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第二章
俺の隣が修羅場すぎる
しおりを挟む「まこと、起きるなの」
ゆっさゆっさとサンドラは真琴を揺さぶる。
起こし方は、以前水をぶっかけたりベッドごとひっくり返したりした時にかなり怒られたため、このような優しいものとなっていた。
「まことー」
どうしても起きない真琴に、サンドラは頬をグイッと掴んで、ありとあらゆる方向に引っ張った。
目覚ましが攻撃になった以上、真琴は夢の中から現実世界に戻される。
この状況でも眠り続ける事ができるほど、真琴の睡眠も深いわけではない。
「痛い痛い痛い。起きたからもうやめて」
「まことはいつも私に同じことをやってるなの」
「そ、そんなつもりはなかったんだ。許してくれー」
サンドラは日頃の恨みと言わんばかりに、頬を引っ張る。
真琴が目覚めているにも関わらず、継続しているところを見ると、やはり目覚ましから攻撃に移行していた。
サンドラは基本的に無抵抗なため、真琴に頬をつつかれても特に反応はない。
しかし、昨日調子に乗った真琴が三十分に渡ってつつき続けた事によって、かなりの鬱憤が溜まっていたようだ。
「真琴さーん。本当に時間無いですよー。礼拝大丈夫ですかー?」
「――!」
今日は日曜日だ。
学校は休みだという安心感から起きる時間が遅くなるのはいつもの事だが、どうやら緩みすぎたらしい。
枕元の時計を見ると、既に九時半を回っていた。
その後真琴は、軍隊のように洗練された仕度で家を出る事になる。
**********
「はぁ……意外と間に合うもんだな……」
「ですね。まだ始まるまで結構余裕ありますよ」
遅刻しそうだったとは思えないほど、余裕を持って到着する三人。
真琴は何とか息を整える(ココとサンドラは全く息が切れていない)。
「あれ? 少年! 奇遇ですね!」
疲れている真琴に声がかかる。
勿論ココやサンドラではない。
その声のした方向には――リエルがいた。
「リ、リエル!? 何でアンタがここに!?」
「それはこっちのセリフなのです。ここは教会ですよ?」
何故か教会の前を掃除しているリエル。
ココと話している間も掃除の手を止めるようなことはなく、熱心に箒を動かし続けていた。
「知ってますよ。今日は日曜日ですから、礼拝をしに来ました」
しかし、それもココのセリフによってピタリと止まる。
手だけではなく、リエルの体ごと――だ。
「ええええぇぇぇぇー!? いやいやいや! 嘘! 嘘なのです!」
リエルは絶叫ともいえる声を上げる。
信じられない事が起こった時、人(リエルは天使だが)はこのような悲鳴をあげるのだろうか。
「どうしたんだい、リエルちゃん。……あ、真琴君にココさんたちじゃないか。おはよう」
「おはようございます、牧野先生」
「うううう嘘……でも牧野先生も知っているという事は本当……? なんで……」
リエルの悲鳴を聞きつけて、牧野は玄関から登場する。
リエルが特に問題のないことを確認すると、近くにいる真琴たちに気づき、にっこりと挨拶をした。
ココもそれに対して、にっこりと挨拶を返す。
そのようなものを目の前で見せ付けられたリエルは、ココの言っている事が真実だと分かったらしい。
しかし、理解しても信じる事とは話が別だ。
リエルの脳内では様々な葛藤が生まれている。
「なんでなんでって失礼ですね。それに、アンタがここにいる理由をまだ聞かせて貰ってませんけど?」
「ボ、ボクはこの教会に住み込みで働く事になったのです! だから掃除をしているのです!」
「げっ、マジですか……何でよりによって……」
「それもこっちのセリフなのです!」
「あぁん? やるんですか?」
「上等なのです」
「……ドラちゃん、長くなりそうだから中に入ろうか」
「分かったなの」
これ以上待つことは時間の無駄だと判断した真琴は、ココとリエルを放置して教会の中に入ることを選択する。
サンドラも完全に同意していた。
「多分中には唯川がいるから、ちゃんと挨拶するんだぞ」
「了解なの」
中に入る寸前に、最後のチャンスとしてチラリと後方を振り返る。
そこには睨み合っている二人の姿があった。
ここまできたら止める方が困難だ。
喧嘩するほど仲がいいということで、そそくさと中に入る。
中に入ると、受付の所に予想通り唯川がいた。
「あ、ドラちゃん、おはよう!」
「いきなり僕を無視するな」
「おはようなの、ついでにまことも」
「ありがとう、ドラちゃん。やっぱり僕には君だけだ」
唯川は目が合った瞬間、とても嬉しそうな顔をしたが、どうやらお目当ては真琴ではなくサンドラだったらしい。
スルリと真琴の横をすり抜けて、サンドラの元へと接近する。
かなりスカされた空気。
そんな状況でもサンドラは優しさを見せてくれた。
「あぁー、ドラちゃん、真琴くんと一緒で大変だったでしょー」
「何でお前の会話は毎回同情から始まるんだ」
唯川は本当にサンドラがお気に入りのようで、女子高生であるにも関わらず、お節介焼きのおばちゃんのようになっている。
(多分唯川がおばちゃんになったら、こんな風になるんだろうな……)
その様子から、唯川の将来の雰囲気は容易く想像できた。
愛に溢れた人間になりそうだ。
「今日は沢山人が来てるからね、もしかしたら座る所がないかもだけど、その時は私の膝の上に座ってね、うへへ」
「下心丸出しじゃねえか」
しかし、お節介というのも純粋なものではなかった。
ついつい言葉の後に気味の悪い笑いが入っている。
このままでは、愛に溢れた人間どころか性犯罪者になってしまいそうだ。
「じゃあ、早く座らないとなの」
サンドラは急いで席を探す。
幸いなことに、いつもより人は多いものの、ギリギリ長椅子の数は足りそうだ。
外にいるココとリエルの分までなら、何とか足りるだろう。
「ねぇー、今日はドラちゃんと座っていい?」
「別に大丈夫だと思うけど。どうだ? ドラちゃん」
「構わないなの」
サンドラと唯川のペアが成立した。
今ある長椅子の数は二つ。
一つの椅子に二、三人座れるため、残りの椅子は一つだ。
すなわち、そこに真琴が座る事になる。
一番前の席だが、特に抵抗なく真琴は座った。
真琴が座った数秒後――奏楽の人によって、何度も聞く美しい音色が耳に入る。
真琴は一番前の席なので、オルガンと最も近い位置だ。至近距離で見れる美しい演奏に、少しだけ得した気分になった。
「はやくはやく」
そんな音色に入り込むように、外からココとリエルの声が微妙に聞こえてきた。
同時に聞こえる足音からも、かなり焦っているということが分かる。
恐らく外で喧嘩していたら、オルガンの音が聞こえてきたため、遅れたと思ったのだろう。
「……失礼しまーす……」
最低限のマナーは守るように、ドアは静かに開けて二人が入ってきた。
頭を下げて腰を低くしながら、空いている席を探して移動する。
勿論二人が来たのは真琴の席だ。
(……あれ? 僕の席に二人が来るって事は……ココとリエルが一緒!?)
二人が来るまでは何も気付かなかったが、現実になってすぐに分かる。
ココとリエルが一緒の席だという事――つまり修羅場だ。
ココとリエルもその事実に気付いたようで、最悪の事態は免れようと、真琴を真ん中にして座った。
ココ、真琴、リエルの並びだ。
二人にとって最悪の事態は免れたが、真琴にとっては免れていない。
しかも、三人で座っているため、普段より少し窮屈だ。
その窮屈さは、サイドに座るココとリエルによって、極限まで意識させられる。
(大丈夫。約一時間半を乗り切るだけだ。何も問題はない)
真琴は自己暗示をするように自分を励ます。そうでもしないと、この場を乗り切れる気などしなかった。
そんな緊張の中、いつも通り礼拝は始まる。
司会者が聖書の一部を読み、それを皆が静かに聞いていた。一緒に黙読する者もいれば、目をつぶって祈っている者もいる。
リエルは前者。真琴は後者だ。
司会者が読み終わると、続いて賛美歌の演奏が始まり、皆が本を持って立ち上がった。
ココは先週と変わらず、普段の行動からは考えられないほどの綺麗な歌声で歌う。
それは、この歌声が目当てで礼拝に来る人がいてもおかしくないほどに美しかった。
その歌声を聞いていたリエルは、ココに負けじと声を張って歌う。
しかし健闘むなしく、リエルは音痴だった。
テンポのズレや、そもそもの音程が壊滅的で、ココと比べると月とスッポンである。
賛美歌を数曲歌い終わると、牧野による説教が始まった。
四十分ほどの説教。
なんとか意識を保っていた真琴とは違い、ココとリエルは驚くほど真面目に聞き続けている。
「……ほぅ」
「……なるほど」
二人は相槌をうちながら、聖書にしっかりと書き込みをしていた(ココは、真琴の持っていた新品同様の聖書を借りている)。
牧野も集中しているココとリエルを見て、心なしか嬉しそうだ。
「……真琴さん。ここのイエス様の行動の意味分かりますか?」
「……お、おう」
「……流石です。難しいですね……」
頭を空っぽにしていた真琴に、突然の質問が入る。
こういった場合、人によっての対応があるだろうか、真琴は見栄を張って知ったかぶりをするタイプだ。
その作戦は成功したようで、ココからの評価が上がる。
何とか先輩クリスチャンとしての威厳は保つことができた。
「少年、申し訳ないのですが、後でここの箇所を教えてほしいのです……」
「……あ、ああ」
今度はリエルから質問が入る。
これはココと違って逃げる事はできない。
今回もついつい知ったかぶり作戦を選択してしまったが、それが致命傷になった。
ただでさえピンチなのに、更に立ち位置が危うくなる。
(唯川に後で教えてもらおう……)
こんな時に頼りになるのが唯川だ。
唯川は将来教師になると公言しているだけあって、教える事に関してはかなり上手い。
真琴も、よく学校で分からない問題を教えてもらうのだが、そういった意味ではかなりお世話になっている。
色々まどろっこしい事になったが、尊敬する眼差しで見つめているココとリエルを考えたら、断れるはずもない。
「ありがとうなのです、少年」
ぱぁっとリエルの顔が笑顔になる。
説教中なので、もちろんヒソヒソ声でだ。
しかし、そのヒソヒソ声も二つ隣のココには聞こえていたらしい。
笑顔のリエルに対して、ココはむすっと不満そうな顔になっていた。
「――という事だったのです。お祈りします――」
真琴がピンチになっている間に、牧野の説教が終わる。
ずっと二人を意識していたせいか、いつもより説教は短く感じられた。
それからは、献金や賛美歌があり、スムーズに礼拝が進む。
礼拝が終わりに近付くごとに、真琴のプレッシャーは段々と増していった。
*******
「ということで、礼拝を終わります。お疲れ様でした。愛餐会もありますので、お時間がある方はどうぞ。無料ですので」
「ふぅ、お疲れ様でした、真琴さん」
「あぁ、お疲れ」
礼拝が終わったことによって、三人の肩から力が抜ける。
ちなみにサンドラは最初から力が抜けていたようだ。
「それじゃあ、愛餐会のお手伝いしてきますね」
「あ、ボクも行くのです」
ココとリエルの質問を覚悟していた真琴だったが、どうやら二人は準備に向かうらしい。
時間的な猶予が与えられたのは、真琴にとってもラッキーだった。
あわよくば無かったことにもできるかもしれない。
「唯川、今日の説教でココとリエルが苦戦してたから、教えてあげたらどうだ?」
「そうなの? うん、いいよ」
「お! いいの? やった!」
「……ん? なんで真琴くんが喜んでるの?」
「……え? ああ、我が身のように嬉しい……的な?」
「なんで疑問系? まあ、いいや。優しいんだね」
何とかして、ココとリエルは唯川に任せることができた。
嬉しさのあまり少々疑われてしまったが、唯川の好意的な解釈によって難を逃れる。
「そうだ、折角だから真琴くんにも教えてあげるよ。これで、我が身のように――じゃなくて、真琴くんも嬉しいでしょ?」
「は、はい……ありがとうございます」
真琴は、自業自得という言葉の意味を、身をもって感じていた。
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