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第四章
番外編 お風呂
しおりを挟む「フフフーン。スラ太郎久しぶりだなー」
ジェニーは、プルプルと揺れているスラ太郎を抱えながら、浴場へと向かっていた。
ディストピアではかなりの数の浴場があるのだが、その中でも一番人気は六階にある大浴場だ。
とてつもない広さを誇っており、どんな種族の下僕たちからも絶大な人気である。
ジェニーとて、その例外ではない。
ただ、人が沢山いる状態だと、ジェニーもゆっくり出来ないので、あまり人がいない時間帯を狙っての入浴だ(現在夜の九時、ディストピアの下僕はまだ眠っている者が多い)。
到着した。
男湯と女湯でハッキリ入口が別れている。
これはかなり有難い。
ジェニーが混浴など入ってしまったら、湯に浸かるまでにのぼせてしまうだろう。
「あ、スラ太郎って男の子なのかな?」
足を一歩踏み込む前に、スラ太郎の性別について疑惑が浮上する。
よく思い出したら考えた事すらなかった。
名前からしたら間違いなく男の子だ。
だが、思いつきで決めただけの名前である。男の子である確証はない。
「……まあいっか」
ジェニーはそれ以上深く考えなかった。
一人で入るのも微妙だし、恐らく浴場には誰もいないだろう。
そう呟いて、スラ太郎と一緒に女湯へと足を運ぶ。
スラ太郎も水場が待ちきれないようだ。
ジェニーは更衣室でぺろりと皮を剥くように服を脱ぐと、浴場への扉を開く。
「あ」
「あれ、ジェニーちゃん? あと……スライム?」
浴場には先客がいた。
エマ――とあと一人。
メリルネだ。
「エマ様、この御方は……?」
「エマのお友だちだよ。すごく可愛いの!」
「ちょ、ちょっと……。恥ずかしいです」
いきなり自己紹介が始まってしまった。いや、勝手に紹介されたと言うべきだろう。
ジェニーとメリルネは初対面だ。
話には聞いていたが、実際に会ったことはなかった存在である。
まさかこのような状況で初対面とは、考えてもいなかった。
一糸も纏わない姿で、タオルすら持っていない。
恥ずかしさ故か、ジェニー自身も気付かないうちにスラ太郎を強く抱きかかえている。
「でも丁度よかった。ジェニーちゃんも一緒に入ろうよ」
「え? いいんですか?」
「大丈夫だよ。ねっ? メリルネちゃん」
「はい。是非お話したいです」
どうやら二人はウェルカムなようだ。
妙に遠慮していた自分が恥ずかしくなる。
スラ太郎はぬるりとジェニーの腕の中からすり抜け、あっちの方に行ってしまった。
追いかけようかとも思ったが――何となく追いかけづらい。
「分かりました。じゃあタオル持ってきま――」
「そんなのなーし!」
ジェニーがタオルを取りに戻ろうとすると、床から謎の手二本がジェニーを襲った。
その細く透明な手は、ジェニーの腰の部分をしっかりと掴んでいる。
そして、ジェニーの軽い体を容易く持ち上げ、エマとメリルネが浸かっている浴槽に砂でも投げるように雑に放り投げた。
誰も受け止める事はなく、ジャバン! と大きな水音と水しぶきを立てて着水する。
「ぷはぁ! な、何ですか!?」
「アハハ、ごめんごめん」
やはりあの手はエマの仕業のようだ。
今回は放り投げられただけだから良かったものの、引きずり込まれていたらと考えると恐ろしい。
不幸中の幸いだろうか。
それとも加減してくれたのだろうか。
「タオルなんて無粋な物の持ち込みなんてダメだよー。せっかく女の子同士なんだから」
「す、すみません……」
何故かジェニーの方が怒られていた。そして何故かジェニーの方が謝っていた。
タオルは無粋な物らしい。
初めて聞いた事実だが、この場ではエマがルールだ。
従っておくべきだろう。
「エマ様、ジェニーさんに私の紹介をしておいた方がいいかもしれません」
「あ、そうだね。この子はメリルネちゃん。種族はゾンビで、とても可愛いの」
エマからメリルネの紹介があった。
大雑把で必要最低限の情報しかない。
ただ、エマと仲良く出来ているということは、すごくハートが強い人なのだろうか。
というように、それ以上の情報は推測するしかなかった。
「私はジェニーです。あの、よろしくお願いします。……え? メリルネさんってゾンビさん……なんですか?」
「はい。下等な種族で申し訳ありません」
「いやいやいや! そんなことないです! 驚いただけというか、そんな風に見えないなーというか……」
メリルネに誤解されたと焦ったジェニーは、あわあわとよく分からないフォローに回る。
現にジェニーの思い描いているゾンビの像とメリルネはかけ離れていた。
メリルネは何の前情報もなしに見ると、かなり人間に見えてしまう。それだけに驚きだ。
「種族なんて関係ないよねー。人間だってジェニーちゃんみたいな可愛い子もいるし」
「そうですね、エマ様。確かにジェニーさんは可愛いです」
「ひえぇぇ! 何でお二人揃って……」
集中攻撃とも言えるようなベタ褒めに、ジェニーは困惑してしまう。
普通に恥ずかしい。
裸の姿を覗かれたように顔が火照っている(実際は覗かれているどころか、さらけ出しているのだが)。
「エ、エマさんが一番可愛いですよ!」
ジェニーは負けじとエマに反撃を試みる。
別に嘘は言っていないし、どんな反応をするか見てみたかったからだ。
怒られるだろうか――いや、もしかしたら成功するかもしれない。
そんな事を思っていた。
「ジェニーちゃーん!!」
結果は飛びつく、だった。
湯船の波を立てながら両手を広げる。猫のように素早い動きだ。
今のジェニーでは避けることはできない。
ただ、受け止めるしかなかった。
「ぐえっ」
と、可愛いとは言えないような声を上げながら、飛びつかれた衝撃で水中に引きずり込まれてしまう。
先ほどとは違い、エマが抱きついているので本当に溺れてしまいそうだ。
ジェニーは肩をポンポンポンと三度叩いた。
降伏(ギブアップ)の合図である。
水中なので目が見えず、息も出来ない。
大丈夫だと思うが、エマに生殺与奪の権利を握られていると考えると、かなり恐ろしい。
大丈夫だと思うが……。
「ぶはぁ! お、溺れちゃう……」
「アハハ、ごめんごめん」
さっき見た光景だった。
変わった所と言えば、危険度が増したくらいである。
メリルネも変わらず、涼しい表情でこの騒動を見つめていた。
死にそうになっている自分が馬鹿みたいだ。
「エマ様……私も……」
と思ったら、メリルネから予想外の反応があった。
メリルネの表情から胸中を読み取ることはできなかったが、もしかするとこの騒動に参加したかったのだろうか。
もしそうなら、エマとメリルネ対ジェニーという状況になるので、是非ともやめてもらいたい。
「メリルネちゃんはお預けー」
「むぅ……。分かりました……」
(メリルネさん何だか不満そうだなぁ……。私、二人から沈められたら多分死んじゃうよ……)
メリルネは頬を膨らませていた。
ジェニーを一緒に沈めたかったのだろうか。
ジェニーとしては、喜んでもらえるなら全然構わないのだが、流石にこれ以上は身が持たない。
(あ、メリルネさんも沈められたいのかな……って、そんなわけないか)
一つの考えが浮かんだが、あまりにも非現実的な考察で自分に呆れてしまう。
一周回って失礼だ。
もう一度沈められても文句は言えない。
「ねぇ、あのスライムってジェニーちゃんのペットだよね?」
急に話がガラッと変わる。
起点は勿論エマからだ。
「は、はい。一応……」
疚しいことはないが、何故か濁った返答になってしまう。
何となく嫌な予感がしたからだ。
「エマも触ってみたいなぁ……」
「それなら大丈夫だと思います。スラ太郎は大人しいですから」
ジェニーは、チョイチョイとスラ太郎を手招く。
スラ太郎はそれにいち早く気付くと、ピョンピョンとジャンプしながら近寄ってきた。
可愛らしい仕草である。
そんなスラ太郎を、床から出てきた細く透明な手がサッとすくい上げた。
先程ジェニーを掴んだ手と同じ手だ。
スラ太郎はジェニーと違って、特に抵抗する様子もなく、そのままエマの元まで運搬される。
円滑に運ばれたスラ太郎は、エマに突っつくようにして触られていた。
「うーん。この柔らかさは、ジェニーちゃんと良い勝負だね」
「何で私とスラ太郎が比べられてるのか分かりませんし、よりによって、比べられている内容が、柔らかさってどういうことですか!」
「うん、満足満足。ありがとね」
エマはそう言うと、スラ太郎を元の位置へ戻す。
言葉通り満足したらしい。
スラ太郎はというと――気持ちよさそうだった。
「でもペットとしてなら、メリルネちゃんも負けてないよー。ね? メリルネちゃん」
「はい!」
即答だ。
しかも今までで一番元気がいい。
余程自信があるのだろう。
エマとメリルネの関係性が、少しだけ見えた気がした。
「じゃー、エマたちはもう上がろっかなー」
エマが立ち上がると、メリルネもそれに続いて立ち上がる。
その光景は、まさに主人と従者だ。
「あ、分かりました。また今度」
「またねー」
「楽しかったです。ジェニーさん」
エマは手を振って、メリルネはペコリとお辞儀をして浴場を後にする。
ジェニーはそれを微笑みながら、目で追っていた。
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