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序章 ある夏の日の出来事
◇そして、私は決意する
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――確か、この辺りだと聞いたけど……。
私は自分のいる通路の周囲を見渡す。
周りの壁は、ごつごつとした石が剥き出しの岩肌。ここはまるで、巨人が無造作に掘り出したような洞窟だ。
でも、細部をよく見ると、でこぼことした岩肌は作り物めいた張りぼてのようにも見える。
その壁全体がぼんやりと僅かに発光して、通路を明るく照らしているのだ。
――バーチャルといっても、こんなものかしら。
私は岩肌をぺたぺたと触りながら、その微妙な質感の無さに首を傾げる。
そう、ここはVRMMOゲーム『Another World 異界への扉』の中。
そのリアルさを売りにするVRMMOだけど、所詮はゲームには違いなく、現実とは比べるまでもない。
今の技術なら、もう少しリアルに作れても良さそうだけど、これ以上細部に拘るとお金も掛かるし、商業ベースを考えるとこれが限界なのだろう。
と、少しがっかりしながら、私は偉そうにそんな事を考えていた。
――あっと、これかしら?
ぺたぺたと壁を触っていた指先に、微かな突起物を感じた。顔を近付けて良く確かめると、周りの岩肌と同じようにカモフラージュされているが、確かにボタンのようにも見える。
――あの噂が本当なら……。
私は一度、「ふぅ」と小さく息を吐き出し、今度は瞼を閉じて何度か深く深呼吸を繰り返す。
閉じていた瞼を開けると、そのボタンらしき物をそっと押してみた。
ガコンッ!――
その途端に、何か重たい物が溝に嵌まるような金属音が通路に響く。
そして、目の前にある壁が横にスライドしていくと、人がひとり通れるほどの入り口がぽっかりと開いた。
物音ひとつしない通路に、「ぐわんぐわん」と壁が開く音が反響して谺していく。開いた入り口からは白い靄のようなものが、ふわふわと漂い出てきた。
私はそれを見て、ごくりと喉を鳴らす。
――隠し部屋……本当にあったんだ。
運営が何度も公式に、その存在を否定した隠し部屋。それが本当にあったのだ。私は驚くと共に、もう一度ごくりと喉を鳴らし、呆然とその入り口を眺める。
確かにあの話を聞いてここに来たのだけれども、余りにも突拍子もない話だったので、半信半疑でここまで来た。
だから、まるで幽霊にでも出会ったような気分だ。
――あっと、こうしてはいられない。時間が……。
私はメニューを呼び出し時間を確める。
メニューと唱えると、目の前に半透明のシステムウィンドウが展開する。そのウィンドウの右端の上に、デジタル時計が秒単位で時を刻んでいた。
時間は十一時五十分。ぎりぎりで間に合ったようだ。
恐る恐る部屋の中を覗き込み確めると、そこはそれほど広い部屋ではなかった。
その部屋の大きさは、四方五メートル程の正方形で出来た小さな部屋。壁も床天井も、通路と同じような剥き出しの岩壁。ただ、正面に、白い布で覆われた祭壇が有るだけ。
――あれが、噂にあった祭壇……。
噂どおりの隠し部屋に、恐れにも似た不安を感じる。だけど、覚悟を決めてここまで来たのだ。
私はその祭壇の前に駆け寄ると、メニューの端に浮かぶデジタル時計を眺め、その時が訪れるのを待つことにした。
私は物心が付く頃の昔から、この手のゲーム、いわゆるテレビゲームの類いが苦手だった。だから、ここ数年で爆発的に流行りだしたVRMMOゲームにも、手を出しかねていたのだ。
私の通う女子高、ミッション系スクールと呼ばれるお嬢様学校でも、その宗教的観点から禁止されてるにも拘わらず、密かに流行ってるのは知っていた。それでも、その手の話題には混じらないようにして、今まで普通に学生生活を送ってきた。
そんな私がVRMMOゲーム『Another World 異界への扉』中にあるこの場所、『始まりの迷宮』と呼ばれるダンジョンに訪れたのは、あるひとつの都市伝説を確めるためだった。
何故、確かめようとしたのか?
それは、一週間前まで話は遡る……。
◇
その日は、高校に入学して初の夏休み。その休みに入って数日経った頃だった。
私の通う女子高では、全生徒がいずれかのクラブに所属しなければいけない。だから、私も仕方なしに弓道部なるクラブに所属していた。
何故、弓道部なのか?
文化部系はちょっと暗そうだし、運動部系は練習がきつそうだから。
弓道部なら、弓を引くだけで楽そうだと思ったのが切っ掛けだった。でも、弓道部もやはり、他の運動部ほどではないが、それなりにきつい練習があったりする。
それに、バッチンバッチン弓が当たり、頬や耳は生傷が絶えないし、腕にも痣が出来たりもする。胸当てをするのを忘れた時の痛さは、もう悶絶ものだ。
入学してクラブ見学に行った時は、弓を構えたそのすっきりとした立ち姿に「格好いい」なんて思ったけど、実際は女子にはちょっとなんて思ったりする。
そして、秋には新人戦があるとかで、夏休みに入ったというのに毎日のようにクラブ活動でしごかれる毎日なのだ。
そんな訳で、その日も朝早くから起き出すと、学校に向かうべく玄関から慌てて飛び出していた。
それは……ちょっと、いえ、大分寝坊したから、てへっ。
一歩玄関から外に出ると、カッと照り付ける太陽の光が容赦なく降り注ぐ。その茹だるような暑さに、クーラーの効いた部屋が恋しくなり、家の中へと引き返したくなる。
朝からこの暑さだ。今日これからの日中の暑さを考えて、うんざりとしてしまう。
それに、周りから聞こえる「ジワジワ」と、けたたましく鳴く蝉の声がうざったく感じ、それがより一層、気分を落ち込ませる。
「あぁ、文化系のクラブにしとけば良かった」
思わず、愚痴めいた一人言を呟いてしまう。
家の前で暑さに顔をしかめていると、ちょうどゴミ出しのために表に出て来た、向かいの林さん家のおばちゃんと目が合ってしまった。
慌てて、しかめていた顔を笑顔に変えると、爽やかに朝のあいさつをする。
「おはようございます」
「あぁ、おはようさん。優子ちゃんは今から学校かい。夏休みだというのに大変だねぇ」
林のおばちゃんも、目を細め笑顔で返してくれた。
その笑顔に、少し気分が楽になる。
私は一応、中身はともかく、ご近所ではお嬢様学校に通う、おしとやかな女の子で通っているのだ。「今日も暑いですね」等と、当たり障りのない会話を、一言二言交わして学校に向かおうとした時に……。
ピーポー、パーポー!
あれは……救急車のサイレンの音?
通りの向こうでくるくると回る赤色灯が、こちらに近付いてくるのが見える。
「ありゃ、ご近所さんで誰か熱中症にでもなったのかねえ」
林のおばちゃんが心配気な様子で呟くのに、私も「何処の家だろう」と呟き頷く。
その救急車は私達が見守る中、驚くことに直ぐ目の前まで来て止まったのだ。
「えっ、うそ!」
私と林のおばちゃんが顔を見合わせ驚いていると、隣りの辻さん家のおばちゃんが、顔を蒼白にひきつらせた表情で、慌てて出てくるのが見えた。
「おばさん、どうしたの? 誰が……」
駆け寄る私に、おばさんが涙を浮かべながら答える。
「……優子ちゃん、勇吾がぁ……」
「えっ、勇吾……」
私はその言葉に慌てて家に駆け戻ると、玄関から手に持つ荷物を家の中に投げ込む。
そして、家の中に向かって叫んだ。
「お母さん、大変! 隣に救急車が来てるわよ!」
母がキッチンから何か答えているようだけど、それを無視して外へと駆け戻る。
家の外に出ると、既にご近所さんが大勢何事かと外に出て来て、ちょっとした騒ぎになっていた。
そんな中、隣の家に向かうと、ちょうど救急隊員の人が、タンカに勇吾を乗せて運んでくるところだった。
その後ろからおばさんが、おろおろと動揺も露に心配顔のまま歩いてくる。そのおばさんの服の裾を、まだ小学生の典ちゃんが泣きながら掴んでいた。
そして、私の目の前を通るタンカの上に、勇吾が青白い顔で瞼を閉じて、眠ったように横たわっていた。
「勇吾……うそ……」
タンカで運ばれる勇吾を見詰め、絶句してしまう。頭の中が真っ白になっていたのだ。
そんな私の腕を、おばさんが力強く握った。
「優子ちゃん、典子をお願い」
「あっ、はい。でも、勇吾は……」
おばさんはそれには答える余裕もなく、典ちゃんを私に押し付けるようにして、勇吾と一緒に救急車に乗り込んだ。
「ちぃねえちゃん、お兄ちゃんはどうなったの?」
泣きながら見上げてくる典ちゃんに答える事も出来ず、私は典ちゃんの手を握り締め、走り去る救急車を呆然と眺めるしか出来なかった。
私の家と隣の辻さん家は、家族ぐるみの付き合いだった。
私が生まれる前、それは約二十年ほど前に、この地区が宅地造成されて建て売りとして家々が売り出された時、お互いが引っ越して来た時からの付き合いだ。
だから、同い年の勇吾とは、双子の兄妹のように育った。いわゆる、幼馴染みというやつだ。
今でこそ、私が女子高に進学したため、別々の道に分かれたけど、それまでは幼稚園、小学校、中学校と、常に一緒だった。
だから、よく友達に「ご主人」「奥さん」などと、夫婦扱いされてからかわれたものだ。
実際のところ、好きなのかと聞かれると、微妙な感じだ。
勇吾は、スポーツが出来るわけでもなく、勉強もそれほどでもない。ごく普通の男子。どちらかといえば、ゲームやアニメにはまっているちょっとオタクな男の子だ。
そんな男子によくありがちな、ちょっと理屈っぽいところなんかもある。
前に一度、食事を一緒にした時……といっても、両家の家族と一緒にファミリーレストランに行っただけ。
その時に、私が料理の熱さに顔をしかめていると……。
「舌が感じる熱さに、個人の違いはないから。猫舌は、そいつの舌の使い方が悪いだけ。熱いものを食べるときは、敏感な舌の先端が当たらないように食べると良いよ……」
どこで仕入れてきたのか、長々と蘊蓄を語り出す。
万事がこの調子で、少々うざったく感じてしまうのもしばしばなのだ。
だから、付き合ってるの? とか、好きなの? とか聞かれると、苦笑いを浮かべて微妙と答えるしかない。
でも、嫌いなのと聞かれると、そんな事は絶対にないと断言できる。
私にとって勇吾とは、そこにいて当然、空気のように感じる存在。もはや家族に近い、友達以上恋人未満、そんな感じの幼馴染み。
勇吾が救急車で運ばれてから、一週間が経った頃。私は、病室のベッドに横たわる勇吾を眺め、そんな事を考えていた。
結局、勇吾が何故救急車で運ばれたかというと、彼は夏休みに入って、前からはまっていたVRMMOゲーム『Another World 異界への扉』を毎日、一日中遊んでいたようだ。そして、VRMMOゲームにダイブしたまま、戻って来れなくなったという事だった。
病院で精密検査を受けても、脳波にも身体にも何の障害もなく、ただ眠っているとだけ。
どのような手を尽くしても、ただただ、目を覚まさないだけなのだ。
お医者さんも、首を捻るしかない病状。
しかも、この奇病は勇吾だけが患っているのではなかった。驚くことに、既に数十人の人が、この奇病に掛かっているのだ。
その全ての人に共通しているのが、『Another World 異界への扉』で遊んでる最中に、この病に倒れたということ。
だからいま、世間では大騒ぎとなっている。
新聞やテレビなどで『昏睡病』と銘打ち、大々的に取り上げ、『Another World 異界への扉』を運営している企業が、かなり叩かれ出している。
そのため、運営会社も「医学的には、何の関連性も無い」と、必死に言い訳しているが、実際に、『Another World 異界への扉』を遊んでる人が昏睡病にかかっているのだ。『Another World 異界への扉』が中止に追い込まれるのも、時間の問題となっていた。
もう時間が無い。だから、私は……。
『Another World 異界への扉』には、あるひとつの噂が付き纏う。
それは、昏睡病が取り沙汰される前、運営開始当初からの怪しげな噂。こういったVRMMOゲームには必ずある、ある種の都市伝説。
それは、ゲームの中から本当の異世界へと行けるといった噂。『Another World 異界への扉』の題名の通り、このゲームは異世界への扉となってると。
馬鹿げた話。とても、信じられるような話ではない。
――でも……。
もしかしたらと、その思いが捨てきれない。
勇吾は私にとって何?
他人?
ただの親しき隣人?
家族?
それとも、それ以上に感じる存在?
はっきりとは、自分の気持ちは分からない。
でも、失って始めて分かる。勇吾は大切な存在だと。このままだと、私は後で後悔するだろう。
だから決意する。
噂を確かめようと。
私がこの一週間あまりで、ネットや友人達に聞いて回って確めた、異世界へと行く手順はこうだ。
先ずは、『Another World 異界への扉』の中で最初に行く事になる、『始まりの迷宮』と呼ばれるダンジョンに行く事。
そして、そのダンジョンの最深部、ボスモンスターがいる奥の間に通じる通路の途中にある、隠し部屋を見付ける事。
その部屋にある祭壇の前で、月の変わり目、一日に変わる午前0時に「異世界に連れて行って下さい」と、三回、祈りを捧げると異世界に行けるという話だった。
それはよくある、友達の友達から聞いたといった類いの話だった。
そして問題は、その隠し部屋なのだ。運営会社も、その存在を否定しているし、その部屋を見た人が、全くといっていいほど殆どいない。噂だけが広まっている。そんな感じだった。
でも、そんな中、有力な話を聞く事ができた。といっても、それも、友達の友達からの話だったけど……。
私はゲームとかあまりしないのでよく分からないけど、何でも、昏睡病になった人とパーティーと呼ばれるものを組んでた人が、その隠し部屋を見た事があるらしいのだ。
それは、半分は冗談のつもりで探していたらしいのだけど、その部屋を本当に見付けた時、その人が止めるのも聞かず、昏睡病になった人は祭壇で祈りを捧げたのだ。
そして……ゲーム内からその姿は掻き消えたと……。
今日は三十一日。運営会社は、もうすぐ『Another World 異界への扉』を中止することだろう。
だから、今日が最後のチャンス。
私はベッドでこんこんと眠る勇吾の手を握り締め、その耳元で囁く。
「今日、私もそっちに行くから……」
その日の夜、勇吾の家から典ちゃんに言って、こっそりと、『Another World 異界への扉』にダイブするための、VRヘッドギア、VRスーツと呼ばれる器具を借りて来た。
典ちゃんはその際に、心配そうな顔をしてたけど、私は出来るだけ自信ありげに、「大丈夫、首に縄を付けても、必ずお兄ちゃんを連れて帰ってくるから」と、答えていた。
だから私は、覚悟を決めてスーツで体を覆い、そのヘルメットのような器具を頭に被る。
そして、私はダイブする。『Another World 異界への扉』の世界へと……そして、異世界に向かって……。
◇
時刻は、深夜の十一時五十九分。
私はその時が訪れるのを、祭壇の前で待ち続ける。
不思議な事に、ここに来るまで、他の人にも会わずモンスターにすら出会っていない。
噂になってるゲームだし、今はダイブしてくる人もいないのかなと、首を傾げつつ心の中でカウントダウンを始める。
――あと、十秒。九、八、七……三、二、一。
「私を、異世界に連れて行って下さい。異世界に連れて行って下さい。異世界に連れて行って下さい」
三回、呪文のように唱えた瞬間、世界が激しく震動して強烈に白く発光する。
「えっ、何これ!」
まばゆい光に瞼を閉じる私の意識が、それと同時に切れ切れに弾けた。
薄れゆく意識の中で、何処からか、感情を一切感じさせない抑揚の無い声が聞こえる。
『データーを照合……完了。データを保存した後、レベル帯に応じた場所に転送を開始します。……レベルが低すぎるため、一部データの破損を確認。データー補填のため、一部データーの書き換えを行います。……転送の成功を確認しました』
私は自分のいる通路の周囲を見渡す。
周りの壁は、ごつごつとした石が剥き出しの岩肌。ここはまるで、巨人が無造作に掘り出したような洞窟だ。
でも、細部をよく見ると、でこぼことした岩肌は作り物めいた張りぼてのようにも見える。
その壁全体がぼんやりと僅かに発光して、通路を明るく照らしているのだ。
――バーチャルといっても、こんなものかしら。
私は岩肌をぺたぺたと触りながら、その微妙な質感の無さに首を傾げる。
そう、ここはVRMMOゲーム『Another World 異界への扉』の中。
そのリアルさを売りにするVRMMOだけど、所詮はゲームには違いなく、現実とは比べるまでもない。
今の技術なら、もう少しリアルに作れても良さそうだけど、これ以上細部に拘るとお金も掛かるし、商業ベースを考えるとこれが限界なのだろう。
と、少しがっかりしながら、私は偉そうにそんな事を考えていた。
――あっと、これかしら?
ぺたぺたと壁を触っていた指先に、微かな突起物を感じた。顔を近付けて良く確かめると、周りの岩肌と同じようにカモフラージュされているが、確かにボタンのようにも見える。
――あの噂が本当なら……。
私は一度、「ふぅ」と小さく息を吐き出し、今度は瞼を閉じて何度か深く深呼吸を繰り返す。
閉じていた瞼を開けると、そのボタンらしき物をそっと押してみた。
ガコンッ!――
その途端に、何か重たい物が溝に嵌まるような金属音が通路に響く。
そして、目の前にある壁が横にスライドしていくと、人がひとり通れるほどの入り口がぽっかりと開いた。
物音ひとつしない通路に、「ぐわんぐわん」と壁が開く音が反響して谺していく。開いた入り口からは白い靄のようなものが、ふわふわと漂い出てきた。
私はそれを見て、ごくりと喉を鳴らす。
――隠し部屋……本当にあったんだ。
運営が何度も公式に、その存在を否定した隠し部屋。それが本当にあったのだ。私は驚くと共に、もう一度ごくりと喉を鳴らし、呆然とその入り口を眺める。
確かにあの話を聞いてここに来たのだけれども、余りにも突拍子もない話だったので、半信半疑でここまで来た。
だから、まるで幽霊にでも出会ったような気分だ。
――あっと、こうしてはいられない。時間が……。
私はメニューを呼び出し時間を確める。
メニューと唱えると、目の前に半透明のシステムウィンドウが展開する。そのウィンドウの右端の上に、デジタル時計が秒単位で時を刻んでいた。
時間は十一時五十分。ぎりぎりで間に合ったようだ。
恐る恐る部屋の中を覗き込み確めると、そこはそれほど広い部屋ではなかった。
その部屋の大きさは、四方五メートル程の正方形で出来た小さな部屋。壁も床天井も、通路と同じような剥き出しの岩壁。ただ、正面に、白い布で覆われた祭壇が有るだけ。
――あれが、噂にあった祭壇……。
噂どおりの隠し部屋に、恐れにも似た不安を感じる。だけど、覚悟を決めてここまで来たのだ。
私はその祭壇の前に駆け寄ると、メニューの端に浮かぶデジタル時計を眺め、その時が訪れるのを待つことにした。
私は物心が付く頃の昔から、この手のゲーム、いわゆるテレビゲームの類いが苦手だった。だから、ここ数年で爆発的に流行りだしたVRMMOゲームにも、手を出しかねていたのだ。
私の通う女子高、ミッション系スクールと呼ばれるお嬢様学校でも、その宗教的観点から禁止されてるにも拘わらず、密かに流行ってるのは知っていた。それでも、その手の話題には混じらないようにして、今まで普通に学生生活を送ってきた。
そんな私がVRMMOゲーム『Another World 異界への扉』中にあるこの場所、『始まりの迷宮』と呼ばれるダンジョンに訪れたのは、あるひとつの都市伝説を確めるためだった。
何故、確かめようとしたのか?
それは、一週間前まで話は遡る……。
◇
その日は、高校に入学して初の夏休み。その休みに入って数日経った頃だった。
私の通う女子高では、全生徒がいずれかのクラブに所属しなければいけない。だから、私も仕方なしに弓道部なるクラブに所属していた。
何故、弓道部なのか?
文化部系はちょっと暗そうだし、運動部系は練習がきつそうだから。
弓道部なら、弓を引くだけで楽そうだと思ったのが切っ掛けだった。でも、弓道部もやはり、他の運動部ほどではないが、それなりにきつい練習があったりする。
それに、バッチンバッチン弓が当たり、頬や耳は生傷が絶えないし、腕にも痣が出来たりもする。胸当てをするのを忘れた時の痛さは、もう悶絶ものだ。
入学してクラブ見学に行った時は、弓を構えたそのすっきりとした立ち姿に「格好いい」なんて思ったけど、実際は女子にはちょっとなんて思ったりする。
そして、秋には新人戦があるとかで、夏休みに入ったというのに毎日のようにクラブ活動でしごかれる毎日なのだ。
そんな訳で、その日も朝早くから起き出すと、学校に向かうべく玄関から慌てて飛び出していた。
それは……ちょっと、いえ、大分寝坊したから、てへっ。
一歩玄関から外に出ると、カッと照り付ける太陽の光が容赦なく降り注ぐ。その茹だるような暑さに、クーラーの効いた部屋が恋しくなり、家の中へと引き返したくなる。
朝からこの暑さだ。今日これからの日中の暑さを考えて、うんざりとしてしまう。
それに、周りから聞こえる「ジワジワ」と、けたたましく鳴く蝉の声がうざったく感じ、それがより一層、気分を落ち込ませる。
「あぁ、文化系のクラブにしとけば良かった」
思わず、愚痴めいた一人言を呟いてしまう。
家の前で暑さに顔をしかめていると、ちょうどゴミ出しのために表に出て来た、向かいの林さん家のおばちゃんと目が合ってしまった。
慌てて、しかめていた顔を笑顔に変えると、爽やかに朝のあいさつをする。
「おはようございます」
「あぁ、おはようさん。優子ちゃんは今から学校かい。夏休みだというのに大変だねぇ」
林のおばちゃんも、目を細め笑顔で返してくれた。
その笑顔に、少し気分が楽になる。
私は一応、中身はともかく、ご近所ではお嬢様学校に通う、おしとやかな女の子で通っているのだ。「今日も暑いですね」等と、当たり障りのない会話を、一言二言交わして学校に向かおうとした時に……。
ピーポー、パーポー!
あれは……救急車のサイレンの音?
通りの向こうでくるくると回る赤色灯が、こちらに近付いてくるのが見える。
「ありゃ、ご近所さんで誰か熱中症にでもなったのかねえ」
林のおばちゃんが心配気な様子で呟くのに、私も「何処の家だろう」と呟き頷く。
その救急車は私達が見守る中、驚くことに直ぐ目の前まで来て止まったのだ。
「えっ、うそ!」
私と林のおばちゃんが顔を見合わせ驚いていると、隣りの辻さん家のおばちゃんが、顔を蒼白にひきつらせた表情で、慌てて出てくるのが見えた。
「おばさん、どうしたの? 誰が……」
駆け寄る私に、おばさんが涙を浮かべながら答える。
「……優子ちゃん、勇吾がぁ……」
「えっ、勇吾……」
私はその言葉に慌てて家に駆け戻ると、玄関から手に持つ荷物を家の中に投げ込む。
そして、家の中に向かって叫んだ。
「お母さん、大変! 隣に救急車が来てるわよ!」
母がキッチンから何か答えているようだけど、それを無視して外へと駆け戻る。
家の外に出ると、既にご近所さんが大勢何事かと外に出て来て、ちょっとした騒ぎになっていた。
そんな中、隣の家に向かうと、ちょうど救急隊員の人が、タンカに勇吾を乗せて運んでくるところだった。
その後ろからおばさんが、おろおろと動揺も露に心配顔のまま歩いてくる。そのおばさんの服の裾を、まだ小学生の典ちゃんが泣きながら掴んでいた。
そして、私の目の前を通るタンカの上に、勇吾が青白い顔で瞼を閉じて、眠ったように横たわっていた。
「勇吾……うそ……」
タンカで運ばれる勇吾を見詰め、絶句してしまう。頭の中が真っ白になっていたのだ。
そんな私の腕を、おばさんが力強く握った。
「優子ちゃん、典子をお願い」
「あっ、はい。でも、勇吾は……」
おばさんはそれには答える余裕もなく、典ちゃんを私に押し付けるようにして、勇吾と一緒に救急車に乗り込んだ。
「ちぃねえちゃん、お兄ちゃんはどうなったの?」
泣きながら見上げてくる典ちゃんに答える事も出来ず、私は典ちゃんの手を握り締め、走り去る救急車を呆然と眺めるしか出来なかった。
私の家と隣の辻さん家は、家族ぐるみの付き合いだった。
私が生まれる前、それは約二十年ほど前に、この地区が宅地造成されて建て売りとして家々が売り出された時、お互いが引っ越して来た時からの付き合いだ。
だから、同い年の勇吾とは、双子の兄妹のように育った。いわゆる、幼馴染みというやつだ。
今でこそ、私が女子高に進学したため、別々の道に分かれたけど、それまでは幼稚園、小学校、中学校と、常に一緒だった。
だから、よく友達に「ご主人」「奥さん」などと、夫婦扱いされてからかわれたものだ。
実際のところ、好きなのかと聞かれると、微妙な感じだ。
勇吾は、スポーツが出来るわけでもなく、勉強もそれほどでもない。ごく普通の男子。どちらかといえば、ゲームやアニメにはまっているちょっとオタクな男の子だ。
そんな男子によくありがちな、ちょっと理屈っぽいところなんかもある。
前に一度、食事を一緒にした時……といっても、両家の家族と一緒にファミリーレストランに行っただけ。
その時に、私が料理の熱さに顔をしかめていると……。
「舌が感じる熱さに、個人の違いはないから。猫舌は、そいつの舌の使い方が悪いだけ。熱いものを食べるときは、敏感な舌の先端が当たらないように食べると良いよ……」
どこで仕入れてきたのか、長々と蘊蓄を語り出す。
万事がこの調子で、少々うざったく感じてしまうのもしばしばなのだ。
だから、付き合ってるの? とか、好きなの? とか聞かれると、苦笑いを浮かべて微妙と答えるしかない。
でも、嫌いなのと聞かれると、そんな事は絶対にないと断言できる。
私にとって勇吾とは、そこにいて当然、空気のように感じる存在。もはや家族に近い、友達以上恋人未満、そんな感じの幼馴染み。
勇吾が救急車で運ばれてから、一週間が経った頃。私は、病室のベッドに横たわる勇吾を眺め、そんな事を考えていた。
結局、勇吾が何故救急車で運ばれたかというと、彼は夏休みに入って、前からはまっていたVRMMOゲーム『Another World 異界への扉』を毎日、一日中遊んでいたようだ。そして、VRMMOゲームにダイブしたまま、戻って来れなくなったという事だった。
病院で精密検査を受けても、脳波にも身体にも何の障害もなく、ただ眠っているとだけ。
どのような手を尽くしても、ただただ、目を覚まさないだけなのだ。
お医者さんも、首を捻るしかない病状。
しかも、この奇病は勇吾だけが患っているのではなかった。驚くことに、既に数十人の人が、この奇病に掛かっているのだ。
その全ての人に共通しているのが、『Another World 異界への扉』で遊んでる最中に、この病に倒れたということ。
だからいま、世間では大騒ぎとなっている。
新聞やテレビなどで『昏睡病』と銘打ち、大々的に取り上げ、『Another World 異界への扉』を運営している企業が、かなり叩かれ出している。
そのため、運営会社も「医学的には、何の関連性も無い」と、必死に言い訳しているが、実際に、『Another World 異界への扉』を遊んでる人が昏睡病にかかっているのだ。『Another World 異界への扉』が中止に追い込まれるのも、時間の問題となっていた。
もう時間が無い。だから、私は……。
『Another World 異界への扉』には、あるひとつの噂が付き纏う。
それは、昏睡病が取り沙汰される前、運営開始当初からの怪しげな噂。こういったVRMMOゲームには必ずある、ある種の都市伝説。
それは、ゲームの中から本当の異世界へと行けるといった噂。『Another World 異界への扉』の題名の通り、このゲームは異世界への扉となってると。
馬鹿げた話。とても、信じられるような話ではない。
――でも……。
もしかしたらと、その思いが捨てきれない。
勇吾は私にとって何?
他人?
ただの親しき隣人?
家族?
それとも、それ以上に感じる存在?
はっきりとは、自分の気持ちは分からない。
でも、失って始めて分かる。勇吾は大切な存在だと。このままだと、私は後で後悔するだろう。
だから決意する。
噂を確かめようと。
私がこの一週間あまりで、ネットや友人達に聞いて回って確めた、異世界へと行く手順はこうだ。
先ずは、『Another World 異界への扉』の中で最初に行く事になる、『始まりの迷宮』と呼ばれるダンジョンに行く事。
そして、そのダンジョンの最深部、ボスモンスターがいる奥の間に通じる通路の途中にある、隠し部屋を見付ける事。
その部屋にある祭壇の前で、月の変わり目、一日に変わる午前0時に「異世界に連れて行って下さい」と、三回、祈りを捧げると異世界に行けるという話だった。
それはよくある、友達の友達から聞いたといった類いの話だった。
そして問題は、その隠し部屋なのだ。運営会社も、その存在を否定しているし、その部屋を見た人が、全くといっていいほど殆どいない。噂だけが広まっている。そんな感じだった。
でも、そんな中、有力な話を聞く事ができた。といっても、それも、友達の友達からの話だったけど……。
私はゲームとかあまりしないのでよく分からないけど、何でも、昏睡病になった人とパーティーと呼ばれるものを組んでた人が、その隠し部屋を見た事があるらしいのだ。
それは、半分は冗談のつもりで探していたらしいのだけど、その部屋を本当に見付けた時、その人が止めるのも聞かず、昏睡病になった人は祭壇で祈りを捧げたのだ。
そして……ゲーム内からその姿は掻き消えたと……。
今日は三十一日。運営会社は、もうすぐ『Another World 異界への扉』を中止することだろう。
だから、今日が最後のチャンス。
私はベッドでこんこんと眠る勇吾の手を握り締め、その耳元で囁く。
「今日、私もそっちに行くから……」
その日の夜、勇吾の家から典ちゃんに言って、こっそりと、『Another World 異界への扉』にダイブするための、VRヘッドギア、VRスーツと呼ばれる器具を借りて来た。
典ちゃんはその際に、心配そうな顔をしてたけど、私は出来るだけ自信ありげに、「大丈夫、首に縄を付けても、必ずお兄ちゃんを連れて帰ってくるから」と、答えていた。
だから私は、覚悟を決めてスーツで体を覆い、そのヘルメットのような器具を頭に被る。
そして、私はダイブする。『Another World 異界への扉』の世界へと……そして、異世界に向かって……。
◇
時刻は、深夜の十一時五十九分。
私はその時が訪れるのを、祭壇の前で待ち続ける。
不思議な事に、ここに来るまで、他の人にも会わずモンスターにすら出会っていない。
噂になってるゲームだし、今はダイブしてくる人もいないのかなと、首を傾げつつ心の中でカウントダウンを始める。
――あと、十秒。九、八、七……三、二、一。
「私を、異世界に連れて行って下さい。異世界に連れて行って下さい。異世界に連れて行って下さい」
三回、呪文のように唱えた瞬間、世界が激しく震動して強烈に白く発光する。
「えっ、何これ!」
まばゆい光に瞼を閉じる私の意識が、それと同時に切れ切れに弾けた。
薄れゆく意識の中で、何処からか、感情を一切感じさせない抑揚の無い声が聞こえる。
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