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「香水つけなくても柔軟剤で十分だろ」
「うーん」
志野の好きな匂いにしたいな。
他の男や女なんて興味はない。
「おれ、ビルのなか探検してくる」
「道明寺さん、ここは人目がない場所がありますか?」
「いいや、従業員用の通路くらいだね。必ずどこかしらに人がいるよ」
「ならいい。肇、なにか気になるものがあってもよけいなことには首を突っ込まないと約束しろ」
「しませーん」
「絶対だぞ? 道がわからなくなったら誰かにすぐ聞くんだ」
「わかってるよ。約束しま~」
「……まぁいい。道明寺さん、今度の雑誌のことで相談が」
へんな気分だ。
子どもの頃、志野のように心配してくれる人はおれにはいなかった。
どこに行くにも母さんはうなずくだけで、家に帰るとカップ麺が置いてあるだけで誰もいない。そんなことが当たり前だった。
だから志野に心配されるのは嬉しいし、同時にもっと強くなれたらとも思う。
「さぁ! 始まりました、松田のハマとこラジオ、本日でなんと10回目を迎えました~!」
「ハマとこラジオ……」
ラジオの収録をしているらしい。
ついつい好奇心で入ってしまいそうになるけど、志野との約束はやぶれない。
なにがあっても好奇心で近づいたらダメ……
ほんとにダメだぞ、おれ。
「司郎っ?」
「____」
…………え?
いま、おれ呼ばれた?
いつかに捨ててきた名前で、誰かに呼ばれた気がした。
でもあるわけがない、同姓同名の誰かだ。このビルにはたくさん人がいるし、きっとおれじゃない。
「あんた、司郎だろう?」
「っ」
おれは足を止めた。
聞き覚えがある、この声。
振り返るのがおそろしかった。
なんで。いるんだよ。
「…………母さ」
おれを呼んだのは、母さん"だった"人。
薄汚れた服に整っていない髪、雑なメイク。
おれといた時よりやつれている。
「あぁ……司郎、また顔が見れて嬉しいよぉ」
「っ……なんで、話しかけてくるんだよ。おれはもう司郎じゃない。あんたはおれの親でもないのに」
「それは世間体だろう? ごめんねえ……いままでずっと苦労させて。母さん、ずっと後悔してたんだ」
「うそだ……おれのこと、必要ない子だって言ってたじゃないかっ」
「それは誤解よ。母さんも苦しかったからだよ……司郎の世話も、仕事も、すごくすごく大変だった……だから言ってしまったの」
「……」
なんで母さんがここにいるんだ。
このあたりに住んでいるのは知っている。
でもこんなところで会うとは思ってもいない。
「司郎……聞いたわ。あなた、いますごく出世してるらしいじゃない。母さん誇らしくてねえ。あんなに体の弱い子だったのに立派になって。私ももっとたくさん、あなたに愛してると伝えていればよかったわ……」
「いまさら……なんだよ」
「実は母さんねえ、もうすぐ死ぬの」
「え?」
時間が止まった。
空気が張りついたように、体が動かなくなる。死ぬ……?
「病気でね。治療費に50万かかるんだけど……母さんそれすら払えなくて、もうこんなボロボロだからさぁ。だからどうしても、司郎の力が必要なのよ……」
「……っ」
「もう司郎しかいないの、私が縋れるのは。母さんの気持ち、あなたならわかるでしょう……?」
おれが協力しなかったら、この人は死ぬ。治療を受けられずに。
でも、もう家族じゃない。
おれは自由の身になった。
育児放棄をされてきた元親を助ける義理なんておれにはない。
「母さんは……おれのこと放置してたよね、ずっとずっと1人で」
「そ、それは……本当に心が病んでいたの。あの人はパチンコで遊ぶばかりで家に帰らないから疲れてて」
「嘘だよ。母さんだって一緒に行ってた……おれが行かないでって言っても、聞いてくれなかったじゃんかっ」
「……」
ずっと言いたかった。
言えなかった。親への怒りも、さびしさも。
それを志野は隠さなくていいと言ってくれた。
自分だけが我慢しなくてもいいんだって、そう教えてくれたから。
「ごめんね……司郎、あなたの気持ちを考えなかった私たちは最低な親ね。あなたに頼む方が間違いかもしれない」
「…………」
「でも本当に会いたかったの、私。あなたに会いたくて、ずーっと後悔してたのよ」
「……」
自分がつくづく嫌だと思った。
おれにはわかってしまった。
母さんの嘘が、また。
「……わかったよ。治療費、渡すから」
「本当に? ありがとうっ……司郎」
「そのかわりっ……もう二度と、おれに会おうとしないで」
「え?」
「返さなくていいから、母さんと会うのは今日が本当の最後だよ……」
「…………そうね、わかったわ。約束する」
泣きたくなった。
悲しくなった。笑えない。
おれは一生、本当の親には愛されない。
それがわかってしまった。
キャッシュカードでATMからお金をおろし、50万という額を封筒に入れる。
母さんは嬉しそうだった。いままで見たことがないくらいに喜んでいた。
「じゃあ、これ持ってはやく出ていって。さよなら」
「ありがとうね、司郎。本当にありがとう」
母さんは去っていった。
元気そうに、スキップしながら。
「うーん」
志野の好きな匂いにしたいな。
他の男や女なんて興味はない。
「おれ、ビルのなか探検してくる」
「道明寺さん、ここは人目がない場所がありますか?」
「いいや、従業員用の通路くらいだね。必ずどこかしらに人がいるよ」
「ならいい。肇、なにか気になるものがあってもよけいなことには首を突っ込まないと約束しろ」
「しませーん」
「絶対だぞ? 道がわからなくなったら誰かにすぐ聞くんだ」
「わかってるよ。約束しま~」
「……まぁいい。道明寺さん、今度の雑誌のことで相談が」
へんな気分だ。
子どもの頃、志野のように心配してくれる人はおれにはいなかった。
どこに行くにも母さんはうなずくだけで、家に帰るとカップ麺が置いてあるだけで誰もいない。そんなことが当たり前だった。
だから志野に心配されるのは嬉しいし、同時にもっと強くなれたらとも思う。
「さぁ! 始まりました、松田のハマとこラジオ、本日でなんと10回目を迎えました~!」
「ハマとこラジオ……」
ラジオの収録をしているらしい。
ついつい好奇心で入ってしまいそうになるけど、志野との約束はやぶれない。
なにがあっても好奇心で近づいたらダメ……
ほんとにダメだぞ、おれ。
「司郎っ?」
「____」
…………え?
いま、おれ呼ばれた?
いつかに捨ててきた名前で、誰かに呼ばれた気がした。
でもあるわけがない、同姓同名の誰かだ。このビルにはたくさん人がいるし、きっとおれじゃない。
「あんた、司郎だろう?」
「っ」
おれは足を止めた。
聞き覚えがある、この声。
振り返るのがおそろしかった。
なんで。いるんだよ。
「…………母さ」
おれを呼んだのは、母さん"だった"人。
薄汚れた服に整っていない髪、雑なメイク。
おれといた時よりやつれている。
「あぁ……司郎、また顔が見れて嬉しいよぉ」
「っ……なんで、話しかけてくるんだよ。おれはもう司郎じゃない。あんたはおれの親でもないのに」
「それは世間体だろう? ごめんねえ……いままでずっと苦労させて。母さん、ずっと後悔してたんだ」
「うそだ……おれのこと、必要ない子だって言ってたじゃないかっ」
「それは誤解よ。母さんも苦しかったからだよ……司郎の世話も、仕事も、すごくすごく大変だった……だから言ってしまったの」
「……」
なんで母さんがここにいるんだ。
このあたりに住んでいるのは知っている。
でもこんなところで会うとは思ってもいない。
「司郎……聞いたわ。あなた、いますごく出世してるらしいじゃない。母さん誇らしくてねえ。あんなに体の弱い子だったのに立派になって。私ももっとたくさん、あなたに愛してると伝えていればよかったわ……」
「いまさら……なんだよ」
「実は母さんねえ、もうすぐ死ぬの」
「え?」
時間が止まった。
空気が張りついたように、体が動かなくなる。死ぬ……?
「病気でね。治療費に50万かかるんだけど……母さんそれすら払えなくて、もうこんなボロボロだからさぁ。だからどうしても、司郎の力が必要なのよ……」
「……っ」
「もう司郎しかいないの、私が縋れるのは。母さんの気持ち、あなたならわかるでしょう……?」
おれが協力しなかったら、この人は死ぬ。治療を受けられずに。
でも、もう家族じゃない。
おれは自由の身になった。
育児放棄をされてきた元親を助ける義理なんておれにはない。
「母さんは……おれのこと放置してたよね、ずっとずっと1人で」
「そ、それは……本当に心が病んでいたの。あの人はパチンコで遊ぶばかりで家に帰らないから疲れてて」
「嘘だよ。母さんだって一緒に行ってた……おれが行かないでって言っても、聞いてくれなかったじゃんかっ」
「……」
ずっと言いたかった。
言えなかった。親への怒りも、さびしさも。
それを志野は隠さなくていいと言ってくれた。
自分だけが我慢しなくてもいいんだって、そう教えてくれたから。
「ごめんね……司郎、あなたの気持ちを考えなかった私たちは最低な親ね。あなたに頼む方が間違いかもしれない」
「…………」
「でも本当に会いたかったの、私。あなたに会いたくて、ずーっと後悔してたのよ」
「……」
自分がつくづく嫌だと思った。
おれにはわかってしまった。
母さんの嘘が、また。
「……わかったよ。治療費、渡すから」
「本当に? ありがとうっ……司郎」
「そのかわりっ……もう二度と、おれに会おうとしないで」
「え?」
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「…………そうね、わかったわ。約束する」
泣きたくなった。
悲しくなった。笑えない。
おれは一生、本当の親には愛されない。
それがわかってしまった。
キャッシュカードでATMからお金をおろし、50万という額を封筒に入れる。
母さんは嬉しそうだった。いままで見たことがないくらいに喜んでいた。
「じゃあ、これ持ってはやく出ていって。さよなら」
「ありがとうね、司郎。本当にありがとう」
母さんは去っていった。
元気そうに、スキップしながら。
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