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第二章
低すぎる価値観
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好きだというだけあって、一弥はサクサクとチラシを作り印刷まで済ませてしまった。
こういう作業があまり得意ではない俺がやると何日かかるか分からないので、出来上がった感じのいいチラシを見せられては、感心することしきりだ。
俺のそんな表情を見て、一弥もホッとしたようだった。顔を綻ばせ、俺の右腕にペトリと張り付くようにくっ付いて、肩にコテンと頭を傾けた。
「…………」
……いや、可愛いんだけどな。うん。
くっ付きすぎだし、だんだん妙な気分になってくるから……。
あ~、ええっとー。
……。
「あっ! そうだ、一弥! 契約、雇用契約書作るぞ!」
グイッと一弥を引き離し正面を向かせ、パソコンを引き寄せた。
一弥は突然俺から引き剥がされて、一瞬ムッとした表情をしたけれど、俺の言葉にすぐに「え?」というような表情に変わった。
「雇用契約……?」
「ああ、いろいろ雇用に関するトラブルが多発していてな、少しでもトラブルを減らすためにと雇用主と従業員の間で雇用に関する契約を作るように推奨されているんだよ。勝手な引き抜きを減らすことが主だが、結局はそれが従業員の環境改善にもつながっているんだよな」
「……俺は、健輔さんのこと信頼してるから、別にどっちでもいいけど」
「そうか? でも作るぞ。じゃあまず、一弥がこういうのは困るとか嫌だと思う事は何だ?」
「――言ってもいいの?」
「もちろんだ」
「……じゃあ、突然の解雇はして欲しくない。ここにずっと居たい」
「一弥……。それ……、だけか?」
「うん。二十四時間寝ずに働けって言われたら働くし、どんな汚い仕事でも健輔さんがしろと言えばするよ?」
「一弥! 誰がそんな仕事させるかよ!」
「……え?」
キョトンと俺を見上げる一弥の顔には、まさに俺に言われたことは何でもしたい、するのが当たり前の事だと思っていると書かれていた。
堪らないと思った。こんなまだあどけなさの残る一弥が、こんな風に思いこまされるような生活を送ってきていたのかと思ったら。そしてそれを、一弥自身が当前の事だと思っているという事が。
「いいか、一弥。もうお前は危なっかしい仕事も、寝ずに何かをしなきゃならないことも無い。堅実で、だけど誰かが喜んでくれる仕事をコツコツとこなしていけばいいんだ。俺がお前に望む仕事はそう言う事だ。それと、俺がお前の雇用主だから、他の会社の誰かから仕事を手伝ってくれと万が一にでも言われた時は必ず俺にその相手と仕事内容を教えろ。どう言いくるめられようと、勝手に俺を介さず引き受けたりしちゃダメだ。分かったか?」
「健輔さん……。うん。……もちろん。俺、健輔さん以外の人から何かを頼まれたとしても、そんなもの……、する気なんて無いよ。絶対……」
顔をクシャリと歪ませて、一弥はまた俺にしがみ付くように抱き着いて来た。そして俺を強い力で、そのままソファに押し倒し顔を近づける。
「待て待て待て待て、ストップ!!」
近づいて来た一弥の顔面をグワシッと掌で覆い、遮った。
「ええ~? 何でーっ」
顔面を掌で覆われた状態で、一弥はぶうぶう文句を言い始めた。
何でじゃないだろ!
まったく、なに考えてんだ!
「せっかくご奉仕しようと思ったのにぃ」
「……っ、バカ! ご奉仕なんていらん!」
「――なんで?」
「……"なんで?"? こういう行為は、奉仕なんかじゃなく、好き合っている人達がお互いを欲してする行為だからだ!」
「――――」
俺はついたまらず、一弥に対して捲し立ててしまった。
分かってる。そんなものはただの正論だと思う人種が存在することも。俺が堅物だと思われる存在だという事も。
だけどやっぱり一弥には、ただの奉仕行為で俺にそんなことをして欲しくないと、心の底からそう思ったんだ。
俺の目の前で、俺を見上げる一弥の表情は、それこそ不思議なんだが……、無垢そのものだった。
しようとしていた行為とは本当にかけ離れていて、キョトンと、本当にキョトンとしていて、まるで幼い子供が初めて物を教えてもらい驚いているかのように。
「……知らなかったのか?」
「……だって、そうしろって言われたし……、喜んでたもの……」
「…………」
じわりと、どこから湧き出たのか知らない怒りが、俺の背中を這いあがって来た。
それはこんな無垢な子を、自分の言いように塗り込んで作り上げた奴……、カイリという奴に対する怒りだ。
「一弥。前に言われてきたことは忘れていい。お前は、どこの従業員だ?」
「――なんでも屋・川口の……、健輔さんの所の従業員」
「だったら、今は俺の言う事を聞いてくれ。分かったか?」
「うん、……分かった」
素直に頷く一弥にホッとした。
一弥には、低すぎる自分自身に対する価値感をもっと上げてもらわないと困る。
一弥のためにも、そして……それに翻弄される俺のためにも。
こういう作業があまり得意ではない俺がやると何日かかるか分からないので、出来上がった感じのいいチラシを見せられては、感心することしきりだ。
俺のそんな表情を見て、一弥もホッとしたようだった。顔を綻ばせ、俺の右腕にペトリと張り付くようにくっ付いて、肩にコテンと頭を傾けた。
「…………」
……いや、可愛いんだけどな。うん。
くっ付きすぎだし、だんだん妙な気分になってくるから……。
あ~、ええっとー。
……。
「あっ! そうだ、一弥! 契約、雇用契約書作るぞ!」
グイッと一弥を引き離し正面を向かせ、パソコンを引き寄せた。
一弥は突然俺から引き剥がされて、一瞬ムッとした表情をしたけれど、俺の言葉にすぐに「え?」というような表情に変わった。
「雇用契約……?」
「ああ、いろいろ雇用に関するトラブルが多発していてな、少しでもトラブルを減らすためにと雇用主と従業員の間で雇用に関する契約を作るように推奨されているんだよ。勝手な引き抜きを減らすことが主だが、結局はそれが従業員の環境改善にもつながっているんだよな」
「……俺は、健輔さんのこと信頼してるから、別にどっちでもいいけど」
「そうか? でも作るぞ。じゃあまず、一弥がこういうのは困るとか嫌だと思う事は何だ?」
「――言ってもいいの?」
「もちろんだ」
「……じゃあ、突然の解雇はして欲しくない。ここにずっと居たい」
「一弥……。それ……、だけか?」
「うん。二十四時間寝ずに働けって言われたら働くし、どんな汚い仕事でも健輔さんがしろと言えばするよ?」
「一弥! 誰がそんな仕事させるかよ!」
「……え?」
キョトンと俺を見上げる一弥の顔には、まさに俺に言われたことは何でもしたい、するのが当たり前の事だと思っていると書かれていた。
堪らないと思った。こんなまだあどけなさの残る一弥が、こんな風に思いこまされるような生活を送ってきていたのかと思ったら。そしてそれを、一弥自身が当前の事だと思っているという事が。
「いいか、一弥。もうお前は危なっかしい仕事も、寝ずに何かをしなきゃならないことも無い。堅実で、だけど誰かが喜んでくれる仕事をコツコツとこなしていけばいいんだ。俺がお前に望む仕事はそう言う事だ。それと、俺がお前の雇用主だから、他の会社の誰かから仕事を手伝ってくれと万が一にでも言われた時は必ず俺にその相手と仕事内容を教えろ。どう言いくるめられようと、勝手に俺を介さず引き受けたりしちゃダメだ。分かったか?」
「健輔さん……。うん。……もちろん。俺、健輔さん以外の人から何かを頼まれたとしても、そんなもの……、する気なんて無いよ。絶対……」
顔をクシャリと歪ませて、一弥はまた俺にしがみ付くように抱き着いて来た。そして俺を強い力で、そのままソファに押し倒し顔を近づける。
「待て待て待て待て、ストップ!!」
近づいて来た一弥の顔面をグワシッと掌で覆い、遮った。
「ええ~? 何でーっ」
顔面を掌で覆われた状態で、一弥はぶうぶう文句を言い始めた。
何でじゃないだろ!
まったく、なに考えてんだ!
「せっかくご奉仕しようと思ったのにぃ」
「……っ、バカ! ご奉仕なんていらん!」
「――なんで?」
「……"なんで?"? こういう行為は、奉仕なんかじゃなく、好き合っている人達がお互いを欲してする行為だからだ!」
「――――」
俺はついたまらず、一弥に対して捲し立ててしまった。
分かってる。そんなものはただの正論だと思う人種が存在することも。俺が堅物だと思われる存在だという事も。
だけどやっぱり一弥には、ただの奉仕行為で俺にそんなことをして欲しくないと、心の底からそう思ったんだ。
俺の目の前で、俺を見上げる一弥の表情は、それこそ不思議なんだが……、無垢そのものだった。
しようとしていた行為とは本当にかけ離れていて、キョトンと、本当にキョトンとしていて、まるで幼い子供が初めて物を教えてもらい驚いているかのように。
「……知らなかったのか?」
「……だって、そうしろって言われたし……、喜んでたもの……」
「…………」
じわりと、どこから湧き出たのか知らない怒りが、俺の背中を這いあがって来た。
それはこんな無垢な子を、自分の言いように塗り込んで作り上げた奴……、カイリという奴に対する怒りだ。
「一弥。前に言われてきたことは忘れていい。お前は、どこの従業員だ?」
「――なんでも屋・川口の……、健輔さんの所の従業員」
「だったら、今は俺の言う事を聞いてくれ。分かったか?」
「うん、……分かった」
素直に頷く一弥にホッとした。
一弥には、低すぎる自分自身に対する価値感をもっと上げてもらわないと困る。
一弥のためにも、そして……それに翻弄される俺のためにも。
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