不思議で、とてつもない恐ろしい存在だと思えてきた。けれども、モートが折角のデートの最中に席を離れたことが同じくらいにとても悲しくなった。
  アリスはモートの離れた席を見つめ深い白い息を吐いていた。

 外は相変わらずに、シンと静まり返った大雪の景色だった。それは、アリスの気持ちを更に沈ませることになった。アリスはがっかりして、せっかくの昼食を諦めようとしたその時。急にまた外が騒がしくなった。
 通行人の悲鳴が次々と上がり、車や建物が破壊される音とクラクションのけたたましく鳴る音が木霊し。まるで、突如荒ぶる嵐がここホワイト・シティを襲ってきたかのようだった。

 もはやガランとしている店内。
 給仕もコックもお客もいない。
 それでもアリスはお気に入りの席で、モートをひたすら待ち続けることにした。

「すまない。待たせたねアリス」
「一体? なんだったのです?」
 
しばらくすると、いつの間にかモートが真正面に立っていた。アリスは不思議がって目を擦ったが、抑えられない恐怖からか? 苛立ちからか? 少し詰問するように静かな声で言ってしまった。
 モートは何事もなかったかのように席に着いて、食事を楽しんだ。
「今日は収穫祭だ……」
 モートと食事を再開したアリスの耳には、モートの嬉しそうな独り言がいつまでも恐怖と共に鳴り響いていた。

 Envy 5

 モートはあの首を狩っても生きている猿の頭の人間を疑問に思っていた。他は黒い魂の人間だった。最初は猿はグリモワールからの召喚だと思った。けれども、近くにはグリモワールの本がない。本を使う者もいない。そして、確実に自分だけを集中して狙っていた。

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