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飛狼

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第四章 邂逅と襲来

◆閑話 二等水夫カーティスの驚嘆。

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 木箱の重みが、その端を持つ指に食い込み、足下で踏みしめる木製の階段は、「ぎしり、ぎしり」と音を鳴らす。頭上では、危急を報せる鐘の音が、「カンカンカン」と甲高い音を鳴り響かせていた。その音が、俺の焦燥感を煽り立てる。
 だから、焦る気持ちからか、足元も覚束ず、階段の段差を踏み外しそうになってしまった。辛うじて踏みとどまるも、大きく体勢を崩し木箱を傾けてしまう。

「おい、カーティス! しっかり持てよ! 危ねえだろ!」

 透かさず、木箱のもう片方の端を持つジャニスが、顔をしかめ文句を言ってくる。

「おっと、すまねえ……」

「すまねえじゃねえよ。この木箱の中には、火焔石が入ってるんだぞ。もし、暴発なんかしてみろ、たちまち俺達二人は火だるまになっちまう」

「心配性だなぁ。かぎとなる呪文を唱えねぇと、発動しないのだろう?」

「馬鹿! 何も知らねえな。たまに、衝撃を与えた弾みに暴発する事もあるんだよ。こいつの中には、ドワーフ達が秘術を使って火精を封じ込めている。だがな、ドワーフ達にも腕の優劣があらぁな。中には封印の術があめぇのも、あるんだよ」

「ふぅん、そんなもんかねぇ」

「あぁ、前に乗っていた船では海賊に襲われた時に暴発してな、船は木っ端微塵だ」

「だ、大丈夫だったのかよ?」

「いや、生き残ったのは、爆発の衝撃で海に投げ出された、俺を含めて数人だけだった。まあ、そのお蔭で、海賊船の連中は諦めてどっかに行っちまって助かったけどな。だから、慎重に扱え!」

「お、おぅ、分かった……」

 こんな所で焼け死ぬとか、俺もごめんだ。
 ごくりと喉を鳴らして、木箱を持つ指に力がこもる。
 俺とジャニスの二人は、船倉にある弾薬庫から火焔石の詰まった木箱を、船上へと運ぶ途中だった。

 俺は水夫といっても、ついこの間までは、モルダ島で小さな漁船に乗っていた漁師。だから、火焔石など物騒な物とは今まで縁が無かったから、今一つ扱いに慎重さが足りなかったようだ。
 俺に、顔をしかめて見せるジャニスはまだ25歳だが、俺と違って水夫としての経験は長い。確か、13の時から見習いの水夫として船に乗っていたとか。
 そのジャニスが、今度は青白い顔色に変え、ため息と共に呟き嘆く。

「はぁ……何故、こんな船に乗っちまったのかな」

 ジャニスは典型的な船乗り。外洋に航路を取る船舶に乗る水夫には、荒くれ者が多いと聞く。外洋に出ると、危険も多い。いかに大型船であろうと、巨大な嵐など自然の猛威の前では無意味だからだ。それに、外洋では巨大な海棲の魔獣に襲われる事も多いらしく、命を落とす危険が格段に上がるのだ。だから、命すら賭ける外洋船の船乗りに荒くれ者も多くなる。そんな船乗り達は、航海で得た金銭を、行く先々の港で豪遊して使いきってしまう。それはまるで、危険な航海への禊ぎをするようだとも人は言う。
 ジャニスも、そんな船乗りのひとりだった。
 聞いた話だと、今回この船に乗ったのは、海賊騒ぎで外洋航路の船便が減ってしまい、仕事にあぶれ腐ってる所をギルドのカレリンの親父に声を掛けられたとの話。ジャニスはその時、何時ものように湯水の如く金を使ってしまい、蓄えなど有るはずも無く、かなりの金欠だったらしい。だから、カレリンの親父の声掛けに、渡りに船と飛び付いたようだ。
 そんな俺より経験が豊富なジャニスが、顔を歪めてまた呟くように言う。

「今までは、運よく助かったが、今度ばかりは駄目かも知れねぇな」

「…………」

 いつもは陽気なジャニスが、暗い相貌に変え呟くのに俺も返事のしようが無かった。ジャニスの諦めにも似た呟きは、尤もだと思うからだ。
 今回の航路は他の外洋航路に比べ、往復で僅か12日程度の航海。しかし、その行き先は海賊達が手ぐすね引いて待っている、モルダ島への危険な航路だった。ジャニスが危険を承知で仕事を引き受けたのは、航海が僅かな日数で有るのも然る事ながら、グラナダが誇る戦闘艦が遂に海賊退治に乗り出すと、酒場で話を聞いたのが大きかったようだ。
 それに、今回の航海には海賊襲撃の恐れもあるので、腕っぷしの立つ水夫が集められていた事もあり、ちょっとした海賊ぐらいならと、ジャニスはどこか楽観視してたようだった。
 だが、俺は違う。ジャニスほど楽観的な考えでも無いし、命を落とす危険も分かって敢えて乗り込んだ。どうしても、新緑祭までに、モルダ島に帰る必要があったから。だから、カレリンの親父に頼み込んで、無理やり乗る事ができた。
 その際、相手は海賊なんだぞと散々に脅かされたが、それでも良いと必死に頼み込み、ようやく乗せてもらったのだ。

 それがどうだ、蓋を開けてみると、海賊どころか、初っぱなから飛来魚の大群の襲来に始まり、途中の停泊地では伝説のマーマンが現れたりとか、どうにもきな臭い雲行きだ。
 そして、その挙げ句に……。

「おぉい、ジャニスにカーティス! さっさとしねぇか! 早く、持って上がって来い!」

 階段上部から、一等水夫のミルコさんの怒声が飛んできた。頭上を見上げると、この船の甲板から顔を覗かせた、ミルコさんが顔を真っ赤にして怒鳴っていた。

「あっ、はい。今すぐにも……」

 俺とジャニスは大急ぎで階段を登ると、火焔石の詰まった木箱を甲板上へと運び上げた。
 周囲を見渡すと、もうひとりの一等水夫シウバさんの指示の元、風を受け大きく膨らんでいた帆を畳み、甲板上には延焼を防ぐために海水が撒かれている。
 それが、これから起きる激戦を予感させ身震いさせる。
 隣に目を向けると、ジャニスが同じように体を震わせ、南の洋上に視線を飛ばし声を漏らす。

「ガーゴイル……」

 そう、俺達が乗る船は、今度はガーゴイルの群れに襲われようとしていたのだ。

 ジャニスの視線の先を辿ると確かに、洋上を無数の黒い影が此方に向かって、かなりの速度で飛んで来るのが見える。その姿は見る間にぐんぐん大きくなり、後数クロク(分)で、船上に達しそうな勢いだった。

 背中に翼を持ち、空を飛びゆく凶悪な魔獣ガーゴイル。その姿は蛇に似た頭部を持つ人の形をしていると聞く。昔はモルダ島近辺にも姿を現し島民を大いに恐怖に陥れていたと、死んだ婆さんに昔語りで聞いた事がある。だが、それは随分と昔の話であり、今はその姿を消して久しい。
 今はもう、大陸の北方にしか棲息していないらしいが、何故ここに……。

 迫り来るガーゴイルの大群を目を凝らして眺めていると、またしても、ミルコさんの怒声が飛んで来た。

「お前ら二人、ぼけっと何してる! さっさとその火焔石を投石機まで運べ!」

「あっ、はい!」

 俺達二人は返事もそこそこに、船首楼上の甲板に設置されている投石機へと、木箱を持ち上げ向かう。

 この船には、船首楼上と船尾楼上の甲板に一機ずつ、中型の投石機が設置されている。この『ミラキュラス号』唯一の兵装だが、こんなちっぽけな兵器であの大群がどうにかなるとは思えない。

「無理だろ、あの数は……」

 隣に立つジャニスがまた、暗い顔で嘆くように呟く。

 確かに、飛来魚の大群の時は運良く助かったが、今回は、かなりやばそうだ……が、俺はここで死ぬ訳にはいかないのだ。ここで俺が命を落とすと、妹が……だから、何としても新緑祭までに島へ……。

 そんな事を考えつつ、ようやく、船首楼上にある投石機の前まで木箱を運んだ頃、更にけたたましく鐘の音が船上に響き渡った。
 そして、投石機の準備をしていた水夫や、周りにいる水夫達も叫ぶ。

「来るぞおぉ!」

 その声に、南に目を向けると、既にガーゴイルの群れは目前へと迫っていた。俺が思ってたより、ガーゴイルの飛ぶ速度は速かったようだ。
 周囲では、水夫達が弓や槍を手に持ち、シウバさんが、「もっと引き付けてから矢を放て!」とか叫んでいる。

「おい、若いの! 何をぼぉっとしてる。その火焔石をそこの受け皿に乗せろ!」

 その怒声に、緊張して固まっていた体が、びくりと跳ねる。
 投石機の側にいた少し歳いった水夫、確か名前はドルグ。そのドルグが眉間にしわを寄せ、早く寄越せと手招きしていた。

「あっ、はい……」

 投石機の中央では、先端に受け皿の付いた金属板が、巻き上げ機でぎりぎりと音鳴らして撓っていた。その受け皿に、木箱から取り出したひと抱えもある火焔石を、そっと乗せる。
 それを確認したドルグが、火焔石のかぎとなる呪文を唱えている。

「リベレーションファイアァ! 怪物共め、これでも喰らいやがれえぇぇぇ!」

 ドルグが叫ぶのと同時に、投石機脇のレバーを引く。途端に、「バッシュウゥン!」と轟音を響かせ、火焔石がガーゴイルの群れに向かって飛んで行った。そして、ちょうど群れの中央に飛び込んだ火焔石が、炎を撒き散らして爆散する。

「殺ったかあ!」

 ジャニスが、ドルグが、そして俺も、周りにいた全ての水夫達が見守る中、炎に包まれた数匹のガーゴイルが海上へと墜落していくのが見えた。

「うおおおぉぉぉぉ!」

 俺や水夫達の歓声が洋上に広がっていく。

 ――もしかして、いけるか、いけるのか?

 炎に包まれるガーゴイルを見て、俺の心に希望の火が灯る。

「次だ、次の火焔石を早く!」

 ドルグや数人の水夫達が、金属板を巻き上げ機で撓らせながら、今度は興奮した声で叫ぶ。その声には力が漲り、俺に更なる希望をもたらし、水夫達の興奮が伝わって来る。

「は、はい、直ぐに」

 ドルグさんの声に、慌てて木箱から、また火焔石を取り出し受け皿に乗せる。

 だが、さっきの火焔石の一撃が、激戦の始まりの合図となったようだった。ガーゴイルの群れが更に速度を上げ、船上へと迫って来ていたのだ。
 シウバさんの「放てぇ!」の号令に、近付くガーゴイルに数十の矢が降り注ぎ、火焔石も轟音を鳴らして炎を撒き散らす。
 しかし、俺達の攻撃にまた数匹は脱落したが、残りのガーゴイルは怯む事も無く迫る。

『キィシャアァァァァ!』

 仲間が倒された事で、更に獰猛さが増した鳴き声を響かせ、船上にどっと群がり俺達に襲い掛かってきた。
 たちまち、辺りは混乱と怒号が飛び交う喧騒に包まれる。

 空中から襲い掛かるガーゴイルに、槍で対処する者、物陰に隠れ矢を放つ者と、最早、統制も取れぬまま船上での乱戦へと変わってしまったのだ。

 俺も、近くに立て掛けていた槍を手に取り、熱に浮かされたように槍を振り回す。
 その後は、戦いに興奮して無我夢中で槍を振るっていたが、ふと気付くと、近くでジャニスが腹を押さえて踞っていた。

「おい、ジャニス! しっかりしろ!」

 慌てて傍らに駆け寄ると、片膝ついてジャニスの体を支える。

「うぅ……俺はもう駄目かも……死にたくねぇ」

「直ぐに手当てを……」

 そうは言ったものの、ジャニスの腹は鋭く抉られ、ぱっくりと開いた傷口からは、中の臓物がどろりと流れ出して来ていた。

 ――くそっ、くそっ! こんな事があるかよ!

「誰かあ! ジャニスがあ!」

 しかし、周りを見渡すが、皆はガーゴイルに対処するのが精一杯。他人に構ってる余裕のある者など、いるはずもないのだ。

 ――どうする事もできないのか?

 先ほど膨らみかけた希望の灯は、あっと言う間に萎み絶望感に包まれる。
 落胆して天を仰ぐと、船上ばかりか上空にもまだ、多数のガーゴイルが空高く旋回して舞っているのが見えた。
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