上 下
13 / 98
第二章

低すぎる価値観

しおりを挟む
好きだというだけあって、一弥はサクサクとチラシを作り印刷まで済ませてしまった。
こういう作業があまり得意ではない俺がやると何日かかるか分からないので、出来上がった感じのいいチラシを見せられては、感心することしきりだ。
俺のそんな表情を見て、一弥もホッとしたようだった。顔を綻ばせ、俺の右腕にペトリと張り付くようにくっ付いて、肩にコテンと頭を傾けた。

「…………」

……いや、可愛いんだけどな。うん。
くっ付きすぎだし、だんだん妙な気分になってくるから……。

あ~、ええっとー。
……。

「あっ! そうだ、一弥! 契約、雇用契約書作るぞ!」

グイッと一弥を引き離し正面を向かせ、パソコンを引き寄せた。
一弥は突然俺から引き剥がされて、一瞬ムッとした表情をしたけれど、俺の言葉にすぐに「え?」というような表情に変わった。

「雇用契約……?」
「ああ、いろいろ雇用に関するトラブルが多発していてな、少しでもトラブルを減らすためにと雇用主と従業員の間で雇用に関する契約を作るように推奨されているんだよ。勝手な引き抜きを減らすことが主だが、結局はそれが従業員の環境改善にもつながっているんだよな」

「……俺は、健輔さんのこと信頼してるから、別にどっちでもいいけど」
「そうか? でも作るぞ。じゃあまず、一弥がこういうのは困るとか嫌だと思う事は何だ?」
「――言ってもいいの?」
「もちろんだ」

「……じゃあ、突然の解雇はして欲しくない。ここにずっと居たい」
「一弥……。それ……、だけか?」
「うん。二十四時間寝ずに働けって言われたら働くし、どんな汚い仕事でも健輔さんがしろと言えばするよ?」
「一弥! 誰がそんな仕事させるかよ!」
「……え?」

キョトンと俺を見上げる一弥の顔には、まさに俺に言われたことは何でもしたい、するのが当たり前の事だと思っていると書かれていた。
堪らないと思った。こんなまだあどけなさの残る一弥が、こんな風に思いこまされるような生活を送ってきていたのかと思ったら。そしてそれを、一弥自身が当前の事だと思っているという事が。

「いいか、一弥。もうお前は危なっかしい仕事も、寝ずに何かをしなきゃならないことも無い。堅実で、だけど誰かが喜んでくれる仕事をコツコツとこなしていけばいいんだ。俺がお前に望む仕事はそう言う事だ。それと、俺がお前の雇用主だから、他の会社の誰かから仕事を手伝ってくれと万が一にでも言われた時は必ず俺にその相手と仕事内容を教えろ。どう言いくるめられようと、勝手に俺を介さず引き受けたりしちゃダメだ。分かったか?」

「健輔さん……。うん。……もちろん。俺、健輔さん以外の人から何かを頼まれたとしても、そんなもの……、する気なんて無いよ。絶対……」

顔をクシャリと歪ませて、一弥はまた俺にしがみ付くように抱き着いて来た。そして俺を強い力で、そのままソファに押し倒し顔を近づける。

「待て待て待て待て、ストップ!!」

近づいて来た一弥の顔面をグワシッと掌で覆い、遮った。

「ええ~? 何でーっ」

顔面を掌で覆われた状態で、一弥はぶうぶう文句を言い始めた。

何でじゃないだろ!
まったく、なに考えてんだ!

「せっかくご奉仕しようと思ったのにぃ」
「……っ、バカ! ご奉仕なんていらん!」
「――なんで?」
「……"なんで?"? こういう行為は、奉仕なんかじゃなく、好き合っている人達がお互いを欲してする行為だからだ!」
「――――」
 
俺はついたまらず、一弥に対して捲し立ててしまった。
分かってる。そんなものはただの正論だと思う人種が存在することも。俺が堅物だと思われる存在だという事も。
だけどやっぱり一弥には、ただの奉仕行為で俺にそんなことをして欲しくないと、心の底からそう思ったんだ。

俺の目の前で、俺を見上げる一弥の表情は、それこそ不思議なんだが……、無垢そのものだった。
しようとしていた行為とは本当にかけ離れていて、キョトンと、本当にキョトンとしていて、まるで幼い子供が初めて物を教えてもらい驚いているかのように。

「……知らなかったのか?」
「……だって、そうしろって言われたし……、喜んでたもの……」
「…………」

じわりと、どこから湧き出たのか知らない怒りが、俺の背中を這いあがって来た。
それはこんな無垢な子を、自分の言いように塗り込んで作り上げた奴……、カイリという奴に対する怒りだ。

「一弥。前に言われてきたことは忘れていい。お前は、どこの従業員だ?」
「――なんでも屋・川口の……、健輔さんの所の従業員」
「だったら、今は俺の言う事を聞いてくれ。分かったか?」
「うん、……分かった」

素直に頷く一弥にホッとした。
一弥には、低すぎる自分自身に対する価値感をもっと上げてもらわないと困る。

一弥のためにも、そして……それに翻弄される俺のためにも。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

王子様と魔法は取り扱いが難しい

南方まいこ
BL
とある舞踏会に出席したレジェ、そこで幼馴染に出会い、挨拶を交わしたのが運の尽き、おかしな魔道具が陳列する室内へと潜入し、うっかり触れた魔具の魔法が発動してしまう。 特殊な魔法がかかったレジェは、みるみるうちに体が縮み、十歳前後の身体になってしまい、元に戻る方法を探し始めるが、ちょっとした誤解から、幼馴染の行動がおかしな方向へ、更には過保護な執事も加わり、色々と面倒なことに――。 ※濃縮版

家を追い出されたのでツバメをやろうとしたら強面の乳兄弟に反対されて困っている

香歌奈
BL
ある日、突然、セレンは生まれ育った伯爵家を追い出された。 異母兄の婚約者に乱暴を働こうとした罪らしいが、全く身に覚えがない。なのに伯爵家当主となっている異母兄は家から締め出したばかりか、ヴァーレン伯爵家の籍まで抹消したと言う。 途方に暮れたセレンは、年の離れた乳兄弟ギーズを頼ることにした。ギーズは顔に大きな傷跡が残る強面の騎士。悪人からは恐れられ、女子供からは怯えられているという。でもセレンにとっては子守をしてくれた優しいお兄さん。ギーズの家に置いてもらう日々は昔のようで居心地がいい。とはいえ、いつまでも養ってもらうわけにはいかない。しかしお坊ちゃん育ちで手に職があるわけでもなく……。 「僕は女性ウケがいい。この顔を生かしてツバメをしようかな」「おい、待て。ツバメの意味がわかっているのか!」美貌の天然青年に振り回される強面騎士は、ついに実力行使に出る?!

【完結】我が侭公爵は自分を知る事にした。

琉海
BL
 不仲な兄の代理で出席した他国のパーティーで愁玲(しゅうれ)はその国の王子であるヴァルガと出会う。弟をバカにされて怒るヴァルガを愁玲は嘲笑う。「兄が弟の事を好きなんて、そんなこと絶対にあり得ないんだよ」そう言う姿に何かを感じたヴァルガは愁玲を自分の番にすると宣言し共に暮らし始めた。自分の国から離れ一人になった愁玲は自分が何も知らない事に生まれて初めて気がついた。そんな愁玲にヴァルガは知識を与え、時には褒めてくれてそんな姿に次第と惹かれていく。  しかしヴァルガが優しくする相手は愁玲だけじゃない事に気づいてしまった。その日から二人の関係は崩れていく。急に変わった愁玲の態度に焦れたヴァルガはとうとう怒りを顕にし愁玲はそんなヴァルガに恐怖した。そんな時、愁玲にかけられていた魔法が発動し実家に戻る事となる。そこで不仲の兄、それから愁玲が無知であるように育てた母と対峙する。  迎えに来たヴァルガに連れられ再び戻った愁玲は前と同じように穏やかな時間を過ごし始める。様々な経験を経た愁玲は『知らない事をもっと知りたい』そう願い、旅に出ることを決意する。一人でもちゃんと立てることを証明したかった。そしていつかヴァルガから離れられるように―――。  異変に気づいたヴァルガが愁玲を止める。「お前は俺の番だ」そう言うヴァルガに愁玲は問う。「番って、なに?」そんな愁玲に深いため息をついたヴァルガはあやすように愁玲の頭を撫でた。

非力な守護騎士は幻想料理で聖獣様をお支えします

muku
BL
聖なる山に住む聖獣のもとへ守護騎士として送られた、伯爵令息イリス。 非力で成人しているのに子供にしか見えないイリスは、前世の記憶と山の幻想的な食材を使い、食事を拒む聖獣セフィドリーフに料理を作ることに。 両親に疎まれて居場所がないながらも、健気に生きるイリスにセフィドリーフは心動かされ始めていた。 そして人間嫌いのセフィドリーフには隠された過去があることに、イリスは気づいていく。 非力な青年×人間嫌いの人外の、料理と癒しの物語。 ※全年齢向け作品です。

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか

Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。 無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して―― 最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。 死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。 生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。 ※軽い性的表現あり 短編から長編に変更しています

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?

下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。 そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。 アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。 公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。 アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。 一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。 これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。 小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。

僕はただの平民なのに、やたら敵視されています

カシナシ
BL
僕はド田舎出身の定食屋の息子。貴族の学園に特待生枠で通っている。ちょっと光属性の魔法が使えるだけの平凡で善良な平民だ。 平民の肩身は狭いけれど、だんだん周りにも馴染んできた所。 真面目に勉強をしているだけなのに、何故か公爵令嬢に目をつけられてしまったようでーー?

処理中です...